オックスフォード通信(103)ワールドカップ放映時間

セカイはヨーロッパ(アメリカ)を中心に回っている
イギリスはサッカーワールドカップで盛り上がっています。本日の土曜日も午後3時からモスクワからの生中継があり、スウエーデン相手に好試合が展開され、2-0でイングランドが勝利を収めました。これでイングランドはベスト4になり、ロシアとクロアチア(英語ではくろあしあと発音しています)の勝者とSemi-finalを戦うことになります。

BBCをはじめ硬派のThe Guardianもイングランド一色で何十年ぶりのベスト4を国中(と言ってもスコットランドやウエールズが応援しているかは定かではありませんが)で盛り上がっているようです。イギリスにたまたま在住している私も、ジャパンのようなクリーンなフェアプレイに徹するイングランドをつい応援してしまっているのですが、何かがおかしいように思います。

私はこのサッカーワールドカップ、史上際長時間と言っていいくらいTV(BBCまたはiTVチャンネル)で観ています。ある時は University Clubで、ある時は Pubで、そしてその他は自宅のTVで。

そう、見ることができる時間帯なのです。午後3時または午後7時から(すいません、昼間から見ています)。じゃあ、日韓共同開催だった2002年のW杯の時はどうだったかというと、私の関心が薄かったからかもしれませんが(通信94参照)見ることが難しい時間帯(午前中など)に設定してあったように記憶しています。

世の中は欧米を中心に回っているのです。

W杯がアジアで開催されようがロシアで開催されようが欧米のお茶の間(またはPubの時間)に合うように設定してあるのではないでしょうか。

ライブで見るとドキドキします(本日はウインブルドンの3回戦で錦織圭の試合もライブで放映していました)。録画とかハイライトで見るのとでは雲泥の差とは申しませんが、かなり違うのは事実です。

Blackwell’sという世界最大と言われギネスブックにも載っている本屋さんがオックスフォードのシティーセンターのど真ん中にあります。そこに置いてある世界地図を見ると改めて愕然ときます。当たり前かもしれませんが、地図の中心は日本ではなくイギリスです。その東にアメリカ、西にヨーロッパの諸国が並びます。日本はというとFar East = 極東、本当の地図の端っこにあるのです。ガリレオガリレイが地動説を唱える以前は、地球は球形ではなくテーブルのような四角形であると信じられていた時代と比較することは適切ではないと思いますが、日本はいわば地の果ての国なのです。

いまだに政治経済は分かりませんが(おそらく)、文化の中心はイギリスや欧米であると私の半径500km以内に住んでいる人は信じていることでしょう。

遠くから私達はイギリスにやってきているのですね。このことは英語が世界共通語であると信じているイギリスやアメリカの人達のメンタリティーと似たところがあると思います。

だからこそ、古くて、非効率なシステム(例えば交通機関)や生活風習(例えばトイレ)も自分達のものが一番だと思い込んでいるのかしら、というと飛躍しすぎなんでしょうね。

3年前 の年末 (2015-2016) にニュージーランドを旅した際に、地図の中心が南半球のニュージーランドで北半球が地図の下にあったことを思い出します。

John Lennon が歌ったように(Imagine)、上も下も中心もないから丸い地球なのだと思います。

国をベースにしたブログを書いていること自体、考えが古いのかもしれません。国境も国もないという発想に立たなければ、いつまでも中心の取合いがつづくことなんでしょう。

(2018.7.8)

★今回の教訓:国際化と言われる時代になればなるほど、地域性や国民性が強調されるのは逆説的なことだ。だが自分の心を覗いて見ると必死でW杯で日本やウインブルドンの錦織を応援している自分がいる。グローバル化、民族性、言語、文化、アイデンティティ、難しいが根っこは同じだと思う。
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