心を分かち合うためには

さて、あなたはこの三人の中で誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったとおもうか。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカによる福音書 第10章36-37節)

最 近、自分自身の反応の鈍さにびっくりしている。たとえば、先日、ハリーポッターの翻訳者として著名な松岡佑子さんが講演に来られた。新島記念講堂は一般来 場者も含め数多くの人で一杯となっていた。講演はスムーズに始まったかに見えたが、突然マイクの調子がおかしくなり、松岡さんの声が聞こえなくなった。 30秒から1分くらいたった頃だろうか、聴衆がざわざわとし始めた。私はこの講演会に直接関わっていたわけではないが、この大学の教員だ。5年前の私な ら、マイクが切れた瞬間にステージか調整室にすでに走り始めていたことだろう。さらにしばらくたっても状況が変わらないことを確認して初めて私は調整室へ の階段を走り始めた。走りながら、自分の腰の重さにびっくりした。

もちろ ん、みんながばたばたとするとかえって邪魔になるかもしれない。ひいては「当事者」である委員の先生方に迷惑をかけることになるかもしれない。でも、これ は後からつけたいい訳である。この一件は些細なこと、なのだろう。しかし、ささいなことの中に物事の本質が隠れていることがある、とはゼミの中で学生諸姉 によく言っていることだ。私は、自分の中の当事者意識、とでもいうべきものが希薄になってきているのではないか、と思った。

当 事者とは、誰のことなのか。たとえば、家族のことであれば当事者意識を持たざるを得ない。子どもが、妻が、親が、という際にはどうしたらいいか一生懸命に 考えるだろう。日本は今年立て続けに大きな災害に見舞われている。特に、10月の中越地震による新潟、台風23号による京都、兵庫北部の大きな被害は甚大 なものがあった。1995年の阪神淡路大震災が脳裏をよぎった人も少なくなかったことだろう。阪神淡路大震災の際には、この大学からもボランティアが組織 され被災地に救援物資を毎週交代で運んだ。でも、今回、自分自身の腰が重たくなっていることにここでも気付いた。ひょっとしたら、それは私だけの事だけな のかも知れない。現に、10月のスポーツフェスティバルでは学生委員が体育館の受付で募金を呼びかけていたし、自宅に帰ると、妻が、タオルや衣類を段ボー ルにつめていた。聞くと、台風の被害にあった大江町の町役場に届けるという。きっと、私の周りの人たちは、「当事者意識」を明確に持って、理不尽な被害に あった人たちを自分のこととしてとらえ、どう行動したらいいか考えているのだろう。

ひょっ としたら、どこまでが「私の隣人なのか」という、問い自体がきっと無意味なのかもしれない。そのような境界線、ボーダーラインを引くこと自体、こころを分 かち合う妨げとなるのだろう。出来ることをする、この単純な行動原理をもう一度思い出してみたい。まだまだ腰が重たい私だが、あまり大げさなことをしよう と思わず、いろいろな問題に、自分の問題としてとらえ、行動してみたい。

“A little difference makes a big difference.”
(ほんの小さな行動が大きな変化を産むのだ)

(同志社女子大学 Chapel News 12月号掲載)

(2004. 12. 1)

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