生きている喜びと生かされている喜び

イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人に仕えるものになりなさい」(マルコによる福音書、第9章35節)

英語には、active voiceとpassive voiceがある。中学の英語の授業で学んだように、同じ現象を異なる見方から言っているわけだ。このように一歩離れたところから言語を客観的に見ること のできるメタ言語能力を持つことは、英語運用能力を身に付けることと並んで外国語学習の重要な目的である。

さて、この能動態と受け身であるが、形式的に変換はできてもいつもinterchangeablyに使えるわけではない。むしろ、英文を書く際には、受け身にすると「誰が」という主語が曖昧になることから、例えばMicrosoft Wordで文法チェックをすると、「Passive voiceを使っていますよ」と警告を受けることがある。しかし、40年ほど人生を生きてきて、自分で生きてきたというactive voiceに少し疑問を持つようになった。学生のみなさんには、人生の選択に迷った際には、「自分自身で決めること」が後悔しない最大の秘訣だと、いわばいつもactive voice的なアドバイスしているこの私が、である。

人生はもちろん、自分で生きているわけだが、一方で、生かされていると感じると、心が何となく爽快になることに最近気付いている。悔いのない人生を、と思う あまり、これまでとかく肩に力が入り過ぎていたのかもしれない。自分の人生だが、同時に自分以外の人々=家族、友人、同僚、学生のみなさん、多くの人の支 えによって実は生かされている。ただ、そのような多くの人々の協力を得ているのが、目標達成の過程の方法論ではなくて、人生の目的そのものが、実は誰かに 生きる使命を与えられて、誰かのために生かされていると考えてみる、ということなのだ。すると、自分だけが得したい、いい思いをしたい、という メ我よしモ の気持ちから、誰かに メContributionモしようという心持ちに心のスイッチが切り替わる事に気付く。

自分以外の人に神の存在を含めるかどうかは、個人の自由だとおもう。ただ、時々、誰かに「生かされている」と思うことで、変な虚栄心から解放されることは事実だ。’Number One’でなくても’Only One’でなくてもいい。時には、’After you’といえる心の余裕を持ちたい、とおもっている。

生きている喜びと生かされている喜び、この両方を味わいたいものだ。

(同志社女子大学 Chapel News 11月号掲載)

(2003. 11. 1)

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