ハイキングに行って考えたことなど

先週の日曜日(5月9日/1999年)に京都最高峰の愛宕山にゼミの学生のみなさんとハイキングいや登山してきました。

コースの紹介********

午前10時にJR保津峡の駅に集合し、午後5時すぎに嵐山清滝に下山するというほぼ一日をかけたハイキングとしては体力的に厳しいものだった。出発地点か ら、水尾の里まで約1時間かけてゆっくり歩いた。途中、山藤がところどころに咲き誇り、川には清流ということばがぴったりするようなきれいな水が流れてい る。このあたりまでは、全員に余裕があふれ、いろいろ話も弾み、元気いっぱいだったが、水尾の里から水尾の別れまでの1時間はそれはもうたいへん。5分歩 いては5分休むというパターンをくり返し、すでに下山をしてくる人に「あとどのくらいでしょう」ときいてはがっくりと肩を落とすというありさま。しかし、 坂は急であったが、途中ところどころ見える下界はきれいでもあり、だんだん小さくなっていく街の風景に山にのぼっているということを実感させられる。
「水尾の別れ」は、清滝から上ってくる途と合流する場所で、そこで一服をし、愛宕山頂上へ向かうことになる。山ではいろいろな人に会う。見ず知らずの人 に、「こんにちは」とあいさつすることのなんとすがすがしいことか。日頃、これだけのあいさつをしているかなと考えてしまう。ほぼ、1年分くらいの「こん にちは」をいったのではないか。しかも、山に来ている人すべてがこのことをこころえているから気持ちいい。水尾の休憩所では、初老のおじいさんに出会っ て、いろいろ話をした。よく聞いてみると、京大の名誉教授の田口先生であった。直接習ったことはないものの、同じ時期に吉田キャンパスにいたこともわか り、学生時代をちょっぴり思い出したりした。しかし、あの年でといっては失礼だが、70才を悠に越えて、愛宕山に上られる体力と気力は見上げたものだ。す ぐ横でへばっている19-20才の学生のみなさんとの違いは歴然。
愛宕山は厳しい。黒門について、もうこれで境内と思って「バンザイ、ついた」と思った瞬間にまたあらたな石階段が目の前にあらわれる。だからこそ、本当 の頂上についたときの感慨もひとしおである。頂上でお弁当を食べた後、神社に参拝を死、「ひのようじん」とかいたお札をいただくこととなる。てっぺんまで 来たな、という気持ちがいちだんと強くなる。
帰り道は、月輪寺を回るコースをたどった。途中、京都市街地がかすんでいたもの、あそこは御所、あの辺が今出川キャンパスとわかる程度にみえる。下りの 途は上りに比べれば遙かに楽なものの、だんだん足、特に膝と、足の裏が痛くなる。誰かが、「くつから足がとび出そう」と言っていたが言い得て妙な表現だ。 月輪寺までのあと30分がなんと遠いことか。しかも、歩いても、いや下っても下っても、石と岩の階段道。結局1時間くらい歩いたか。登りでなくてよかっ た、とは思った。
月輪寺は空也上人が開いた寺。むかし「山寺の、和尚さんが….」といううたがあったねえ、と、誰かが言っていたが(その続きが出てこなかった が…)、本当はお寺というのは修行のためで山にあったのだということが、よくわかる。でも、不思議に山道を歩いているといろんなことを思い出す。はる かむかし、小学校の時に登った山、ハイキング、むかしのうた。なぜなんだろう。月輪寺は西国何カ所かのお札所になっていて、年を召した多くのかたが杖を片 手にのぼってらした。信仰のちからは年とともに、強くなるものか。
さらに月輪寺を下ること、1時間から1時間半。ようやくゴールの清滝に到着。元気のある、5名+私は、空也の滝を250mのぼって見に行った。いい滝でした。あれはみていないひとはみるべきだったね。
帰りの京都バスは、橋のすぐ近くでまっててくれるかと思ったけれど、人生もこんなものなのか、疲れ切った体にむち打って、約10分登ってゴール。

ちょっと考えたこと************

たぶん、学生のみなさんの中には、もっと簡単に登れるものと考えてた人も多く、ことばにならないくらい体力的にしんどかったことでしょう。もう二度と上り たくないと思っているひともいるかな。私も愛宕山には初登頂となったわけですが、予想以上にしんどかった、というのが本音です。しかし、こんかいの「ハイ キング」には私なりにいくつかの意味があったと考えています。

☆目標を達成できた。
ひさびさに、帰りのバスの中ですぐ寝てしまうくらいのしんどさだったことでしょうが、逆にいうとそれだけちょっとした目標を達成できたということ。たぶ ん、途中で帰りたい、このまま山を下りたいと思った人はひとりや二人じゃないはず。でも、全員、文句をいいながらも、あの高い山に登れた。これはすごいこ とだ。きっと忘れられないくらいのしんどい思いだったでしょう。そう、中学や高校時代のクラブ活動以来じゃないのだろうか。でも、やろうと思えば、まだま だなんでもできるんだ、と私は思いました(みなさんの姿をみて、よけいに私はまだまだ若い!と思ってしまった)。大げさですが、でもこれからの人生そんな ものなんじゃないでしょうか。山で足を止めれば、前へはすすめない。結局自分で歩くしかないわけですが、どんなにしんどくてもちょっとずつ休憩しながら、 前進すればいつかは目標は達成できる。しかも、そのときに一緒にいてくれる仲間がいれば最高です。私は、頂上へ登り切った時と、清滝でバスに乗ったとき、 「やった」と思いましたね。頂上では、登り切れたことの喜び。そして、バスに乗ったときはゼミの学生のみなさんと、今回のハイキングをしてよかった、とい うよろこび。たぶん、私は当分このハイキングのことは忘れないでしょう。成人式の日に友人と徒歩で比叡山に登ったことを忘れていないから、ずっと忘れない かもしれない。目標達成の喜びを久々に体で再確認できた一日でした。

☆自然にかえる。
JR亀岡駅からの帰り道、てくてく駐車場まであるいていると、何とも言えない違和感を覚えた。そう、道が平らすぎるんです。1日でこぼこの山道をあるい たせいか、アスファルト舗装の道がなんとも平坦で、物足りなく思えてきた、というと大げさですが、普段こんななめらかな道を何とも思わず歩いていたんだ な、と思ってしまいした。と、同時に田舎である亀岡ですら、みどりが少ないな、と思ってしまうんです。たぶん、体内に組み込まれているDNAがまだ自然の 中で暮らしていた先祖の記憶を持っていて、今回の山行きでそれがよみがえったのかもしれませんが、普段何気なく暮らしているこの私の生活がどれほどまっと うなものか、と考えざるをえませんでした。特に、インターネット漬けに近い状態になっているわたしの生活は何らかの再考を求められることでしょう。

また、近いうちに、「山へかえりたい」と思います。ちなみに、愛宕山の「ひのようじん」のお札は、研究室の壁にどんと鎮座しています。

(1999.  5. 12)

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