オックスフォード通信(11)Catch 22(家探し最終章)

Catch 22

Catch 22とは何かの結果がその前提となっているジレンマのことをいいます。

もともとJoseph Heller の小説が元になっている言葉です。簡単にいうと、戦争中、戦闘機のパイロットから免除しもらうには、自分が正気でないことが条件なのですが、自分が正気でないと分かっている人は正気なのでどこまで行っても免除条項に当てはまる人は、少なくとも自らは出てこないというジレンマをいいます。「正気でない」「パイロットから免除」この2つはつながりそうでつながらないということです(若ゼミの卒業生はゼミで議論したので覚えているかもしれません)。

今回、やっと家が決まったので、家賃を支払うことになりました。その場合、現金はダメでOxfordのB銀行に振り込みとなっているのです。それは想定していたので、日本の口座のあるM銀行から海外送金をしようとしました。すると、海外送金先を日本のM銀行に印鑑を押して郵送しなくてはならないのです。この場合、FAXもe-mailも不可となっています。印鑑はもちろん日本に置いてきましたのでイギリスから何もしようがありません。

またこの払込情報は日本にいる間には知り得ない情報でイギリスに来てから知った情報です。もし学生の皆さんの場合であれば、家族が日本にいて、家族の口座から払い込むよう家族に連絡をすればいいでしょう。しかし夫婦ともこちらに来てしまっては子ども達は日本にいるものの印鑑の場所を含めて教えて→書類を作成→M銀行に送付→何日か経ってその情報が承認され登録→日本から海外に送金、ざっと1週間はかかると思います。久々に、少しあせりました。ただ、今回のオックスフォードでの研究生活はメタ認知をすることにしているので、このような状況は今後、日本人学生、日本人研究者にもあり得るな、と思いましたので、焦りを少し横に置くことができました。そこでいつものようにプランBを考えました。

プランB:妻の姉が広島で大学教授をしているので(分野は全然別の福祉関係)、すぐにライン電話をしました。ところが新年度初頭で月曜日の午前中は会議や新入生関係の仕事で一杯で早くて水曜日とのこと。→断念

プランC:そうそう今年で25歳になる息子がM銀行(同じではない)に勤務しているので、彼に頼もうと電話。日本時間で深夜2時くらいでしたがさすが若者、飲み会から帰ったところで酔っ払いながらもライン電話に出てくれました。さらにさすがなところにどれだけ酔っていても銀行員の冷静さを持ち合わせていて、勤務時間中に100万円以上のお金を海外送金すると間違いなく行内のチェックに引っかかるとのこと。→断念

プランD:そうそう私には2歳違いの妹がいてA部市で図書館に勤務しているのです(ちなみに出世していて館長です)。しかも図書館は月曜日が休み。これしかない。同じく夜中の2時頃に電話。さすがに寝ていると思ったところ、公務員は歓送迎会の嵐のようで、帰宅したところとのこと。話をすると考える暇もなく(酔っていたので考えていなかったかもしれない)快諾。プランはこう。月曜日の朝にA部市のK銀行に行き、彼女の口座から100万円云々のお金を引き出す→イギリスポンドに交換→指定口座にK銀行から振り替え。この場合現金が絡むので為替手数料は結構かかる(つまり損をすることになるが、+10円くらいなので100万円を超えるとざっと10万円は損益)この場合そんなことを言っていられない。妹に頼むことに決着。持つべきものは妹、兄妹、家族です。

するともう一つのプランが。

プランE: そういえば(言わなくても)子どもは双子なので娘(二卵性です)も関西で金融関係の仕事に就いている。妹よりは娘に頼む方が筋だろうということで、同じく娘にライン。さすがに日本時間では午前3時を超えていたので翌朝、快諾の連絡。本当に娘に頼もうとは思ったし、快諾はさすが昔トロントに住んだだけあって、グローバルにものが考えられると、いや親思いだと感謝したけれど、勤務時間中に市中の銀行にいってもらうのは忍びないと思ったのとそもそも時間は懸かるだろうと想定したので、このプランは丁寧に断念することした。

ざっと10分くらいの間にこのプランB~Eまで考えられたというと、私が頭が冴えているように思われるかもしれないのですが、緊迫する状況になると(だって、住むところが決まるかどうかの瀬戸際ですから)頭脳は120%、いや150%以上のスピードで動くものですね。

プランDが実現可能と分かると安心して今度は違うアイディアが。そうそうメガバンクのM銀行ではなくて、今回はインターネットバンギングのS銀行のアカウントも持っていたことに気づきました。

最初は半信半疑だったのですが海外送金の所を見ると、M銀行とは異なる記述が。そうなんですね、インターネットバンキングに送金先を登録するのに郵送という発想はないのですね。だって支店が存在しないのですから。ただマイナンバーの事前登録が必要とのこと。これはラッキーだったのですがマイナンバーがこの世に出現した後に口座を開いた場合には必須、それ以前であればどこかの時点で(つまり帰国後でも許容)登録すればいいことになっていました。

やった!さすがインターネットバンキング、海外生活をサポートしてくれるのはメガバンではなくてインターネットバンキングだ!と心の底から思いました。ただ、1点大きな壁が。それは送金申し込みをしたらその後にその内容確認を電話でするとのこと。しかもその電話は国内限定とのこと。まあこの時点ではプランB~Eの誰かに頼もうかと思ったのですが、正直が一番、S河銀行に国際電話をしてみました。国際電話は久々で(ラインでの国際電話は何度もしたことがあった)少し緊張したのですが、びっくり。「もしもし」・・・「もしもし」・・・・「もしもし」、相互にこの繰り返し。さすがにかなり疲れていたのでなぜこうなるのかすぐに分かりませんでしたが、ぱっとテレビでの国際中継の場面が目に浮かびました。そう時間差なのです。ラインの場合は恐らくインターネット回線なので時差はないのですが、電話はインターネット回線とは異なる回線をいまだに使っているのですね。

私:「海外送金をしたいのですが」
(3秒待つ)
S銀行行員F田さん:「わかりました」(ちゃんと日本人も名前を聞いていおいた)
(3秒待つ)
私:「連絡先ですが・・・」

これほど3秒間が長いと思ったことはありません。でもS銀行が偉いのは柔軟性があるというよりはカスタマー第一に考えているということです。もちろん、今回こんなに苦労しているのはオレオレ詐欺のような犯罪が横行しているからですが、S銀行が取った方法のように、支払い明細をメールで送る、こちらからその内容について再度電話確認するなど、異なった方法を提案するという手はメガバングにも考えられると思うのですね。結果的には、

プランF: S銀行の自分の口座から直接イギリスのB銀行の不動産業者の口座に振り込む

という方法で決着することが出来ました。ただ問題になったのは着金するまでの時間です(プランB~Eの場合、実はもっとかかったかもしれません)。3日~1週間、日本を出金してからイギリスの銀行に着金するまでかかるとのことなんです。イギリスの不動産は予想以上に厳格で着金するまでは鍵は絶対に渡してくれないということなんです。現在、大学の寮にB&Bとして滞在させてもらっているのですが(これもいい発見があったのでまたの機会に書きます)さすがに10日を過ぎると豪華な朝食も飽きてきますし(毎日完全に同じメニュー)妻に至っては卵焼きを自分で焼きたいと言い出す始末。なんとしても金曜日には引っ越しをしなくてはいけないのです。

実はこのエントリー(ギクッ!)は4/10に書き足しているのですが、妻は月曜日の午後などには、お金は今頃どのあたりを通っているのかななどと呑気なことを言う始末です。飛行機で運んでいる訳ではないので。しかし、さすが日本の銀行ですね。S銀行を出発して→Mほ銀行を経て、その後は不明と言っておられましたがが、正確にはイギリス時間、月曜日午前3時15分発(ここで当日レートと送金の確認電話、これは眠い)→火曜日正午着金、という素晴らしいスピードと正確性で送って頂くことができました。時間として1日半という超特急です。この時ほど、インターネットバンキングと日本人の勤勉性を再確認、感謝したことはありません。

(2018.4.7)

★今回の教訓:インターネットバンキングは海外生活には必須。ただ、注意点は、海外送金する場合、途中の経由する銀行が手数料を取るらしい、しかもいくら取るか分からないとのこと(自分の口座のあるS銀行は4000円+1500円の手数料、つまり必要額+αを送金する必要がある。今回はS銀行のアドバイスも得て、1万円相当を(£60)を加えた額を送金。

オックスフォード通信(10)家探しその3

家が見つかりました

オックスフォードで家探しは大変!とは思いませんが、文化の違いを感じること多々です。事の経過を。まず日本からはネットサーチできるサイトを紹介されていたものの実感が湧かず、いろいろと忙しく(本当)、現地に行ってみないと分からない(言い訳)などの理由からオックスフォードについてからの家探しとなりました。実際、こちらに来てみないと分からない、特にどこに住むべきか(バスルート、街の雰囲気)はインターネットや経験者の伝聞では本当にわかりませんでした。しかし、そのせいで苦労しているのは事実です。現在、Day 10ですがまだBBに滞在しています。ただ、いろいろな人や不動産業者にお会いして日本との違いにも分かって面白い経験をさせて頂いています(妻はそう思っていないかも)。

月曜日にふらっとバスに乗って街の雰囲気をつかもうと(A学院大学のK張先生のアドバイス)、2Aに乗ってKidlingtonという街に降り立ちました(たまたまです。オックスフォード中心部から15分くらい)。また街を歩いていてたまたま通りかかかったletting agency(不動産業者)のC社にブラッと入って条件を言うといい物件があるといいます。今すぐに紹介するというので、インターンの女性も含めStephenと計4名でそのフラットを見に行きました。いいのですよね。Furnished(家具付き)で広く、3Fの角部屋、バス停目の前、完璧な条件でした。キャンセル条項のみ確認して手付金を打ちました(£320=4万6千円)。

その晩。Hラリーさんとお会いしたところ、SummerTownはやっぱり予算内では無理という結論に。翌日、つまり本日ロンドンからやてきた日系不動産大手のXイブル社のリナさんと一緒にFインダーズキーパー社に。するとこれまで一件も出てこなかったSummerTownの物件が4件も、しかも予算内で。最初は一見さんの私にはこれまでSummerTownの物件を出したがらなかった、取引のあるXイブル社だから出したと穿った見方をしていたのですが、どうも違うようです。

ここイギリスは私が思っている以上に法整備で公平性、透明性を確保しようとしていて、誰だからという偏見に基づく商取引はしていないようです。ただ疑問なのはこれまで一流といわれる不動産大手(Breckon&Breckon, Suvills, Penny and Sinclaire, Chaudons)を回って一件もSummer Townの物件を持っていなかったこと。また、Finders Keepers社に関しても支店は違え電話で問い合わせたところ、この時期にはない、7月に来いといわれたこと。これらを総合して考えると日本では信じられませんが、各支店がオンラインで結ばれておらず情報共有が出来ていないということです。

私達は結果論としてはSummer TownのFinders Keepers社に行くべきだったのです(Finders Keepers社のみSummer Town店に電話または訪問していません。あることすら知りませんでした)。そのような紆余曲折を経て、なんとか第一希望のSummer Townに1年間、居を構えることができそうです。ただ、この後、家賃の支払いを巡ってまだまだお話があります。続きは次回に。

(2018.4.6)

★今回の教訓:イギリスで家を探すならその地域にある不動産の支店を徹底的に当たること。不動産会社によって持っている物件が違うことはもちろんのこと、同じ会社でも支店が違えば物件はシェアされておらず提示されない可能性がある。驚くべき非効率性とローカル主義

オックスフォード通信(9)トイレ事情

トイレには困っています

オックスフォードで唯一、うーんと思っているのがトイレです。水洗で清潔なんですが、日本では当たり前のウオッシュレットがどこにも付いていません。これはイギリス人だからトイレで紙はそれほど必要にならないほど、すばらしいキレであるとは思えず(すいません)、みんな困っていると思うのです。

カナダでは大抵の場合トイレはWashrooms と表記してあって日本のお手洗いそのままで合理的とおもっていたのですが、オックスフォードではすべてToiletsと表記してあります(映画館のCruzonのみWashroomsと表記してありました、またこちらではそのToiletsの数が少ない、よくみんなもっていると思います)。以前、Toiletsという映画(荻上直子監督、2010年、同僚のJ. Carpenter教授に教えてもらった)でもたいまさこ演ずる日本人のおばあさんがカナダのトイレでため息をつくというシーンを思い出しました。

日々の生活でかなり重要なウエイトを占めるトイレについて最先端という感じのするこのオックスフォードでなぜ旧態依然なのか?マークが10個くらい付いてしまいます。

(2018.4.5)

★今回の教訓:私がTOTO、INAX、Panasonicに就職をしたら真っ先にヨーロッパ市場にウオッシュレットを売り込みに行くだろう。Wifi以上に爆発的に売れると思います。いかが?

オックスフォード通信(8)イギリスの食事は美味しい

イギリスの食事

渡英する前、いろいろな人に(イギリス人自身、イギリス留学から帰ってきた同女生)イギリスの食事はどうですか?とお聞きしていました。ひとりとして「美味しい」という返事はイギリス人からすらもありませんでした。食事は日本が一番美味しいと。ある人ははっきと「まずい」といっていました。

戦々恐々でやってきたのですが、オックスフォード滞在8日目になりますが、正直なところその方々の意見とは正反対にこれほど美味しい食事の国は滅多にないように思います。一度もはずれていません。まず朝ご飯が美味しい(大学のBBに泊まっていることもあります。これについては後日書きます)。昼は軽くですが、今このブログを書いているW’s CafeのケーキもLateも美味しい(スターバックスがあまりなく、いろいろなカフェがあるところがすごい)。

夜は大抵Pubで食事ですが、昨晩はパイとエールビール。正直パイはニュージーランドの方が美味しい気がしますが、でもかなりのハイレベルです。ビールはエールビールはもちろんやはりギネスが美味しいです。食事については現在のところ大満足です。たぶんポイントはファストフードではなくてイギリス人が行くようなお店に行くことなんでしょうね。その証拠に私が行く店ではあまり日本人も観光客風の人もみません。When you are in Rome, … の例えどうりにするといいのでしょうね。

こうやって書くと食べてばかり遊んでいるように思われるかもしれませんが、R教授との定期的なミーディングも順調で、大学のIDを発行してもらえれば更に研究環境は整うと思います。家はまだ決まっておらず、昨日他のCollegeのBBへ引っ越しました。大スーツケース3つ、小スーツケース2つ、デーパック3つでタクシーで移動しましたが、なんと今後は4階でエレベーターもなく荷物の移動が本当に大変でした。

(2018.4.4)

★今回の教訓:イギリスの食事は美味しい。ビールはギネスとエールがいい。

オックスフォード通信(7)電化製品の話

電化製品は・・・

大学の近くにWestgateというショッピングモールがあります(その手前にも)。雨が多いので(1日の内に1回も雨が降らないという日はまだありません)お昼のショッピングモール内のいわゆるコンピュータショップに行ってみました。もちろん今はアマゾンなどのインターネットショッピングが主流なんでしょうが、おいてある製品も値段もとても買おうと思う気になるものではありません

日頃、Y橋カメラでの買い物に慣れているので、20年前の世界に迷い込んだ気になります。今回、念のためと思ってケーブルからコンセントの変換プラグまで(変換プラグはY橋の軽く2倍の値段はしていました)持参しましたが(荷物になるので本当に最後までどうしようかと迷いました、また研究室に何度も忘れ物を取りに帰りました)それでよかったと思います。

荷物になっても日頃使っている電化製品は持参しよう。日本はいつから電化製品の世界最高峰になったのでしょうね。

(2018.4.3)

★今回の教訓:日頃から慣れたコンピュータ、ケーブルが一番。外国に来て取りそろえようと思ってはいけない。日本が恐らくコンピュータ、電化製品の質、値段とも世界最高峰だろう。日本で買い物できることを感謝すべき。

オックスフォード通信(6)映画とワイン

スティーブン・スピルバーグ

本日はEaster Mondayという祝日。どれほどイースターが重要か分かります。さて、オックスフォードの街も毎日歩いていると方向音痴(地図が読めない男です)でもどちらに行けば駅でどちらに行けば大学かは分かるようになってきました。3日目でOxford Gloucester Green Stationが Gloucester Green Bus Station とBus depotであることが分かった始末(ヒースロー空港からバスに乗って終点がバスの駅と分かって、本当にここが終着?と運転手さんに聞き返した)。

空は雨模様なので映画でも観ようと映画館を調べ、4-5軒ある中から(選べるのは幸せなことです)CruzonというWestgateというショッピングモールにある映画館で スピルバーグの新作”Ready player one“を見てきました。これは、Back to the future、シャイニングターミネーターゴジラなど多くの映画がパロディー風に出てくるのも面白いのですが(ガンダムも出てくる)、Hallidayという科学者がスピルバーグ風に見えて彼が何か映画を見ている私達に「現実のリアリティーのある生活が大事なんだ」と訴えかけているようでジーンと来ました。日本でももうすぐ公開されるのではないでしょうか。

ただ映画館でびっくりしたのは飲み物。イスに小さなテーブルが付いているのでえらいサービスがいいなあと思ったのですが、ポップコーンはもちろんのこと、ワイングラスを優雅に持ちながら入ってくる人達が結構多くいました。ワインを飲みながら映画?と思ってしまいます。文化の違いですね。カナダでもそんなことはまずあり得ませんでした。きっと車を運転して帰るのだろうなあ、と想像しながらアルコールに対する許容度は文化の違いなのでしょうね。

スピルバーグ、オススメの映画です。

(2018.4.2)

★今回の教訓:昼の日向からビールやワインを飲むと一日眠い。慣れないことはしない方がいい。

オックスフォード通信(5)イースター

イースターホリデー

家探しにはこのイースターホリデーは迷惑至極なのですが、何事も発想を変えることが重要で「世界はあなたを中心にまわっていない」と歴代のゼミメンバーに散々説教してきた身としては、ここはどっぷり「イースター」に浸ってみようと思いました。

幸運なことにGood Fridayの日、街をブラブラ歩いたらカフェでたたずんでおられるA山学院大学のK教授にバッタリ会い、イースター関係だけでなくオックスフォードの多種多様な情報を教示していただきました。

例えば、日本米を買うことができる店など。特に、Christchurch Collegeのイースター行事が素晴らしいようで(といいながら、その言葉とは裏腹にGood FridayはSt Mary’s Collegeの行事に参加しました。これはRadcriff Cameraを目指して歩いていたらたまたまMary’s Collegeに到着してしまい、3時からのミサにたまたま参加することになってしまったためです。ただビックリしたのはミサが始まったら受付の少し厳しい表情をした女性が入り口のかなり頑丈なドア、ルパン三世カリオストロの城の門の扉のような感じをガチャリと締めてしまったこと。これは外部の観光客はミサ中は入れませんというよりは、中に入った人はミサが終わるまでは出さないよ~という強い意思を感じるものでした)、イースターサンデーは18:00からのイースター・サンデーミサに参加させて頂きました。

まず教会にはいってビックリ。対面式で座るようになっています。St Mary’sの場合は日本の教会と同じスタイルでした(ただ、ミサ中立ったり、一緒に聖書の箇所を読み上げたり、最後は壇上に上がるように促されたり[クリスチャンではありませんのでさすがにそこには行きませんでした]、カルチャーショックは多々ありました。プログラムにはkneelというセリフもありひざまづいた時に膝がいたくならないようにクッションも置いてありました)。

そして荘厳なパイプオルガンの響き。同志社女子大学栄光館のパイプオルガンをいつも聞いているのでそれほどビックリもしませんでしたが、天井も高く、音響はさすがに素晴らしいです。そして、聖歌隊の登場。映画など(例えば、Choir)で見たことがありましたが、すぐ間近でボーイソプラノとテノール、バスの声の響きを聞くことができました。指揮者もアイコンタクトで合唱団とコミュニケーションしていていい感じでした。Good Fridayがキリストのはりつけ、処刑、そしてEasterがキリストの復活という意味なのですが、日本人としてはなるほどとはなかなか思えないのも正直なところ。

教会に入る前に写真を撮ってくれたブルガリア系イギリス人はDont’ you have Easter in Japan?と聞いてきましたが、事実私達が日本でイースターを実感することはまずありません(ブルガリアでは時期が4月の中旬のようです)。目に目ない偉大な存在を信じることはあっても、人が死に復活をするというは理解するのに時間がかかります。イースターのパンフを読むとovercame the deathということばば目に入ります。死の克服、それは万人にとっての願いであるからこそ信じる気持ちも生まれるのかもしれません。ただ、それをデコレートする音楽や教会あなどの文化の歴史には洗練されたものがあるのは事実です。だからといってこちらの方が日本の佛教や神道文化よりも優れているとは思えません。それぞれにいいものがあるのでしょう。

教会を出るときに司教さんが見送ってくれて、Happy Easter! と声をかけてくれました。ックスフォードは明日から本格的な春の到来となります。Happy Easter!はいい言葉です。それ以上に晴れやかな司教さんの顔がよかったです。

日本でも4月1日、若ゼミ17期生をはじめ新しい一歩を踏み出した方が多いと思います。私も含め、全然知らない環境に身をおくのは少し不安ですが、まあ誰にも最初はあると思って、80%くらいの出来を目指して頑張りましょう。

(2018.4.1)

★今回の教訓:ひととのつながりが人生の全てかもしれない。「研究とは研究をめぐる人間関係である」(京都大学元総長松本紘先生)のことばにあるように。

オックスフォード通信(4)住まい探し(2)People’s names

Daypassを買ってSummerTownへ。

いろいろと歩いてみると大体どのあたりが住みごろ(?)か分かってくるものです。オックスフォード大を中心に北側、まあ山の手がSummer Townに象徴される品のあるところのよう。逆に南に下ると少し下町っぽく。土曜日なのでどこも空いてないことを前提に以前訪れた不動産業者のSavillsの隣のSinclaire & Sinclaireへ。お店に入ると必ず、 “Buy or Rent?” ファストフードでいうところの、”For here or to go?” のような決まり文句を言われます。”For Rent”というとLucyさんという知的なOfficerに紹介されました。

人間の第一印象というのは洋の東西を問わず、まず間違わないもので「いいひと」ということがハッキリ分かります。今回の家探しで気をつけているのは、対応してくれている人の名前を覚えて、その名前を使って話をすること。3/29に訪れた Breckon & BreckonはSummerさん(Summer Townにあるサマーさん)。”I’m sorry, but I am not good at remembering people’s names. Could you say your name once again, please?” というとニヤリとしながらみんな自分の名前をゆっくり言ってくれます。

その後訪れたSavlill’sはMax。今回はLucyで、車で別の支店まで送ってくれたのが(4人子どもがいてWoodstock, Parisに住んでいるとのこと)Debbora、アパートを案内してくれたのがMartins(LucyがMartinSと強調して教えてくれました)。まあ気のせいかもしれませんが、例えばDebbora, which do you think is better to use trains or buses to go to London? という車中の会話でも相手の名前を呼びかけて言うと、コミュニケーションが円滑に進むように思いました。そう思っていましたが、再確認ということですね。名前は大事。

さて、Martinsに紹介されたのは3Fで眺めはいいのですがまあアパートです。しかも1200£ですのでざっと24万円。うーん、この値段でアパートなの?と思ってしまいました。妻は周りにお店やレストランがあって便利と乗り気でしたが私は△でした。街の雰囲気も以前住んでいたトロントのBloor/Yongのような多国籍ムード。こちらは18年前が懐かしくでいい感じなのですが。勝負は、4/3(火)イースターホリデー明けです。幸運を祈っていて下さい。

(2018.3.31)

★今回の教訓:何語でも人とのコミュニケーションには相手の名前を覚え、時々散りばめながら。

オックスフォード通信(3)eduroam の威力

Wifi

Wifiにつなごうとして日本の他の大学、例えば京都大学や京都産業大学を訪れた際にもWifiの所にeduroamというwifiを以前から目にしていました。

試しに同女のアカウントでアクセスしてみたのですが全く反応なし、で気にも留めていませんでした。オックスフォードのKeble Collegeに滞在中、WifiにはCloudという一応パスワード認証で入ることのできるサイトがあったので、まずそこへアクセスすることにしたのですが、その他に見慣れたeduroamというアクセスポイントがあることに気づきました。

またまた試しに同女のアカウントで入ってみようと思ったのですが、なんとそのまま入ることができました。オックスフォードに来て同女のアカウントが使えるとは。しばらくするとオックスフォード大のアカウントも貰えるようですが、このeduroamは世界共通どこでも使えるパスポートですね。このような普段目にも留めないし誰もアナウンスしていないような基礎的なものを整備することは重要であると再認識した次第です。

このブログ、ゼミコミュニティーにもアナウンスしたら多くの人が興味を持ってくれているようです。できるだけ毎日(?)更新したいとおもっております。コメントや書き込みお待ちしております(排除するわけではありませんが、一応若ゼミコミュニティーのコミュニケーションと考えている関係上、外部からのコメントは掲載させていただけないことがあることをご了承下さい)。

(2018.3.30)

★今回の教訓:日本でもeduroamのように?というものがあれば誰かに聞いてみること。案外重要なシステムかもしれない。

オックスフォード通信(2)住まい探し

今、家探しの真っ最中。

到着したのが水曜日でどれほどよかったと思ったことかわかりません。小山先生の先日のミニ講義でGood Fridayの云(い)われについてお聞きしていましたが、こちらはロングウイークエンドに入ります。
3月30日(金)Good Fridayホリデー
3月31日(土)土曜日でついでに休むという人が多い
4月1日(日)Easter サンデー
4月2日(月)Bank ホリデー
ということで家探しは4/3(火)から本格化することになります。

多くの人が私が住む家を決めないでイギリスに渡ることにびっくりしていましたが、こればかりはしかたなかったと思っています。オックスフォード大学のR教授からはいろいろなインターネットサイトを教えてもらって実際探していました。また本学日本語日本文学科のM山教授からは「まだ決まっていないの~?」「一度行ってきたら?」と教授会や会議で会う度に冗談を言われていましたが、まさに来てみないと分からないのは事実です。

ただ、こちらに来てすぐに行動できるように、まず行くべき不動産業者をエルインターフェイスのT橋さんを通じてRコさんからリストを頂いていたのは大きかったです。事実、オックスフォードに到着して翌日は2件の不動産業者を回り、4件の物件を紹介してもらいました。ただ、実際に物件を見れたのは2/4で残りはイースターホリデー明けの火曜日ということなってしまいましたが。

(2018.3.29)

★今回の教訓。もしフラットを探すのなら、インターネットであたりをつけておいて、現地で信頼できる不動産業者を紹介してもらっておくこと。ただ、到着日の前後がイースターホリデーなどの休日になっていないか、確認しておくことが重要。

オックスフォード通信(1)出発・携帯・Wifi

出発!

多くのゼミ卒業生と在学生の盛大なる応援を受けて3月28日伊丹空港を経て羽田空港からイギリスにむかって出発をしました。

伊丹では見送りをしようと思っていたけれど電車に乗り遅れて時間に間に合わなかったというAさんや羽田では3人の小さな子ども達の手を引いて本当に見送りに来てくれたNさんなど、感激を胸に出発することができました。というと「これはただでは帰れないな」という悲壮感をもったと誤解する人もいるかもしれませんが、私は大学生の時に北杜夫の「どくとるマンボウ青春期・航海記」を愛読していたので、そんなに気負ってことにのぞむと絶対に失敗すると分かっているので、多くの皆さんがおっしゃってくださったように(多分本心ではないかもしれないけれど)「楽しんでオックスフォードでの研究生活」を送ろうと思っています。

ここまで書いてきてなぜ日本語で書いているのだろうと不思議に思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、英語に囲まれて生活しているのだからブログくらい日本語で書いてもいいだろうという理由と、英語で書いてしまうとこちらの方でそれをたまたま読んで憤慨されることもあろうかと思い敢えて日本語で書くこととします。

さて、Nさんが羽田に来てくれるというので喜んでいたのですが、実は大きな問題がありました。それば別にNさんとは彼女の結婚式以来会っていないとかそういう問題ではなくて、携帯がつながらない状態だったので、本当に会えるかどうか心配だったのです。

海外に長期に行く人は大抵出国前に解約をしてゆくことになると思います。私もギリギリの1日前に、電話で予約をしようと思ったN条店が2時間先にしか作業ができないというので、通勤途上の亀岡市内のSバンクショップで解約をしました。今解約するといつから使えなくなるのですか?という私の切実な問いかけに即座に今です、という非情の答をにこやかに解き放つたぶん大学を出て1-2年の店員さんを半分疑っていたものの本当に店を出る前に携帯は完全に外部と遮断されてしまうことになってしまいました。Sさんがトップをつとめ、Oさんがその関連球団の会長の会社がユーザーを将来的にみすみす手放すことになる非情なことをするはずはないと信じていたのに。しかもSバンクには通信料は3月末まで支払うことになっているのに。

なぜ「海外に行かれる前には家族や日頃話をしないひとともお話になることがあるでしょう。出国はいつですか。3月末まではフルに使えますので、飛行機に乗る瞬間まで使いください」となぜ言えないのだろう。スタンフォード大学に留学したS会長ならそんなことくらい思いつかないのだろう。そのくせ、番号をキープされる契約を残す場合には2年のしばりは海外に行かれている間は休止していて、帰国後再開します、とのたまう有様。そんな引き留め方をされたら帰国後はもう全力で他社に乗り換えてやろうと闘志が湧いてくるから不思議なものです。

(ここまで書いてきて危ないので下書き保存しようとボタンを押したところ、保存に失敗しました、後ほど保存を試してみて下さいというはてな。怒りが倍増してしまいました。もう永久にこのブログを書くのを止めようかと思ったのですが、今回の海外での研究生活のひとつの目的が、ムキにならないで淡々と生きられる大人になることなので(多分達成は無理だと思います)、今度はPages上で書いて保存してからはてなに貼り付ける方法に切り替えることにします)

外国からの訪問者が日本に来てWifi、Wifiと騒ぐ理由が今回身を以て実感することになりました。空港はWifiが飛んでいて、伊丹、羽田、ヒースローとカバーしてくれるのですが、ちょっと気になるのがそのセキュリティー。まあクレジットカード情報などを使うことをしなければいいのですが。今回びっくりしたのが機内です。伊丹ー羽田は無利用ではありませんでしたが(ANAのマイルを使いました)割りと速いWifiが、羽田ーヒースローも1時間1000円程度の料金でWifiをつかうことができるようになっています。

ただ今回失敗したなあと思ったのは日本でプリペイドカードを買って「アクティベーション」していなかったこと。使えるようにして持って行くべきでした。前日にヨドバシカメラでSIM-TAKT(ヨドバシカメラ)というフリーSIMを買っておいたのですが、実際に必要になるのは空港についたときなんですね。私は機内でしようとおもったのですが、SIMを取り出すピンをどこにいれたのか分からず、結局キャビンアテンドのパーサーから名札のピンを借りて代用させていただきました。またアクティベーションにはWifiが必要でクレジットカードは使いたくなかったのですが、飛行機内のWifiを使うのに泣く泣くカードを取り出したのでした(Secured WifiとそうでないWifiがあります。後者の場合には気をつけないといけません)。

★今回の教訓。携帯の解約で即座に回線を切るのはひどい。また代わりにSIMカードを買ったら渡航前で忙しくてもアクティベーションまで飛行機乗る前にしておくこと。

(2018.3.28)

(機内から、ロンドン上空。よく見ると雲の切れ間からウエストミンスター、ビッグベンが見えます)

これはTeam 若ゼミ Diary からの転載です。そのほかの記事はこちらを参照してください。

「私が大学時代に考えていたこと、今の大学生に思うこと」

一昨年8月末に大学時代の友達4名と久々に会う機会がありました。大学を卒業して今年で32年経ちますが会うとそれぞれ年は取って大いに変わっているはずなのに「全然変わってない」と互いに思ってしまいました。高校時代の友人も中学時代の友人もそれぞれ大切ですが、私にとっては大学時代の友人がその中でも格別の思いがあります。なぜ大学時代の友人は、大学時代は格別の思いがあるのでしょうか。今日は短い時間ですがそのことを一緒に考えてみたいと思います。

私もみなさんと同じようにこの京都の地で大学生活を送っていました。大学の3回生、4回生の2年間は寺町今出川ですからこの同志社女子大学今出川キャンパスから徒歩で5分くらいの至近距離に住んでいてこのあたりでご飯を食べたり喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。

今のみなさんを見ていると男女の違いはあるものの昔と今も変わらないものがいくつもあるように思います。もっとも昔は携帯電話がありませんでしたし、インターネットもパソコンもありませんでしたので、情報を検索したり友達と連絡を取るのは大変だったのは大きな違いです。

▼みなさんにひとつ質問があります。みなさんにとって大切なこと又は気になることを10個あげてみてください。サークル、アルバイト、片思いの恋人、コンパ(飲み会)、旅行、映画、授業、卒論、就職、そして心に秘めた悩み。この心に秘めた悩みというのは後から述べることにしておいて、どうでしょう、何個くらい一致したでしょう。 多分わたしの大学時代と半分以上一致するのではないでしょうか。

私の大学時代サークルは4つ同時にはいっていました。その中で一番時間を割いたのがテニスサークルかもしれません。これをいうともう二度と宗教部から奨励に呼んででもらえなくなるかもしれませんが、テニスサークルは正式名称、アトランティス、現在の通称アトランというサークルに入っていました。この名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。ひょっとしたら現在入ってらっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。現在もこのサークルは京大を中心に脈々と活動を続けていて2年前に創立30周年記念パーティがあり参加してきましたがその中には同志社女子大学で教えている学生の方もいてビックリしたのを覚えています。1期生なんです。といっても私が参加したのはアトランティスの原型が出来上がってサークル名を決める頃、1回生の秋くらいでした。高校時代の友人がその中核のメンバーで誘われた形で入れてもらいました。当時は(今は必ずしもそうではないようですが)よくテニスをしていました。荒神口に関西電力のいいコートがあって週に2回くらい汗を流し、夏には山中湖や軽井沢まで出かけて合宿をしたりしていました。コンパは時々で、明るく汗を流し、青春を謳歌していたように思います。

アルバイトもみなさんが現在アルバイトに励んでいるように、私も様々なアルバイトを経験しました。家庭教師を2-3件を掛け持ち、引っ越し屋さんの臨時の手伝いから北白川にある写真屋さんの焼き増しの手伝いこれは3年間ずっとしていました、時にはウナギやさんの注文聞き、また京都国際会議場で当時行われた国際学会のアシスタントをしたこともあります。このようなアルバイトによって普段見ることのできない世界をかいま見たおもいがします。

▼しかし、大学時代を振り返って印象に残ること、思い出に残ることは、このようないわば「かたちあるもの」だけではありません。今お話をしたサークルやアルバイトは形として残っているため話もしやすいし、話をしていて楽しいですが、これら以上に重要な事は、実は心に秘めた悩みだったのかもしれません。この心に秘めた悩みというのは大学生にとって大切なもので人間は死ぬまで悩みが消えませんが大学時代の悩みというのは格別です。当時はあまりはっきりと意識はしていませんでしたが、ずっと考えていたのは「どうやって生きていこうか」ということだったと思います。別の言い方をすると将来に対する不安と期待といえるかもしれません。教育学部に在籍していましたので将来は先生になる人も結構いましたが、必ずしもそうとも決まっていませんでした。丁度英語英文学科の学生のみなさんが将来必ず英語を使う仕事につくとは限らないこととよく似ています。

Appleコンピュータを創設したSteve Jobsは、大学を中退して初めて自分が何に興味があるかはっきり自覚したと、スタンフォード大学の卒業式の式辞で述べていますが、実は自分自身が何に興味があるのかと考えるのは、哲学的な言い方をするなら自分とは何者なのか、何者になろうとしているのか模索することなのかもしれません。

その疑問というか悩みの解決又はさらに輪をかけて迷走させてくれたのが友人との無駄話、ダベりだったと思います。当時学部の地下に学部生や大学院生が集まる場所があって授業に出なくても必ずそこに行って友人を探していたように思います。何を話していたかすっかり忘れてしまいましたが、そこで話していたことは偉そうに言うと少なくとも大学の授業2年間分くらいの価値があったように思います。京都大学の名物教授であった数学者森毅先生は「人生、無駄にこそ意味がある」と喝破されましたが、ひょっとしたら無駄な時間だったのかもしれません。ただ正直に真面目に今考えてみると、その友人や先輩とのダベりの中には無駄な話も多かったのですが、人生とは何かとか、男女に愛は成立するかとか、神は存在するのか、遺伝と教育はどちらが優勢かとか、日本社会はどうあるべきか、そして私たちはいかに生きるか、という深遠な話が少し含まれていたように思います。そしてそれ以上に重要であると今から思うのは、授業と異なり、「自分の口から話がスタートしていたこと」です。授業でのディスカッションはトピックが先生から与えられたり、先生の質問に反応することが多いのですが、自分から話を始めることの価値は大きいと思います。

▼先の森先生は著書の中で「20年前の自分は他人だと思えばいい。それぞれが新しい人生なのだから、昔の人生にこだわらなくてもいい」とおっしゃっておられますが、今ある自分を作ったのは大学時代の友人との何の話か分からない無駄話だったように思います。

もうすぐ大学生活を終えようという4回生からこれから佳境に入っていかれる1回生まで様々な皆さんですが、大学時代とは授業にどれだけ真面目に出たとか優や秀をいくつ集めたかということも重要ですが、それだけでなく、友人と、しかもいろいろな友人と、たわいもなく思える話を存分にしておくことが重要であるように思います。その中から自分がいかに未熟で物事を知らないかということも思い知ることもできると思います。そのような中から実は何に興味があって、自分は何がしたいのか発見できるのかもしれません。これからやってくる就職、結婚、という人生の大きな選択だけでなく、大学卒業後の人生にも生きるのではないか、と思います。

みなさんにも大学を卒業して30年経っても大学時代、大学時代の友人を懐かしく思える時間を過ごしていただきたいと念願しています。難しいことはありません。今日からすぐに始めることができると思います。よきサマリア人はみなさんのすぐそばにいます。

最後に敬愛する森毅先生の至言で締めくくりたいと思います「自分の一生を考えてみた時、だぶん7割くらいはムダに過ごしてきた気がする。それが人生の流れであった・そしてムダなようであってもその流れが自分の人生を特に自分にとっての人生の味を作ってきたような気がする」

(2015.1.7 同志社女子大学 栄光館 ファウラーチャペルでの奨励)

2013年新島先生墓前礼拝奨励

「志を立てるとき」(高い志)

何事にもはじめてというものがあります。みなさんも大学に入学されてたくさんの初めてを経験されていることと思います。私達教職員も昔そのような初めてを沢山経験しました。私が同志社の教員になったのは今からもう19年前のことになります。昨日英語英文学科のEクラスのみなさんと話をしていて、19年前というのは1994年、すなわちここにいらっしゃる多くの皆さんが生まれた年にあたることに気づいて感慨深く思っていました。

はじめて同志社に来た時、いくつもびっくりすることがありました。大学が同志社でなかったので、もちろん礼拝も新鮮でした。その中でも一番インパクトのあったのは「入社式」です。教員の世界では「辞令交付式」というのですが、封書で頂いた案内文書にそのまま入社式と書いてあったのです。何かの冗談かタイプミスだろうとおもって会場に行きますと、建物の外の看板に大きく同志社入社式と書いてり、たまげました。なぜ入社式というのかというその理由を当時、総長であった松山義則先生が教えて下さいました。同志社というのは字の如く、同じ志をもったものの集まりであると、その集まりを「社」という。その集まりに入るから入「社」式であると。同志社はユニークな大学であるとその時思いました。

しばらくすると職員証をいただきました。みなさんも学生証をもらいましたね。みなさんの呼び名も成長と共に変わっています。幼稚園時代は園児、小学校は児童、中高等学校は生徒、生徒会とか生徒手帳でした。大学になるとみなさんは学生なので、学生証、学生会となります。これは私の職員証なのですが、見えないと思うので、拡大コピーして持ってきましたので見て頂きたいのですが、「社員証」と書いてあります。会社員みたいですが、もうわかりました。同志社の社員なのです。同じ志をもったものの集まりの一員であるという意味です。本当に同志社は特別な大学だと思いました。

同志社は今から138年前にこのお墓に眠っている、新島襄先生、山本覚馬先生、宣教師デービス先生の3名によって作られました。

では、なぜ今私達はこの3名を含め同志社に貢献のあった先生方の墓地に集まっているのでしょうか。私は日本・海外・通信教育を含め、4つの異なる大学を卒業・修了していますが、新入生がこのように創立者のお墓にそろって参拝するというような大学は世界のどこを探してもこの同志社の他にはありません。

その理由は、同志社を作った新島先生の夢を知り、確認するためだと思います。では新島先生の夢とは何でしょうか?入学式で総長の大谷先生は「良心を手腕に発揮することができる若者をつくること」だとおしゃられていますが、私はひと言で言うと「夢」をもった若者を作ることだと思っています。夢を持った若者とはどのような人かというと、何かをしたいという志を持った人だと思います。

みなさんが夢を持った、志を持った若者になること、これこそが新島先生の夢であります。みなさんが夢のある志のある若者になったとき、新島先生の夢は叶うのです。そのために今日私達はこの場にいるわけです。

みなさん、どの時代も実は閉塞感があり困難な時代でした。今だけではありません。私が大学を卒業して就職する際にも就職氷河期といわれ就職は厳しい時代でした。どのような困難な時代でも、状況でも、人間は夢を持つことが出来るのです。

夢のあるところに道は開けます。志のあるところに風は吹きます。

どうぞみなさん高い志を掲げ、その志を理解してくれる友人を沢山つくり、一歩一歩、その夢を実現してゆきましょう。

志を立てる、夢を見つけるのは、いつでしょう?もちろん、「今でしょう!」

どうぞ同志社をつくった三人の先生、八重先生のお墓に手を合わせてお帰り下さい。

(2013年4月5日、京都若王子山頂、新島襄先生墓前にて)

幻の2012新島先生墓前礼拝奨励(雨のため午後から中止)

日本に世界にどれだけの数の大学があるかわかりませんが、同志社は特別な大学だと思います。その中でも同志社は際立っています。スペシャルな大学です。何がスペシャルなのか。お話は7分以内といわれていますので、短時間ですが、その理由を一緒に考えてみたいと思います。

▼建物。
確かに同志社の建物は美しいです。私はいくつかの大学で学んだり、教えてきていますが、今出川及び京田辺とも、同志社の建物は最上級に上品で環境との調和が取れています。赤煉瓦調の外観は私達にほっとするような気持ちを与えてくれます。でも同志社は、建物だけじゃないのです。

▼じゃあ、場所か、と思います。
確かに、場所もまた二つのキャンパスとも素晴らしい環境にあります。京都は、古都でありながらロームやオムロン、京セラ、任天堂を産んだ革新性を持っています。歴史を持ちながら未来に開かれている。このような場所はなかなかないと思います。そして歴史に関しては、想像力を働かせるととても面白い。みなさん、少し考えてみてください。弘法大師、平清盛、法然、親鸞、足利義満、はたまた坂本龍馬に新島襄、彼らはすべて教科書に載っている歴史上の人物ですが、この京都では単なる教科書上の人物ではありません。実際に彼らはこの京都の地に暮らしていたのです。京都の町を歩いていたのです。ひょっとするとこの場所にもそれらの人物が来たかもしれません。歴史的人物は単なる書物上の人物ではなくて、ここ京都では彼らはまだ生きています。その意味では京都は単なる観光だけでなく「歴史を変えてきた」場所であり、そのような地に同志社が100年以上もある。これは大きいことです。京都で学ぶというのは、未来と過去に想像力を働かせる、ことを意味します。でも同志社は場所だけでもないのです。


建物だけじゃない。また、場所だけでない、とすると同志社の凄いところは一体なになのでしょう?
それは、入学式から繰り返し繰り返しいろいろな話の中で取り上げられてきた新島襄先生の生き方そのものにあると思います。創立者はどの大学にもいます。しかし同志社の創立者新島襄先生はひと味も二味も変わったユニークさを持っています。命がけなのです。まさに命をかけてこの同志社をつくったのです。丁度みなさんと同じ年の頃、1860年、18才の時に黒船を見て、西欧の進んだ科学文明にショックを受けます。それから4年後の22才の時、1864年に函館から密出国してアメリカ、ボストンにわたります。そして32才、1874年に帰国するまでの10年間、アーモスト大学やアンドーヴァ神学校で学び、翌1875年、33才の時に同志社大学の前身の同志社英学校を、翌1876年に同志社女子大学の前身の同志社女学校を開校することになるわけです。そして46才という若さで亡くなってしまいます。

何が、新島先生を国禁を犯してまで、命をかけてアメリカへ駆り立てたのか?何が、命を削ってまで京都にキリスト教主義の大学を設立しようとしたのか。

それは、先生の夢の実現のためです。先生の夢は「一国の良心というもいうべき人々をつくろう」「そのことによってこの日本という国を発展させよう」というものでした。新島先生は(同志社)大学設立の旨意(しい)の中で「1年単位の計ならお米をつくればよい、10年単位で何かを計画実行しようとすれば木を植えればよい、でも100年単位で何かを計画実行しようとすれば人を育成しなくてはならない」と述べておられます。同志社は新島先生の「良心を持った人物を育成したい」という夢と志が詰まった場所なのです。その意味では同志社で学ぶみなさんは、新島先生の夢そのものなのです。

そしてこの創立者墓参はそのような新島先生の志と夢を認識し、同時に自分自身の夢を再確認する場なのです。みなさんの中には自分の夢が何か分からないという人もたくさんいると思います。それは自然なことです。新島先生もきっと同様であったとと思います。黒船を見てから密出国するまでの4年間は丁度皆さんの年、18才から22才、大学の1回生~4回生に当たります。その4年間に先生もいろいろなことを考え、悶々とした日々をすごされたことと思います。悩むこと、迷うことは自然です。でも、大学生となったからには自分の夢を探そうとする態度は重要であると思います。

夢のある人は夢を実現できるように気持ちを新たにする、自分の夢がはっきりと分からない人は自分の夢とは何だろう、この大学4年間で実現してみたいことは何だろうと考え始める。それでいいと思います。夢を持つこと、又は持とうとすることこそが「志を立てる」ことだと思います。


新島先生は、時代の先駆者、パイオニアです。そして、私達にもそうなるように語りかけておられるように思います。みなさん、聞こえませんか?新島先生の声が。「夢を大切にしろ、自分の直感を信じろ、先駆者になれ」とお墓の中から語りかけてくれているように思えて成りません。私は、同志社で学ぶとは、単に京都という素晴らしい場所で美しい校舎の大学で学ぶだけでなく、同志社の、新島先生のパイオニア精神を理解して、いわば「同志社な人」になろうとすることだと思います。同志社とは目に見える大学そのものではなくて、目には見えない生き方なのです。新島先生の精神が今も息づく美しい学園同志社で、いろいろなことを学びながら、一緒に同志社な人になりませんか。夢を探し、夢を持って一緒にそれぞれの夢を実現させましょう。夢を探し、夢を持ち、悶々としながらも、その夢を実現しようとする。これこそが、同志社なひとだと思います。一緒に同志社な人になりましょう。

(2012.4.5)

映画『Super 8』

Super 8 は、やはりスピルバーグの映画だ。宇宙人を描いているようで、父と息子、父と娘の絆を描く。ETの時のように、友好的でないけれど、心は通じ合う。人も宇宙人もつながりや家族を思いやる気持ちでは同じなのだ。ハッピーエンドなんだけれど、苦味も混じった笑顔にしてくれるのが、普通のハリウッド映画と異なるところだ。

“Bad things happen, but you can live. “は、この映画だけでなく、スピルバーグの思想なのだろう。といって、説教臭くなく、説得力がある。人でも、映画でも、本でも同じだな。

最後のエンドロールまでも楽しませてくれる。映画の醍醐味満載のこれこそよきハリウッド映画だ。音楽もいい選曲だ。まさか、この曲を?と思うものを使っている。

スピルバーグを見る度に、アメリカ自体は碌でもない国だが、「いい思想が、ナイスガイがいる」と思わせてくれる。

PS.小太りの子どもは、どうしておもしろいのだろう。いつも登場するが、子どもを描く際に必須だ。

PS. ちなみに、Super8とは、コダックの8ミリ映写機。映画の中で、映画が撮られているという二重構造になっている。

PS. 列車の爆発シーンは、迫力がある。また、奇妙なルービックキューブは、いい謎として最後まで、聴衆へのいい握力になっている。

(2011. 8. 1)

Pay back & Pay it forward

私がコンピューターと出会ったのは、(もちろんかなり昔から知ってはいたが)そんなに昔のことではない。今からほ んの4年前のことである。以前まで使っていた東芝のルポというワープロとの差も分からないまま、まわりの友人の1人が買ったので何となく欲しくなったとい うのが実状だが、奥様に頭を下げ下げ、なんとか買ってもらった。頭を下げて買ってもらうという姿勢はその後、コンピューターを買う度に繰り広げられる光景 となり、回を重ねるごとに周到な用意が必要となっている。さて、当時初めて32ビットになったというのがうたい文句のNECのノートパソコンを手にしたの だが、今のようなウンドウズであるわけもなく、一太郎が動き出すまで大変な時間と友人の協力を要した。(ここがDOSマシンの悪いところである)。しか し、いったん動き出すとなかなかおもしろいものでその範囲内だけだが、かなり使いこなせるようになった(と思っている。)そうなると、ワープロを使ってい る友人がもどかしく思えるもので、私の悪い癖だが、友人という友人に「NECのパソコンはすばらしい、やっぱりパソコンを買うならNEC」などとNECの 宣伝をして回っていた。その後NECとの甘い蜜月はしばらく、続いたのだが、運の悪いことにというか良いことというべきか、当時私の隣に住んでいた住人が マックを購入し、ハイパーカードを使って学校で使えるようなソフトの開発の研究をしていた。当時のマックは今からは想像できないくらい高価で、・ciとい うマシンを彼は使っていたが100万円を軽く越していた。はじめはそんな彼を大いにバカにしていたのだが、2つ以上のソフトを同時に動かせるという点(今 ではどのマシンでも出来ますが)は驚きだった。そして何よりもソフトのインストールの方法やアイコンによる表示などマックのUser-friendlyな 点には惹かれるものがあった。根っから文科系の私にとっては大きな魅力であった。恋愛と同じでいったん心が動いてしまうと、止められないのが人の情。 NECを買ってちょうど1年半、私はマックに乗り換えようと決意した。そして、入念な計画にはいった。もちろん奥様の説得である。今にして思えば、オウム 真理教と同じ手口だったのかもしれないが、(教祖が「修行するぞ、修行するぞ、….」というビデオがありましたね)、約6カ月間ことあるごとに「マッ クがどうしても必要だ、買ってくれ、買うぞ」といい続けた。洗脳の効果があらわれた、いや相手があきらめたのがちょうど12月のボーナスの時期だった。当 時CD-ROM付きの画期的とうたわれたMac ・vxがちょうど発売になったところだった。それまで、ほんの少しずつバージョンアップしては新製品を出して購買意欲を掻き立てるというNECの姿勢に比 べ、満を持して決定版しかも他に何も買い足さなくてもよいというアップルコンピューターの姿勢を信じていた私はこれだ!と思った(アップルおまえもか!と 叫ぶのはほんの2カ月先だったが)。今にして思うと60万円というのは信じられないくらい高いが、隣の住人からすると倍速CD-ROMがついてその値段は 信じられないといっていた。

さ てその日からマックとの甘い生活が始まった。こんな風に書くとちまたにいる『マックおたく』みたいだが、私がマックをまがいなりにも使いこなせるように なったのはNECの場合同様、いやそれ以上本当に多くの人の無償の指導援助のたまものである。特に隣の住人であったN氏は私の生みの親・育ての親といって よい。コンピューターではちょっとしたことが実は重大なことであったりして、コンピューターが動かなくなったりする。しかもそんな簡単なことはマニュアル に書いてない! 彼にはそのような細々したことを実に頻繁に尋ねた。ある時などは32ビットアドレススイッチをめぐって朝の4時までつきあってもらったこ とがある。しかし驚いたのは彼がイヤな顔ひとつせず嬉々として教えてくれる事だった。もちろん彼自身マックが好きだったこともあると思うが、懐の深さを感 じされられた。

コンピューターをはじめて買った人はたぶん必ずマニュ アルを読むとか市販されているコンピューター関係書を買い込んだりするが、私はそれは大きな間違いだと思っている。時間がコンピューターのためだけにある のなら別であるがそうでない場合がほとんどであるから、はっきりいって時間の浪費に終わることが多い。学習の形態にも様々あるがことコンピューターに関し て言えば、「Problem solving=問題解決型」のアプローチがベストだと信じている。つまり、私はこれをしたい!手順を教えて欲しい。これである。私は絵を描きたい!どの ソフトを買って、どう使ったらよいか?表計算で合計!どうやったら簡単にできるか?教えて欲しい。…. しかし、難点はいい先生を身近に見つけるこ と、そして日本人には特有の負い目である。つまり、すごくお世話になっている、いつも教えてもらって悪いなという気持ち、これはなかなかぬぐい去ることが 出来ない。

私 もそのような負い目をずっと持ち続けてきたが、この大学にきて少し考え方が変わったところがある。相変わらず、今度はパソコン通信の仕方などを多くの先生 や職員の方々に聞き回っていたが、特にS先生、K先生には手とり足とりと言ってていいほど時間をさいてもらって教えてもらった。おかげで私のしたいことは 100%できるようになったが、なんとお礼をいったらいいのだろうと思っていたとき、お二人から(別々に)たまたま同じ言葉をお聞きした。それ は、”Don’t pay back. Pay it forward.”「私に何かお礼をしたり返さなくてもいい(それはもちろん教えていただいた先生より知識があるわけでもないからしようと思ってもできな い)。誰か違う人に今度は教えてあげなさい。」そんな意味だと思う。この言葉に非常に感銘を受けるとともに、あつかましく今までいろんな人にお世話になっ てきた負い目がなくなるような気がした。これはコンピューターに関わっていくとき実に大切な姿勢だと思う。その言葉を耳にしてからは、私の教えられる事に 関しては、求められればどんどん助言させていただこうという気持ちになった。

しかし考えてみればコンピューターという機械を通してそのような人間のつながりが出来てくるは奇妙でもあるが、ホッとする。今後もマックを使いながらパソ コンネットも含め様々な人たちとかかわり合いになれればいいと思っている。そして、願わくば妻を説得し末には新しいパワーマックが購入できることも…

と ころで、この大学に来てLLの操作方法などで本当にお世話になったA氏が今度の人事異動で他の部署に移られると聞いた。仕事とはいえ、それ以上の熱意と誠 実な姿勢で教えていただいたA氏に何もお礼が出来ないのは申し訳ないが、この原稿が彼の依頼であったことを考えるとコンピューターについて書くことが何ら かの形でpay backいやpay it forwardになればと願っている。

(短期大学部講師 わかもと・なつみ)

DOS&DOS 情報システム課 1994に掲載

(1994)

若き日に薔薇を摘め

「薔薇を摘むと、棘(とげ)、がささるから血が出る。でも若い人はすぐに治るのだから怖がらずに何にでも手をだせ。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が死 ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な人生しか送れませんわよ」。これは僧侶であり作家である、瀬戸内寂聴さんが語った言 葉として先日の朝日新聞に掲載されていました。「若き日に薔薇を摘め」。いいことばです。

いまみなさんは、まさにこの若き日を生きていらっしゃいます。そしてみなさんに比べれば多少年は取りましたが、私もまた、この若き日を生きているつもりです。

この大学という場所はそのような若き情熱の溢れる場所であります。

さ まざまな行事や出来事のあったこの秋学期及び2004年度の授業も今日で終了となります。あとは定期テストを残すのみとなり、1-3回生のみなさんは楽し みにしていらっしゃる春休みが待っているわけです。特に3回生のみなさんにとっては、これから就職活動、教員採用試験の勉強またはさらに大学院受験など、 これからが今後のみなさんの人生を占う重要な時期となります。一方、4回生のみなさんにとってはこの新島記念講堂における礼拝は今日が最後となります。大 学の卒業、卒業式が視野に入ってきました。時間の経つのは経ってしまうと早いものです。

今日のお話の主人公はこの大学のあるゼミの4回生達です。

か つて私が大学生であったころのように全員に課されるわけではありませんが、卒業論文に取り組んでいる4回生はこの大学でも数多くいます。日本語日本文学科 のように全員が書かなければいけない学科もあります。そのある学科のあるゼミでも23名の4回生が卒業論文という大きなプロジェクトに取り組みました。

こ の卒業論文で最も困難を極めるのが、「何について書くか?」卒論のテーマを決定することです。なぜ、大変かと言えば、それはひとりひとり顔や性格が違うよ うに、各自が興味を持っていることが異なるからです。これはその本人にしか決められないことです。これは、よく言うのですが、卒論の書き方は教えられて も、何について卒論を書くのか?これだけは教えることはできません。

卒論 のテーマは、別名、 研究テーマ、問題の所在とか、解決すべき問題、私の問題意識などと表現されますが、英語にはこれをあらわすいい言葉があります。私は大学院生の2回生の時 に、現在はハワイ大学で応用言語学を教えている、J.D. Brown博士から直接教えてもらいはじめて知りました。Research Questionsです。Research Question、私の大学院時代に学んだなかで最も重要な概念の一つです。世の中には多くの疑問があります。どうして空は青いの?どうして、人は人を好 きになるの?どれも大切な疑問、 Questionです。その中でも自分の研究分野に関して抱いている疑問、解決すべき疑問が、Research Questionです。かつて算数教育の研究をしていた私の大学時代の Research Questionは「分数のわり算をするときにはどうして分子と分母をひっくり返してかけるの?」というものでした。実にくだらなく、実に素晴らしい Research Questionです。他人から見たらくだらなく思えるでしょう。でも、私にはこの礼拝の15分間では語りきれなくらい、この Research Questionが重要である理由がありました。

こ のあるゼミの学生23名の卒論にとっても、この Research Questionを発見すること、確立することが最も困難を極めた作業でした。1週間に1-2本の英語論文をゼミで読み討議し、担当教員からは「そのテー マではまだまだ広すぎる、感想文にしかならない」と極評され、スタディーグループでも互いの Research Questionを議論しあいました。一体どれだけの時間をこの Research Questionを発見するために費やしたことでしょう。就職活動、教育実習、アルバイト、クラブ、サークルなどに時間をとられながらも 7月には、47名の他のゼミのメンバーとポスターセッションを開き、自分の Research Questionを発表する段階にまでたどり着きました。相談にのっていたゼミの担当教員も各自の Research Questionが明確になるについて、目を輝かせ自信を持って話ができるようになっていく23名がまぶしく感じられるほどでした。ここで卒論のテーマと して掲げられた問いはそれぞれの23名のこれまでの人生、または今後の人生に関わる問いであるだけに もうこの時点でこの卒論プロジェクトは半分成功したようなものでした。

こ のあるゼミでは、卒論とは直接関係がないように思えることにも果敢にチャレンジしてきました。時に無謀と思えることにもトライしてきました。10月のス ポーツフェスティバルへの模擬店の出店、競技への参加、春、夏、そしてこれから行われる冬の年3回の合宿。そしてそのうちの一つは他のゼミとの合同合宿で した。合宿委員はプログラム内容に苦心していました。ハンガリーの大学生のゲストスピーカーとしてのゼミへの参加、3-4回生の間での学習サポート、ゼミ ホームページの作成、ゼミTシャツ、スウェット、ゼミベストCDの制作、台風被害にあった友人へのサポート、卒論に向けて11月後半からほぼ毎週土曜日の ミニ合宿、名物になった合宿の際のローソンへの買出し(本当にいっぱい買いました)、体育館での3-4回生合同のスポーツ大会。総計50回を越えるゼミ運 営委員会。運営委員は本当に縁の下の力持ちとしてゼミを支えてくれました。そして教員に頼らないゼミの自主運営、と数え上げるとキリのないくらい数多くの 小プロジェクトがありました。そのなかには、笑いがありました。真剣な討議がありました。大粒のなみだもありました。ゼミが危機に瀕したこともありまし た。決して平坦な道のりではなく、決してすべてが成功したわけではなかったけれど、彼女たち23名はそれらのプロジェクトを通して2つの大きな財産を得た と思っています。

ひとつは、「なんでもやってみよう」とするチャレンジ、 いやパイオニア精神です。イラクで殺害された香田さんの例を引き合いに出すまでもなく、時にこれは状況を誤ると悲劇を招くこともあります。この境目には微 妙なものがありますが、そのような危険性を承知しながらも私は、果敢にチャレンジする気持ちは生きていく上でとても重要であると思います。この大学を創立 された新島襄先生も当時の国禁を犯して、ワイルドローバー号にてアメリカボストンに渡られました。新島先生21才の時、ちょうど現在のみなさんと同じくら いの年の頃であります。当時日本に根付いていなかったキリスト教主義教育を建学の精神として掲げるこの同志社は、いわばそのパイオニア精神によって支えら れている大学といっても過言ではないと思います。この同志社でさまざまな活動に時間を費やし、情熱を傾けられたこのゼミのみなさんのパイオニア精神はその 意味でも大いに賞賛されるべきことだと思います。そしてこのパイオニア精神の重要性を認識すること、これはこの大学で教え、学ぶものにとってとても重要な ことです。

もう ひとつは、グループによる学習や、互いの生の意見がぶつかりある中で、友情が培われたことです。友情というと古くさい、何か青臭いもののように聞こえるか もしれませんが、友情そして友人こそがこの大学生活の中で得るべき最も重要なものの一つだと私は考えています。シラバスには コースの目的として書かれてありませんが、共に同じ教室で1年、または2年学ぶ中で是非ともこの友情をコースの参加者の中に芽生えさせたいものです。この ゼミの中にも多くの友情が芽生えたと思います。ただ、友情は目に見えません。目に見えないだけに、友情を信じない人には友情が芽生えていることに気づくこ とがないのです。サンテクジュペリは、『星の王子様』という本のなかで「本当に大切なものは目に見えない」、と言っていますが、この大学を卒業した後も、 23名全員が目には見えないこの大切な友情を大切にしていただきたいと思っています。

卒 業論文がひとつのプロジェクトとすると、大学の4年間もそしてゼミもまたひとつのプロジェクトです。プロジェクトにはかならず終わりがあります。これが何 かの努力目標や取り組みとの大きな違いです。23名のあるゼミのプロジェクトももうすぐピリオドが打たれる時が来ようとしています。

23名のあるゼミでも、卒業論文を全員が提出をし、そしてポスターセッションの時と同様に明日25日に総勢70名で「第二回卒業論文発表会」でそのプロジェクトを完成させようとしています。

私 は、彼女たち23名のこれまでの情熱溢れる活動をみながら、これこそ「青春」ということばがピッタリ当てはまるのではないかと思っていました。図らずもそ のゼミの卒論キャッチフレーズは、今日のお話のタイトルにもなっている「青春謳歌」であります。これは青春謳歌とかいて青春バンザイと読むと彼女たちが決 めました。青春バンザイ、実にすがすがしく若者らしい、そしてこの同志社にピッタリの言葉だと思います。

新 島先生の永眠記念日、すなわち命日はちょうど昨日23日でした。先生は、遺言の中で、「同志社においては__不羈(てきとうふき)なる書生=信念と独立心 にとみ才気があって常軌では律しがたい学生を、圧迫することなく、その本性に従いこれを順導し以て天下の人物を養成すべき事」と述べておられます。

まさに、パイオニア精神をもってさまざまな可能性にチャレンジする学生こそこの同志社を創建された新島先生の意思にあうことなのではないでしょうか。

い い先輩のもとにいい後輩が育つ。これはそのゼミのある4回生が掲示板に書き込んだ言葉です。正鵠を射た言葉です。さらに付け足すなら、新島襄先生の建学の 精神が息づくこの伝統のある大学だからこそ素晴らしい若者が育つと。今後、このあるゼミの23名の卒業していく先輩の姿をみながらこのようなすばらしい精 神が、今後この大学で学ぶ後輩に受け継がれ、さらに確固としたものとして根付くことを祈ってやみません。

若き日に薔薇を摘め

「大学時代怖がらずに何にでも手をだしてみよう。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が大学を卒業するときに、ああよいい大学時代だったと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な大学生活しか送れません」。

若き日に薔薇を摘め

青春バンザイ、同志社バンザイ、2004年度バンザイ 、そして青春バンザイ。

(2005年1月24日、新島記念講堂における2004年度最終礼拝より)

(2005. 1. 24)

10年後の祖母からの返信

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(コリントの信徒への手紙 II: 4章18)。

祖母が他界して今年で10年。もう子どもたちの誰もが帰る可能性がなくなってしまったということで、広島にあった家を処分することになった。父からすると、故郷を長らく離れていたとはいえ、心のふるさとがなくなってしまうことに寂寥の思いだったにちがいない。数年に1回程度訪れる場所ではあったが、寂しさがこみ上げてくる。

思い返せば、広島郊外の祖父母の家をはじめて訪れたのは、小学3年の時だった。当時、山陽新幹線もなく、わくわくしながら呉線回りの「特急しおじ」に乗って行ったこと、五右衛門風呂のフタに乗り損ねて熱かったこと、原爆資料館のショックがあまりに大きく眠れなかったこと、宮島で穴子弁当を食べすぎてお腹をこわしたこと、など鮮明な記憶が蘇ってくる。

ハワイ生まれで満州鉄道の駅長をしていた祖父が、いつも優しい眼差しを私達に向けていたのに比べ、祖母は厳しかった。朝から晩まで畑仕事に精を出し、凛として、孫である私達を甘やかしたり、優しい言葉をかけることはなかった。「そんなことしとったら、つまらん」、「しっかり、がんばんなさい」、というのが明治生まれの祖母の口癖だった。

祖母の家の片付けを終えた父と久々に会った際、ひと包みの封筒を手渡された。中を見た私は、しばらく言葉を失った。そこには、ことある毎に祖母に送った20年分の手紙や絵はがき、年賀状がおさめられていた。祖母からの年賀状は印刷のもので、手紙を送っても音沙汰がなかったので、祖母は私達にあまり興味がないのかとも思っていた。

手紙の束は、大学入学後の私の人生の記録のようであった。浪人の末の大学合格、就職、一人暮らし、中学の教師の頃、結婚、大学院への進学、子どもの誕生、初めての学会発表、七五三、小学校入学、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ。口には出さなかったものの、祖母は、遠く広島の地で私達の成長を見守っていた。死後10年も経ってからそれに気づくとは、まだまだ修行が足りない。見守るとはこのようなことかもしれない。

すぐに結果や見返りを探す風潮があるが、愛情とはこのように、再確認することのないもの、なのかもしれない。考えてみると、どれだけ多くの人の愛情を受けて成長してきたのかと思う。受ける側が成長しないと、本当の愛情には気づけない。(Yonge)

(2009年11月、同志社女子大学宗教部Chapel News 11月号に掲載)

(2009. 11.)

Projectを立ち上げよう

おはようございます。

先ほど読んでいただいた聖書の箇所及び本日歌っていただいた賛美歌の共通点は何でしょうか?

本年度お招きいただき何度か卒業生の方の結婚式に参加させていただいたのですが、実は結婚式で判を押したように歌われ・読まれるのが今日の賛美歌・聖書の箇所なのです。

私自身の結婚式は20年前になりますが、冠婚葬祭でもお葬式と異なり結婚式には何度お招きいただいても晴れやかで同時に新しい人生の門出の初々しさと希望を感じることができて、こちらまで嬉しい気持ちになります。

5月に東京で卒業生のにほさんという方が結婚されました。その際、私は、スピーチを依頼されて彼女が卒業時に書いたエッセイの一節を引用しました。いいエッセイなので少しご紹介してみようと思います。

卒 業論文を書き終えた今、安堵の気持ちと少し寂しい気持ちです。去年の4月から卒論を意識し始め、7月にポスターセッションで発表するために少しずつテーマ を固めていき、本腰を入れて書き始めたのが11月下旬から12月22日でした。この数ヶ月間ご飯を食べていても喉に骨がひっかかったような感じで、寝てい る時も、卒論の夢を見るくらい追い詰められていたりして、提出日までの1ヶ月位は特に気が休まる時がなく大変でした。

ですが、今思うと卒 業論文を書いている時が大学生活で一番楽しい時を過ごすことが出来たと思います。このような貴重な時間を過ごすことが出来て、私達は本当に幸せな学生だと 思います。卒論をするためにコンピュータ室に行けば必ずゼミ生がいて机を並べて卒論に没頭したり、卒論に疲れてC458の研究室に行くと、いつも誰かが居 て、みんなで励ましあったり、行き詰まって悩んでいたりする人がいれば、みんなが適確なアドバイスをくれたりと常に一人でやっているのではなくて22人全 員でやっているのだという気持ちを本当に感じることが出来たと思います。

そして卒業論文というものを通して、私は新たな発見をすることが 出来ました。それは、この私が卒論を書くことが出来たということです。私は、英語が得意ではありません。そんな私でも29ページもの論文を書き上げること が出来たというのは、自分でも本当にびっくりしています。私が2回生の時に先輩の卒論発表会で先輩の卒業論文を見た時に、私には絶対に書けないと思ってい た私でしたが、今の私は12月22日17:00までに卒論を書き上げて提出したのです。根拠のない自信が私の中に生まれたような気がしています。

大学でゼミに入り、2年間勉強し卒業論文を書くということは、自分の可能性を試し、チャレンジできるすばらしい物であると思います。

彼女のこのエッセイを読みながらあらためて、今は東京で暮らすにほさんですが、すばらしい大学生活を送ったなあと思います。

それは正直、卒論でなくてもいいのです。

自分で何かに真剣に取り組むものを見つけること、または友人とともに一緒になって真剣に取り組むものを見つけることが重要なのです。

私 は正直言って、授業に全部出ていても、にほさんのように「自分で真剣に取り組んでみようと思うものを見つけられなければ」大学生活の価値はそれほどないと 思っています。考えてみてください。みなさんは、もうすでに「いい大人」です。20年近く生きてきて、そろそろ「自分で何か行動を起こして」何かに取り組 んでみる、ということができなければ、これからの人生で主体的な生き方ができるでしょうか?いくら知識を身につけていても、それを自ら主体的に生かしてゆ くことができなければ宝の持ち腐れと言われてしまうかもしれません。

そんなにたいしたことでなくてもいいのです。自分一人でしなくてもいいのです。友達と一緒にやってみればいいのです。

昨 年、私のゼミの学生のみなさんが、フラダンスをEVEで踊りました。正直びっくりしましたが、同時にとてもうれしくなりました。自分たちで考えて自分たち で行動を起こしたからです。でもまったく何もないところから、EVEの舞台に主演するところまで練習をし、衣装をそろえる、考えてみると数多くのすべきこ とがあったはずです。それを例えば仮に先生がこうしなさいといってしまうと効率よくできてしまうかもしれないけれど、それでは何も残らないと思います。価 値があるのは、EVEで上手に踊ることよりもむしろ自分たちの力でその舞台に立とうとすることだと思うのです。その試行錯誤、膨大な無駄に思える時間、実 はそれこそが、その後のみなさんの糧となり力となるものだと思います。

昨年度ノーベル物理学賞を受賞された京都大学名誉教授の益川先生は、著書の中で「自分自身の大学時代に最も良かったことは、友人とあーでもない、こーでもないと議論したこと、ディスカッションしたことだ」と書いておられます。私もそう思います。

大学時代に重要なのは、お金とか効率とか、資格をとることよりもむしろ、いかに回り道にみえても自分たちで議論をしながら何かを追求してゆくことだと思います。

そのためにも、自分で、友人と何かの「プロジェクト」を立ち上げてみましょう。どんな小さなことでも、どれほどばかばかしくみえることでもいいです。

フ ラダンスを踊った彼女たちは今年に入って、大阪府豊中市の小学校で英語を教えるプロジェクトをはじめています。STEPと名付けられたこのプロジェクトは 私が橋渡しをしたものではありますが、リーダーを中心に教える内容を考え、教材の準備や段取り、そして実際に教室で教えはじめています。果たしてこの後ど うなるのか、私にもわかりません。でも、何かのプロジェクトをかかえて、何かに取り組んでいる限り、卒業論文というプロジェクトを完成させたにほさんのよ うに、必ずやって良かったという気持ち、根拠のない自信というものを得ることができるのだと思います。それは仮に失敗した場合においても、必ずその失敗は 将来につながるのです。

私の敬愛する、アップルコンピュータCEOのスティーブジョブズは2005年のスタンフォード大学の卒業式で次のように述べています。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

「何がどこにつながるか、人は先んじて知ることはできない。しかしだからこそ、どこかにつながることを信じて、何かに真摯に打ち込むべきだ」と。

もちろん、身を危険にさらすことはしてよいわけではなく、よく考えてから行動はしなければなりません。

大切なのは、自分で、友達と、自分たちで考えて、何かをやってみることなのです。

2009年度春学期の授業も本日で終了します。春に学んだことを振り返りながら、夏休みに「My Project」を立ち上げてみませんか?

すこし人生の見方が変わってくると思います。

秋学期、また元気な姿でお会いしましょう。

(2009年7月29日、今出川キャンパス栄光館にて奨励)

(2009. 7. 29)

2013年の私へ

(草稿メモです)
4月1日、あなたはどこでなにをしていましたか?
翌日の入学式を前に、家元を離れて、ひとり電車にのり、京都を目指していた人
ご家族と食事をしていたひと
御世話になった高校の先生の人事異動を新聞で知って複雑な重いに駆られていた人
エイプリルフールで面白い嘘で友達を楽しませていた人
大学生活を前に、わくわく、どきどきしていた人

府立医大の話
元気でいることに対する感謝の気持ち
親子の話:親子の絆の強さ
自分の子ども(高校生)の事を思い出した。どのような気持ちで子どもを育ててきたか。また、自分自身が自分の親からどのように愛情を注いで育てていただいたか、思いを馳せた。
支えてくれている人がどれだけの数いることか?
500万円の話(玉田先生)
と同時に、「親の言うとおりの人生」を歩むことも問題かもしれない。精神的にも、経済的にも、自立しなければならない。大学とは、支えてくれる人に感謝をしつつ、同時に親から自立できるような力をつけなければならない。

では、大学における学力はどうやってつけてゆくのか?
学力がなければ人から尊敬されない。一流の学生になってほしい(大谷総長)
土台、岩の上に積み上げてゆこう(杉野)
ダイアローグが基本(Teele学長)
大学においては、「学力」はそれほど問題にならない。
何でもやってみようと思うー意欲
恥ずかしいと思うかもしれないけれど前に出る-静かな勇気
自分の気持ちを大切にする-こころざし

大学は人生の中で光り輝く時期
コヘレトの言葉にあるように
全てのことには定められたときがある
大学は、学ぶ時、議論する時、本を読む時、旅に出る時、英語能力を飛躍的に伸ばす時、恋をする時、失恋をする時、友達を増やす時、アルバイトやクラブ・サークルに参加する時
将来について考える時、親や家族の支えに感謝する時、自立する時、世界で通用する日本人になる時

しめくくりに
同志社は、良心を手腕に社会で活躍する人物の育成を目標としています。
ただ、あまり従順でいい人になってもいけないように思います。良心を手腕にちょっと生意気に生きてみることが大切かもしれない。権威や常識に挑戦する元気がなければいけないように思います。
大学は知識を吸収するだけの場ではありません。
情報の収集方法
分析方法
ものの考え方、生き方
知識やスキルは先生から学ぶことができますが、ものの考え方・生き方は、必ずしもそうとはいえません。
友達から学ぼう。
伝統から学ぼう。
そして新しい歴史を新しい時代を一緒につくっていきましょう。
2013年、みなさんはどのような自分になっているのでしょうか?みなさんのほんの少しの心がけで、みなさんの4年後は大きく変化すると思います。みなさんの4年間に大いなる期待をしています。共に、月曜日から一緒にこの新しいキャンパスで一歩一歩頑張っていきましょう。

(2009年4月4日、英語英文学科新入生オリエンテーション閉会礼拝にて奨励)

(2009. 4. 4)