オックスフォード通信(350/15)チャペルサービス

昨日の日曜日、University College のSt. Mary Chapel の礼拝に参加してきました

10時半から1時間くらいの礼拝でしたが、イギリス国教会の礼拝の進め方はどこもよく似ていて参会者も聖書の一節を一緒に声に出す参加型になっています。私はクリスチャンではないのですが、聖書の一節を読んでいると自然と自分の考え方が狭かったり、もう少し広い視点から物事を見なければいけないという気持ちになるので不思議です。

奨励(preacher)ではFacebookなどに時間を奪われるのではなく人生を豊かに生きるために時間を使おうと呼びかけられていました。言っておられることはそれほど驚くべき事ではないのですが、歴史ある教会でお話を聞くと自然とうなずきたくなります。

気候や天気も重要ですが、「場」も重要だと思います。昨日は天気が劇的にコロコロと変化する日でした。雨が降っているかと思えば、爽やかな青空が広がり、一転、雹が降ってきたり(雹が頭に当たって痛かった)、雪がチラホラでなく本降りになったりと一日の間にいろいろな季節を実感したような日でした。

そのような中、教会には太陽の陰が美しく照らし出され(この写真には映っていませんが)、人生の神秘を自然と感じるようになります。ヴェネチアでもそうでしたが、教会の存在は観光だけでなく、人の生き方に大きな影響を与えていると思います。むしろ、人の生き方と寄り添ったところに教会があるのかもしれません。京都、詩仙堂の軒に「生と死は重要なり」という看板がかかっているのを思い出すのですが、教会とは要は「生と死」に関わるものだと思います。そして人として生きてゆく限りこの2つの縛りから誰しも逃れることができません。だからこそよい人生を生きようと思うのだと思います。

私は高校時代、東寺の境内に建てられた寮に住み、その高校に通っていましたが、仏教もキリスト教も神道も生と死という1点においては同じだと思います。

メメントモリ(死を思え)という言葉がありますが、人は限界を認識する際、より残りの時間を大切に生きようと努力するのかもしれません。

★今回の教訓:来訪者がある度にオックスフォードの名所を一緒に回った。回る度によい発見があるのがその街の成熟度ということなのだろう。長い歴史の中では一人の人間の存在は点にすぎないがその点が大きな光を放つこともある。

(2019.3.12)

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