オックスフォード通信(61)勝つときもあれば負けるときもある


サッカー・ヨーロッパ選手権ファイナル
を昨夜見ました。サッカーよりもラグビーの方が好きなタチですので、それほど熱狂的ではないのですが、何しろリバブールファンの熱気がオックスフォードにいてもすごいので生放送で観戦させていただきました。

イギリスではスポーツ中継は大手3チャンネルに絞られています。ひとつは言わずもがなのBBCです。でも案外、BBCでビッグイベントを中継することはそれほど多くなく、いわゆる民放のBTとSKYが交互に独占中継をしている感じです(スポーツ中継ではありませんが、先日のロイヤルウエディング・ハリー王子はスカイとBBCが同じ画像で[アナウンスは別]放映していました)。

昨日の中継はBTが独占という形でした。

イギリスの我が家ではインターネット契約がスカイという関係でテレビもスカイです(正式にには5/29からスカイテレビが観れるのですが、それまでということでiPadでも見えるようになっています。申込から設営まで3週間!という信じられない長さです。私もメールの返事やアクションがいわばイギリス風になっていたのでこれを機に改めようと決意しています)。すると普通に行けばスカイの私はBT中継を見ることができないということになります。

ところが、このリバプール対レアルマドリードの一戦はいわばイギリスを挙げての一大イベントなんですね。恐らくイギリスでBTとスカイの両方に加入している家庭はそれほど多くないと思います(正確にには最近では例えばスカイの加入者でもBTの中継を[逆もあり]追加料金ゼロで見ることができるようになっています。ただし、追加の申込が必要)。暴動が起きるでしょうね。

ということで昨日はBTの無料アプリまたはYoutubeで誰でも(インターネットに接続していればですが)生中継を見ることができる仕組みになっていました。私はWestgateで購入したSONY Braviaのリモコンに大きくYoutubeのボタンがあったので迷わずこちらを選択。

びっくりしました。

Youtubeって生中継もしているのですね。しかもテレビで見ると普通の(?)チャンネルと全く変わりありません。2時間、時々画像が止まることはあっても楽しんで見ることができました。ついで、テレビでコンピュータを介さずに見ることも覚えました(バックグラウンドミュージックなどを聞く・見る時にはとても便利です。現在もその状態で日曜日の午前中、このブログを書いています)。

さて、エールビールを買いこみ、万全の態勢でTV観戦をしたのですが、残念ながら試合は1-3で負けてしまいました。しかも、その内の2点はキーパーKariusの不注意な気の抜けた行動で取られてしまった失点だけに悔やまれます。coachのKlopも試合後の会見で、この試合で得るものは無かった、、マイナスばかりだと失望の表情を浮かべていました。

でもそのようなことってあると思います。

レアルは3連覇、かたやリバプールは恐らく初出場。会場はウクライナのキエフ。舞い上がってしまって当たり前だと思います。キーパーのHariusは自分を責めていると思いますがそんなことはしなくていいと思います。十分良い試合を見せてもらったと思います。長い競技人生の中でそのような失策もあるでしょう。必ず誰しも通らなくてはならない道なのだと思います。

印象的だったのはリバプールファンです。TVのニュースで見た範囲ですから本日の新聞は知りませんが、みんな肩を落として会場を去っていました。暴動が起きることもキーパーの名前を取り出して避難することもありませんでした。あっさりと淡々としているように思えました。このアッサリとした冷静な態度が重要だと思います。冷静であることは次へ繋がるのだと思います。

結果のみに拘泥される人がいますが、その結果もまたしばらくすると過去の栄光として忘れ去られます。河島英五のある歌の歌詞に(正確には作者は加藤登紀子)「喜びも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐっていくのさ」(「生きてりゃいいさ」)というものがあります。

生きていれば成功も失敗もある。

若いキーパー Karius にはガッカリし過ぎないで頑張って欲しいと思った一夜でした。(2018.5.27)

★今回の教訓:成功ばりではなく失敗もまた人生の糧。
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オックスフォード通信(60)働きすぎない方がいい仕事ができる

イギリスに来て60日目を迎えました。

この間、休む間もなく、いろいろなことに積極的に手や足をだしてきました。今週、共同研究者のR先生には日本での生活は忙しすぎるのではないの?と言われてしまいましたが、事実、日本と比較してイギリスでの生活は随分ゆとりを持っていろいろなことを考える時間を頂いています。

オックスフォード特有のセミナーにも数えてみると(お腹の痛くなったものも含めて)17回に及びます。我ながら日本人は勤勉であるように思います。日本で働いていることを思えば何ということはありませんが。

この間、考えたり感じたことを書き綴らせていただきましたが、もう1/6が終わろうとしていることにビックリします。イギリスはそろそろ1年のAcademic Yearが終わろうとしています。いろいろなセミナーもしめくくりという位置づけのものが多くなってきました(例、通信59の講演会)。

これまでバラバラだったものも徐々に、ああ、そういうことなのか、と繋がってきているように思います。街の位置関係、人との関係、オックスフォード大の仕組みなどやはり時間をかけないと分からないものが多くあります。

この分かることには時間がかかるということは当たりまえですが重要なことだと思います。オックスフォード大は3学期制を取っていて(1学期目が10月からのhilary term, 2学期めがmichaelmas term、そして最終3学期目がtrinity termという名前がついています)、それぞれ8週間です。年間でも3×8=24週間という計算です。現在日本の大学は執拗に15週間を維持しようとしていますが、私が同志社女子大学に勤め始めた頃から2000年くらいまでは各学期の授業回数は12回~13回でした(ちなみに私のK大学時代は、精々11回くらいの授業回数に先生の休講、学生の自主休校があって8回くらいの授業回数だったと思います)。

じゃあ、オックスフォード大の方が成果が上がっていないかというとそうでもないのですね。緩急の付け方が学問には大事だと思います。いま、私がイギリスで Sabbatical を頂いているのもそうですが、学ぶ期間と休暇の時間のバランスは重要だと思います。

先日の講演会の最大のテーマは統計学者Tukeyの “An approximate answer to the right problem is worth a good deal more than an exact answer to the wrong question“ (正しい問いへの曖昧な解答の方が間違った問いへの正確な答えよりもマシだ)という言葉で集約されるものでした。

忙しすぎると、自分が持っている問い自体が正しいかどうかを考える余裕なくその答えを出すことに精一杯になってしまいます。これほどの時間の無駄はありません。むしろ、余裕をもってまずその問い自体が適切なものかどうか吟味する必要があると思うのです。

その意味ではイギリスでは日々の中にも夜の時間の確保、土日の確保、また大学では学期中以外の沢山の時間が贅沢に用意されています。

今、自分が取り組んでいることが重要なことなのか、それを吟味するメタ認知の時間は重要であると思います。特に、大学においては。そうでなければ、大学の授業が終われば学んだはずのことはすべて忘れ去られてしまいます。それこそが最大の損失です。

日本の大学も文部科学省とか大学基準協会のような組織の顔色ばかり伺うのではなくで、本当の学問発展のために何が必要か、じっくりと考える必要があると思うのです。

そんなことを書いている私もまた日本においてはそのような余裕もなくがむしゃらにやってきたのも事実です。今、こちらでいろいろな研究に取り組む中で、自分が取り組んできたことがそれほど間違っていなかったのは奇跡的だと思っています(これは私の力ではなくて私の周りの特に同志社女子大学の同僚と学生諸姉のおかげです)。

日本に来春帰国したら、15回の授業回数は個人の力では変更できないと思いますので、学ぶ内容の精選と深層化・行動化・連携化・考える時間の確保などに取り組んでみたいと思います。

大学に学生を縛り付ければ着けるほど、期待した方向とは違った方向に進んでしまうように思います。学生の自主性を養うには学生の自由な時間を用意してあげることだと思います。学生諸姉もその時間はアルバイトに使いすぎるのではなくて、本当に自分がしたいことにあてるようにしてもらいたいと思います。

残り10ヶ月、私も更に思考を深め、広げるられるよう、一層アクティブに動いてみたいと思います。(2018.5.26)

★今回の教訓:光陰矢のごとし、と終わってから思うのではなくて、時々振り返るようにしたい。
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オックスフォード通信(59)激痛とカフェラテ

講演会参加中にお腹が痛くなりました。
普段元気であまり病気をしないのですが、昨日はピンチでした。通信58にも書いたように午前中は大学院生の中間発表会に出席、ランチタイムは質的研究についてのセミナー、午後はR先生との共同研究。そしてよる教育評価についての講演会に参加しました。問題はこの講演会です。そして原因はその前に飲んだカフェラテです。

講演会の前に少し時間があいたので昼ご飯を兼ねてカフェ(いつものCostaではなくて少し上等?のお店に行きました)。実は以前からイギリスのカフェラテはミルクが多いと感じていました。日本でカフェラテを注文するとコーヒーとミルクの割合は半々かコーヒー7,ミルク3くらいだと思うのですが(違いますか?)、イギリスではミルクが7か8くらいの分量あります。ホットミルクにコーヒーを入れている感じです。特にこの日のカフェラテはミルクが多かったような(または少し古かった?)。

じゃあ、カフェラテを止めておいたら?といわれそうですが、Americano 又は Filter Coffee と言われる日本で飲むコーヒーに近いものは論外で美味しくありません。香りゼロ、おまけに薄い(日本のインスタントコーヒーを薄めた感じです)。必然的にラテ系に走ることになります(妻はコーヒーをやめてティーにしたらといいます。ただ変な意地があってサテンではコーヒーを飲みたい)。

昨日の講演会はオックスフォード大の誇るアシュモリアン (Ashmolean Museum) での開催でした。大体催し物なので通常の美術館の入り口とは異なり入る時から一苦労。受付で事前申し込みをしていた自分のネームプレートを受け取り会場へ。この時少しお腹が張った感じがしたのですが、高をくくって大丈夫だろうと思ってしまいました(この時点でwashroomへ行けばよかった)。講演内容は、教育測定の話でHow much are students learning?”このmuchをどう測定するか、検証するか(統計)という興味深い話でわざわざアメリカのコロラド大学から来られた講師が80分間熱弁をふるわれました。ただ私は10分おきに体調が悪化し、冷や汗が吹き出してきます(イギリスに来てはじめてかいた汗かも)。このブログを読んでおられれる皆さんが引くと思いますので詳細は省略しますが、控えめに言って、この5年間では最大の危機だったように思います。じゃあ、途中で抜けてトイレに行ったらよかったのにと言われそうですが、まず会場のムードがシーンとした状況、ほぼオックスフォード大の関係者で緊迫した状況、しかも講演会では前の方に座る習慣があり(前から3列目)、とてもそっと抜けることはできませんでした。最悪の状況(?)を想像しながら講演に何とか集中していたのですが、講演に熱が入りなかなか終わらない。しかも統計の数式なんかも出てきて複雑な内容。その内容を理路整然と話していることに講師は悦に入っている状況で、多分1時間の講演、30分の質疑応答と組んであったと思うのですが20分はオーバー。

本当はこの日は講演会のあと簡単な食事やワインも用意されていたので楽しみにしていたのですがそれどころではありません。どこで抜けるか、トイレに行くかを考えながら必死でそのタイミングを計っていました。回りの人は暑くもないのになぜ私が汗をふきふきしていたのか不思議だったかもしれません。

そして講演が終わり、拍手、そして指定討論者がの紹介、指定討論者が壇上にというタイミングでいまだ!とおもい荷物を持ってそうおと後へそして出口へ。しかし、バタバタとこのタイミングでトイレ等に出る人が結構いるだろうと思っていましたが意に反し、私のみ。しかも指定討論者は私が出口のドアを開けるのを待ってから話そうと思っていたのか変な間を後の方への視線を感じながら出口のドアを押したのでした。

外ではスタッフが怪訝そうな顔で帰るのか?と聞いてきました。そうでしょう。回りではいい匂いが漂い、ディナーの用意が。逃した魚は大きいといいますが、予想以上のディナーだったようです。

閉まっている美術館からNight Museumのような感じで這うようにしてでてきたのでした。

大惨事に至らずよかったと思っています。もちろん、いい話を聞いたのでとても満足でしたが、逃した夕食とワインが少し(かなり)惜しかった夜でした。

自分が話す講演会でなくてよかった。

読者の皆様もカフェラテにはご注意ください。(2018.5.25)

★今回の教訓:講演やセミナー前にはミルク系のものは口にしないようにしようと堅く心に刻み込みました。
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オックスフォード通信(58)日本専攻大学院生のプレゼンテーション

オックスフォード大学で日本の教育・文化・文学についての大学院生の発表を聞かせていただきました。

先日、ある会合でお会いしたN先生からお誘い頂き、オックスフォード大学大学院修士課程中間発表会に出席させて頂きました(都合により午前中のみ)。福島の原発、日本のインクルーシブ教育制度、定時制高校、武道必修化、短期大学の役割とどれも興味深い内容でした。10分の発表、10分の質疑応答という内容でしたが、私達が英語で発表するのに同様に緊張感と高揚感が感じられる素晴らしいプレゼンテーションが繰り広げられていました。特にトピックの選択が興味深かったです。

私の横に座っているRさんが次、Oさんが次の次という順番でした。お二人ともALTとして日本で働いた経験をお持ちで日本通という感じもしましたが、やはり母語ではない日本語で発表されるということで、チラッと見ると(見えました)セリフが事細かく書いてありました(おはようございます、よい質問をありがとうございましたなど)。それを見ているだけで何か変な言い方ですが嬉しくなってきました。ああ、誰しも一緒なんだなと。誰もが第二・第三言語で発表するときには内容よりもそのデリバリーの方法で苦労する。私達日本人も、We are not alone! と思う必要があります。

また、日本語でだと、トピックが何であれ自由に質問できるのも事実です。これは英語のネイティブ・スピーカーが英語でいろいろと質問しますが、それは必ずしもその人達のインテレクチュアルレベルが高いのではなく、母語であれば余裕があるからできるだけなのだと思います。その点を私達ははき違えてはいけないと思います。

English as a global lingua franca、グローバルリンガフランカとして英語を考える際に、案外日本語非母語話者が日本語でプレゼンテーションする姿を見る機会を作ることは重要かもしれません。そのことが、英語でプレゼンテーションしたり、英語を話すことのプラスにつながるのかもしれません。

休憩時間には St. Antony’s college のM先生といろいろと話をすることができたのも収穫です。M先生は何と同志社大学の客員教授として2000年から6年間も教えておられたとのこと。久しぶりに同志社や京都のことについてお話ができました。外国でこのような話ができるとは思ってもいませんでした。まさに、It is a small world です。この会のご招待頂いたN先生、またこのような交流の広がりに感謝するばかりです。(2018.5.24)

★今回の教訓:日本人が英語を、だけでなく外国人が日本語を使っている場面を見ることはいいメタ認知になる。ALTもそのような機会を中学や高校で作ってみればいいかもしれない。
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