オックスフォード通信(168)911

この日にどこで何をしていたか?

そのような日が人生にはいくつかあると思います。例えば、阪神淡路大震災、JR福知山線脱線事故、東日本大震災。そして、2001年9月11日もまたそのような日に数えられると思います。

日本は夜の10時すぎで久米宏のニュースステーションの番組の中で旅客機が激突する様子を見たと言う人が多かったと後から聞きました。

当時、トロント大学の大学院生だった私は事件が発生した8:47頃には既にBloor Street に面した建物(OISE)2F、現在でいうところのラーニング・コモンズ(Educational Commons) コンピュータールームにいました。まだインターネットがそれほど普及していない時代でしたが(自宅アパートではまだモデムで電話回線を通したインターネットを使っていました)Netscapeというブラウザーを使いながら何かの調べ物をしていました。

2週間後には日本に帰国することになっていましたので、友人で当時トロント大学のContinuing Educationの教員をしてたClayton Young先生(現在はドバイ在住)に使用しているテキストや教材を午後、見せて頂くアポイントメントをしていました。

9時頃になって回りが騒がしくなってきて何か大きな事故がNew Yorkで起きたらしいと言う話が聞こえてきました。1Fのロビーに降りてみるとすでに特設のテレビが置かれていて多くの人がその回りを囲んでいました。トロントはニューヨーク州に面していて心理的にも地理的にも近い距離にありました。時差もなく全てがリアルタイムでした。

そのあとは悲鳴は聞こえるものの唖然としすぎて割と静かだったのを覚えています。目の前の映像が信じられず、中には先週そのワールドトレードセンターの展望台に行って来たところだと言う人もいました。従兄弟がニューヨークに住んでいると言う人もいました。

午後になってクレイトン先生に教材を見せてもらいながら「この日に何をしていたかと言うことは永久に覚えているだろう」と言われたことを鮮明に覚えています。

当時住んでいたBloor-Yong(ブロア・ヤング)にあるトロント大学のファミリー用アパートまでは徒歩で15分くらいの距離にありましたが、途中の電気店のテレビに人が群がっていたのを印象深く覚えています。

3000人近くの人がテロによって理不尽に命を奪われたことに感じた怒りは今も消えることはありません。その中には少なかぬ日本人も含まれていました。ただ、世界を震撼させた事件でありながら、今だに多くの不明な点があることやそれについてアメリカ政府が納得のできる説明を提供していないこともそのような姿勢が必ずしも感じられないことは不思議なことだと思います。

(2018.9.11)

★今回の教訓:911は南米・チリでは1973年9月11日のクーデターをいう。911はアメリカ的発想の数字だ。
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