オックスフォード通信(133)ヒロシマ

イギリス時間(=グリニッジ標準時)8月6日、午前0時15分、日本に向かって黙祷を捧げました

翌日のイギリスの新聞(本日、8月7日)でHiroshimaを取り上げていたのはテレグラフ紙のみです。エノラゲイの乗務員は投下後、口の中で鉛の味がしたと言っています。

日本では平成最後のヒロシマの日と報道されているようですが、ことイギリスに限ってみるとそれほど関心が持たれていないのは残念な気がします。

第二次世界大戦前、私の両親や祖父母は両方ともハワイや朝鮮半島、満州で暮らしていたのですが、父方の故郷がもともと広島であったため、親戚も多く、戦後は広島に引き揚げ暮らしていたため、小さな頃から広島を訪れることはよくありました。私自身は京都府綾部市の生まれですが、亡くなった長男の春海(春海)兄や、次男の保美兄は広島生まれです。

初めて広島を訪れたのが多分小学校3年生の頃でした。当時まだ山陽新幹線もなく、「しおじ号」という特急で何時間もかけて、確か呉線経由で夏休みに祖父母の家に行ったことを鮮明に覚えています。祖父母は戦後、農家を営んでいました。家の前に畑があり、お風呂は五右衛門風呂でフタの上にうまく乗らないと周りの鉄板に触れてそれこそ火傷しそうに暑かったのを覚えています。

宮島など広島の観光地を数多く訪問しましたが、原爆ドーム、平和祈念公園、そして原爆資料館の印象が強烈だったのをよく覚えています。現在の資料館よりも照明が暗かったと思いますが(昨年訪れた際、CGなども駆使した再現性に驚きました)、特に原爆に被災した人々の写真や衣服、持ち物が数多く展示してあり、驚きよりも原爆の恐ろしさを心底感じたように思います。

農家のトイレは母屋と別棟になっていて、思い出すと怖くてトイレにいけませんでした。

祖父母の家は現在でこそ広島市内に編入されていますが、中心部からはかなり離れているので、親戚でも原爆で被災した人はいなかったようですが、叔父は市内で被災していました。小学生の頃、一緒にお風呂に入ると、その背中にケロイドの跡が残っていたのを見て、原爆が身近にあることを実感しました。

その後、大学を卒業後、実際に8月6日の平和式典に参列したこともありますし、祖父母や叔父が亡くなり、広島の家が売却された後も、出張などで広島に行く機会のある際にはなるべく平和記念公園や原爆資料館を訪問するようにしてきてました。

訪れるたび、感じるのは、戦争にどのような意義があると言われようと、映画で戦争指導者がいかに美化されようとも、戦争が悲惨な結果に終わるということです。まして、原爆のように1つの爆弾で10万人単位で人が一瞬にして死んでしまうことの非合理性と残虐性。

「ヒロシマのある国」に住む私達にできることは何だろうと、真面目に自分に問いかけていました。(2018.8.7)

★今回の教訓:異国の地から故郷を想う。
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