日本の姿は相撲で見て取れる!?

先日のStudent Timesに「相撲が外国人にも受ける理由」のような以下の記事がありました。

“I want to see what’s great about Japan go out to the world, -because it breaks down culture barriers, and people can see just regular Japanese things. Instead of automobiles and toasters and computers, they can see Japanese people. They not only see the rikishi , but they see the audience . They see people being happy and people eating bento and being just regular, having-a-good-time people. I want to share that with the world. That was my original idea.”

なるほど、テレビやコンピュータ、WALK-MANからは日本人の姿は見えないが、相撲だと日本人の様子が分かるというのだ。この記事の意図するのはちょ んまげを結った巨漢のお相撲さんの姿を見せようとするのではなく、その取り組みをみているお客さんの方にむしろ力点があることだろう。お客さんの喜ぶ姿や 座布団を投げる姿に「生の日本人」をみるというのだ。このようなメディアの在り方は重要だ。しかし、インターネットの私たちのホームページでもこのような 取り組みができるのではないか?1998年度の短大のゼミはそのような情報発信を目指している。

(1998.  5. 20)

未来の教師達からの31通のラブレター

0.

秋季リトリートお疲れさまでした。大成功でしたね。

Halloween

1.

教職課程とは?
教職課程コースの概略(2回生からはじまる:教育の原理、教育心理、教師論、道徳教育、特別活動の研究、同和教育、性教育、英語科教科教科法A, B, C, D。教育実習事前指導、事後指導)

ダブルスクールのようなもの

Future Teachers’ Training Course (FTTC)=未来の教師

2.

英語科教科教育法の学生達
今日のお話は、その中の、教育実習事前指導・事後指導にまなんだ、友川さんとその学生のお話。

水曜日の朝1コマ目:3回生・4回生:

転機は、模擬授業:

3.

最後の授業での話

学生は、「31通りの発見」、をしたとおもう。手紙の内容を紹介

1. A & K「自分自身の発見」

2. S「財産になった」 (財産とは何か?)=「大学で学んだ意義の発見」

3. A 「教師をめざす仲間」=「仲間の発見」

4. A 「教師と学生の距離」=「Rapport」の発見

5. Y 「ネタが重要である事」の発見

6. S「深海に生きる… 」:人生の発見

7. A「同女の素晴らしさ」の発見

8. P「英語の面白さ」の発見

4.

友川さんの発見

友川さん自身も、このような素晴らしい学生と出会う事ができて、彼自身新たな発見があった。

1. Newsletterを書き始めた事
2. 一層、授業の周到な準備が大切であること
3. 新島先生が述べておられるように、「学生を大切にすること」=人間的には温かく、そして、学問的には厳しく
4. なによりも、教える事、学ぶ事が素敵であるということ。教えることの魅力の発見
5. 学生諸姉の可能性は無限であるという事。教師の枠で学生を計ってはならないという事。

5.

まとめ…
友川さんは、幸せな教師。すばらしい、学生に出会う事ができた。彼の功績があるとしたら、そのような学生の可能性を引き出す事ができたということか?
友川さんの打ち上げでの締めの言葉:「君たちのお陰でいい教師になれた。君たちのお陰で素晴らしい人間になることができた」。謙虚でいいことばだ。
このような、美しい教師と学生の人間関係は素晴らしいと思う。

6.

これから…

明日から11月。今日の聖書の箇所の再確認。卒業式で、近藤宗教部長が読んだ箇所。Byrdsの”Turn, Turn, Turn.”にも歌われている。
すべての事には、定められた時がある 学ぶ時
旅に出る時
将来の事を考える時
休息する時
恋をする時
恋人と別れる時
友人と真剣に語り合う時
友人とけんかをする時
4年間のまとめ、卒業制作、卒業論文を書く時
大学を巣立つとき

(2005年10月31日、新島記念講堂における奨励メモより)

(2005. 10. 31)

明治34年の祖母の死

12日に97才の祖母が天界にかえった。これで、1975年に祖父(父方、多分72才)、93年に祖母(母方、 86才)、98年に祖父(父方、96才)に続き、私の全ての祖父母が現界からいなくなってしまったことになり、さびしいかぎりだ。この年齢をみると両家と もずいぶん長命の家系だと思われるだろう。それは大変ありがたいことであるし、また祖母も天寿を全うしての大往生と言えるかもしれない。しかし、葬式で、 「遺族」と私たちが呼ばれるように、祖母をなくしたことによる心の穴はやはりある。なにしろ、私が生まれてこの方、広島という離れた場所に住んでいるとは いえ、存在自体が当然であったからだ。もうこれで、「おばあちゃん」と呼ぶことも、手紙を書いたり、電話することもなくなってしまった。一つのネットワー クのチャンネルがなくなってしまった感じだ。

昨日の葬式では祖母の歩んだ長い道が紹介されたが、広島に生まれた祖母は、結婚の後、満州の地を踏み(満州鉄道に祖父が勤務)、そこで私の父や叔母を育 て、敗戦の際には命辛々広島に戻ってきた。ここまでで、明治、大正、昭和と激動の時代をまさに地で生きた波乱といえる人生だが、私が知っている祖母のすが たはまだそのずっと後の部分だ。広島に帰ってきてからは、百姓をしながら家計を支え、私たちにもよく野菜や名産の広島菜を送ってくれた。祖母というイメー ジにありがちな優しさを感じることはあまりなかったが、凛として背筋の伸びた信念の人であった。それは祖母が、祖父の死後もひとりで生計を立てていたから かもしれない。

広島弁で特別ということは、ないのかもしれないが、「そんなことしとったら、つまらん」「しーかり、がんばんなさい」というのが祖母の口癖だったようにお もう。さすがに最後にあった昨年の夏には、そのような言葉をいう元気もなかったようだったが、目がそのようにいっているような気がした。

祖 母がいるから、父が存在し、そして私が存在し、そしてその命のリレーは私の息子と娘に渡されていく。その命のリレーとともに、口癖であった、強く生きる姿 勢もまた受け継がれたと思う。人が生き、そして死ぬことは物理的なものかもしれないが、精神の連続性と向上はそのなかで脈々と営まれていくのだ。私は宗教 心と豊かな教育を与えられた。私は、今後の人生の中でいかにわかもとの精神を高めそして、子孫に何を残すことができるのだろうか?そのようなことを考えさ せられた祖母の葬儀であった。そして、広島で生まれたわかもとの精神は、広島から撤退することになろうともそのルーツを忘れることは決してないだろう。

(1999. 2. 15)

よき時によき友と出会え

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(コリントの信徒への手紙 II: 4章18)。

結 婚式にお招きいただき静岡の浜松へ行く機会があった。6年前の短期大学部英米語科のゼミの卒業生のTさんの結婚式。前日が丁度大学の卒業式だったこともあ り、浜松行きののぞみの車内で、彼女の在学中のゼミのことや卒業式、また今は正門の右手に記念碑として残るだけの短期大学部で私自身充実した日々を送らせ て頂いたことなどが、つい昨日のことのように鮮明に浮かんできた。結婚式には同女の卒業生も参加すると聞いていたので、彼女たちに再会できることもひそか に楽しみにしていた。Tさんと同じゼミのメンバーが来ると勝手に思いこんでいたのだ。そのゼミは、互いに学び・刺激しあうことが多く、私がこれまでに担当 したゼミの中でも特に思い出深いゼミのひとつだった。

だが、式場で彼女た ちに再会した際、意外な感じがした。6名の参加者全員、ゼミのメンバーではなく、1回生時に教えていた基礎クラスのメンバーでだったのだ。でも考えてみれ ば、当たり前のことなのかもしれない。入学時のクラスメンバーの印象は、またその初めの一年間の友達との関わり合いは、一世一代の大舞台に招待したくなる くらい強烈なそして美しいものなのだろう。披露宴の間、その6名から聞こえてくる大学時代の話を総合して、私はそんな風にひとりで合点した。

私 は 彼女たちの通常の授業担当だったが、とても愉快な、毎回授業に行くのが楽しみなクラスだった。彼女たちもみんなで会うのは何年ぶりと言っていたが、ほどな く学生時代の彼女たちに戻っていた。私もまた、すぐに6年前の教室の風景が蘇り、授業で大笑いしたことや、彼女たちがLL教室のどの席に座っていたかと いったことまで鮮明に思い出した。披露宴は途中から同窓会とおもむきを変え、予約してた新幹線の切符を変更し、私が京都駅で降りるまで、彼女たちは学生時 代のこと、子育てのこと、アメリカでの生活のこと、仕事のことなどについて時間を惜しんで語り合っていた。

彼 女たちの屈託のない笑顔をみながら、彼女たちは幸せだなあ、と思った。よき時に、よき場所で、よき友に出会った、と思った。一生のうちに出会う人、友人は 数知れないだろう。いくつになってもあらたな友人に出会うことはできる。しかし、大学時代に出会う友人は特別だと思う。この時代に出会う友人ほどその後の 人生に影響を与え、またその支えとなってくれる友人はいない。

4月、そして5月。あらたな大学生活の、あらたなクラスの、あらたなゼミのスタート。あらゆる場所で新たな出会いが始まっている。私自身も新たなゼミやクラスに足を運びながら、互いによき友となってほしいと願わざるを得ない。天の下の出来事にはすべて「定められた時 (season)」があるのだ。私達は会うべくしてこの同志社という素晴らしき場所で出会ったのだろうと思う。仏教でも同じ事を、「縁(えん)」と表現する。宗教の違いがあっても、真理は真理なのだ。

出会いの時、出会いの季節。よき友との出会いを。

友はあなたのすぐ近くにいる。

(同志社女子大学 Chapel News 5月号掲載)

(2005. 5. 15)

ハイキングに行って考えたことなど

先週の日曜日(5月9日/1999年)に京都最高峰の愛宕山にゼミの学生のみなさんとハイキングいや登山してきました。

コースの紹介********

午前10時にJR保津峡の駅に集合し、午後5時すぎに嵐山清滝に下山するというほぼ一日をかけたハイキングとしては体力的に厳しいものだった。出発地点か ら、水尾の里まで約1時間かけてゆっくり歩いた。途中、山藤がところどころに咲き誇り、川には清流ということばがぴったりするようなきれいな水が流れてい る。このあたりまでは、全員に余裕があふれ、いろいろ話も弾み、元気いっぱいだったが、水尾の里から水尾の別れまでの1時間はそれはもうたいへん。5分歩 いては5分休むというパターンをくり返し、すでに下山をしてくる人に「あとどのくらいでしょう」ときいてはがっくりと肩を落とすというありさま。しかし、 坂は急であったが、途中ところどころ見える下界はきれいでもあり、だんだん小さくなっていく街の風景に山にのぼっているということを実感させられる。
「水尾の別れ」は、清滝から上ってくる途と合流する場所で、そこで一服をし、愛宕山頂上へ向かうことになる。山ではいろいろな人に会う。見ず知らずの人 に、「こんにちは」とあいさつすることのなんとすがすがしいことか。日頃、これだけのあいさつをしているかなと考えてしまう。ほぼ、1年分くらいの「こん にちは」をいったのではないか。しかも、山に来ている人すべてがこのことをこころえているから気持ちいい。水尾の休憩所では、初老のおじいさんに出会っ て、いろいろ話をした。よく聞いてみると、京大の名誉教授の田口先生であった。直接習ったことはないものの、同じ時期に吉田キャンパスにいたこともわか り、学生時代をちょっぴり思い出したりした。しかし、あの年でといっては失礼だが、70才を悠に越えて、愛宕山に上られる体力と気力は見上げたものだ。す ぐ横でへばっている19-20才の学生のみなさんとの違いは歴然。
愛宕山は厳しい。黒門について、もうこれで境内と思って「バンザイ、ついた」と思った瞬間にまたあらたな石階段が目の前にあらわれる。だからこそ、本当 の頂上についたときの感慨もひとしおである。頂上でお弁当を食べた後、神社に参拝を死、「ひのようじん」とかいたお札をいただくこととなる。てっぺんまで 来たな、という気持ちがいちだんと強くなる。
帰り道は、月輪寺を回るコースをたどった。途中、京都市街地がかすんでいたもの、あそこは御所、あの辺が今出川キャンパスとわかる程度にみえる。下りの 途は上りに比べれば遙かに楽なものの、だんだん足、特に膝と、足の裏が痛くなる。誰かが、「くつから足がとび出そう」と言っていたが言い得て妙な表現だ。 月輪寺までのあと30分がなんと遠いことか。しかも、歩いても、いや下っても下っても、石と岩の階段道。結局1時間くらい歩いたか。登りでなくてよかっ た、とは思った。
月輪寺は空也上人が開いた寺。むかし「山寺の、和尚さんが….」といううたがあったねえ、と、誰かが言っていたが(その続きが出てこなかった が…)、本当はお寺というのは修行のためで山にあったのだということが、よくわかる。でも、不思議に山道を歩いているといろんなことを思い出す。はる かむかし、小学校の時に登った山、ハイキング、むかしのうた。なぜなんだろう。月輪寺は西国何カ所かのお札所になっていて、年を召した多くのかたが杖を片 手にのぼってらした。信仰のちからは年とともに、強くなるものか。
さらに月輪寺を下ること、1時間から1時間半。ようやくゴールの清滝に到着。元気のある、5名+私は、空也の滝を250mのぼって見に行った。いい滝でした。あれはみていないひとはみるべきだったね。
帰りの京都バスは、橋のすぐ近くでまっててくれるかと思ったけれど、人生もこんなものなのか、疲れ切った体にむち打って、約10分登ってゴール。

ちょっと考えたこと************

たぶん、学生のみなさんの中には、もっと簡単に登れるものと考えてた人も多く、ことばにならないくらい体力的にしんどかったことでしょう。もう二度と上り たくないと思っているひともいるかな。私も愛宕山には初登頂となったわけですが、予想以上にしんどかった、というのが本音です。しかし、こんかいの「ハイ キング」には私なりにいくつかの意味があったと考えています。

☆目標を達成できた。
ひさびさに、帰りのバスの中ですぐ寝てしまうくらいのしんどさだったことでしょうが、逆にいうとそれだけちょっとした目標を達成できたということ。たぶ ん、途中で帰りたい、このまま山を下りたいと思った人はひとりや二人じゃないはず。でも、全員、文句をいいながらも、あの高い山に登れた。これはすごいこ とだ。きっと忘れられないくらいのしんどい思いだったでしょう。そう、中学や高校時代のクラブ活動以来じゃないのだろうか。でも、やろうと思えば、まだま だなんでもできるんだ、と私は思いました(みなさんの姿をみて、よけいに私はまだまだ若い!と思ってしまった)。大げさですが、でもこれからの人生そんな ものなんじゃないでしょうか。山で足を止めれば、前へはすすめない。結局自分で歩くしかないわけですが、どんなにしんどくてもちょっとずつ休憩しながら、 前進すればいつかは目標は達成できる。しかも、そのときに一緒にいてくれる仲間がいれば最高です。私は、頂上へ登り切った時と、清滝でバスに乗ったとき、 「やった」と思いましたね。頂上では、登り切れたことの喜び。そして、バスに乗ったときはゼミの学生のみなさんと、今回のハイキングをしてよかった、とい うよろこび。たぶん、私は当分このハイキングのことは忘れないでしょう。成人式の日に友人と徒歩で比叡山に登ったことを忘れていないから、ずっと忘れない かもしれない。目標達成の喜びを久々に体で再確認できた一日でした。

☆自然にかえる。
JR亀岡駅からの帰り道、てくてく駐車場まであるいていると、何とも言えない違和感を覚えた。そう、道が平らすぎるんです。1日でこぼこの山道をあるい たせいか、アスファルト舗装の道がなんとも平坦で、物足りなく思えてきた、というと大げさですが、普段こんななめらかな道を何とも思わず歩いていたんだ な、と思ってしまいした。と、同時に田舎である亀岡ですら、みどりが少ないな、と思ってしまうんです。たぶん、体内に組み込まれているDNAがまだ自然の 中で暮らしていた先祖の記憶を持っていて、今回の山行きでそれがよみがえったのかもしれませんが、普段何気なく暮らしているこの私の生活がどれほどまっと うなものか、と考えざるをえませんでした。特に、インターネット漬けに近い状態になっているわたしの生活は何らかの再考を求められることでしょう。

また、近いうちに、「山へかえりたい」と思います。ちなみに、愛宕山の「ひのようじん」のお札は、研究室の壁にどんと鎮座しています。

(1999.  5. 12)

ヘレンケラーとアン・バンクロフト

女優アン・バンクロフト と聞いて、Mrs. Robbinsonと答える人、Mrs. Robbinson と聞いて、映画「卒業」と答える人はこの場にはそれほど数多くいらっしゃらないかもしれません。私の記憶の中に残っている映画「卒業」はリバイバル上映で 観たものかもしれませんが、当時大好きだったサイモン&ガーファンクルの曲がこの映画の始めから最後までバックに流れていたこともあり、いまでも 記憶に鮮明に残る映画です。

し かし、この映画で主人公、ダスティンホフマンを誘惑するMrs. Robbinsonを演じていた女優と、映画「奇跡の人」で、ヘレンケラーの家庭教師役、サリバン先生を誠実にかつ情熱的に演じていた女優が、同じアン・ バンクロフトであることに気づいたのは実は、つい最近のことでした。

先 月、私は、田辺キャンパスで教えている英語英文学科3回生の応用言語学ゼミで、映画「奇跡の人」のあるシーンを見せようと思いたち、何度もDVDを見てい る内に、サリバン先生役が映画「卒業」でMrs. Robbinsonを演じていた同じバンクロフトであることに、遅ればせながら気づきました。しかも、大変遅ればせなことに、そのゼミでバンクロフトの 「奇跡の人」を見せた6月の丁度その日に、彼女が73歳の生涯をニューヨークで終えたというニュースを知りました。彼女が亡くなる前に知りたかったと思っ たものです。

さて、今回、この歴史と伝統のある今出川キャンパス栄光館ファウラーチャペルではじめてお話をさせていただくことになった時に、そのアンバンクロフトが出演した映画「奇跡の人」の主人公、ヘレンケラーに関わる話をしたいと漠然と思いました。

それは、約50年前、来日中のヘレンケラーが この同じ栄光館ファウラーチャペルでこの場で講演をしたということもあります。または、今、お話をしたように、アン・バンクロフトが最近亡くなったということもあるのかもしれません。

映画「奇跡の人」は何度見ても、学ぶことの多い映画です。

特 に、言葉の意味を理解出来なかった、ヘレンケラーが、水=Waterという単語をきっかけにして、言葉の意味を体得する場面にはいつも目が釘付けになりま す。サリバン先生が、手に、Waterと何度書いても、その意味が理解出来なかったヘレンケラーが、井戸から流れ出る水を触った瞬間に、丁度雷にでもうた れたかのように、はじめて、ポンプから流れ出る水のことをWaterという言葉で表すことに気づく場面です。そのことをきっかけに、ヘレンケラーは周りの 物事をあらわすあらゆる言葉をスポンジのように覚えていきます。地面、樹木、鐘、お父さん、お母さん、そしてサリバン先生をあらわす、Teacherとい うことば。

通常、こどもは、目に見えるものを指し、親や周りの大人がその ものをあらわす言葉をこどもに話すため、そのものはそのような言葉で表されること、すなわち、言葉の概念を自然と理解していきます。しかしながら、視力、 聴力、嗅覚を奪われたヘレンケラーに取っては、普通のこどもが自然に習得することが、容易にできなかったわけです。

その意味では、ヘレンケラーは、通常こどもが無意識に体得する過程をスローモーションのように明示的に提示してくれているようにさえ思えます。これは、第一・第二言語の習得という観点からも興味深い事象ですが、私達の大学生活に示唆するものがあると思います。

すなわち、考えても分からなかったことがある時突然氷解する、ということです。または、ある時突然、素晴らしいアイディアが閃くということです。

教える立場からすると、学生のみなさんに、何度言ってもなかなか分かってもらえないことがあります。ところが、ある時、なぜか、急に、学生のみなさんが理解してくれるということがあります。 学ぶ側からするなら、いくら考えてもわからないことがあります。しかしある日突然、いままで悩んでいたことが嘘のように「すっと」がわかる、または、道が「さっと」開けるように思うことがあります。

実 は、ヘレンケラーの「奇跡の人」の場合においても、サリバン先生は、井戸でヘレンケラーの手に水をかけ、Waterという字をヘレンケラーの手に書くのと 同じ作業を以前から何度も繰り返しています。たとえば、一緒に川に入って、水を体全身で感じさせて、手にWaterと書くわけです。その時には、何の反応 も見せなかったヘレンケラーが、ポンプの水の際にどうして、天明が鳴り響くように、「理解出来たのか」、興味深いことです。

私 にも同様の経験があります。今から、15年前、大学院1回生だった私は、自分自身の修士論文のテーマを何にしたらいいものか、考えあぐねていました。今は 東京外大に移られた指導教官からは、いろいろと参考になりそうな文献を紹介してもらい、読み進めてはいたものの、どうにもこうにも、自分の修士論文のテー マにするようなものには行き当たりませんでした。論文においてはテーマ、すなわち、Research Questionを見つけなければいけないのですが、これほど難しいことはありません。当時愚かだった私は、適切なアドバイスをしてくれない指導教官を怨 んだりしていましたが、何について研究するか、何に疑問を持って研究するかという研究の根幹=いわば研究の魂、は人から教えたりアドバイスをしたりするの もではない、ことに、実際に自分自身が大学の教員になり卒業論文の指導をする段になってよく分かるようになりました。

いま、私は、外国語学習における学習ストラテジーについてさまざまな角度から研究を進めていますが、そのキーワードである、ストラテジーを研究のテーマに据えようとおもった瞬間を、丁度、ヘレンケラーがWaterを理解した場面と同様に、鮮明に提示することが出来ます。

丁 度、それは9月下旬の3時くらい、大学の図書館で関連する本を読んでいた時でした。その本は何度か読んでいた本なのですが、ストラテジーについてのページ をめくった瞬間、「あ、これなんだ」ということが急に分かった気になりました。大げさに言うなら、天上からその本のそのページに光が差しているような気が しました。なぜ、そう思ったのかわかりませんが、その時に、私が研究するテーマはこれなんだ、ということを「確信」した自分に気づきました。時間にすれば ほんの一瞬の出来事なのですが、その瞬間のことは15年も経ったいまでも忘れる事はありません。

どうしてそのようなインスピレーションを得ることが出来たのか?未だ持って分かりませんが、私はヘレンケラーの奇跡の人のWaterのシーンを見るたびに、全く同じはないにせよ、自分の経験と重ね合わせてしまいます。

でも、このようないわばインスピレーションを得る幸運な経験は誰にも訪れる事なのだと思います。なぜ、そのようなインスピレーションが頭に走るのか、それは分かりませんが、その条件のようなものは、あるように思います。2つあるように思います。

ひとつには、継続すること。たとえば、論文を本を読み続けること、何度も読み返してみること、繰り返し練習してみること、そして考え続けること。

ひとつには、異なった環境に身を置くこと。同じものを読むにしても、同じ話を聞くにしても、読む場所、聞く場所が異なることによって全く違う印象を持つことがあります。

私の場合にしても、下宿ではなく、図書館で本を読んでいたのがよかったのかもしれません。
ヘレンケラーの場合も、川の水ではなくて、井戸水だったのがよかったのかもしれません。
いずれにしても、継続することは、共通することです。

春 学期の授業は今日で終了しますが、これから2ヶ月間という長い夏休みは、みなさんにとっては、このように、何かを継続する、または異なった環境で行ってみ るということが容易になる時間であると思います。旅に出る人、アルバイトに精を出す人、故郷に帰省する人、ボランティアに参加する人、就職活動をするひ と、外国に行ってみる人、または榛名町の新生会でのワークキャンプに参加する人、などさまざまな過ごし方をされると思いますが、そのような中で、春学期に 考えてみて、どうもよく分からなかったこと、将来について、または卒業論文について、など、あたまの片隅にあって解決していないことについて、普段の大学 生活とは異なった環境で考えてみてはどうでしょう。

考え続けている限り、あるとき、急に、天から光が差すような幸運を味わうことが出来ると思います。それはスターバックスコーヒーのテラスであるかもしれませんし、新幹線の中かも、坂道を歩いている時かもしれません。

そのようなインスピレーションがあると、人生は実に豊に楽しいものになるものです。

2ヶ月後、元気な姿でお会い出来る事を楽しみにしています。みなさんの夏休みが実り多いものであることを祈念して、今日のお話をおわりにしたいと思います。みなさん、是非、考え続けてみてください。

なお、映画「奇跡の人」はAVセンターに所蔵してありますので、興味のある人はご覧になって下さい。

ありがとうございました。

(2005年7月13日、今出川栄光館における2005年春学期最終礼拝より)

(2005. 7. 13)

メディアのインパクト

小学校の頃の宿題で、「テレビが普及しても新聞が廃れないのはなぜか」ということを考えてくるものがあった。あの ころは、手元でじっくりとみたいから、また何度も読み返せるから、というのが模範的な答えだったようだ。最近、インターネットの教育的価値について考える ときに、これと同じような疑問を抱いている自分に気づく。つまり、こうだ。ニュースは、テレビはもちろんのこと、インターネットでも読めるようになってき た。しかも、自分の好きなときに。さて、小学校時代の自分の模範解答をこれに当てはめると、手元でじっくりとみたいからというのは、コンピュータスクリー ンをじっくりみることは可能だから△、何度も繰り返し読み返せるからというのは、完全に○、ということで、新聞は滅びかける運命をたどるはずだ、が、そう はならないだろう。こどものころには思いもつかなかったもうひとつの大切な要因があるのだ。最近やっと、それに気づいた。それは、先日妻と田舎暮らしのメ リットとデメリットという両義性について話をしたことへさかのぼる。

話の中で、カルチャースクールの話になった(朝日新聞の広告をたまたまみていただけだが。大学の同僚の名前を発見したりしておもしろかった)のだが、田舎 暮らしの最大の欠点は、カルチャースクールやコンサートなどに簡単には行けないことだ、ということになった。
「だったらディレクTVなど衛星放送でもやっているではないか。」
「でも同じ内容でも全然違う。」
「なるほど。」
と、やはりテレビの限界を感じるという点で意見が一致した。なぜ、カルチャースクールの同じ内容をビデオにとってテレビでみても印象に残らないのか?アル フィーのコンサートをペイパービューで390円お金を払ってみてもそれほどおもしろくないのはなぜか?それは高いお金を払っていないからか?多少はあって は、それほど大きな要因ではないだろう。それは、テレビの画面が小さいからとか、全部を映しきれないからということもあるけれど、情報を受け取る際の直接 性ということなのではないだろうか。テレビは、音声と画面情報のみを伝えてくる。しかし、実際のカルチャースクールの講義では、講師の顔の細かな表情や いってみれば汗、教室のにおい、それらがトータルな形で否が応でもついてくる。コンサートでもしかりである。さらに、決定的なのは、その場に居合わせるほ かの人々の存在である。教室でおもしろいのは、教師よりも一緒に学ぶ生徒であり、コンサートでは、楽しかったり腹立たしかったりするが、はじめっから立ち 上がったりして熱狂するファンである。このようなどうでもいいものはテレビではカットされるか、すみに追いやられるだけである。このような直接その場に居 合わせたものでなければわからないような情報が結構大切なのではないだろうか。

こ のことは、実はもっと前からうすうす感づいていた。そう、1995年の阪神淡路大震災の時である。大学から何度か、ボランティアで芦屋へ食べ物を届けに いったが、あのときみた(受けた)震災の被害のショックはテレビのニュースからは決してわからないものだった。そう、テレビでは見るか聞くしかないけれ ど、歩いてみることからは、家がつぶれたに土臭いにおいも感じるし、寒さも感じる。また被災した人の目がじっと私たちを向いているのも印象的だった。

は なしが、飛びかけているが、私が今、関心を持っているのは、英語学習でもインターネットの利用可能性が論じられるようになってきているが、はたして、どの 程度その効果があるか、学習者に対するインパクトという点から考えるときがきているのではないか、と考えるからである。電子メールは、またはチャットは直 接コミュニケーションの代わりになるかもしれない、という議論がある。また、Web上のバーチャル図書館は、本物の図書館の代わりに、インターネット新聞 はプリントされた新聞に取って代わるかもしれないと。E-mailは確かに便利で有効であるが、直接会って話しをする事に及ばないのはもちろんのこと、 snail-mailという原始的な直接郵便でもらう手紙の方がはるかに伝わってくるものがある。もっといえば、ワープロやコンピュータでかかれた手紙や プリントよりも手書きの方が(最近は遙かに少なくなってしまったが)あたたかな気持ちが伝わってくる(西島良平の「三丁目の夕日」のような)

イ ンターネットの便利さの中で英語学習で利用できる点は何で、やはり原始的な人と人が会って直接話したり教えてもらったりという関係でないとできないものは なになのか、という点をこのメディアのインパクトという点から考えてみたいと現在思っている。(まだまだ、まとまりきらない文章のままだが、今日はここま で)

(1999. 2. 26)

三人のこと

人は、わたし達は、日々出会いのなかにいます。こと、大学にいるわたし達にはその出会いのチャンスは多様でその機会も数多くあります。

4 月からはじまったこの2004年の春学期も今日で授業が終わります。みなさんも数多くの出会いがこの4ヶ月間にあったと事と思います。1回生の人達にとっ ては新たな環境で特に多くの友人、先生との出会いがあったのではないでしょうか。また、2回生、3回生、4回生、大学院生のみなさんにとっても新たな授 業、ゼミ、学内外の行事を通して多くの素晴らしい人達との出会いがあった事と思います。

今日は、みなさんのそのようなこの春学期の出会いを振り返っていただく意味でも、この春学期に私に影響を与えた3人の人達の話をオムニバス形式でそのさわりをお話したいと思います。

Josh
Joshと初めてであったのは、いまから4年前、2000年の秋のことです。当時、私は在外研究の機会を与えられてカナダのトロントに滞在していました が、ミネソタ州生まれのアメリカ人である Josh も、トロント大学大学院で外国語教授法の研究をしていましたが、私はJoshと外国語能力評価法というゼミで出会いました。日本にALTとして2年間滞在 した事のあるという経歴をもつJoshとはすぐ友人になりました。トロント大学の大学院は授業が3時間連続であり、毎回かなり多くの本や論文を読む事が要 求されるのですが、Joshとはその論文などについてカフェテリアでよく議論をしたりしました。授業の後に近くのバーに一緒に飲みに行く事もありました。 10才も年が離れているJoshでしたが、私にとってはかけがいのない友人になりました。その後、私が夏などにカナダにもどる事が何度もありましたが、翌 年は、お互いの都合がつかず会えず、昨年夏にトロントに私が戻った際には、Joshは英語を教えるために、アルメニアに出発したあとでした。英語を教える ことを職業としているJoshにとってはカナダやアメリカを離れて外国に滞在することはある意味では必然的な事です。しかし、近い将来の再会を期待してい た私に彼の悲報が届いたのは、この5月22日のことでした。何者かにナイフで刺されたとのことです。詳しい事情は分かっていないようで、犯人も捕まってい ないとの事ですが、温厚で誰にもFriendlyで暖かいまなざしを忘れないJoshが人に怨まれる事は到底考えられれないことです。

私 は、何とも言えない気持ちになりました。その気持ちは今もまた続いています。いつかは分かれなければいけないのが友人でありますが、こんなに早く、しかも 悲劇的な形での別れが待っているとは想像もつきませんでした。私の脳裏には、Hi!というにこやかなJoshの笑顔がいまも強く残っています。

卒業生のけいこさんの話
*6月10日の夜の11時の電話: 嗚咽
*同期生がやめていってしまったこと
*石の上にも三年といって送り出した事

「学生の時に学んだことや経験した事、そしてなによりも一緒に頑張った友人や支えてくれた先生方との日々、じぶんはがんばっていた、輝いていたと自信を持って言える自分がいるからこそいまこうして頑張っていられる」

*大学時代に何を学ぶかということもあるけれど、どうやって学ぶか?どのように学びに関わるか、参加するか、大学時代に何にエネルギーを注ぐか?…
*就職するためだけに頑張っていたら、ダメ。
*厳しい仕事の中では、役に立たない。何かに打ち込む、ことでしょう。
*学生のみなさんがどのようにしてそのような生きる力を身につける事ができるのか、大学で教えるものの一人として、大いに考えさせられる出来事でした。

沢智恵
一回の出会いだけれども、その後の人生に影響を与える出会いがあります。
春のリトリート
The Line
「わたし達の周りには目に見えない線があります。北と南、愛と憎しみ、親と子、生と死、あなたと私」
「そのような線は自分の外にあるのではなく、自分の内側にあるのではないか」
「まず、自分の中でそのような線を乗り越えていこう」
春のリトリートで出会ったすばらしい人達、実行委員、総勢100名あまりの参加者。
やはり、別れがあるにせよ、出会いは素晴らしいと思います。多少引っ込み思案の人も、大いに様々な行事に活動に参加してみるといいと思います。出会いはあちらからはやってきません。こちらから探しにいくものです。

本よりも、人との出会いから、多くの事を学ぶことができます。

明日の英語英文学科のポスターセッション

これから夏に向かいます。みなさんにとってもすばらしい出会いの夏となりますように、祈念して今日のお話をおわりにします。また秋学期のはじめに、元気な姿でお会いできるのを楽しみにしています。

(2004年7月8日、新島記念講堂における2004年度春学期最後の礼拝メモより)

(2004年7月8日)

人生が二度あれば

井上陽水というフォークシンガーの歌に「人生が二度あれば」というものがあります。陽水は今も現役で活躍していますので知っている人は多いと思いますが、歌自体を知っている人はここにおられる先生方をのぞけばほとんどいらっしゃらないでしょう。

さて、その「人生が二度あれば」ということですが、みなさんは人生を振り返るにはまだまだ早いのでこの話題自体が無縁のものであるかもしれません。

私の大学時代のある先生に、あるコンパの席上、こんな話を聞いたことがあります。

あ る年代までは人生を足し算として加算しながら考えるけれど、ある年代を過ぎると、自分が死ぬであろう年を起点として引き算をしながら考える。つまり、あと 何年生きられるから生きている内にこれだけはしておこうと考えるわけです。または、定年まであと何年だから、という発想です。大学の教師として今年11年 目を迎える私にとってもまだまだこの引き算的発想は無縁のもので、足し算をしながら人生を送っていますが、時々、陽水の歌のように「人生をもういちどやり 直すなら、どこから?」と思うことがあります。これは今の人生に後悔をしているわけではなく、単純に思うだけです。

今 の30代、40代の人達にこの同じ質問、「人生をもう一度生きるならどこから?」と聞くと、大卒の人ならほとんどが大学時代からと答えるのではないでしょ うか。大学時代ほど、人生の中で光り輝き、後から振り返って、「あの時ほど楽しい時はなかった」といえる時代はありません。

なぜでしょうか?

健 康面でも若くて元気であることはあるでしょう。また、新たな知識やスキルを身につけて自分の新たな可能性を発見するからかもしれません。サークルやクラブ に入ってる人はその活動が楽しかったというでしょう。また、高校までの学習と異なり、自分の興味にあわせて自分で考えて学習をするからかもしれません。大 学の授業は出席することがもちろん前提ですが、高校と異なり、時に授業をさぼって映画に出かけても誰も文句を言いません。自分でその責任を取ればいいだけ です。大学時代がなぜ人生の中でいちばん楽しいのか、それはこれからみなさんがこの同志社女子大学で学ぶなかで考えていただきたいと思いますが、その基 本、基盤をなすものは何であるか、という点について理解しておく必要があります。「大学生活の基本、基盤とは何か?」

それは、大学案内にも大学の講義要録(シラバス)にも書かれていませんが最も重要なことです。そして、誰もが暗黙の前提として知っていることです。

実はそれは、先ほど、朗読していただいた聖書に書いてあります。

「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実をむすぶ」

葡 萄の木=英語でいうところのVine 、これこそが大学生活のキーワードです。このキーワード・Vineはこの大学でよく目にします。例えば、大学の広報誌の題名はVineですし、川田先生や Susser、中村先生が中心にお作りになった遠隔地学習システムの名前は「Cyber-Vine」です。

す なわち、みなさんは葡萄の木の一房一房、また一粒一粒であり、なんらかの形でお互いに結びつき、つながっているのです。このお互いの結ぶつき、関わり合い を認識し、強いものにすることこそ、みなさんの大学生活をより豊かにそしてあとから振り返って「もういちど大学時代に戻りたい」と言わしめるものであると 思います。

私自身の大学生活を振り返っても、入学式の当日、名簿の関 係でたまたま横に座った吉田という同じ新入生と「こんにちは、どこから?」というあいさつが縁でもう20年以上も友人関係が続いています。その吉田君抜き に私の大学生活は考えられないくらい様々な活動を一緒にしました。新しいサークルも立ち上げました。さまざまな旅行も計画したし、夜を徹して様々な話をし ました。彼とまた彼らと話しをしたことが今の私に大きな影響を与えてくれています。

友 達にどうやってなるか、その方法は実に多様です。もうすでに、この1泊2日の フレッシュマンキャンプを機に、多くの新たな友達を得た人も多いと思います。しかし、これからの大学生活の中でも友人を増やす機会は、通常の授業や雑談に 加え、特にこの情報メディア学科には多くあります。授業外の長時間にわたる作業、さまざまなプロジェクトなどなど、大学に滞在する時間が他学科に比べて格 段に多いみなさんにはまさに新たな友人を得るチャンスに恵まれているといえるでしょう。それは単にこの情報メディア学科3期生だけにとどまらず、先輩や諸 先生、MSCのスタッフ、職員の方々も含まれます。

このお互いの結びつき、つながり、ネットワークというものは、大学教育の目的ではないが、結果として最も重要な産物であります。

大学時代に身につけた知識はいずれ新たな知識によって更新、上書きされていきます。同じ知識がいつまでも有効であるとは限りません。しかし、ここで得た友人、友達との結びつき、ネットワークは時代が変わっても、消滅することはありません。

「友情に始まりはあってもおわりはない」

これは真実です。

広く、多様な人間のネットワークはあなた方ひとりひとりの大学生活を豊かに実り多いものにしてくれます。どうぞ、肩の力を抜いて、少し心をひらいて笑顔でお互いに接してみましょう。すぐに友人になれると思います。

「友情に始まりはあってもおわりはない」

みなさんのこれらからの4年間が実り多いものであることを祈念して、閉会礼拝のお話とさせていただきます。

(2004年度情報メディア学科新歓オリエンテーション閉会礼拝での話から)

(2004. 4. 5)

伝統と新しさ

京都は長い歴史と伝統を持った街です。

鳴 くよウグイス、794年に平安京に都が移されて以来、約1200年の長い歴史を誇ります。私は京都の北、亀岡市に住んでいますが、今出川キャンパスに自家 用車で行く際には、そのような歴史を感じさせる数々の名所旧跡を回ってくることがあります。嵐山の渡月橋をわたり、天竜寺の前をとおり、弥勒菩薩で有名な 太秦広隆寺を横切り、石庭で有名な竜安寺、そして金閣寺の前を通り、今出川キャンパスに到着します。

また、9日、土曜日に新島先生の墓前礼拝が行われる若王子の前には、京都学派といわれる西田幾多郎ら哲学者が散策したことで有名となった哲学の道、そして銀閣寺、また南へ足をのばせば、美しい桜 で有名な南禅寺、円山公園そして清水寺があります。墓前礼拝の後は天気がよければ是非このように散策をして頂きたいと思いますが、京都はこのように長い歴史をハダで感じることができる街です。

し かし、京都は長い歴史を持つだけでなく、日本のまた世界の先進的な部分を感じることのできる街でもあります。東京と並んで最も多くの大学を有し、同志社 ローム館の名前にも刻まれた企業ローム、またオムロンや京セラ、任天堂などの京都を拠点とする先進企業が数多くあります。評価は分かれるものの、かつて最 も革新的といわれた蜷川虎三を府知事とする京都革新府政を四半世紀にもわたり支持したのもこの京都であります。

長い歴史と新しさ、この二つの顔が同居するのがこの京都のおもしろさだと思います。

これと全く同じ事はこの同志社女子大学にもいえることです。

入 学式で森田学長が紹介されたとおり、同志社女子大学は今から129年前、新島襄によって創設された日本で最も長い歴史と伝統を持つ大学のひとつです。その 歴史の中では、たとえば、みなさんが入学式を迎えた栄光館ファウラーチャペル、あの壇上にはかのヘレンケラーも登壇し、講演をおこないました。学長室にあ るゲスト用のサイン帳には彼女のサインがいまもくっきりと残されています。

し かし、一方でこの同志社女子大学においても何か新しいものを産み出そうとするエネルギーは常に満ちています。この4月から薬学部が創設されたことも、図書 館が増設されて新しい図書館として生まれかわったこともそうです。そして、この情報メディア学科もまたそのような新たなものを創り出そうとするエネルギー のなかで生まれたものです。このように 長い歴史と新しさ、この二つの顔はこの同志社女子大学においても同居しています。そして、この二つの顔が同居する、いや長い歴史と伝統の基盤の上にあるか らこそ、本当の「革新的な」新しさを産み出すことができるのではないか、と思います。

こ のように申しますと、中には、「確かに今出川キャンパスには歴史と伝統を感じることができるが、この京田辺キャンパスではなかなかそうは思えない」と言う 人もいるでしょう。確かに、129年の今出川キャンパスと比較して、この京田辺キャンパスは20年の歴史しか有していません。

しかし、ここで重要なのは、キャンパスの建物や教室、廊下といったハードウエアとしての歴史ではなく、新島襄先生建学以来この大学に息づく建学の精神というソフトウエアとしての歴史と伝統です。

同志社女子大学は建学の精神として、3つの柱を129年間堅持・発展させてきました。

その建学の精神として、

ひとつは、キリスト教主義。
基督教主義とは、「神の前にすべての人が平等であり」、「隣人を愛する気持ちを以て」広く社会や世界への関心をもつこと。」と言えます。

ひとつに、 国際主義
国際主義とは、「自国のためだけでなく世界の平和と幸せを願い、人類の共生を考える視点を持つこと」と言えます。

ひとつに、リベラルアーツ
リベラルアーツとは「幅広い分野の学問を通して物事の本質をとらえる力を養い、豊かな人間形成をはかること」と言えます。

この3つを私なりにわかりやすく言い換えるなら次のようになります。

基 督教主義とは「神の前にすべての人が平等であり」、「隣人を愛する気持ちを以て」広く社会や世界への関心をもつこと。」、すなわち、神の前では、言い換え るなら、真理の前で 教員も学生も、教授も講師も大学院生も学部生も同じ立場である。真理の探究を巡っては、教員も職員も学生も同じ立場で 大いに議論をすべきであると。「真理はあなたを自由にする」、と近藤宗教部長は入学式で聖書から引用されましたが、真理を模索する過程においては、日本的 な変な上下関係やしがらみは無縁のものであるということです。

国 際主義とは、「自国のためだけでなく世界の平和と幸せを願い、人類の共生を考える視点を持つこと」。これは外国との関係だけでなく、国内においても、学内 においても多様性を尊重し、自分とは異なった考え方を認めること、すなわち、自分とは異なる発想を認めるということだと思います。

そ して、リベラルアーツ。リベラルアーツとは「幅広い分野の学問を通して物事の本質をとらえる力を養い、豊かな人間形成をはかること」。すなわち、知的好奇 心を旺盛に持ち、自分は何に興味あるのかを常に模索しながら、探求的生活を行うこと。単に情報メディアという学問領域だけにとどまっていたのでは、新たな アイディアは浮かんできません。また大学内だけに留まっていたのでは、知的好奇心は刺激されない。「書を捨て街にでよう」とはまでは言いませんが、授業だ けでは大学時代の精神的成長はあり得ないと思います。大いに様々な場面で多種多様異分野の人々から学ぼうということだと思います。

人によって解釈は異なるでしょうが、私は建学の精神をこのように解釈してきました。

真理の前の平等という意味においての基督教主義、他者・多様性の尊重という意味においての国際主義、そして知的好奇心をかき立て探求的生活を行う基礎としてのリベラルアーツ。

私は、今出川キャンパスにいようが京田辺キャンパスで学ぼうが、新島先生が掲げたこの3つの建学の精神が歴史と伝統としてこの同志社女子大学に息づいていると思います。

歴 史と伝統の上に築き上げられる「新しさ」と、歴史と伝統のないところに築き上げられる「新しさ」には大きなへだたりがあります。その意味では、この同志社 女子大学情報メディア学科には、建学の精神という伝統を基盤として新たなものを産み出すことのできる素晴らしい条件が整っていると思います。

新しさは伝統の上に育んだ時に、うまく機能するものです。

今日から始まる、フレッシュマンキャンプ2005。入学式がこの大学における第一歩とするなら、このキャンプは、みなさんにとって記念すべき第二歩となるべきものです。

同志社女子大学の歴史と伝統、建学の精神をかみしめながら、あらたなものを産み出すための第二歩をこのキャンプで しっかりと踏み出していただきたいと思います。

このフレッシュマンキャンプが参加するすべての学生のみなさん、そして教職員にとって実り豊かなものになることを祈念して、お話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

(2005年度情報メディア学科新歓オリエンテーション開会礼拝での話から)

(2005. 4. 4)

女子大の就職率は本当に低いか?

今年の就職状況は、昨年にもまして厳しい。それは、ゼミメンバーの中で現在活動中の人数がかなりの数にのぼることからしても確かだ。新聞紙上でも、ショッキングなタイトルで過去半年以内に何回か繰り返し述べられている。

し かし、「ちょっと待てよ」と思う。確かに、共学よりも女子大の方が就職率は現在のところ低い。しかし、これは男女まぜこぜにした共学と女子大を比べている わけであって、共学に通う女子学生と女子大の学生を比較したわけではない。でも、新聞を読んだ人は、そうはとらないだろう。女子大に行くと、就職ができな いかもしれない、そのような恐怖感をもってしまうのではないだろうか。これは単なる偶然か?陰謀と考えるのは下図の勘ぐりかもしれないが、いずれにせよ、 新聞記者には自分の書いた記事の影響がどのように及ぶか、じっくり考えて欲しいものだ。

私は、この就職問題に関してははっきりとこう考えている。…つまり、男子の方が女子よりも就職がよいというだけで、共学か又は女子大かという差はな い。企業は、企業自身の生き残りをかけて最小の戦力で最大の効果をあげようとしており、そのとき「男性の方が女性よりも役に立つ」という昔ながらの偏見が 頭をもたげているにすぎない。… むしろ、私は女子大の方が社会で活躍している人は多いのではないか、とおもう。同志社女子大学の広報誌のヴァインでも毎回OG訪問をしているが、実に魅力的な仕事をしている人が多いのに驚かされる。

ただ、問題なのは、この女子大で学ぶことの良さをいかに説明するか、ということだ。新聞に話を戻せば、いままで女子大擁護論を理路整然となされた記事を見 たことがない。女大で学ぶまたは教えるものにとっては、これは教育・研究とならんで重要視しなければいけない三本柱のひとつかもしれない。

問題の根の深さを一つ:「私がいま女子大で教えていなければ、この様なことを考えたか?」答えは、否である。つまり、女子大に関わるものから行動を起こさなければ、どこからも女子大の意義を再認識する動きはないだろう。

あのヒラリークリントンも女子大の出身なのだ。

(1999.  2. 5)

小児の時代

大人にも小児の時代はあった。賢人にも愚者の時代はあった。大人より小児をみれば、万事、幼稚でお話にならぬが、しかし、小児にとっては懸命である。賢者と愚者においてもそうである。大賢人と小賢人とにおいてもそうである。

そして、進化には一足飛びはない。かならず、経るだけの順序段階というものは経ねばならぬ。だから、もの皆それぞれに進んでいったらよいのであって、決して他の愚を笑ってはならぬ。自己もまた、より進んでいる人々からみれぬれば愚なのであるから。(words of Hidemaru Deguchi)

いい意味での謙虚さをいつも持ちたいと思います。また、ついつい焦って一足飛びをしようとしたがる私ですが、堅実に一歩一歩進みたいと思います。

(1997 12.3)

心を分かち合うためには

さて、あなたはこの三人の中で誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったとおもうか。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカによる福音書 第10章36-37節)

最 近、自分自身の反応の鈍さにびっくりしている。たとえば、先日、ハリーポッターの翻訳者として著名な松岡佑子さんが講演に来られた。新島記念講堂は一般来 場者も含め数多くの人で一杯となっていた。講演はスムーズに始まったかに見えたが、突然マイクの調子がおかしくなり、松岡さんの声が聞こえなくなった。 30秒から1分くらいたった頃だろうか、聴衆がざわざわとし始めた。私はこの講演会に直接関わっていたわけではないが、この大学の教員だ。5年前の私な ら、マイクが切れた瞬間にステージか調整室にすでに走り始めていたことだろう。さらにしばらくたっても状況が変わらないことを確認して初めて私は調整室へ の階段を走り始めた。走りながら、自分の腰の重さにびっくりした。

もちろ ん、みんながばたばたとするとかえって邪魔になるかもしれない。ひいては「当事者」である委員の先生方に迷惑をかけることになるかもしれない。でも、これ は後からつけたいい訳である。この一件は些細なこと、なのだろう。しかし、ささいなことの中に物事の本質が隠れていることがある、とはゼミの中で学生諸姉 によく言っていることだ。私は、自分の中の当事者意識、とでもいうべきものが希薄になってきているのではないか、と思った。

当 事者とは、誰のことなのか。たとえば、家族のことであれば当事者意識を持たざるを得ない。子どもが、妻が、親が、という際にはどうしたらいいか一生懸命に 考えるだろう。日本は今年立て続けに大きな災害に見舞われている。特に、10月の中越地震による新潟、台風23号による京都、兵庫北部の大きな被害は甚大 なものがあった。1995年の阪神淡路大震災が脳裏をよぎった人も少なくなかったことだろう。阪神淡路大震災の際には、この大学からもボランティアが組織 され被災地に救援物資を毎週交代で運んだ。でも、今回、自分自身の腰が重たくなっていることにここでも気付いた。ひょっとしたら、それは私だけの事だけな のかも知れない。現に、10月のスポーツフェスティバルでは学生委員が体育館の受付で募金を呼びかけていたし、自宅に帰ると、妻が、タオルや衣類を段ボー ルにつめていた。聞くと、台風の被害にあった大江町の町役場に届けるという。きっと、私の周りの人たちは、「当事者意識」を明確に持って、理不尽な被害に あった人たちを自分のこととしてとらえ、どう行動したらいいか考えているのだろう。

ひょっ としたら、どこまでが「私の隣人なのか」という、問い自体がきっと無意味なのかもしれない。そのような境界線、ボーダーラインを引くこと自体、こころを分 かち合う妨げとなるのだろう。出来ることをする、この単純な行動原理をもう一度思い出してみたい。まだまだ腰が重たい私だが、あまり大げさなことをしよう と思わず、いろいろな問題に、自分の問題としてとらえ、行動してみたい。

“A little difference makes a big difference.”
(ほんの小さな行動が大きな変化を産むのだ)

(同志社女子大学 Chapel News 12月号掲載)

(2004. 12. 1)

感じる心

「喜びも悲しみも 立ち止まりはしない めぐりめぐっていくのさ… 」。エンジェルホーム園長の長坂寿也さんのギターの弾き語りの声が、今も頭の中をリフレーンすることがある。

群 馬県榛名町にある新生会を2004年夏、はじめて訪問した。ワークキャンプが始まって3日後の合流。東京までは何度も来た事があったが、上越または長野新 幹線に乗る事も群馬県に足を踏み入れることも初めてであった。新生会での3日間は、様々なことについて考える刺激(動機)と材料(内容)を与えてくれた。

滞 在中にたまたま新生会のチャペルで、倉橋先生と共に話をさせていただく機会があったのだが、その際、私は「ここには大学では教えることのできない、何か を”感じる”経験がつまっている」と話した。そう話したのは、昼のワークが終わった後のミーティングで、20名の大学生が思わず涙する姿を目にしたから だ。涙に心を動かされたから、という単純な事なのかもしれない。しかし、大学生がなぜ涙するのか、当初私には理解できなかった。その涙は滞在中多くの参加 者から溢れ出た。「何がこの新生会にあるのか?」私は頭をひねった。しかし、翌日いくつかのホームをまわってみて、また彼女たちが主催したミニコンサート に立ち会って、その理由がわかった気になった。

それは、一言で言うなら、 ある意味「〜のために」生きることから解放された人達の生き様が放つインパクトなのだろう。「何のために生きているのか?」若き日には必ず自分に問いかけ る、そして友人に問いかける普遍的な問い、しかし、この新生会で生活してみると、「生きていること自体」が重要なのだ、ということに気づく。人は、お金が 稼げるから、社会に貢献できるから、社会に有用であるから、生きている価値があるのではない。もちろんその側面は否定はしない。しかし、そのような考え は、数少ない勝者と引き替えに、多くの敗者を姨捨山に捨て、集団自殺者を産み出すことにつながる。「人は生きていることこそが重要なのだ」というテーゼを この新生会は否応がなく、その場にいる人間に突きつけている、と私は感じた。そして、生きるためには、誰かの力を必要とすることも。

学 生諸姉は、この場で久々に「誰かに私が必要とされている」感覚を思い出したことだろう。小さな頃、例えば小学校の集団登校でお姉さんとして年少者の世話を したような感覚。そして、頼りにされることによる自分の有用性の実感。私も誰かの役に立てる、と。しかし、裏返してみれば、「誰かの世話にならないと生き ていけない段階においても、人は生きることは重要なのだ」ということなのだ。

新生会は榛名山へ続く坂道の途中にある。その先には火葬場がある。とても機能的に見えるこの新生会であるが、私はこのワークキャンプは「生きるとは何か」という忘れかけていた「生への原点」を参加者に考え・感じるように突きつけているようにおもった。

長坂さんは、うたう。「そっと見つめる 人がいるよ、きみにありがとうとてもありがとう、もう会えないあの人にありがとう」(河島英五「生きてりゃいいさ」)。生きることの大切さ、そして人を大切に思える、そんな3日間だった。

(宗教部2004年度ワークキャンプ報告集へ寄稿)

(2005. 2. 4)

教えられたように教えないむずかしさ

もうすぐ、教育実習の季節(?)がめぐってきます。この同志社女子大学で教職を担当して晴れて今年で5年目になる わけですが、学生のみなさんに模擬授業をしてもらうたびに感じるのが、「自分が教えられたような授業をしない」ことの難しさです。女子大で英語を専攻して いる学生にみなさんに、教職科目で「みなさんはどのような授業を受けてきましたか?」という質問を必ずすることにしています。すると判で押したように「文 法訳読方式の授業」、「受験のための暗記授業」という答えが返ってきます。では、それは自分にとって役に立ちましたか?楽しかったですか?と聞くと、楽し いと答える人は、まあいませんよね。もちろん、文法学習に楽しいところはありますが。….

ここからが、問題なのですが、そのようなみなさんに英語の模擬授業をしてもらうと、つい、いままで批判してきたはずの、あの文法訳読方式になってしまうん ですね。蛙の子はカエルということなんでしょうか。でも、これは教職課程で英語科教授法を教えている私たちの責任なんですけどね。これに代わるような、有 効な教え方を学生のみなさんにわかるように教えていないだけだと、批判の声が聞こえてきそうです。

でも、ここで問題にしたいのは、実は学生のみなさんの模擬授業のことではなくて、実は自分の授業のことなんです。新学期がはじまって、さっそうとさまざま な授業が始まりましたが、実は私は内心、どのようにこれからの授業を変えていったらいいか、いつも考えあぐねています。特に、ゼミです。蛙の子はカエルと いいましたが、あれは実は私のことで、私が「大学で習ったよう」なスタイルでついゼミを進めている自分にハッとします。あのころ、私は、ゼミに対してすご く批判的でした。英文を読んで、それをレポートするだけのゼミ。本文からはなかなか抜け出せない。何のためにこのテキストを読んでいるかすら、時として見 失っている自分。もちろん、自分が悪かったのでしょう。でも、教員になって、ゼミを担当するようになって、同じスタイルでゼミをしている自分に唖然としま した。「教えられたように教えるな!」これは誰に聞いたか忘れましたが、今の自分に言い聞かせたいことばだと思います。
その点、これから抜け出すいい方法に関して、かすかな光が見えたような気がすることがあります。それは、ほかの先生と授業プランについて話すことです。 もちろん、Faculty Development (FD)として大学における授業改革についても盛んに研究議論されていますが、身近にいる同僚と意見交流をすること、これにより新しい授業の姿をまなぶこ とができる可能性が(回りくどいね)あります。先日も、E沢先生、I田先生と談笑していてそんなことをふと思いました。でも、これが、英米語科じゃなく て、他学科の先生だったらもっと根本的に違ったアイディアがあるだろうな、と思います。その意味では、1999年4月16日に立ち上がった「らんがく事始 め」はわたしにとってわくわくするような、企画となりそうだ。

(1999 4.19)

Two Foundations(Preface of SEE, 2003)

Reflecting Junior Seminar 2002, I think that every seminar participant was able to establish the following two foundations; (1) theoretical foundations for second/ foreign language acquisition research; and (2) foundations for mutual respect and confidence. Because the theme of this seminar was to investigate the strategies of successful foreign language learning, the first foundation might be natural. Participants spared quite a little time and made substantial efforts to understand theories such as behaviorist, innatist and interationist positions (spring semester) or the potential sources of individual differences (autumn semester). In order to understand those demanding topics, they were diligent and brilliant enough to make effective presentations (PowerPoint) and create thoughtful entries for required readings. In fact, participants improved their presentation skills dramatically and began to produce high-quality papers. It was great pleasure for me to observe their progress in understanding issues on applied linguistics, where they found their own research questions and tried to develop those questions by discussing with peer students or group projects. I would like to highly evaluate those endeavors.

The other asset is friendship. Although I could not explicitly declare that creating rapport was one of our course aims, I personally have believed that mutual understanding is far more important than course learning stuff. In that sense, we have noteworthy events and activities. In September our seminar had an overnight study program at Biwako Retreat Centre and took part in Sports Festival of our college to offer house made Doughnuts in October. Moreover, we shared dinner together several times. All of these activities contributed to make our friendship dense and solid. Furthermore, participation of two exchange students from Seoul Womenユs UniversityムJung Jinok and Yunam Cheongムin late autumn helped us think and develop our friendship. It is also significant to remember that through the year we have had our own Internet bulleting board, in which we expressed and exchanged our ideas; part of them can be seen in this volume.

I would like to express my deepest gratitude to all the seminar members for their contribution to make our seminar splendid and delightful. Still we are on the way, though. Let us keep in touch with each other, promote our network to be more secure and confident one, and develop our own research questions to create our own hypotheses. Thank you again for your active and diligent participation. I wish you good luck on your new academic year 2003.
See you around!

(2003.3.15)

Self-Esteem

ピグマリオン効果ってご存じですか?
大学院の受験の前の晩

「教師期待効果」
ギリシア神話
キプロス島の若き王「ピグマリオン」
理想の女性像を大理石に彫った
この理想の大理石像が命を持つ事を祈った
愛と美の女神、アフロディテがその願いをかなえてあげる
「強く信じ続ければ願いはその通りになる」

1960年代、アメリカのRosenthalの実験
小学生に知能テスト
結果を担任の教師につたえる
「先生にだけ将来伸びる生徒の名前を教えましょう」
1年後
再び知能テスト
「名前を挙げられた生徒はそうでない生徒に比べて明らかに成績が上がっていた」
しかし、実はその名前を挙げられた生徒は知能テストで成績が良かったわけではなく、ランダムに選ばれただけだった。

沢さんの公演

グループディスカッション

ある卒業生のはなし
不登校
中学3年生担任
修学旅行
お久しぶりです。先生はお元気ですか?私はなんとか教師を頑 張っています。

4月からのこの1か月ほんとにいろんなことがありました。授業がうまくいかない、 複雑な生徒にどう接していいのかわからない…。自分のクラスに不登校の生徒がい て、その子とどう接していったらいいのか…。ほんとに毎日悩んでばかりです。すべ てがはじめての事なので、気持ちも疲れきってしまって、また、気持ちの切り替えが できなくて、自律神経がほんとにおかしくなるんじゃないかと思いました。でもなん とか頑張っています。せっかく夢を実現できたんやから、その実現できた自分の夢とか目標を大切にして、がんばっています。

そんな毎日で、生徒に励まされる、気持ちを癒してもらうことが多いです。人間相手 の仕事の難しさと、その反面の救われる部分、両方を感じます。一人一人みると、か わいらしい生徒ばかりです。その可愛らしい生徒と、来週からは長崎です。81人分 の命を預かっていくということで、学年の先生方のテンションが半端じゃなく高いで す。ああ、寝られないんでしょうね〜。

また、落ち着いてコーチと色んな話がしたいです。それまでがんばってみます! 以上、近況報告でした。 では、またメールします★

PS ゼミはどうですか??学生であることの幸せを今実感しています。卒業式の写真を見ては、ああ懐かしいと思ってしまいます。そんなに昔ではないのに…。自 分の自由なペースで勉強し(社会にでちゃったら、まず自分のペースで勉強するのはかなり気合がいりますよね。)、また時間をおしまず仲間と高めあえること は社会に出てからでは、なかなかできないことやと思います。今のゼミ生に是非伝えてあげてください。あと、教職を取っている学生は、もうすぐ採用試験です ね★必死に勉強をしてた、あの頃が懐かしいです。

教師期待効果もいいが、自分に対する期待効果も大切。自分に対する、信頼、尊敬。パーフェクトな人はいない。でも、今の自分をほめてあげる

Self-Esteemを高めるために
「自分をほめる」
「コップの中に水が半分はいっている」
半分しか入っていない
半分も入っている
悩みのない人間はいない
50%自分を肯定

では、どうやって始めるの?
「友人をほめる」練習
教職課程の学生に練習させています
日本人はへた
「相手のいいところを認めて、言葉に出す」練習
黙っていては相手に伝わらない事もある

(同志社女子大学 2004年度春期リトリート* 閉会礼拝の奨励メモより)

*2004年5月22日-23日、同志社琵琶湖リトリートセンターにて開催、講師:さわともえ さん

Being late is better than nothing

いつもよろこんでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです(テサロニケの信徒への手紙、第5章16-18節)

人はみなパーフェクトでありたい、と願うものだ。それは人が向上していこうとする際には重要なことだ。しかし、その考えが強すぎるとかえって、その人の精神的、知的また人間的な成長を妨げてしまうことになることもある。

授 業を担当していると当然のことながら、コースワークの一環として数々のアサインメントを受講生の学生諸姉に課すこととなる。近年、課題の提出にあたって3 つのパターンがあることがわかってきた。ひとつは、時間を十分にかけて、考察が隅々にまで行き届いているもの。ひとつは、時間が足りなかったのだろう、一 夜漬けのようにやっつけ仕事のようにとにかく要求された字数を埋めて提出されたもの。ひとつは、潔く、「できなかった」、として提出されないもの。どれか いちばんいいか?ノ なんていう事をここでいいたいわけではない。

大学教師とし ての修行が足りなかったせいか、以前は、期限後でも苦言を呈しながらも受け取る事が多かったが、最近では期限後の課題提出は一切受け付けない事にしてい る。そのように宣言すると、二番目のどうにかこうにか完璧ではないにしろ、出すだけだそうという学生が増えてきた。また、時間をかけて素晴らしい出来栄え の課題を提出する理想的な学生も増えてきた。教育効果の現れである。しかし3番目のタイプは、依然として存在する。興味深いのは、三番目の潔いタイプの 「その後」である。

みなさんなら、このような状況で、つまり遅れて提出し ても「0点」の課題を提出するだろうか?成績の事をクールに考えるなら、出しても無駄だから、そんな時間があったら他の事に時間を使おうと思うだろう。賢 明な選択だ。しかし、そのような中でも、「先生、0点でもいいので書いたものを見てください」としつこくやってくる学生が私は好きだ。このようなねばり強 さは、別の味方をすれば潔くない、という事になるのかもしれない。しかし、このような執念が人生には必要になることが多々あることを、私は体験から知って いる。そのような学生に接していると、言葉では厳しい事をいいながらも、こころの中では、そのような学生の態度にに大いに共感している自分自身に気づく。 きっと、まだまだ大学教師としての修行が足りないのだろう。
でも、人生において遅すぎることって実はないんだよな、といつも自分に言い聞かせている。”Being late is better than nothing.” なんだよな、と。

(同志社女子大学 Chapel News 5月号掲載)

(2004. 5. 1)

N先生

「卒業式で涙を見せたら教師は一生やめられない」、N先生の言葉は今も鮮明に脳裏に蘇る。先輩でありかつての同僚 でもあったN先生が先日現職校長のまま亡くなった。もっと早く病院に行ってくれていたら、と誰もが思う。責任感が強い先生だっただけに、体の不調を感じつ つも現場を離れがたかったのだろう。N先生らしい。

N先生と同じ中学に勤務していたのはもう15年以上も前のことだ。明るく、渋く、話をさせると誰もが納得した。ダンディで格好いい先生だった。決して威圧 感はないのだが、カリスマ性があった。こんな先生になりたい、と思った。きっと内面の心豊かさと優しさが人の心を惹きつけたのだろう。名字ではなく、皆が ファーストネームで呼んだ。

N先生は生徒の目線に立ち、決して安易な妥協をせず、生徒とじっくりと対話することの重要性を説いた。そして教育は生徒との信頼関係を基礎に成立すること を自らの姿勢でもって若い教師に教えた。当時もう教師なんてやめようと思っていた私にN先生は光明であった。

15日の告別式には多彩な人々がN先生に別れと感謝の言葉を述べるために集まった。NHKのプロジェクトXでは取り上げられることはないだろうが、口丹波 の人々にとってはそれに値する偉大な人物であった。N先生を見送りながら、「教師は死んでもその教えは死なない」、とあらためて思った。それは生徒だけに でなく我々教育に携わる人間についても言えることだ。N先生の教えは、あのさわやかな笑顔と共に忘れられることはないだろう。

(2003年2月25日京都新聞朝刊・声の欄に掲載)

(2003. 2. 25)

Bilingual is beautiful

According to Fortune magazine, Toronto is the world’s most comfortable city to reside in, due to its being clean, safe and inexpensive. This is right, indeed. If I were to add one more word, the friendliness of its people would be appropriate.

Nearly three months have passed since I arrived in Canada, given the privilege of a one-year sabbatical. During that time I have fully appreciated the above advantages. The city is clean and spacious everywhere. Beautiful parks can be spotted around the city. Queen’s Park, only a five-minute walk from our apartment, is my children’s favorite playground and my cherished way to university, with brown and silver squirrels running on the grass, climbing trees or digging holes in the ground to hide nuts.

However, it is cold in winter, and I hate being cold. I definitely prefer summer. I am writing this piece almost at the end of November, using an iMac in the Computer Lab (so many iMacs are available!), and it is cold indeed. I already saw snow in the beginning of October. I could not believe my eyes. The temperature yesterday (November 27th), for example, ranged from minus 14 up to just minus 5 degrees Celsius. Canada uses the metric system (km-Celsius) instead of the imperial system (mile-Fahrenheit), which is also friendly to me. I cannot walk the streets without a warm coat, gloves and a hood covering my whole body except for my eyes. It is warm or rather hot inside the buildings, though. This is good news to me. Underground paths are well organized, connecting one building to others, so I do not have to walk outside so much. However, Canadian friends scare me by saying that this is just the beginning of severe winter and in February it is twice or three times colder than this, which I cannot even imagine.

Turning to friendliness, people are generous, frank and open to everybody. This might be just my impression, but I have observed this benefit everywhere in the subway, university classrooms and shopping malls. (AS an extreme example, there are beggars in the streets, and not a few people give them money or stop to talk with them.) Though I admit my experience in America is limited, Canadian people seem even friendlier than Americans.

There may be of several reasons for this, but if I mention only two, the first one goes to this vast land with few people. I strongly believe in the influence of environment on people’s minds. This sounds simple, but it is true from school classrooms throughout society; the school discipline problem in Japan would be drastically reduced if class size were reduced to fewer than 30 students per class.

Toronto is the biggest city in Canada, having a population of more than 2 million. It is spread out over a large area, and has no mountains. Yonge (pronounced ‘young’) Street, which runs north-south in the city center, is said to be the longest street in the world because there is nothing to block it. Resort areas are handy. On some weekends in September, renting a car, we went north to see colored leaves at Algonquin National Park, which encompasses untouched nature. Driving for one hour, we saw beautiful farms where horses and cows were peacefully eating grass, and in two hours, we saw beautiful woods with colored leaves, lakes and towns spotting the countryside. In three hours, we saw no more houses: just nature. From a Japanese perspective, this is, say, asking for the moon. This spaciousness is advantageous for Canadians, and also common to Americans.

Then, what is the second source shaping the friendliness of Canadians? What makes people in Canada talk to each other so frankly regardless of background? When riding streetcars or buses, it is interesting to find a mingling of various colors of skin. People talk freely in a cacophony of languages: Cantonese, Vietnamese, Greek, Italian, German, Spanish and English. Yes, so many various kinds of people are living in Toronto. However, this alone is no explanation. After all, America has a similar situation: it is the ‘melting pot’ of races. The explanation of Canadian friendliness lies rather in Canadian bilingualism.

In Canada, as is widely known, two official languages–English and French–co-exist. In Jesse Ketchum Public School, where my twins are now enrolled, students start learning French in the fourth grade. Depending on schools and boards of Education, students learn French following one of three patterns: early immersion (starting at 1st grade), late immersion (starting at 3rd grade) and core immersion (starting at kindergarten). In any case, the emphasis is put on fostering communicative competence of learners because they need to communicate in French. Immersion–the world gives an image of dipping someone deeply into something- is a unique system. Students learn school subjects, social studies, for example, in the target language of French, and it is successful.

At OISE (Ontario Institute for Studies of Education of University of Toronto), where I am learning about second language learning and teaching, distinguished faculty members like Dr. Merrill Swain and Dr. Sharon Lapkin have been conducting research on the effects of these immersion programs. According to them, the biggest benefit from these admirable programs is that the majority of Canadian people acquire a functional knowledge of French both in speaking and listening. However, the real benefit of immersion education is that, through practical communicative activities, people realize the difficulties of acquiring another language. Since they know the difficulties of handling languages other than their native language, Canadians seem to be generous to non-English speakers, and patiently try to understand what they mean. I think this leads to empathy for those who are different and may be having difficulties. Acquiring another language gives Canadians generosity and a balanced point of view. This might be a small difference, but it makes a big difference from American people, most of whom speak only their native language, English.

One morning in late September, I was reading the National Post over a cup of cappuccino at the patio of a coffee shop near my apartment. A middle-aged woman stopped by, looking into my newspaper, and whispered to me with great disappointment, “Oh, he has passed away.” I did not understand the significance of her words. “Who?” I asked. It was Mr. Pierre Trudeau, a very popular politician and Prime Minister in 1960s to 80s. Later I found out that he initiated the bilingual policy in Canada, symbolized by immersion. Reading his biography, we can understand how bilingual policy was deeply connected with his belief that the two languages unite different peoples and different parts of the country–Quebec and the rest into one. It also comes along with accepting quite a few immigrants from around the world.

For a long time I have been thinking about the rationale for Japanese to learn English. This is a challenging question. The dilemma is that people feel little necessity of this since communication in their native language is feasible; practical needs are hard to find except for traveling to foreign countries. Attending some classes at OISE/ UT and a conference on second language teaching (French in this case), I have come to realize I was playing only the doubting game. I was trying to find something wrong with the possible answers, which is important as a scientific attitude, but does not bring us anywhere. Now the believing game is needed. We should focus not on the necessities of learning, but on the assets gained by learning: what benefits Japanese people will obtain if they can handle one more language even if there is little practical need. In this sense, Canada has many resources and achievements for making us believe. We have much to learn from the splendid experiment of bilingual education in Canada, even though the situation is different in Japan. This short piece is not sufficient enough to prove this, but I think the bilingual policy and its successful program have surely contributed to the wonderful qualities of Canadian people. People who know more than one language have another world residing in their mind.

Bilingual is beautiful!

published in Halcyon No.44, 2002, March, pp.15-16

(2001.11.8)