「買ってはいけない」の衝撃

週刊金曜日が発行している、別冊「買ってはいけない」を買って読んでしまった。読んでしまったというのは、読まな ければよかったという意味を含んでいる。この本には、これまでに週刊金曜日に連載されたものであろう、この食品には(たとえば、日清ラ王)こんな危険性が あるよ、という私たちがスーパーや特にコンビニなんかで買っているものの内情を暴露する記事をまとめたものだ。知らなければ、マクドナルドのハンバーガー も、ローソンのアイスクリームも、山崎パンも気持ちよく食べられたのに。それは、それとして、この本を先週末に読んで、しばらくして、衝撃が走った。

それは、「美味しんぼ」という漫画の時にも薄々感じていたことだった。たとえば、日本酒は日本酒だけから出来ているわけではない。でも私は知らなかった。 工業用アルコールが混ぜられているし、同じくビールにはコーンやスターチ(よくわかんないけれど)が入っている。漫画を読んだとき、「えっ」と思ったけれ ど、その時はそのままだった。おいしければいいじゃないかと。でも、問題は、日本酒だけじゃなかった。たとえば、キリンビールには遺伝子組み替えの材料が 使われているかもしれない。虫除けスプレーは虫もよけるけれど人間にも害があるかもしれない。えっ。そうなの?そうなんです。それをそうとして知ってつ かっていれば何ら問題はないけれど、知らないで、自分や子供につかっていればそれは自分に毒を盛っているようなものだ。コンビニのおにぎり、しかりであ る。

しかもである。

本にも書いてあったように、テレビはスポンサーによって(民放は)成り立っていから、自分のパトロンを批判することは絶対にいえない。そして、多分NHK は政権担当政党に問題のあること(原発など)には厳しい目を向けさせないように番組をつくっている。考えてみれば、みのもんたの昼時の番組もそうだ。体に 悪いこと、これをしちゃいけない、ということは一杯いっているが、製品の危険性にはいっさい触れない。つまり、よっぽど、努力をしないと(たとえばこのよ うな本を買うとか、生協でものをかうようにするとか、環境問題を専攻するとか)これらの情報は入ってこない。

なぜ、これにはこんな毒が入っていますよ、こんな危険性がありますよ、ということを国民にいえないのか。それは、民主国家とかいっているけれど、この国 は、国民を馬鹿にしているからだろう。言ってもわからないか、言わなくても文句を言わないだろうとたかをくくっているのだろう。そう思って、最近のニュー スを読むとよくわかる。

1. 阪神淡路大震災の時には、被災者の個人補償をあれほど渋った政府が、銀行にはぽんとお金をだすのはなぜか。
2. 銀行は、取り立てやまで雇って個人のローンは追求するのに、大手ゼネコンのけた外れの負債はチャラにするのはなぜか?
3. アメリカやヨーロッパでは認められていない添加物が日本でのみ認められているのはなぜか?カップヌードルの容器が有毒物質を発生危険性から海外向けでは使われていない発泡スチロールが国内向けでのみいまだに使われているのはなぜか。
4. 本にも書いてあったように、先進諸国(G8など)では喫煙率が下がっているのに、日本だけ減らないのはなぜか。学校では喫煙問題に苦しんでいるのに、テレビであんなさわやかなCMをいまだにしているのはなぜか。
5. 政府は、教育問題の根本解決にはクラスサイズを小さくしかないことを20年も前から知っていて、知らぬ振りをするのはなぜか。

だから、日本は欧米から未だに「子供の国」とバカにされる。子供は親の言うことをきいていればいい(最近の子供はそうでもないが、すると子供の国にもならないか)。

疑問山積みである。でも、ここで終わっていたら、ブロードキャスターや関口ひろしのサンデーモーニングと同じガス抜き効果しかない。

2つ考えてみよう。

ひ とつは、辺見庸と筑紫哲也が対談でいっていたが、「大状況と小状況」という点。たとえば、今回の君が代日の丸の問題にしても問題が大きすぎて、または生活 からかけ離れていすぎて反応しにくい。テレビでもいっていたように、さっちーとみっちーの対決の方がわかりやすくておもしろい。しかし、考えてみれば、大 状況と小状況というよりも、「わかりやすさ」の問題なのだろう。それと、「興味」。大状況であっても、例えばガイドライン法案の場合についても、だれかコ ンピュータグラフィックを使って、こんな風になるんですよということをわかりやすく説明してあげれば良かったのに、それがなかった。たけしの万物創世記で はあれほどリアルにわかりやすくお茶の間にこどもでもわかるようにイラストレイトできるのに、こと政治になるとわかりにくくすることが美徳でもあるような 気がする。

いや、むしろ、スポンサー付き、政府付きのテレビや新聞はあえてそれをしなかったのかもしれない。

“Explain this to me like I’m a six-year-old.”

もう一つは、エイズ薬科事件の時そうであったように、ミドリ十字を責めていくと、タマネギの皮むきのように、どんどんタマネギが小さくなってしまう。結局 誰が悪かったのか?阿部とか郡司などの人物には確かに責任がある。でも、彼らだけがわるいかったのではないだろう。本当は、チェック機能もままならない厚 生省という、システムを作ってしまった、そのようなシステムを作動させてしまったことに問題があるのだ。つまり、個人が、誰か悪玉がいるようにみえるけれ ど、それを支えている思想にほんとうのもんだいがある。もし、郡司や松村という課長だけがわるかったのなら、本の中で批判した合ったような小林製薬の製品 はもう市場にはでまわっていないだろう。

思想とは何か。

ものの考え方であるが、これはよく考えてみなければいけない。意志決定システムでもある。しかし、意志決定するためには、課題がなければ、または問題がなければいけない。すなわち、どのように問いの立てるか、というだろう。

つ まりこういうことだろう。どのような問題を問題として認識するか(問題の立て方)、そして、それをどう問題解決するか(意志決定のシステム)、そしてどう 検証するか(責任のとりかた)。これはまだ、未熟な部分が残っているだろうから、もう少し考えなければいけないが、私はこれが根本だとおもう。それらをど う遂行するかというのはスキルになるだろうから、これが今のシステムに不足しているとは思わない。問題は、もっと前の段階のものだ。

問題の立て方には、イマジネーションが不可欠だ。すなわち、頭の中のバーチャルリアリティがいかにあるか、ということ。こうすれば、どうなるだろう、どのような結果になるだろうという想像力である。

私 は、別に政治家でも官僚でもないし、なろうともおもわない、なれるとも思わない。しかし、これとパラレルな小状況は今の私の周りにもごろごろと転がってい る。それに前向きに取り組まないでおいて、政治やマスコミを批判していては、単なるごろつき評論家とかわらないだろう。

教師として、研究者として、どのような思想をもって前向きに取り組むか。

(1999.  6. 18)

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