オックスフォード通信(63)I have been waiting!

私の住むサマータウンは土日になるとマーケットが並びます。

映画ファンの方なら『ノッティングヒル』を思い出していただけるといいと思います。なかなかの良いものでアイスクリームから焼きたてのパン、蜂蜜、コーヒー、サンドイッチ、植物といろいろな屋台がでます(東寺の弘法さんにあるような古着や洋服の店がないのは意外です)。

今週はイギリスは土日に加えてバンクホリデー(通信2参照)で三連休でした(銀行がお休みという意味で分かりやすいからでしょうか、イギリスの祝日は大半がこの名前がついています、手抜きのような気もします)。天気もいいので土曜日の午前中そのマーケットをぶらぶらしていました。

実はその1週間前にはそのマーケットでイギリスにしては珍しく香り高いコーヒーを売っているスタンドがあったので買っていました(残念ながら自宅に戻るとその香りはなぜか消え失せていました。その場で豆から挽いて貰っていたのですが)。

さて、オーガニックの野菜のスタンドで美味しそうなグリーンアスパラガスを£5(=750円)で売っていたので一掴み買おうと思いました。これください、と声を掛けたところ、冒頭の

“I have been waiting!”

と横のご婦人から高らかにしかも怒りを込めて言われてしまったのです。見事な現在完了進行形の使い方です。日本で英語を教える際、このようなコンテクストで教えると身につくかもしれません。

横に立っておられるのは気づいていたのですが順番を待っているとは知りませんでした。そんな時にとっさに何か言えるといいですね。Oh, sorry! としか口から出てきませんでした。

以前、ロンドン行きの電車の中で携帯で大きな声で話している女性に静かにするように注意しておられた御婦人がおられたことを思い出しました。このイギリスは理不尽だと思ったことははっきりと口に出して言うのですね。このマーケットの例でも、日本であれば口に出して言わないことの方が多いのではないでしょうか?

びっくりしたというよりは健全な姿を見て少し嬉しくなりました。久しく、このような社会的な文脈で他人に注意をしたり、自分の立場をきちんと正々堂々と述べることがこの国の正義なのだなと思いました。ただ、どちらかというとイギリスでは首相がメイさんであることも影響しているのか、しゃんとしているのは圧倒的に女性であるように思います。オーラと迫力があります。

日本人は礼儀正しいと言われますが、イギリス人は礼儀正しくかつ自己主張はきちんとする、と言えるのかもしれないですね。そんなことを考えていると日本にいる私の同僚の姿が思い浮かんできました。彼は必ずしもこの通りではないけれど、この礼儀正しさと自己主張の分量、バランスが重要なのかもしれません。

日本人も礼儀正しいだけでなく、そのベースの上に自己主張をもう少し分量として増やしてみるといいのでしょうね。

関係ないですが、イギリスの野菜は美味しいです。マーケットで買い求めたアスパラもそうですが、Leek(日本のネギに近い)もいい味です。(2018.5.29)

★今回の教訓:うまく自己主張する方法を身につけると良いかもしれない。それも日本人のスタイルでやって見たい。仕事、特に会議で活用できそうだ。
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オックスフォード通信(62)インターネットゼミ第7回目

本日はインターネットの接続状況も良好でした。

三脚付きの疑似coachもConvener (MCの事ですが呼び方をこちらにします)が適宜話をしているひとの方に向けてくれるので理解不足に陥ることもなくこれまでで一番スムーズにゼミが進みました(ゼミメンバーのおかげです)。

このインターネットゼミをアントレプレナーシップに応用してみると次のような製品が出来上がると思います。

[製品パック]
MacBook(又はWindowsでもWiviaのような形で簡単にネット接続ができるもの)+ Pages(文書共有)+ コンピュータの三脚台 + 三脚

[製品動作環境]
Apple TV、プロジェクター、高速Wifiインターネット

[用途]
遠隔地とのグループディスカッション、担当者が遠隔地にいる場合のゼミ運営、将来的に大学の授業を自宅から実施(イギリス=日本で可能であるので、日本国内での実施はより容易だと思います)。

と、ここまで書いてきてこれだけでは売れないな、と気づきました。

更に必要なのは以下の装置ですね
・三脚にローラーを付けて音声のする方に近づいていくような簡単な歩行装置を付けること(→これは三脚の下に足の台を置いたらいいかも)
・声がする方に自動的にカメラ(Mac)が向くようにすること
・カメラにアバターのつける(簡単な写真でもいい)こと

すると簡単なロボットのようなものが出来上がるのでしょうね。ここまで書いてきてキャスター付き三脚はないものかとインターネットを調べてみるとあるのですね。これはいい。動きがスムーズになりそうです(注文します!)。

するとそれほどの機材というよりは授業の方法論として(ハードウエアではなくソフトウエアとして)考える方がいいように思います。そこから見えてくる理想的な授業展開。

準備:
1. 授業開始前に機材を教室に配置し、インターネット接続、Facetime 接続、Pagesのファイル共有を完了する

授業中:
2. 席の配置を3タイプ想定する
a. 全体を円にする→オープニング
b. 半円→プレゼンテーション中
c. 小グループ→グループディスカッション

このa-b-cの動きを全員が頭に入れてスムーズに移動できるようにすること。

3. 発言の確認を頻繁にすること(Clarification Request
インターネットを介して話をする際、音が途切れることが多々ある。特に、話のはじめが切れることが多い(Facetimeでもマイクとスピーカーが切り替わるので、例えば、イギリス側が話をしていて、日本側が話す際、マイクが十分切り替わらない状態で[これはイギリス側の端末コンピュータの]行われることがある)ので、分からない、聞こえない、音が途切れた場合には、普段のコミュニケーション以上に何度も、I can’t hear you. Could you say it once again? Could you repeat that please? などのセリフを多用する。

4. コミュニケーションのまとめを頻繁にすること(Verification Request
現在もしているように、発言のまとめをグループ毎にすること。その積み上げを大切にすること。

5. コミュニケーションを大切にしようとすること
意思疎通が最も重要なポイントと全員が認識すること。

授業後:
6. 機材の片付け
機材の片付けを丁寧にすることはもちろんだが、次のセッションを想定してコンピュータの充電などを怠らないこと。

もう10年以上前になりますが、4年間(2002-06年まで)、京田辺キャンパスの(当時は英語英文学科も同じキャンパス)情報メディア学科(情メ、現在のメディア創造学科)の教員をしていたことを思い出しました(そうなんです、ゼミは英語英文学科で担当していましたが所属は情メでした。全く分野の異なる先生といいディスカッションをさせて頂いたのを懐かしく思い出します)。その際に英語と情報(インターネット、コンピュータ)は相性がいいとよく教員間で話をしていたことを思い出します。共通点は英語もインターネットもメディア=何かを媒介するもの(=触媒 catalyst)という点です。情メにいたときはインターネットやコンピュータ→英語を議論していましたが、今、英語→インターネットやコンピュータの使い方を議論していることに気づいて驚いています。

若い時の苦労は買ってでもしろ、といわれますが、その意味ではいい経験をしたと思っています。空想ですが、京田辺キャンパスにあるMSC (メディア・サポート・センター)のようなものが今出川にもあれば更に議論を進められるようにも思います。今の情報創造学科ではこのような議論をしているのかしら、と思います。

現在、ゼミは純正館S506教室で行っていますが、ラーニングコモンズでしてみたらとかいろいろな可能性を考えたりします。

春学期の半分でゼミのベースが出来上がったように思いますので、今後はその発展の方法を考えてみたいと思います。(2018.5.28)

★今回の教訓:三脚に足を付けるのは発明!と思ったのですが既に開発済みとは。人の知恵はすごいですね。
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オックスフォード通信(61)勝つときもあれば負けるときもある


サッカー・ヨーロッパ選手権ファイナル
を昨夜見ました。サッカーよりもラグビーの方が好きなタチですので、それほど熱狂的ではないのですが、何しろリバブールファンの熱気がオックスフォードにいてもすごいので生放送で観戦させていただきました。

イギリスではスポーツ中継は大手3チャンネルに絞られています。ひとつは言わずもがなのBBCです。でも案外、BBCでビッグイベントを中継することはそれほど多くなく、いわゆる民放のBTとSKYが交互に独占中継をしている感じです(スポーツ中継ではありませんが、先日のロイヤルウエディング・ハリー王子はスカイとBBCが同じ画像で[アナウンスは別]放映していました)。

昨日の中継はBTが独占という形でした。

イギリスの我が家ではインターネット契約がスカイという関係でテレビもスカイです(正式にには5/29からスカイテレビが観れるのですが、それまでということでiPadでも見えるようになっています。申込から設営まで3週間!という信じられない長さです。私もメールの返事やアクションがいわばイギリス風になっていたのでこれを機に改めようと決意しています)。すると普通に行けばスカイの私はBT中継を見ることができないということになります。

ところが、このリバプール対レアルマドリードの一戦はいわばイギリスを挙げての一大イベントなんですね。恐らくイギリスでBTとスカイの両方に加入している家庭はそれほど多くないと思います(正確にには最近では例えばスカイの加入者でもBTの中継を[逆もあり]追加料金ゼロで見ることができるようになっています。ただし、追加の申込が必要)。暴動が起きるでしょうね。

ということで昨日はBTの無料アプリまたはYoutubeで誰でも(インターネットに接続していればですが)生中継を見ることができる仕組みになっていました。私はWestgateで購入したSONY Braviaのリモコンに大きくYoutubeのボタンがあったので迷わずこちらを選択。

びっくりしました。

Youtubeって生中継もしているのですね。しかもテレビで見ると普通の(?)チャンネルと全く変わりありません。2時間、時々画像が止まることはあっても楽しんで見ることができました。ついで、テレビでコンピュータを介さずに見ることも覚えました(バックグラウンドミュージックなどを聞く・見る時にはとても便利です。現在もその状態で日曜日の午前中、このブログを書いています)。

さて、エールビールを買いこみ、万全の態勢でTV観戦をしたのですが、残念ながら試合は1-3で負けてしまいました。しかも、その内の2点はキーパーKariusの不注意な気の抜けた行動で取られてしまった失点だけに悔やまれます。coachのKlopも試合後の会見で、この試合で得るものは無かった、、マイナスばかりだと失望の表情を浮かべていました。

でもそのようなことってあると思います。

レアルは3連覇、かたやリバプールは恐らく初出場。会場はウクライナのキエフ。舞い上がってしまって当たり前だと思います。キーパーのHariusは自分を責めていると思いますがそんなことはしなくていいと思います。十分良い試合を見せてもらったと思います。長い競技人生の中でそのような失策もあるでしょう。必ず誰しも通らなくてはならない道なのだと思います。

印象的だったのはリバプールファンです。TVのニュースで見た範囲ですから本日の新聞は知りませんが、みんな肩を落として会場を去っていました。暴動が起きることもキーパーの名前を取り出して避難することもありませんでした。あっさりと淡々としているように思えました。このアッサリとした冷静な態度が重要だと思います。冷静であることは次へ繋がるのだと思います。

結果のみに拘泥される人がいますが、その結果もまたしばらくすると過去の栄光として忘れ去られます。河島英五のある歌の歌詞に(正確には作者は加藤登紀子)「喜びも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐっていくのさ」(「生きてりゃいいさ」)というものがあります。

生きていれば成功も失敗もある。

若いキーパー Karius にはガッカリし過ぎないで頑張って欲しいと思った一夜でした。(2018.5.27)

★今回の教訓:成功ばりではなく失敗もまた人生の糧。
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オックスフォード通信(60)働きすぎない方がいい仕事ができる

イギリスに来て60日目を迎えました。

この間、休む間もなく、いろいろなことに積極的に手や足をだしてきました。今週、共同研究者のR先生には日本での生活は忙しすぎるのではないの?と言われてしまいましたが、事実、日本と比較してイギリスでの生活は随分ゆとりを持っていろいろなことを考える時間を頂いています。

オックスフォード特有のセミナーにも数えてみると(お腹の痛くなったものも含めて)17回に及びます。我ながら日本人は勤勉であるように思います。日本で働いていることを思えば何ということはありませんが。

この間、考えたり感じたことを書き綴らせていただきましたが、もう1/6が終わろうとしていることにビックリします。イギリスはそろそろ1年のAcademic Yearが終わろうとしています。いろいろなセミナーもしめくくりという位置づけのものが多くなってきました(例、通信59の講演会)。

これまでバラバラだったものも徐々に、ああ、そういうことなのか、と繋がってきているように思います。街の位置関係、人との関係、オックスフォード大の仕組みなどやはり時間をかけないと分からないものが多くあります。

この分かることには時間がかかるということは当たりまえですが重要なことだと思います。オックスフォード大は3学期制を取っていて(1学期目が10月からのhilary term, 2学期めがmichaelmas term、そして最終3学期目がtrinity termという名前がついています)、それぞれ8週間です。年間でも3×8=24週間という計算です。現在日本の大学は執拗に15週間を維持しようとしていますが、私が同志社女子大学に勤め始めた頃から2000年くらいまでは各学期の授業回数は12回~13回でした(ちなみに私のK大学時代は、精々11回くらいの授業回数に先生の休講、学生の自主休校があって8回くらいの授業回数だったと思います)。

じゃあ、オックスフォード大の方が成果が上がっていないかというとそうでもないのですね。緩急の付け方が学問には大事だと思います。いま、私がイギリスで Sabbatical を頂いているのもそうですが、学ぶ期間と休暇の時間のバランスは重要だと思います。

先日の講演会の最大のテーマは統計学者Tukeyの “An approximate answer to the right problem is worth a good deal more than an exact answer to the wrong question“ (正しい問いへの曖昧な解答の方が間違った問いへの正確な答えよりもマシだ)という言葉で集約されるものでした。

忙しすぎると、自分が持っている問い自体が正しいかどうかを考える余裕なくその答えを出すことに精一杯になってしまいます。これほどの時間の無駄はありません。むしろ、余裕をもってまずその問い自体が適切なものかどうか吟味する必要があると思うのです。

その意味ではイギリスでは日々の中にも夜の時間の確保、土日の確保、また大学では学期中以外の沢山の時間が贅沢に用意されています。

今、自分が取り組んでいることが重要なことなのか、それを吟味するメタ認知の時間は重要であると思います。特に、大学においては。そうでなければ、大学の授業が終われば学んだはずのことはすべて忘れ去られてしまいます。それこそが最大の損失です。

日本の大学も文部科学省とか大学基準協会のような組織の顔色ばかり伺うのではなくで、本当の学問発展のために何が必要か、じっくりと考える必要があると思うのです。

そんなことを書いている私もまた日本においてはそのような余裕もなくがむしゃらにやってきたのも事実です。今、こちらでいろいろな研究に取り組む中で、自分が取り組んできたことがそれほど間違っていなかったのは奇跡的だと思っています(これは私の力ではなくて私の周りの特に同志社女子大学の同僚と学生諸姉のおかげです)。

日本に来春帰国したら、15回の授業回数は個人の力では変更できないと思いますので、学ぶ内容の精選と深層化・行動化・連携化・考える時間の確保などに取り組んでみたいと思います。

大学に学生を縛り付ければ着けるほど、期待した方向とは違った方向に進んでしまうように思います。学生の自主性を養うには学生の自由な時間を用意してあげることだと思います。学生諸姉もその時間はアルバイトに使いすぎるのではなくて、本当に自分がしたいことにあてるようにしてもらいたいと思います。

残り10ヶ月、私も更に思考を深め、広げるられるよう、一層アクティブに動いてみたいと思います。(2018.5.26)

★今回の教訓:光陰矢のごとし、と終わってから思うのではなくて、時々振り返るようにしたい。
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オックスフォード通信(59)激痛とカフェラテ

講演会参加中にお腹が痛くなりました。
普段元気であまり病気をしないのですが、昨日はピンチでした。通信58にも書いたように午前中は大学院生の中間発表会に出席、ランチタイムは質的研究についてのセミナー、午後はR先生との共同研究。そしてよる教育評価についての講演会に参加しました。問題はこの講演会です。そして原因はその前に飲んだカフェラテです。

講演会の前に少し時間があいたので昼ご飯を兼ねてカフェ(いつものCostaではなくて少し上等?のお店に行きました)。実は以前からイギリスのカフェラテはミルクが多いと感じていました。日本でカフェラテを注文するとコーヒーとミルクの割合は半々かコーヒー7,ミルク3くらいだと思うのですが(違いますか?)、イギリスではミルクが7か8くらいの分量あります。ホットミルクにコーヒーを入れている感じです。特にこの日のカフェラテはミルクが多かったような(または少し古かった?)。

じゃあ、カフェラテを止めておいたら?といわれそうですが、Americano 又は Filter Coffee と言われる日本で飲むコーヒーに近いものは論外で美味しくありません。香りゼロ、おまけに薄い(日本のインスタントコーヒーを薄めた感じです)。必然的にラテ系に走ることになります(妻はコーヒーをやめてティーにしたらといいます。ただ変な意地があってサテンではコーヒーを飲みたい)。

昨日の講演会はオックスフォード大の誇るアシュモリアン (Ashmolean Museum) での開催でした。大体催し物なので通常の美術館の入り口とは異なり入る時から一苦労。受付で事前申し込みをしていた自分のネームプレートを受け取り会場へ。この時少しお腹が張った感じがしたのですが、高をくくって大丈夫だろうと思ってしまいました(この時点でwashroomへ行けばよかった)。講演内容は、教育測定の話でHow much are students learning?”このmuchをどう測定するか、検証するか(統計)という興味深い話でわざわざアメリカのコロラド大学から来られた講師が80分間熱弁をふるわれました。ただ私は10分おきに体調が悪化し、冷や汗が吹き出してきます(イギリスに来てはじめてかいた汗かも)。このブログを読んでおられれる皆さんが引くと思いますので詳細は省略しますが、控えめに言って、この5年間では最大の危機だったように思います。じゃあ、途中で抜けてトイレに行ったらよかったのにと言われそうですが、まず会場のムードがシーンとした状況、ほぼオックスフォード大の関係者で緊迫した状況、しかも講演会では前の方に座る習慣があり(前から3列目)、とてもそっと抜けることはできませんでした。最悪の状況(?)を想像しながら講演に何とか集中していたのですが、講演に熱が入りなかなか終わらない。しかも統計の数式なんかも出てきて複雑な内容。その内容を理路整然と話していることに講師は悦に入っている状況で、多分1時間の講演、30分の質疑応答と組んであったと思うのですが20分はオーバー。

本当はこの日は講演会のあと簡単な食事やワインも用意されていたので楽しみにしていたのですがそれどころではありません。どこで抜けるか、トイレに行くかを考えながら必死でそのタイミングを計っていました。回りの人は暑くもないのになぜ私が汗をふきふきしていたのか不思議だったかもしれません。

そして講演が終わり、拍手、そして指定討論者がの紹介、指定討論者が壇上にというタイミングでいまだ!とおもい荷物を持ってそうおと後へそして出口へ。しかし、バタバタとこのタイミングでトイレ等に出る人が結構いるだろうと思っていましたが意に反し、私のみ。しかも指定討論者は私が出口のドアを開けるのを待ってから話そうと思っていたのか変な間を後の方への視線を感じながら出口のドアを押したのでした。

外ではスタッフが怪訝そうな顔で帰るのか?と聞いてきました。そうでしょう。回りではいい匂いが漂い、ディナーの用意が。逃した魚は大きいといいますが、予想以上のディナーだったようです。

閉まっている美術館からNight Museumのような感じで這うようにしてでてきたのでした。

大惨事に至らずよかったと思っています。もちろん、いい話を聞いたのでとても満足でしたが、逃した夕食とワインが少し(かなり)惜しかった夜でした。

自分が話す講演会でなくてよかった。

読者の皆様もカフェラテにはご注意ください。(2018.5.25)

★今回の教訓:講演やセミナー前にはミルク系のものは口にしないようにしようと堅く心に刻み込みました。
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オックスフォード通信(58)日本専攻大学院生のプレゼンテーション

オックスフォード大学で日本の教育・文化・文学についての大学院生の発表を聞かせていただきました。

先日、ある会合でお会いしたN先生からお誘い頂き、オックスフォード大学大学院修士課程中間発表会に出席させて頂きました(都合により午前中のみ)。福島の原発、日本のインクルーシブ教育制度、定時制高校、武道必修化、短期大学の役割とどれも興味深い内容でした。10分の発表、10分の質疑応答という内容でしたが、私達が英語で発表するのに同様に緊張感と高揚感が感じられる素晴らしいプレゼンテーションが繰り広げられていました。特にトピックの選択が興味深かったです。

私の横に座っているRさんが次、Oさんが次の次という順番でした。お二人ともALTとして日本で働いた経験をお持ちで日本通という感じもしましたが、やはり母語ではない日本語で発表されるということで、チラッと見ると(見えました)セリフが事細かく書いてありました(おはようございます、よい質問をありがとうございましたなど)。それを見ているだけで何か変な言い方ですが嬉しくなってきました。ああ、誰しも一緒なんだなと。誰もが第二・第三言語で発表するときには内容よりもそのデリバリーの方法で苦労する。私達日本人も、We are not alone! と思う必要があります。

また、日本語でだと、トピックが何であれ自由に質問できるのも事実です。これは英語のネイティブ・スピーカーが英語でいろいろと質問しますが、それは必ずしもその人達のインテレクチュアルレベルが高いのではなく、母語であれば余裕があるからできるだけなのだと思います。その点を私達ははき違えてはいけないと思います。

English as a global lingua franca、グローバルリンガフランカとして英語を考える際に、案外日本語非母語話者が日本語でプレゼンテーションする姿を見る機会を作ることは重要かもしれません。そのことが、英語でプレゼンテーションしたり、英語を話すことのプラスにつながるのかもしれません。

休憩時間には St. Antony’s college のM先生といろいろと話をすることができたのも収穫です。M先生は何と同志社大学の客員教授として2000年から6年間も教えておられたとのこと。久しぶりに同志社や京都のことについてお話ができました。外国でこのような話ができるとは思ってもいませんでした。まさに、It is a small world です。この会のご招待頂いたN先生、またこのような交流の広がりに感謝するばかりです。(2018.5.24)

★今回の教訓:日本人が英語を、だけでなく外国人が日本語を使っている場面を見ることはいいメタ認知になる。ALTもそのような機会を中学や高校で作ってみればいいかもしれない。
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オックスフォード通信(57)Gender Influence

先日のセミナーはGCSEという日本でいうところの大学センター試験、正確には高校卒業時学力試験についての研究発表でした。

40 million というと4000万人のデータですので過去何年か分の全イギリスの高校生のデータ分析という膨大なプロジェクトです。Ofqual (The Office of Qualifications and Examinations Regulation) ですからセンター自体がプロジェクトの主体なのでこれだけのデータにアクセスできることには納得できます。

英語(国語ですね)、数学、理科について、modular方式(各単元終了毎に行う)とlinear方式(各コース終了時に実施)ではどちらの点数が良いかというのが発表の趣旨だったのですが、それ以上に興味深かったのがジェンダーディファレンス、すなわち男女差です。

日本ではなかなかこの男女差のデータ自体がいろいろな波紋を投げかけるという意味合いで公表されませんが、この研究発表では堂々と分析結果を公表しておられました。

一般的に、女性は言語能力に優れ、男性は数理解析能力に優れていると言われています。また、話を聞かない男、地図の読めない女、とその違いを極論する向きもあります(注:私は地図の読めない男です)。このGCSEの結果はどちらのパターンにおいても、女子が男子よりも英語と理科に優れ、男子が数学に優れているという結果でした。理科は当てはまっていない部分があるかもしれませんが、英語と数学では予測通りの結果です。

よく文化的背景が影響するとも言われますが、日本とイギリスと文化背景の異なる状況でも同様の結果が生まれるのは興味深いところです。

私は学習スタイルとして外向性と内向性に着目して研究を進めていますが、このジェンダーディファレンスも同様に興味深い点です。共通するのは後天的に変更することが基本的にできないところです(最近はtransgenderという言葉もありますが)。

変更することができないのであれば、それぞれに合った教え方・学び方があるはずだ(Best-fit teaching, learning strategies)というのが私の予見するゴールです。

いいお話を聞いたと思います。(2018.5.23)

★今回の教訓:誰もが持つ個性。その個性の正体を学習スタイルとかジェンダーという観点から検討してみると面白いものが見えてくる。私のオックスフォードの滞在も1/6が終了。Accelerate したい。
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オックスフォード通信(56)便利さと幸せのトレードオフ

オックスフォードににて不思議なのは本当のコンビニがないこと(もどきはあります。例えば365日、朝の9時から夜の9時まで空いていますなど。ただ日本のコンビニとは似ても似つかないです)。

平日で午後6時半には大方の店は閉まってしまいます。オックスフォードというよりはロンドンでもそうですがスターバックスはあまりみかけないのですが、現在住んでいるサマータウンにある大きめのスタバでも平日で午後7時、日曜日は午後6時には閉まってしまいます。バスや鉄道も土曜日で2/3くらい、日曜日に至っては1/3くらいの運行という感じです(しかも、遅れる、頻繁にキャンセルになる。3日前からしなきゃいいのに新ダイヤになったようで[日本でも3.17新ダイヤ運行とかありますね。あれです]、早速運休の嵐だったようです。イギリス人も怒っているようでBBCはよくそのようなTwitterをTVで紹介しています。こないだは、朝3時の!電車に乗ろうと早起きして駅に行ったらキャンセルだった、と怒っておられました。その怒りよく分かります)。

以前この不便さについては書いた事があります(通信47)。日本との環境や文化の相違はまずこの便利かどうかというところに目がいくのですが、毎日オックスフォードで生活をしていて思うのは日本なら、コンビニでほとんどすべて片が付くなということです。コーヒーにしてもアイスクリームにしてもコピーにしてもそうです。正直なところここにセブンイレブンを作ったら便利さ1000倍、すべてのモヤモヤが解決するように思います。

オックスフォードに来てほぼ2ヶ月ですが、でもイギリスはあえてしない道を取っているように思います(単にできないだけやん、という別の声も私の中で聞こえていますが)。その証拠に店が早く閉まっても(パブは開いています)、売っているものが多少高くても、それほど不幸に見えないのです。それほど不満を持っているように見えないのです。大学もいまだにローテクな所がおおいけれど、それが決定的に不利であるようにも見えないのです。それが少し分かってきました。

合理化とは何かを捨てることなんですね。

日本のように吉野家や松屋にいけば5分以内にご飯が食べれて、コンビニは24時間空いていていつでもビールでもお菓子でも買うことができます。でもその代償としてオックスフォードにはまだある街の本屋さんや文房具店などの小売り店がいまの日本にはわずかな例外を除いて残っていません(僅かな例外はありがたいことに同志社女子大学今出川キャンパスの近くの枡形商店街、通称出町商店街です)。

先ほど、母の誕生日カードを街の文房具店に行って買ってきたのですが、日本に送る封筒が欲しいというと引き出しからお店のおばあさんが出してくれました。日本ならこの手間が合理化されているのですね。その分、封筒代も多少安くなるのかもしれませんが、ここにコンビニを作ったら、このおばあさんの Pen to Paper という味のある名前のお店はほどなくなくなってしまうことでしょう。

一見無駄に見えるところに大切なことが隠れている、とは本当のことで、このような一手間かける部分を大切にすることで、みんながそれぞれ何かの主人公になる形(例えば、このおばあさんなら自分の文房具店を経営していることに誇りが感じられると思います)を持続できている野田と思います。イギリスは社会主義の国ではありませんが、国民が共存共栄できる道を他の国の目を恐れることなく選択していると思います。

それとはこれ以上ないくらいの便利さを手にしている日本にすむ1億2千万の国民。便利=幸せなのか、と首をかしげてしまします。

よくゼミでトレードオフの関係について議論することがあります。トレードオフとは二律背反のことで、一方を立てるともう一方は捨てないといけないことを指します。よくいう例えは、イソップ物語の「欲張りな犬」の例です。肉を加えた犬が湖に来たら、湖にもう一匹肉を加えた犬がいる(もちろん自分の姿が映っているだけです)。その犬の肉を取ろうと思ったら今口にくわえている肉を手放さないと取りにいけない。この寓話のように、日本人は便利さを取るためにみんなの幸せを手放してしまったのかもしれません。そしてイギリスはそれが分かっているから今持っている幸せを手放さない。

もちろん、便利さも幸せも共存する方法を模索することもできると思います。しかし、スマートフォンができて、ラジオもカメラもタイマーも時計も万歩計まですべてスマートフォン一つでできるようになって、これまでデジカメを作っていたカシオが撤退したりするニュースを耳にすると、便利さと幸せの共存は難しいなと思ってしまします。その証拠にアップルは(私は大好きですが)もう一企業としては使い切れないくらいのキャッシュフローを手元に持って次から次にベンチャー業を買いあさっています。

一人の幸せが99人の不幸を生むような社会にしないようにしよう、とする静かな意思をここオックスフォードでは感じます(買いかぶりかもしれません)。

といっても日本の便利さが後退するとは思えません。ただ、2019年春の帰国を視野に入れながら、便利さと幸せがトレードオフにならない方法を自分なりに考えてみたいと思っています。おそらくそのヒントは私は英語学習、外国語学習にあるのではないかと踏んでいます(また考えがまとまったら書きます)。(2018.5.22)

PS. そんなことを考えていたら昨日まで普通に映っていたTVが今朝から不通。原因不明。やっぱりイギリスの不便さにも幸せを感じられるほど人間が大成していないようです。

PS. 大学院生の方々と書いていた論文の改訂が終了。久しぶりに朝方まで論文と格闘。でも終わると爽やかですね。18期生のみなさんも12月にその快感を感じることができますよ。

★今回の教訓:トレードオフを乗り越えること。問題があれば必ず解決方法が見つかる。重要なのは問題設定ができないこと。さて。
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オックスフォード通信(55)インターネットゼミ6回目: インターネットはいつも安定しているとは限らない

若ゼミインターネットもすでに6回目。

春学期の40%まで来ました(実は2コマ連続でゼミをしているので実際にはもう12回以上。通常のゼミなら半期終了、オックスフォードは授業が8回なのでイギリス的にはすでに完了という換算です)。

本日はインターネットの状況が良くなく(予測はしていたのですが)、あわやここまでか、とも思ったのですが、ゼミメンバーの機転の利いた対応で何とか4時間近く(終わったのは午後7時前でした)のセッションを乗り切ることができました。特に前半の通信状態が良くありませんでした(これは同女またはオックスフォードの問題ではなくてその間をつなぐ大西洋・太平洋のリレー回線の問題だと思います)。

Facetime (apple) でスタートしたのですが最初から画像がモザイク状態で判別が厳しい状況。互いの音声は途切れ、途中からLINEに切り替えたのですがLINEは通信自体ができない状況に陥りました。そこでLINEの (Facetimeだったかも)音声のみに切り替えてインターネット電話状態でゼミを続行。

この間ゼミは随分整備されプレゼンターが事前にパワーポイントスライドをPDFにしてDropboxにアップしてくれているので画像がなくてもプレゼンテーションはフォローすることができます。ただこれまで何回か書いているように画面なしで音声だけ、しかも複数の、となるとさすがに厳しい状況ではありました。

ただ、画像を含めた通信が出来ている状況ではカメラとなっているマックをゼミメンバーがいろいろな角度から中継してくれたおかげでグループディスカッションにも参加することができました。

後半の5コマ目は画像も割と安定して従来通りのセッションに。Pagesの共有も最初は手間取りましたが徐々にこのワープロソフトを使った共有=手元のiPadを同女のホワイトボードに投射もうまくいくようになってきました。

特に本日のようなセッションを経験すると授業の構成要素を分解してみることができるように思います。授業で対面式で会っていれば全く意識することがないことですが、以下のような数式に再構成することができるかもしれません。

授業の土台 = (教師と学生、学生同士の)顔が見える + 声がハッキリと聞こえる + インターラクションをしようと思ったらいつでもできる

授業 = 授業の土台 + 知のインターラクション = スキルの形成 または新たな知の形成

普段の授業ではこの土台が見えにくいのですが特に教師は声が届いているか、目が行き届いているか、注意しなければならないと思います。

いずれにせよ、授業の土台は信頼関係を築くことと同じ事なのかもしれないと感じました。(2018.5.21)

★今回の教訓:臨機応変とはよく言ったものだが瞬時にできる力は大切。インターネットゼミを通して普段のゼミでは形成できない知を本年度の18期生は身につけられるのかもしれない。

“Education is what survives when what has been learned has been forgotten” (B. F. Skinner).

Seminar is what survives when what has been learned has been forgotten.
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オックスフォード通信(54)人のつながり・Peter Rabbit

オックスフォード大に客員研究員として滞在中の日本人研究者のK先生のお家にお邪魔させて頂きました。

日頃、ゼミのみなさんには connecting the dots つながりの大切さをお話してきましたが昨日はそれを絵に描いたようでした。

オックスフォードは懐が深くて私だけでなく一緒に来ている妻も充実した滞在ができるよう New Comers’ Club(日本語に訳すと新参者の会?)を毎週1回開催しています。昨日は奥さんつながりで九州の大学のK先生の奥様Fさんがおいでになり一緒にロイヤルウエディングを。その後、東京の大学のK先生の奥様のEさんつながりでお宅にお邪魔することに。

お花でも買って持っていこうをスーパーに行く途中でバッタリお会いして(買い物とおっしゃっておられましたがお迎えに来て頂いたのかもしれません)そのまま先生のお車でごご自宅まで。ちょっとお茶でも飲みに来て、とおっしゃって頂いたのですが、ワイン2本、ビールと勧めて頂くままに気がついたら午後8時でした(でもまだ明るい)。

K先生はピーターラビットの研究をしておられるとのことで、これはビアトリクス・ポター(Beatrix Potter) についての本を読めというお告げかと思った次第です。ピーターラビットは実は昨年原画展が全国で開催されたので見たことのある人も多いとおもうのですが、文学や文化にそれほど(いや全然)興味のない私がそのような展覧会に行くわけがありません。ですが行ったのです。ちょうど2017年1月末に同志社女子大学の入学試験(全国で同時開催されています、本年は私は広島、金沢に行って参りました。まだまだ若手と思われているのでしょうね)が東北学院大学仙台キャンパスで開催され、私は試験監督のために4泊5日で業務遂行のために行かせて頂きました。そして何と試験会場の1Fでたまたま、本当にたまたまそのピーターラビット展が開催されていたのです。といっても入試業務と展覧会の開催時間はほぼ同じ9時~5時で見ることもないだろう(本当はあまり興味がなかった)と思っていたのですが、3日目のお昼にふと足をのばしてみたのです(といっても2Fから1Fへ)。正直ビックリしました。あれほど精巧に絵が描かれているとは。原画の力なのでしょうか。ポターの意思が伝わってくる気がしました(その他、ピーターのお父さんがパイにされてしまったというのにももちろんビックリ)。その展覧会の監修をしたのが昨日お会いしたK先生だったとのことです。人生、本当に connecting the dots ですね。

その時には将来何か自分に大切な関係性が出てくるとか、何かの役に立つとかは本当にわからないものです。でもなにか前向きに足を踏み出すとか大げさでなくても、ちょっと何かしてみることはどこかでつながってくるのですね。

オックスフォード滞在もほぼ2ヶ月。ゆったりと直感を信じながらいろいろなことに首を突っ込んでみたいと思います。このブログもあっという間に50回を越えましたが、絶対365回書くぞとか意義込むことなく、できる範囲で続けていきたいと思っております。

Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life. (Steve Jobs, 2005)

6月には湖水地方に一緒に行くようお誘いも頂きました。このような形で新しい道が開けるのかもしれないと思っています。

(2018.5.20)

★今回の教訓:いろいろと手を伸ばすことは大切。今の自分に関係のあることだけをしていては未来につながらないかもしれない。その判断に大切なのは直感と好奇心。そしてその直感を養う教養(大学生ならいろいろな授業を受講すること、卒業生なら本を読んだり映画に行ってみたり)を大切にしたい。ちょっと面白そうと覆う心を養いたい。
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オックスフォード通信(53)Stand by me

ロイヤルウエディング

あまり興味ないと思っていたのですが、このような機会は滅多にないので(18年前にトロント在住の際には現在のトルドー首相の父の葬儀をTVで見る機会がありました)ウインザー城までは行かないものの朝9時から午後2時までテレビ中継に釘付けになってみました。

天気も良く5月、6月の結婚がJune Brideなどと称される理由が分かるような気がします。TVではBBCとスカイがCMも入れず時間帯を拡大して中継をしています(最初はスカイ独占という話だったのにBBCも同じ内容を格式高く中継していました)。

エルトンジョンやベッカムなどの著名人が参加していたり、着飾った公爵・公爵夫人(Duke、Duchess)の姿は見るものを楽しませてくれるものです。特に女性が地味ではない帽子をかぶっている姿が印象的です。貴族なんですね。チャペルでも関係ないのですね。目の前にそのような派手な帽子をかぶった女性が座られると困るだろうな、なと変な想像をして笑っていました。

兄弟であるハリーとウイリアムが仲良く談笑している姿があったり、女王の登場があったり(お元気ですね)、花嫁のエスコートをチャールズ皇太子がしたり、聖歌隊の透き通るような合唱があったり、日本の結婚式でどこから連れてきたの?というような牧師さんが早口で誓いの言葉を言ってしまうのとは違い、丁寧にひと言ひと言噛みしめながら聖書や誓いの言葉を述べている姿など、平静はイギリスにニュートラルな立場を取っている(と思う)私ですら好意的に結婚式を見ることができました。

その中でも、これまでの結婚式で見たことのないような特徴的なシーンが2つありました。

ひとつは牧師さんの説教です。と言っても会場となったウィンザー城・聖ジョージ礼拝堂の牧師さん(聖公会・アングリカン・チャーチ)ではなくアメリカの教会から参加された牧師さんの説教です。話の内容は、”Power of Love” という一般的なものなのですが、話のスタイルが国教会の他の牧師さんとは大きく異なっていました。アイコンタクトをしながら(誰と?)身振り手振りを交え、原稿は読んでいなかったようですがiPadを持ち込んで、マーチンルーサーキング牧師風に何度も何度も同じ言葉を繰り返しながら説教をしていました。話は少し長かったのですが(15分くらい、いや20分くらいは話をされておられたと思います)自分の言葉が入った説教を聞くことが出来て何かほっとする思いでした。これもメーガンさんというこれまでの伝統的なイギリス王室とは異なるタイプのブライドであることが影響しているのでしょう。

もう一つは音楽です。BBC交響楽団(日本でいえばNHK交響楽団)がグリーンスリーブズなど私もよく知っているメロディーを奏でていました。どちらかというとおとなしい印象の音楽が多かったようにおもいますが、奇をてらわない正統派の選曲だったと思います。BBCではありませんでしたが、合唱は良かったです。黒人合唱団の Stand by Me合唱です。よく知っているあのスタンドバイミーです。ジーンときました。ロイヤルファミリーに入るメーガンさんへの出席者の応援歌という印象を持ちました。ひょっとしたらダイアナさんもサポートしているよ、という演出なのかもしれません。式の中ではダイアナさんの sister (お姉さんか妹)も祝辞を述べていました。

今回の結婚式はスカイも言っていましたが、メーガンさんを考えmulticulturalism(多文化主義)を意識した、また誰もがダイアナさんが生きていたらと思いを馳せられるような憎い演出を見せたように思います。

英国王室はこれだけ柔軟に対応できますよという懐の深さを英国民だけでなく全世界に占めそうとしたのだと思います(ただカミラさんも出席しテレビには映っていましたが、スルーという感じでした。ダイアナさんの影は大きいように思います)。笑顔は柔軟さのサインですね。

(2018.5.19)

★今回の教訓:王室の結婚式を通して国民の気持ちをひとつにすることに成功した結婚式。多文化主義への柔軟な対応も含めて巧みに国民とともに歩む王室を演出した。ただそれらもすべてダイアナさんの功績であり彼女を失った悲しみを国民もそしてその大きさを王室・政府関係者も深く認識しているからできたことだろう。ハリーにしてもウイリアムにしてもウイリアムの娘シャーロットにしてもその面影にダイアナを見ることができる。ある意味では頑固で偏屈な老人エリザベスへの決別なのかもしれない。日本の皇室とは異なり、みんながハリーやエリザベスの写真のお面をかぶって喜んでいた。風通しをよくしながら王室の行く末を模索しているのだろう。
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オックスフォード通信(52)Oxford University が世界一の秘密(6)ローテク!?

この2日にわたってオックスフォード大の先生方の本の出版記念セミナー&出版予定記念学会に行ってきました(両方ともあのOxford University Press からの出版、写真はその本社社屋です。大学の近く、Jericho という地域にあります)。

さすがオックスフォード大の先生の出版は多いようです。昨日のセミナーはイギリスとアメリカの学校でどう教えるか、本日はアジアにおける短期間での社会進歩、についてでした。本日の学会はこれから本が出る予定のものでそれぞれのチャプターについて一日かけた学会形式でしたが(私は最後の3時間のみ参加)、昨日のは本が出版されたあとなのでどれほど多くの人が詰めかけているかと思ったのですが、コの字型のテーブルに座れる程度の人数なので15名程度の参加者でした(その内、5名が共著者、1名が司会、なので純参加者は9名程度)。改めて以前にも書いたように人数は関係ないのだなと感じました(通信、37参照)。

昨日特に感じたのは、パワーポイントは使うものの文字が順番に出てくるような効果はもちろんのことスライドショーのリモコンすらない状態です。スクリーンも小さく字が読めるかどうか定かでは無い状態です。同女でこのパターンで授業をすると、スライドショーの字が小さくて見えないと非難ごうごうの嵐になるところです。その代わり、語りが長く、語る、語るという感じです。あたかもスライドはほんの付け足しで補足資料ですよ、という感じです。同女でこのパターンで授業すると語りが多くて授業のポイントが分からないと授業アンケートにひどい評価がなされます(経験者)。

私はイギリスがいいとは決して言っていません。これもまたスタイルの違いなのだな、と改めて感じます。

ただイギリスパターンの場合、残念ながら人によって理解しやすい話し方とそうでないものがあるのは否めません。昨日で5名のリレー式のプレゼンテーション、本日も計10名くらいのプレゼンターがいましたが、もちろんこの分野の専門的な背景知識(コンテント・スキーマ)が無い状態で参加していますので、例えば、昨日であれば apprenticeship(教師の見習い期間)と言った単語を聞いて瞬間的に思い浮かべられないと話についていけないのは事実なのですが、イギリスに来てからカナダで感じた以上に話し手によって理解しやすい英語とそうでない英語の落差が大きいように思います。これは私の耳が衰えたのかも、とも思うのですが、同時に日本で視覚情報に頼りすぎた生活をしていたからかもしれないと思っています。

振り返ってみると日本ではテレビを見ていてもテロップが出て理解のダメ押しをされることが多くあります。耳よりも目に訴えるのがテレビかもしれませんが、必要以上に視覚過多、音声過小なのかもしれません。授業では先生がパワーポイントで明確に提示し、逆に音声情報だけに頼って理解することは少なくなっているのかもしれないと思うのです。

終わった後の効果を考えると音声中心の方が記憶に残りやすい気がします(メラビアンの法則に反しますが)。また、音声中心の場合は聞きながらメモが取れるのが利点です。パワーポイントであると顔をあげたり(パワーポイントを見る)下げたり(ノートを取る)と認知のための工程が多いのも事実です。極端に言うとずっと自分のノートを見ながら話を聞くこともできるので触発されていいアイディアが浮かぶのも音声中心のいいところです。

私は皆さんご存じのように、マックを信奉し(このブログももちろんMacBook Proで書いています)、ハイテクが大好きなタイプですが、いわゆるハイテクではないローテクも面白いと感じる日々でした。(2018.5.18)

★今回の教訓:分野は違え、いろいろなセミナーに参加できるのがオックスフォードの魅力。参加することで得られる知見は様々。参加することに意義がある。

PS. 明日はロイヤルウエディング。ウインザー城からの生中継に注視したいと思います。

PS. 最近コメントを頂くことが増えてきました。うれしいです。引き続きどうぞよろしくお願いします。(反映されるまでに最長1日かかります)
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オックスフォード通信(51)Pubとエールビール

今住んでいるフラットの近くにはいいパブがあります。

イギリスに来たらまずはパブへ、と思っていたので徒歩5分以内のところにいいパブがあるのは有り難いです。パブを前提に住む場所を決めがわけではありませんが、探している過程ではパブの場所は注視しておりました。先週の日曜日にはパブのまわりにお店が沢山でてジャズの演奏もしていました。パブではギネスもいいのですが(日本ではなかなか飲めないので)なるべくAleビールを選ぶようにしています(Lagerもいいですが)。お店によってそのAleの種類は違うのですが(Light~Bitter)どれを選んでもそれほどはずれたという経験はあまりありません。近くのDew Drop(露のしずく、という意味かな)では3種類のAleがあって Undercurrent というエールビールが一番口にある気がします。苦みがありすぎす(コクがあるといってもいいですが)軽すぎず、何しろよく冷えているのがいいところです。

エールビールで少しビックリするのは余り冷えていないものが多い点です。まあ生温いといったらいいでしょうか。日本のキンキンに(グラスも)冷やしておいて一気に飲むというのとは随分スタイルが違って、ワンパインとのビールをじっくりと時間をかけて1時間くらい飲む姿が良く見うけられます。お代わりも余りしていなくて、一杯のグラスを目の前に一人でじっとしている人も、多くは数人でグラスを片手に談笑、という姿です。

だからなのかもしれません。冷えていてもどうせ時間をかけて飲むので最初から温くていい。または温い方がビール自体の味をじっくりと味わうことができるのかもしれません。考えてみると冷たく冷えていればのどごしという言葉があるように舌で味わっているわけではないのかもしれません。ただ、私はやはりビールは冬でも夏でも冷たく冷えている方が断然好きです。

また、食べるものはほとんど誰も注文しておらず(時間帯にもよるのかもしれません)本当にビールだけという感じです。この点は日本の居酒屋やビアガーデンと大きく異なる所です。私はついおつまみに何か欲しくなる方で必ず食べるものももらってくるのですが、イギリス人はビールのグラスのみという姿です。

私も最近ではパブで食べる量は圧倒的に減っていて、おつまみは crisp(日本のポテトチップス、市販の小さな袋に入っているのを4種類くらいの味付けで販売、ビールと一緒に席に持ち帰ることができるのが利点。パブは基本的に前払い)か chips(こちらではポテトフライを指す、後から席まで持ってきてもらえる。この場合席番号を覚えていないともう一度見てこいと言われてしまう)のどちらか程度です。

考えてみると日本の居酒屋が特殊な存在なのかもしれません。(2018.5.17)

★今回の教訓:もし私がイギリス文化に興味があって卒論を書くとしたらパブに見られるイギリス文化とかエールビールの歴史など、こじつけて書くだろうな。楽しみながら更に究めたいものです。

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オックスフォード通信(50)Not Special

イギリスは日本よりも先進的なのか?

英語を学んでいる人達は英国というイギリスに憧憬の念だけでなく日本とは異なる所をみつけてはやっぱりイギリスはいいよね、だから日本は駄目なのよ、と言いたくなると思います。ハリーポッターもピーターラビットも、不思議の国のアリスも、ホビットもシャーロック・ホームズも日本人では作れないよねと(念のために私はこの5つとも大好きです)。

このブログも皆様のご支援によって50回目を迎えることができました。この間、イギリスと日本の違い、オックスフォードに来てから私がおやっと思ったことを書き綴って参りましたが、読み方によっては大英帝国万歳に聞こえるかもしれません。事実、日本の大学よりもオックスフォード大の方が優れているところを沢山書いています。

でもそうではないのです。じゃあ、よく海外にいる日本人が日の丸を見たら、君が代を耳にしたら涙するような愛国者になったのかといえばそうでもないのです。

確かにイギリスには魅力的な所が沢山あります。ひとりひとりを大切にするような姿勢、ひとりひとりとコミュニケーションを大切にするところ、レディーファーストが徹底していて男性が威張り散らしたりしないところ、歴史を大切にすることろ、BBCのテレビのクオリティーが高いところ、ビールが美味しいところ、蚊やハエ、虫がいないところ、ゴミゴミしていないところ、湿気が少なく爽やかな天候が多いこと、ゆったりしているところ、バスがすぐに来るところ、バスが二階建てで景色が楽しめるところ、働き過ぎないところ、幸せそうな人が多いところ、芝生がどこも綺麗なところ。

でも、おやっと思うところも少なからずあります。例えばバスの乗り方。一人一人と運転手さんが話ながら切符を売るので長蛇の列ができるところ、昨日のように急に列車がキャンセルになるところ、列車が遅れるところ、安心できないところ、オックスフォードで最強と聞いたVodaphoneですら圏外になることが頻繁なところ、お店がすぐに閉まるところ、仕事が遅いところ、ショッピングモールやレストラン街でのトイレが異常に少ないところ、トイレのウオッシュレットがないところ、ラテのミルクの割合が多すぎるところ・・・書き出すとイギリスの魅力と同じくらい不満も出て来ます。

しかし、丁度、英語学習に見られるようにこれは単なるスタイルの違いなのかもしれないと思うのです。日本ではあり得ないようなお店の営業時間も(パブは開いていますが)コンビニや大手スーパーだけが儲からないようにパイを上手く分け合う手段なのかもしれないと考えてみるといいのかもしれません。

先日参加したセミナーで日本の教育制度がいかに先進的かというレクチャーがありました。私はそんなバラ色ではない、例えば日本の学校の大クラスは大きな問題じゃないですか、と質問したのですが、イギリス人の講師は大クラスにすることによって教師の数は抑制されその分教師の待遇は他国に比べて手厚く、優秀な人材が集まりやすくなるいいシステムだと答えていました。100%納得しませんよ、とは言ったものの、そのような見方もあるのか、と感じました。

自分の国だけが正しかったり間違っていたりするのではなくて、違和感を感じるところは他国や多文化を参考に自国にないものを柔軟かつ平和的に取り込むチャンスだととらえる方がいいのだと思います。特に、英語に関わる人達は英語圏の文化こそが素晴らしいと思うかもしれませんが、日本も捨てたものじゃないと思った方がいいと思うのです。

同じ人間が長い歴史を生きてきたわけですから、どこかが100%正しくどこかが100%間違っていると考えない方が健康的に進歩できると感じています。

愛国者にも他国追従者にもならず自分らしくかつ持続的に成長しながら生きることができるチャンスが、多文化や他言語との接点から得られるサトウキビ(宝)ではないでしょうか。

来春、帰国後私の研究室のドアにユニオンジャックが飾られることのないようにしたいもと決意しています(怪しい?)(2018.5.16)

★今回の教訓:卑屈にならず、尊大にならず、他者も自己も尊重できること。それは異なるものに触れることでしか得られないのかもしれない。そういえば通っていた高校の校訓は真理を探究せよ、社会に貢献せよ、そして自己を尊重せよ、であった。流石、校祖弘法大師も中国留学経験者。
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オックスフォード通信(49)19+40

5/15 本日は私の誕生日でした。

LINE、Facebook、Messageを通じて同僚、元同僚の先生、同分野の研究者の先生方、ゼミの卒業生・在学生、同志社女子大学の卒業生・在学生、立命館大学大学院修了の皆様、中学校教員時代の教え子の皆様、トロントで知り合った皆様、高校時代の同級生、親戚、同志社女子大学を通して知り合いになった方々、今出川通りの皆様(書き忘れている皆さんがいらっしゃるかもしれません)など100名以上の方々からお祝いのメッセージを頂きありがとうございます。本当にうれしく思います。光栄です。

よく何歳になったのですか、と聞かれるのですが、50代最後の一年をオックスフォードで迎えることになりました。ただ先日文房具店でバースデーカードを見ていたら、50歳は20歳+30、60歳は20歳+40、と考えるといいと書いてありました。それに習って、大学1回生の気持ちで(一浪していますので)19歳のバイタリティに40年分の経験を加えた年になったと思うようにしたいと考えています。

本日はお休みを頂き、ロンドンに行ってきました。後から行こうと思って午後に行ったウエストミンスターは火曜日の見学時間は午後1時まで終了、国会議事堂は土曜日のみの見学で見れず、Paddington 駅から帰りに乗るはずだった列車はキャンセル(後から考えればその列車だけなのでじっとしていれば良かったのですが、日本的にその路線全部がキャンセルになったと思ったのでMarylebone駅からの列車のチケットを購入してしまいました)など予定通りには行かないところも多々ありましたが、念願のビートルズ・アビーロードスタジオやその前の横断歩道に行き、中学生、高校生の頃に聞いていたビートルズ、Paul, John, George, Ringo がこの辺りを歩いていたんだなと思いを馳せることができました。イギリスでの 大切なTo do リストを一つクリアすることができたように思います。高層ビルのShardからの眺めも格別でした(入場料が£30=4500円!)。

快晴のもと爽やかで豊かな気持ちにひたることができた一日でした。(2018.5.15)

★今回の教訓:ビートルズはなぜいまだに人々に愛されるのか。なぜ普遍的なメロディーを産み出すことができたのか。イギリスや英語と関係しているのだろうか。何度も横断歩道を渡りながらいろいろと考えた。

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オックスフォード通信(48)インターネットゼミ4回目・視界が開けた!

若ゼミインターネットバージョン5回目。

このゼミがすごいと思うのは毎回進化していること、そして就活などがあるにも関わらず遅くなってもゼミに参加しようとする意欲です。本日も4時間目には2名間に合わなかったものの、5講時には全員がそろいました。また3回生ゼミメンバーであったゼミフレンドの2名も来てくれるなどオープンさもいいところです。

本日はモチベーションについて議論しました。プレゼンターの都合もあり前半は初めての試みで「リスニングをどう教えるか」教員採用試験の2次試験を想定して3人ひと組でディスカッションをしました。試験官1名、2名の受験者を想定して、まず受験者が1分間、自分の考えを述べ、その後5分間、2名がリスニング教材、教え方、評価、宿題のありかたについて述べるというものです。英語でのディスカッションですが5グループ、いい議論が出来たように思います。

本日よりMacBookの三脚台が登場し、マックを三脚につけて、丁度カメラが三脚に乗っているような形で中継をしていただきました(コンピュータが三脚に乗っているのは変な感じもするのですが)。

しかしこの効果は絶大でした。前回まで話をしている人の顔が見えないという事を言っていましたが、本日は(機転を利かせてマックを声がする方へ回して頂いたからですが)話をしている人の顔を見て英語を聞くことが出来ました。また本日は試しに私のフラットから中継をしたのですが、インターネット回線がおそらくオックスフォード大よりも早い、自分のコンピュータであるので(大学の備え付けではなく)Facetimeで会話をすることができました。Facetimeの利点はマイクとスピーカーが交互に切り替わらず、こちらが話をしている間も同志社女子大学側の音声が聞こえている、つまりインターラクションがシームレスにできること、画像がLINEに比べてやや鮮明であること(ややですが、この2-3%の違いは大きいように思います)、画面がコンピュータ全面になることです。一方、問題点は音声は続いていても画面がフリーズしてしますことが多い(オックスフォード側からはフリーズしませんでした)。

いずれにせよ、三脚、ゼミメンバーの機転、Facetime、この3点とPages(インターネット共有による実質的に私が同志社女子大学のS506教室のホワイトボードに字を書くことができる)によってほぼフラストレーションを感じない程度のゼミを構築することができてきたように思います。

ただこれはいわばこれまでの若ゼミの水準に追いついたというレベルですので、ここから+アルファを積み上げていきたいと思います。

研究とは研究をめぐる人間関係である」(京都大学前総長松本紘先生)、この言葉に案外ヒントがあるのかもしれないと思っています。ソフトとハードの融合。ゼミメンバー同士の更なる意見交換。そこからまた新たなモチベーションも生まれてくるのではないでしょうか。

次回ゼミをわくわくしながら待ちたいと思います。(2018.5.14)

★今回の教訓:いろいろと試すことは重要。ただ「聞こえません」「もう一度言ってください」と言っているのは私だけだが、同じ教室で同じ空気を吸っているメンバーは本当に分かっているのだろうか。コミュニケーションを問い詰めるとどこまで理解するかという問題に突き当たるのかもしれない。
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オックスフォード通信(47)ユニクロとalteration

イギリスに来てからそろそろ服を買おうと思い立ちました。

ご存じのようにそれほど服には頓着しない方なのですが流石にジーパンとチノパンが必要となってきました。というのも急いで持ってきたわけではないのですが(余り考えずに持ってきてしまいました)、持ってきたジーンズは冬に買ったのでわざわざ余分に綿の入った冬仕様であり、チノパンは長年はいてきた愛用のものなのですがポケットのところが破けてきています。

オックスフォードにはWestgateというショッピングモール(大学院生のIさんによると期限を決めて作ったのでオープン当時には信じられないことにあちらこちらに穴が空いていたそうです。今はとてもきれいですが)が駅の近くにありその中にユニクロが入っています。

多少日本の店と品揃えは違うかもしれませんがほぼ同じ。サイズは残念ながらUK表示ですが靴下にしてもジーンズにしても多分日本と同じものがおいてあります(ヒートテックもあります)。ただこちらで一つだけ問題になるのが、そう長さなのです。ウエストは自分にあうものを選べばいいのですが、長さは調整しなくてはいけません。ここで普通、日本の店ならFitting Roomで合わせて早い時はその日の内に、遅くても2-3日中に切って、縫って、自分にピッタリとした長さのズボンに寸法直しをしてくれるのですが、その試着室はあってもメジャーも針も誰も持っている様子はありません(代わりに何着試着室に持って入ったのかを示す大きな番号札を渡されます)。

実はカナダも同様であって、直しを専門にする業者は別なのですね。そう考えると日本は便利で消費者目線で親切なサービスがちゃんとセットになっていることに気づきます。問題はどこにそれがあるかということです。よく見るとイギリス人はかなり長めのズボンをはいている人や裾を折っている人が結構目立ちます(家にミシンがないのかも)。

そうこう考えながら街を歩いていると妻がどこかで見た気がするというのです。その記憶を頼りに街をさまようことほんの数分。ありました。そう、クリーニング屋さんとセットになっていました。明らかにインド系(家族経営らしく息子さんとはヒンズー語で話をしていました)のおばあさんが日本のブラザー製(流石世界のブラザーですね)のミシンの前に座っておられました。

Alteration (=alterは変える)? だけで話は通じて3日ほどでしてあげるとのこと。ミシンの前には依頼が多いのでしょうね沢山のジャケット、ズボンが無造作に置いてあります。ただ結構高くて、ひとつ£12とおっしゃいます。日本で£30? ???というと特急料金だと。急いでないのでというと£24で決着。メモ用紙に名前を書いたのが領収書代わりです。ただ、青刷りの複写式になっていておばあさんの手元にも残るようになっていました。

ただ少し戸惑ったのが長さを合わせる時。クリーニング屋さんの中の奥(といってもすぐ横)で着替えて長さ合わせ。カーテンも何もありません。男性はいいにしても女性の場合にはえー!と思われるでしょうね。

昨日土曜日お昼頃に取りに行くと顔色一つ変えず4pmとおっしゃいます。そんなこと聞いていないと思ったのですがまあしかたありません。出来上がりは完璧でした。さすが。(2018.5.13)

PS. 現在 (8.2) £30以上購入する場合には無料で、それ以下だと£xx(忘れました)でユニクロの店舗で直しをしてくれるそうです(さすが)

★今回の教訓:日本はなんだかんだといって消費者天国。便利にできている。ユニクロも製品とお店を輸出するだけでなくてお直しのようなサービスも輸出するべきだ。イギリス人も感動することだろう。
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オックスフォード通信(46)NISSAN Institute

オックスフォードには日本研究の拠点として、NISSAN Institute of Japanese Studiesがあります。

毎週金曜日の夕方、日本に関わるセミナーがあるので昨日を含め2回参加させて頂きました(司会は東大教授も務め現在オックスフォード教授の著名なK先生です。お人柄でしょうが、K先生の誠実さと優しさが司会の端々から感じられます)。セミナーの内容についてはまたの機会に書かせて頂きたいと思いますが、今回は昨日はセミナーの前に行かせて頂いたインスティテュートの図書館についてご報告したいとおもいます。

図書館としてはオックスフォードの中ではかなり小さい印象がありますが、地階にはぎっしり日本の本や辞典が移動式開架に収められていました。カバンは入る前にロッカーに入れないといけないので(本当は取り出していけば良かったのですが)記録のノートも(モレスキンのこのノートもいい働きをしてくれています)置いたまま。

地階で日本語の文庫本をパラパラとみると日本でとは異なる印象が湧き上がってきます。それは地上階で久々に見た印刷版の朝日新聞を読んだときにも感じたことなのですが、日本をまるごと一つのものとして見ることができるということです。日本にいると小さな違いを議論しようとするかもしれません(大切なことです)。しかしイギリスからみると大なり小なり日本的なものは同質なのです。つまり「日本とは・・・」というくくりで日本を論じることが容易な気がします。

大ざっぱになってしまってはいけないのですが地勢が変わると視点が変わるのは面白いことです。朝日新聞国際版も日本のサマリーニュースのように読むことができます。面白いのは国際版でも広告はあるのですね。おそらく海外でも購入できるのでしょうが、サプリや中高年向けの薬のCMが多いように思いました。

5/11版の新聞を見たところ「日本って森友とか加計の問題をまだ解決できないのだな」という諦めのような感覚とアジアは遅れているというステレオタイプ的な印象が入り交じります。明らかにウソをついている官僚や政府高官をさっさと葬り去ってもっとクリエイティブなことに時間とお金を使えばいいのに、ときっとイギリス人なら思うと思うのです。繰り返されるセクハラ発言もそうです。それはしつこく取り上げる新聞に問題があるのではもちろんなく、そのような政治屋(家でもないですね。単なる世襲ですね)を選挙でホイホイと選んでしまう日本人的マインドセットがマズイのだと思います。

ただ私は直感ですが、このようないわばconstipationのような閉塞感はポピュリズムではなくて割と健全な形で10年も経たないうちに解消されると思っています。そのためにはまず「このような状態は健全ではない」「自分達こそがそのような状況を変えるステークホールダー (stake holder)= 利害関係者」であることをを認識すること、そして「楽観的に考える」ことが大切なのだと思います。

ヨーロッパの島国から東洋の島国をみるとそんなことを感じています。

時々、インスティテュートに行って日本の本も読んでみたいと思います。レセプションの日本人女性はとても親切でしたので足も向くと思います。

PS. 昨日のセミナーで再会した(Oxxxxの会というオックスフォード日本人会で一度お目にかかっています)Iさんも今春退官されましたが、オックスフォード・ボードリアンライブラリー分館日本ライブラリーの館長をされておられました。このようなつながりも大切にしたいと思います。(2018.5.12)

★今回の教訓:高校の時に微分積分を学んだが、物事は微分的に(極小的に差に気をつけながら)同時に積分的に(大局的に類似性に注意しながら)考える事が重要だ。そのために物理的に自分の立ち位置、すなわち居場所を変えることは最も容易な方法だろう。旅もまたその類。

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オックスフォード通信(45)カレッジ・ディナー

オックスフォードでは学部とカレッジの両方に所属することが通常となっています。

今回私は教育学部の所属ですが、残念ながらどこのカレッジにも所属していません。カレッジは通常、宿泊施設(accommodation)が併設してあり、学生(学部生、大学院生)はそこに住みながらカレッジの授業や学部の授業に参加することになっています。

昨日はオックスフォードにお招き頂き共同研究を行っているR先生が所属するLカレッジのディナーに夫婦で招待して頂きました。それほどフォーマルでもないのでということで、このような場面を想定して持ってきたスーツにタイなしで参加させて頂きました。

午後7時過ぎにカレッジの入り口で待ち合わせ、中のレセプションへ。食事前の軽い飲み物(ワイン、ビール、ソフトドリンク、ジンやウイスキーもありました)を。私達はビールをということでカレッジ内のバーに(あるのですね)。

当日は50名くらいの参加者で座席表や名札もテーブルに置かれていました。Lカレッジは創設は1963年ということで新しいカレッジだそうで、大学院生中心であることや国際色豊かに院生が集まっていることから他のカレッジのような教会もなく食事前のお祈りもありませんでした。代わりにカレッジの代表の方が、食事のはじまりの合図(よく見えなかったのですが、木の銅鑼のようなものを食事のはじまりと終わりに叩いていました)と簡単な言葉を述べて食事スタート。7:30頃から9時過ぎまで、割とあっという間でした。前菜からメイン(ラム肉でした)、デザートと進みます。

カレッジのメンバーはオックスフォードのガウンを着ており私達のようなゲストとひと目でハッキリと分かるようになっています。たまたま向かいに座っていたのが私達同様のゲストだったのですが、香港出身の医学部の女性院生Mさんでした。

Mさんの生まれは中国のどこですか?という話をしているなかで、実は私の父と同じ哈爾浜(ハルビン、ハルピン)であることが分かりました。第二次世界大戦前は哈爾浜は満州であり事実上日本の占領下にあったわけですが、私の父は生まれも育ちもその哈爾浜で大学まで(哈爾浜学院)そこで過ごしています。なんという偶然なんでしょうと話が盛り上がりました。昨秋亡くなった父が生きていたら真っ先にこの話をしてあげたのに、とちょっと口惜しい思いもしました。

流石にオックスフォードらしく右横にはドイツ出身のメンバーも座っておられます。食事自体はケイタリングと契約しているようで割とあっさりと配膳をしたり片付けたりしていかれます。

毎週木曜日にこのようなディナーが開催されているとのことですが、食事をしながらいろいろな話をしたり、いろいろな人と定期的にあったりすることで気分もリフレッシュし、活力も湧いてくるように思います。

食後は最初のレセプションルームでコーヒーを頂き、談笑。イギリス人院生とオックスフォードのどこかでテニスができないか、なんていう話をしていました。

日本の宴会とかコンパとは少し異なる、いい経験をさせて頂きました。オックスフォードに来て1ヶ月半経ちますがなぜか少しほっとした気持ちになりました。食事やアルコール(ビール、白・赤ワイン)の力は大きいですね。(2018.5.11)

★今回の教訓:ディナーで社交性を育むことも大切。よく考えれば学会などに行くとパーティーがあったりするけれどこのような定期的なディナーによって社交性の素地が形成されるように思う。

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オックスフォード通信(44)イギリスが非効率のわけ

今住んでいるフラット(アパートです)は 家具付き(Furnishedと言います)。

冷蔵庫はもとより洗濯機、掃除機からコーヒーテーブルから机、ベッドからスプーン、フォークまでおよそ生活に必要なものはほぼすべて揃っています(といっても、TV、時計はありませんでしたので、ソニー製のTVとラジオ付き時計を購入しました)。まあ、付いているので文句を言ってはいけないのですが、それぞれに多少の問題があります。

例えば、シャワー室についている取っ手はしっかりと持ってしまうと取れてしまうほどもろそうですし、掃除機は電源コードが異様に短く各部屋でコンセント(outlet/socket)に差し込み変えないと使えません。昨日なぜこんなに不便な造りになっているのかと話をしていたところ、ある発見がありました。それはどうもイギリスで掃除機を使って掃除をしているのは女性ではなくて男性なのではないか、ということです。だから不便でも改善しようという話にならないのでは。女性がそのような掃除機を使っていたらすぐに文句が集まって改善されるのではないでしょうか(日本の家電メーカーの製品が使いやすいのはそのようなサイクルになっていませんか)

イギリスは物価が高く Costa という一般的なコーヒーショップで何かを注文すると£3(450円)くらいします(日本のドトールコーヒーくらいなので値段は少し高めですね)。税金も高く、カナダでは取られなかった住民税も年間で£2000(約30万円)も徴収されました(1年間滞在の外国人から徴収するとは!日本では中高のALTは初年度は無税です)。となると必然的に共働きをせざるを得ず、夫婦ともにフルタイムの仕事を持っているというのが普通のように見えます。事実、街の至る所で女性が活躍しています(長距離バスの運転手から大学の事務職員に至るまで)。

すると必然的に家事も夫婦で分担となるのでしょう。妻曰く、掃除機は確実に男性の仕事だわ(まだ幸いなことにこの仕事は私に回ってきません)。すると多少電源コードが短かろうが、不便であろうが男性はあまり文句を言わないのでは、と。日本の家電が高度に発展してきたのは女性、特に妻の家事を軽減するために細かな主婦の要望に答えてきたからではないかと。

なるほど、と思います。日本の高度な家電文化を形成したのは女性、主婦の知恵なのかもしれません。

今日は Ethnography についてのセミナーに参加してきました(なんと参加者は私一人でした)。ボートをどのように作るのか、vocational training に関してワークショップに参加しながらそのリフレクションをジャーナルとして書き綴っているという博士論文プロジェクトの発表です。私のこの報告もいわばイギリス生活のエスノグラフィー(民族史的記述)になってきているのかもしれません。

ポイントは思ったその時に書かないと永久に記憶から失われてしまうということです。もともと若ゼミ18期生の書き綴りをサポートするために補助的にはじめたものですが、ここまで書いてきて結構面白いものが積み上がってきたと思っています(どれだけの人が読んでいるか定かではありませんが)。

できれば365回を目指して日々の発見、思ったことを書き続けていきたいと考えています。

(2018.5.10)

★今回の教訓:何かをキッカケにブログや日記を始めるのはいいことだ。もう少しコメントがあると励みになるのですが(お待ちしています・[注] 反映されるまでに約12時間かかります)

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