オックスフォード通信(236)ジャパン対イングランド

ラグビーのテストマッチをラグビーの聖地といわれるTwickenham Stadiumで観戦してきました。

前々から予定していたわけではなく、試合があることを木曜日に知って急いでチケットを探して言ってきました。その関係でチケットは郵送ではなく、ロンドンのStubHubのチケットピックアップで受け取りとなりました。 £70に手数料を込みにすると二人で £220しましたが、それ以上の感銘を受ける経験となりました。

Twickenham Stadiumにはロンドン市内からTottenham Court Road駅からピカデリー線に延々と乗りHounslow East Stationで下車。地下鉄車内からすでにバラのマークのイングランドのトレーナーを着た人達が目立ちはじめます。一緒についていくといいことがあると思い(Google Mapでは徒歩30分)付いていくと無事、無料シャトルバスに乗れました(その人達にスタジアムに行くのかと聞くと私達も行き方を知らないとのこと)。

Twickenham Stadium は8万人収容というラグビー専用の巨大スタジアムです。バスを降りるともう人の波がスタジアムに向かっています。本当はグッズを買いたかったのですがメインのショップはスタジアムの反対側ということなのでミニショップを見ましたが、マフラーはきっとこれからも使わないだろうということで公式パンフのみでその他は断念。

足早にスタジアムの中に。席は全然埋まっていなくて本当に8万人も入るのかと思っていましたが、試合開始5分くらい前になるとほぼ満席に。後に掲示板に本日の観客が8万1千人と表示されていました。4階くらいまである客席が本当に埋まっています。

その内1000人くらいはいたでしょうか、日本人の姿も目に付きます。写真を撮ってもらった男性はわざわざ東京からこの試合のために来られたとのこと。

席に着くと、イングランドサポーターに四方を囲まれる感じで、いろいろと絡まれます。特に前に座ったいい感じのおじさんには前半の試合中まで何かとちょっかいを出してきます。>Do you like egg chasing? と聞いてくるので何のことやらと聞き直すとrugbyのことをegg chasing, chaing eggsともいうとのこと。まあイングランドが勝つけどジャパンも頑張りなといった余裕の口ぶりです。口惜しい。

ところで試合の始まる前のセレモニーにはこころを打たれました。国歌斉唱はいいとして(ここでもそのおじさんが日本の国歌はどんあもんだいなどと茶々を入れてきます)、最初に、Promsの最終日にも歌われた Jerusalem(エルサレム)が斉唱 されたのです。この歌詞については以前このブログでも書いた事がありますが歌詞の中にChariots of Fireがでてきます。この段階で本当に来て良かったと思いました。生で聞いたのは初めてです。もちろん全員起立しての斉唱です。

さて試合はというとこれまでジャパンは一度もイングランドに勝ったことがなかったので、しかも昨年までのヘッドコーチのエディー・ジョーンズがイングランドのヘッドコーチになっていますのでまず勝ち目はないだろうと期待していなかったのですが、ジャパンの動きは前半開始4分でトライ・ゴールを決められたものの機敏でイングランドを圧倒していました。トライも2本、茶々をいれてきたおじさんも知らない間にどこか違う席に移動しています。まわりのイングランドファンも静まりかえり、所々にいる日本人が大歓声をあげるという異例の展開になります。

それでも時々チャンスになるとイングランドの応援歌(Swing Low, Sweet Chariot)が地響きのようにスタジアム全体に鳴り響きます。これは効きます。この歌の効果でしょうか、SHの田中が後半から交代したせいでしょうか、ジワジワと追いつかれついには15-30で敗退。

惜しかったなあと思います。チャンスはいくつもあって、逆に相手の得点もほんのちょっとしたチャンスからのものでした。今日の試合に限っていえばジャパンは十分勝つチャンスがあったと思います。そのわずかなチャンスをどちらが生かしたかということで、もう少し正確に言うとそのわずかなチャンスをどちらがうまく作り出し、チャンスと思えば全員がそこに集中する、この差かもしれません。チャンスの種はどちらにも平等にあったように思います。

論理を飛躍させるつもりはありませんが、8万もの人が集まって手に汗を握るのは、楕円形のボールに象徴されるようなどちらに転ぶか分からないチャンスを上手く生かそう、逆にピンチはいかに防ごうとするか、それは人生の縮図ともオーバーラップするからこそ夢中になるのだと思います。

ジャパンは後半そのチャンスを作り出そうとする気持ちがほんのすこしだけ弱かったように思います。イングランドは Swing Low の後押しもありうまく運を生かしたように思います。

しかしそれにも増して格段の体格差をものともせず、果敢に立ち向かうジャパンには勇気づけれられました。SHの田中などはグランドで走っているすがたはさながらイングランドが大人とすれば子どもの大きさ。その中で互角以上の戦いができるのですから、ジャパンの士気の高さと戦術の巧みさは素晴らしいものがあります。

あのおじさんも知らない間に戻ってきて、残念だったなとハイタッチを求めてきます。右横の女性はコッソリと服のラベルがアサヒスーパードライだと見せてくれて、おじさんしつこいねのようなニヤリとした顔をしてくれます。試合には負けたものの、左横のカップルも(こちらは真剣に)惜しかったと一緒に試合を振り返りました。でもイングランドの人達は礼儀正しくかつ人なつっこくいろいろと話をしてくれて楽しいひとときでもありました。

8万人の観客がどうやって帰路につくのか興味津々でしたが、交通整理も上手くできていて(行きはなんとこの日に合わせて一番最寄りの駅を持つ South Western Railway がストライキをしていて電車は不通でしたが、帰りはReading(レディング)経由でOxfordまで割とスムーズに帰ってくる事ができました。最も帰りの電車は乗客が東京の通勤電車みたいだと言うくらいすしづめ状態でしたが。

(2018.11.18)

PS. 練習している時に、近くに来たリーチに「リーチ、ガンバレ!」と叫んだら親指を立てて答えてくれた。

★今回の教訓:会場には Try fo change の言葉が。確かに、人生も変化を求めてトライを重ねてゆくのだと思う。私自身にも気合いの入ったいい試合を見たと思う。ジャパンに感謝。
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オックスフォード通信(229)i-Seminar Winter Overnight Special(コンテンツ・メッソド編)

インターネット合宿は学生の自主性を高める

今回、K先生もTAのKさんも2日間ともご参加頂いたのですが、実質的な合宿の計画・進行・運営はほぼすべて学生自身の手で行われました。これまでは「待てずに」私が指示を出したりすることが多かったのですが、インターネットではさすがにそれはできないので(カメラの前の状況しか分からないため)学生自身が自分達で動かないといけないと思ってくれたのだと思います。これはゼミにとってもとてもいいことだったと思います。

教師はなかなか「指示病」からぬけることができないものです。時にそれを義務と考えてしまいますが、学生や集団としてのゼミの成長を奪ってしまっていたのかもしれません。

今回の合宿で特徴的な点をざっと挙げておきたいと思います。

1. ゼミメンバー17名全員が遅刻もなく(これも例年にないことです)参加できたこと

2. ひとり30分の発表(質疑応答を含め)を実に17名分、最後のK先生と私のコメントを入れると9時間の発表に真剣に参加することができたこと

3. 発表は全て英語、質疑応答も時々日本語が混じったがほぼ英語でおこなったこと

4. 卒論の最初から謝辞まで全編を通して発表することができたこと

5. 最後のK先生のコメントにもあったように大学院に迫るような質の高い研究内容であったこと

6. K先生が細かな質問ができるほど緻密に構成された卒論になっていたこと

7. いい質問がフロアからでたこと

8. 司会(Convener)、指定討論者(Discussant)が上手く機能し、時間を有効につかうことができた

9. 時間を守り、時間の管理もきちんとできたこと

10. 楽しく合宿をすごすことができたこと

11. 開会式(私はインターネット接続問題でミスしたけれど)と閉会式がとてもよかったこと

もちろん問題点もあったと思います。これについては月曜日のゼミで議論する予定ですので、その後アップロードしたいと思います。

2日間という短期間でしたが、ゼミとしては卒論のめどをつけることができた秀逸な合宿になったと思います。合宿については後日もう少し書き足したいと思いますが、あらためて2日間お世話になったK先生、TAのKさん、びわこリトリートセンターの皆様、ゼミの合宿コミッティーの皆さん、そして熱心にご参加頂いた18期生全員に感謝したいと思います。

PS. 閉会式で流されたスライドショーには感涙でした。

(2018.11.11)

★今回の教訓:冬合宿、成功裏に終了!f:id:wakazemi:20181114011615j:image

オックスフォード通信(213)Oxford University が世界一の秘密(11)

オックスフォードでは一日にどのくらいのセミナーが開催されているのでしょう

春のTrinity学期は学年の終わりということもあったのでしょうが、セミナーはそれほど多くなかったように思います。または私自身がイギリスの生活に慣れていなかったので見逃していたのかもしれません。

いずれにしてもこの10月からはじまった Michaelmas Term は午前、ランチタイム、午後と各学部や研究所で多くの興味深いセミナーが開催されています。本日は、午前中はボードリアンライブラリー主催の論文のデジタル化とコピーライトについてのワークショップ、ランチタイムは実験心理学部主催の遺伝マーカーと疾病との関係についての研究の在り方について、夕刻は環境地理学部主催のエコシステムについてのセミナーとはじめて1日に3つのセミナーに参加しました。

それぞれ私の研究に直接関係ないのと同時に研究へのインスピレーションがいろいろと湧いてくるワクワクするセミナーばかりでした。このような環境の中で同僚の発表を聞いたり、発表したりとする中で、新たな tipping point(転機)がやってくるのは自然なことだと思います。研究が立ち止まることなく自然と進んでゆくのだと思います。

午前中のデジタル論文のワークショップでは2007年からオックスフォードで Open Access プロジェクトがはじまり現在ではイギリスで博士論文を執筆した場合には印刷物と同時にデジタル版の提出が義務づけられているとのことです。その中で今年3月に逝去されたStephen Hawking の博士論文もCambridge大学がインターネット上で全文公開に踏み切っています。1 2 。実際に British Library EThOS (e-theses online service) 上でキーワードで検索してみると論文がそのままネット上で読めるものがあります(全部ではありません。著者自身に許諾を求めて許可が得られたら読めるものや論文のコピーをスキャンしてpdfを送ってもらうものなど[有料、かなり高額])様々)。このインパクトは大きいです。

本日のワークショップでも話されていましたが、公開することによって、多くの人に読んでもらい、引用してもらうなど論文の研究価値が高まる可能性があるとのことです。日本でもレポジトリーで論文を各大学が公開していますが、博士論文まではしていないと思います。これはイギリスの方が10歩くらい進んでいると思います。

セミナーのメモはすべて一冊のノートに必ず見開き2ページ以内に収まるように取っています。ランチタイムセミナーのDrothy教授は自分の学部卒業から現在に至るまでの経緯を1枚のスライドでお話になっていましたし、夕刻のMalhi教授のエコシステムはエルニーニョ現象だけでなく地球環境の過去と未来を現在を起点に考えるなど発想が優れていると思いました。

そりゃ、このような話を自転車で10分くらいの距離を移動すれば自由に聞くことが出来るというは研究への刺激という点は大きなメリットだと思います。さすが世界一です。

京都もコンソーシアム京都に京大が入らないとかせこいことを言っていないで、京都中の大学がこのような公開セミナーを毎日開くような度量の広さを示してゆくときに来ていると思います。京都市が財政的なバックアップをすれば10年も経てば京都中の大学の研究レベルが向上しより多くの学生が集まることによって元が取れると思います。

論文のインターネット公開とこのセミナー、実は「そのこころ」は同じなように思います。研究内容を惜しげもなく公開することによって、より多くの研究者とネットワークができると同時にその研究が引用される機会が多くなるはずです。

Open Access この姿勢をオックスフォード大学全体として採用しているところにこの大学の強みがあるように思います。

(2018.10.26)

★今回の教訓:Hawkins博士の自筆の博士論文から伝わってくるものは大きい。f:id:wakazemi:20181025130417j:image

オックスフォード通信(201)How we see the world

World Bank の首席エコノミストのRさんが約1時間にわたって行動科学的な手法をDecision Makingにどのように活用しているかお話になりました

政策・政治・経済学と畑違いの分野ですが、新鮮な切り口を見せて頂いたように思います。特に、データ分析をベースにしながらその分析結果をもとに活動方針を決めていくという手法は組織としては重要だと思います。

最初のアイスブレーキングゲームでしたように、確かに握手などによって相手について直感的な情報を得ることはできますが、それがどれ程正確かどうかは不明です。顔の表情による判断もそうです。これらのDecision Making は結構当たっていますが(会場の意見はほぼ一致していました)、エビデンスを基礎とした方が問題の解決策にたどり着きやすくなります。

例としてあげられていたのは、発展途上国での人生観ですが、どのくらい自分の人生をコントロールできていると思うのかという問題について、直感的には途上国であるほどその比率は低くなると判断しがちですが、実際のデータは先進国と変わらない数値である事を示していました(日本などは逆に低いかもしれません)。

また、教育プログラムの紹介がありましたが、Growth Mindset(成長する自己イメージ・マインドセット)を産み出すためのプロジェクトの中でLearning Strategiesを教えるという部分は興味をひかれる部分でした。やはり学習方法を教えないと先生がいないところでは(辺境の地出あれば尚更です)自分で学ぶことが重要となります。

“What happens in the future depends on me” という言葉にも引きつけられるものがありました。

会場のBlavatnik School of Government は普段立ち寄らない建物(セキュリティーが厳しい)ですが参加している大学院生や研究者も教育学部とは雰囲気が異なるのも面白いところです。

またギリシア語を母語とされるかたの英語を聞くという意味でも興味深いセミナーとなりました。

PS. ゼミの各期のみなさんや友人、先輩、諸先生から200回目を祝うメッセージを頂きありがとうございました。

(2018.10.14)

★今回の教訓:Decision Makingという観点から考えると、逆に直感の方が合っていることの方が個人の行動にはあるけれどそれが組織になると一部の人間の直感に頼るのは危険なのだろう。今の日本やアメリカがそうかもしれない。How we see the world, How we decide. eMBeD
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オックスフォード通信(200)Thinking outside the box

オックスフォード滞在が200日目となりました

この通信も最初は2-3回書けば、と思ってはじめたのですが、イギリスに住んでみて戸惑い、発見、怒り、喜びなどその時に書いておかなければ忘れてしまうものが多くあったので書いている内に50回、100回と回数を重ねることができました。これも「時々読んでいます」といったゼミや大学の卒業生、又は他大学での受講生の皆さんからの温かい励ましがあったからと感謝しております。

この200日で随分、自分のものの見方も変わってきたと思います。

また、来年度の授業の計画を立てる段階でこれまでとは違うアイディアで授業を見ることができるようになったと思います。言い方を変えると、これまでは「こうでなくてはいけない」という固定観念に知らず知らずの内に囚われていたように思います。授業の講時についても、何曜日でなければならない(例えば、4回生ゼミは木曜日の4時間目でなくてはいけないとおもっていたのですが、現在のゼミメンバーに聞いてみると案外月曜日でもいいという返答が多くありましたこの授業は課題を出さなければならないと思っていましたが(外国語教育論では伝統的にMoodleにコメントを書いてもらっていましたが変更してもいいように思います)、課題なしの講義というスタイルでもいいのではないか、その分、参考文献を提示して学習したい学生が事前に学べる仕組みをつくればいいと思うようになりました。

そんなの簡単なことだと思われるかもしれませんが、なかなか変えることはできないものです。一端はじめたことを途中からリセットするのは面倒くさく、腰が重たくなります。

また毎日、夕食を決まった時間に食べられるようになって、これまで夜の10時くらいに帰宅してから夕食を食べていたことが必ずしも良くないことだと分かるようになってきました(今更?)。仕事量は変わらないと思いますので、これからはそれだけ、仕事にメリハリをつけないといけないということだと思います。

来年度の授業時間割も1つの大学の分を除いてほぼ決まってきたのですが、これまで夜の7時半から9時過ぎまで担当してきたある大学院の授業も夕方の4時半からに変更していただきました。

すこし現場から離れてみることは少し遠くから物事を見ることにもつながるということなのでしょう。

Think outside the box、ということですね。

オックスフォードに来る前にある先生から、Before Oxford (BO) – After Oxford (AO) のようにいわば歴史の時代が移り変わるかのような違いがでないといけないと、助言を頂いたのですが、そのような認識の変化が起きているようにおもいます。あとは行動ですね。

このオックスフォード通信も365回まで綴ることができれば、是非「アフター・オックスフォード通信」として続けてみたいと思っています。

引き続き、御愛読の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(2018.10.13)

★今回の教訓:10月はセミナーも多く、コンピュータ関連の講習会にも数多く参加する計画を立てている。オックスフォードの真髄発揮というところか。
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オックスフォード通信(193)A&J さん

お隣のAさんJさんご夫妻と楽しいディナーを楽しみました

以前お招き頂いたので(通信88参照)、今晩は我が家においで頂きました。日本では隣といっても玄関を出てと少し面倒ですが、フラットの場合はほんの10歩くらいの距離なので和気あいあいとできるのは楽しいものです(実際、帰りはAさんは靴も履かず、持ったまま帰られました)。

だし巻き卵にいなり寿司、鮭の白味噌焼、デザートは白玉とあんこ・バニラ、お酒はビールに日本酒(澤の鶴)と日本食全面のディナー、AさんもJさんも喜んで平らげてくださったので良かったです。しかし、日本食の世界への浸透度は着実に進んでいるようで、本日のメニューでオックスフォードで手に入らなかったのはいなり寿司のお稲荷さんでした(8月に遊びに来てくれた東京のIさん夫妻が持ってきてくれました。ありがとうね)。

フランス人と英語で3時間半くらいはなすのは楽しいです。お互い第二言語ということ以上にフランスや日本のこと、それぞれの歴史や地理(これが一番盛り上がりました。方言の話をしている中でフランスは南北の移動はできるけれど東西の移動ができないと、中部には大きな街もないと、これは定かではないようですが)、イギリスのEU脱退問題など話が多岐に及んだのがよかったのだと思います。

その背景には互いの国も文化も心から尊重し、尊敬の念を持っているところがあったと思います。フランスと日本、どちらがいいわけでもなく、それぞれのいいところを聞きだそうという姿勢があったので清々しく楽しい会話になったのだと思います。(英語母語話者と話をするとなかなかそうはならないのはなぜでしょう)。何となく互いの文化を尊重することの意味が分かったように思います。まず第一歩は相手の文化に興味を持つこと。当たり前ですが、その興味を質問や会話で示すとなると少しハードルが高くなります。でもここがポイントだと思います。

それにしても日本料理ができるというのは大きな特技になると思います(私ではありません)。それについていろいろと説明をしながら、そうだよな、日本ではこうなんだな、ということを確認できるところに、愛国心とか望郷の念が沸いてくると思います(これから留学やワーキング・ホリデーで外国に住む人は三品くらい日本料理できるようになっておくといいかもしれません)。

このようなお話をお聞きするとフランスへ行かざるを得ません。機会を見つけてフランスに行ってみたいと思います。

PS. サマータウンに新しいパブができたとAさんJさん(早速行ってきたらしい)。行ってみようっと。

(2018.10.6)

★今回の教訓:気の合う隣人がいるのは有り難い。イギリスのこれからの冬も楽しく過ごせそうだ。
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オックスフォード通信(188)Stonehenge

世界遺産のストーンヘンジに行ってきました

行くべきかどうか、行くまでに何名か行ってこられた方々に聞いてみたのですが賛否両論でした。ある方は素晴らしい、来客が日本から来る度にお連れしている。ある方は時間の無駄。思ったよりも小さいし、大体近くに寄ることもできないと。

9月最後の日曜日、丁度時間もあったので思い立って行ってみることにしました。オックスフォードからは高速A34で南下し、1時間くらいのところで(Sutton Scotney)西にA303に入って30分、計1時間半ほどで到着しました(途中その西に折れるところを間違って戻ってきましたが)。

さて、結論から。高速A303を走ってそろそろかなと思う頃に、草原の真っ只中に突然、そのStonehengeが現れました。そう、突然。これは虚を突かれた感じなのですが不思議な感動がありました。そして、思ったよりも大きかったです。確かに触ることはできませんが、近くで見ることができます。私は断然行く価値があると思いました。インスピレーションが湧いてきます。

ここは世界遺産ですが、同時にイギリスのNational Trustという自然保護財団が管理しています。Visitorセンターという受付や駐車場はストーンヘンジ自体からはかなり離れた場所にあってそこに車を駐め、シャトルバスで移動することになります。

入場料は £20(3000円くらい)とかなり高いですが National Trust の年会員になっておくとむりょうで入ることができます(K先生のおすすめで6月に会員になりました)。

さて、シャトルバスで3分くらい揺られると到着です。ストーンヘンジを大きく取り囲むようにルートが設定され、確かに石に手を触れたり円の中に入ることはできませんが(夏至と冬至の日は特別に許されるようです)、印象としてはかなり近くで見ることができる場所があります。

「今日は混んでますか?」と受付で聞くと「Very Quiet」という返事でしたがかなりの観光客が来ていました。チケット売り場で自動再生のガイド(ditch, barrowという英語が何度も出てきました)を借りると「楽しい一日を」(うろおぼえです)と日本語で返ってくるほど日本人観光客も多いようです。

何が良かったかというと、これだけ有名で、世界遺産にもなっていて、いろいろな研究がなされているにも関わらず、このストーンヘンジが何のために作られたのか、分からないという謎に惹かれます。どうやってつくったかについては説明がなされていましたが(すべり台のような台を設置してひもで引っ張る)5000年~3000年前の人類がもし本当にこのような知恵を持っているとしたら驚異的だと思います。その目的ですが、夏至の日に光が一直線になるように作られているため自然を頌える又は自然を観測する施設、祭殿、何かのシンボルなどいろいろな意見があるようですが、ピラミッドのように絶対的な権力者(例えば王)がいない状況でこのような巨大建造物をどうして作ろうとしたのか、そこには作らないといけない理由があったとと思います。確かに祭殿かもしれませんが、自分の命を賭けてまで、遠くから石を運び、石の上に石を積み上げる一大建造物を一般国民が作ろうとするか、疑問です。

恐らく私達の想像を超えた理由があったはずだと私は考えています。

その疑問以上に感動したのは、紀元前5000年前にそのような知性をもった人類がいたことです。この原稿を書いている現在は2018年ですが、紀元後(AD)としてもまだたかだか2000年ほどです。紀元後にしても人類が生きてきた長い時間のほん1/4程度ということです。まして一人の人間が生きることができる時間というとほんの一瞬ということになるかもしれません。

自分の想像をこえた、人知を超えた何かを目の辺りにするのは自分の存在がいかにちっぽけなものかを実感させます。と同時に、そのようなちっぽけな人間でもそれぞれが命をつないできたからこそ現代の人類が存在するのだとも思います。

ひとはどこから来てどこに行こうとしているのか。そしてその壮大な人類の歩みの中での自分の役割は何だろうと、などと考えていました。

(2018.10.1)

★今回の教訓:手塚治虫は漫画「火の鳥」の中でストーンヘンジと奈良県の石舞台を比較していた。彼はそこに何を見ていたのか。
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オックスフォード通信(180)ベルリンで自由について考える

私達は生まれてから自由な環境に育っているので分からないのかもしれませんが、行動、旅行、仕事や住まいの選択の自由は、水や空気と同じくらい重要なのかもしれません

今日の午後、チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)に行ってみました。ここでベルリンが東西に別れ自由に行き来ができなくなっていたのか思いながらそのボーダーを眺めていました(米兵風の軍服を着用した2名の兵士風の人が立っていました)。東ドイツの人にとっては、住む家も仕事も食べるものもあったけれど、自由に国外に出たり、自由にものを言ったりする自由がなかった(秘密警察に逮捕される)ことが耐えきれなかったのだろうと思います。

では、自由はあるけれど貧しい生活と、食べるものや住む場所など豊かな生活があるけれど自由がないのはどちらがいいのでしょう。今日、ベルリンの壁やこのチャーリーを訪れた人は後者だというかもしれませんが、なかなか難しい問題かもしれません。

話は飛びますが、日本では近年、高齢者の万引きなど軽犯罪が増えているというニュースを聞いたことがあります。その理由は刑務所では住む場所も食べるものも無料で提供してくれるのでわざわざ再犯を犯して戻ってくる高齢者が多いとのことです。近年の刑務官は高齢受刑者の介護までしなくてはならず大変な状況だとその記事は伝えていました。

ベルリンの壁やシュプレー川(Spree)の国境を命をかけてまで超えてきた東側の人達には共感も同情もしますが、本当に「西側」ではいい人生が待っていたのでしょうか。本日は、元ソ連共産党委員長・大統領のゴルバチョフがプロデュースした壁の博物館(The Wall Museum)も参観してきましたが、壁を打ち壊すまでの過程やその意義については述べていましたが、では東西ドイツが統合してドイツ国民がより幸せになったのか、という点については疑問を持たせないような持ち上げ方が気になりました。

イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)の壁に描かれた有名な絵画群を見終わった後、ベルリン・ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(Bahnof Warschauer Straße)からポツダム広場へ行くべく、U(地下鉄)に乗ったのですが、次の駅を過ぎるとなぜか電車は反対方向へ。そういえば、次の駅でほとんどの人が下車していたのを不思議に思っていたのですが、Schlesisches Tor 駅から先は通行止めで、バスの代行運転になっていました(後からわかりました。ベルリンでは何度も反対方向の電車に乗ったりも含めて地下鉄とS・トラムの乗り間違えが何度もありました)。何とか代行運転のバスに乗ったのですが、よほど迷っているように見えたのでしょう、ベルリン在住のクリスチアーナさんが流暢な英語でどこでどう乗り換えたらいいか、分かりやすく説明をしてくれました。

その際、ベルリンの壁のことについても聞いてみましたのですが、クリスチアーナさんによると壁がなくなったことも東西ドイツの統一も良かったとおっしゃておられました。クリスチアーナさんはハンブルクの生まれで子供の時に西ベルリンに移ってこられたそうです。同じベルリン市内の反対側の東ベルリンには親戚もいて分断時代は苦労したとおっしゃっておられました。このような話が無数にあるのだと思います。

市民の目線から見ると同じ街の中に壁があって行き来ができないのは不自然すぎるのは事実だと思います。「では統合してみんながハッピーになったと思いますか?」という質問には難しいことだとおっしゃっておられました。そう出ない人もいると思うと正直におっしゃておられました。

社会主義は歴史の遺物のように扱われていますが、資本主義はその代替としてうまく機能しているのか、という問題についてはフランスの経済学者ペケティが「21世紀の資本」で厳しく批判していますし、2016年のアメリカ大統領選挙前に「1-99%」の議論がありました。

壁は自由を束縛するものとして絶対悪であると思います。またそのような壁を今後作ることを許してはいけないと思います。しかし壁がない世界はそれだけでいいかというとそうでもない。壁はなくても自由でないことがたくさんあります。水・空気・自由と並べられるように壁がないのは絶対必要条件ですが、自由とは壁がないだけではないと思います。

旅行しようとするとお金もかかりますし、大学に行こうと思うと授業料も必要となります。私達の周りを縛っている目に見えない壁はたくさんあると思います。そのような壁が減ってくると人はより自由に楽しく生きることができるのだと思います。この中には外国語を自由に使いこなすスキルも含まれると思います。

2日間のベルリン滞在で、ベルリンの壁記念館と壁の博物館、それにチェックポイント・チャーリーを訪れました。その中で特に胸を締め付けられるのはベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された人達のことです。多くは若者でした。ドイツが統合された後、その責任追及が始まったとベルリンの壁記念館の展示は示していますが、国防大臣ですら自分の意思ではないとその責任を否定していることにビックリします。トップであったホーネッカー国家主席はキューバへ亡命し、誰も国境線を乗り越えようとした人を殺した責任を自ら認めた人がいないことはどう考えればいいでしょう。

これは、ハンナ・ アーレントがナチスの犯罪を「banality of evil」(悪の陳腐さ)と呼んだこととよく似ています。悪というものは大罪人が行うのではなくて、ごく平凡な人間が自分で何も考えることなく、官僚的に処理するところから起きる、とアーレントは述べています。

今回のベルリンの壁についていろいろと目にする中で、官僚的に、ではなくてみんなが「兵隊」になってしまったからこのようなことが起きたのではないかと考えるようになりました。それは国境線を守る兵隊だけでなく、国防大臣やホーネッカー国家主席に至るまで「思想の兵隊」になってしまったのではないか、だから嘘を言っているわけでもなく、本当に罪の意識がないのだと思います。兵隊とは言い方を変えると「何かを守る」ために「何かを犠牲にする」ことだと思います。

その犠牲が人の命であっても「仕方がない」と思う。でも、その思想も突き詰めると玉ねぎのように芯は何もないのですね。ナチスの思想がそうでしたし、戦前の日本の国体がそうでした。

そうならないためには3つだけ対策があると思います。ひとつは「納得のいくまでむやみに人を信じないこと」(映画『戦争と人間』、山本薩夫監督)です。かっこ悪いからわかったふりをする、これが道を誤るもとだと思います。かっこ悪くても分からなければ、安易についていかないことです。

もうひとつは「笑う」ことです。兵隊は絶対に笑いません。官僚も笑いません。人間的感情の最大の発露は笑いと泣くことです。笑うとこれまで悩んでいたことがバカバカしくなります。笑うことで人間的感情を取り戻すことができます。変な思想は、笑うことを恐れます。そのような考え方は間違っている証拠です。

最後は、いろいろな世界を見ることです。旅をすることです。今回、ウイーン、プラハ、ドレスデン、ベルリンと4つの都市、3つの国を旅する中でいろいろなものを見たり、人の姿を見たり、話を実際にして見たりする中で、自分の考えがまだ狭いことがよくわかりました。あのような姿がいいと思うことも、あれはいけないな、と思うことも含めていい刺激を受けました。

いい機会をあたえて頂いたことに感謝します。

(2018.9.23)

★今回の教訓:壁を作らざるを得ないような社会主義は失敗、でも資本主義も不十分。その2つを乗り越える第三の思想ってあるのだろうか。
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オックスフォード通信(179)ベルリン

ドイツ人の英語は分かりやすいとおもっていましたが、朝のチェックアウトの際の女性の英語はピンと来ませんでした。女性特有のピッチの高さから来るとところがあるのかもしれません。外国を旅行していて英語がピンと来ないと少し嫌なものですが、考えてみると日本語でも話をしていてピンと来ないことはよくあることなので英語だからどの人の英語もよく分かるということは考えない方がいいのかもしれません。

ドレスデンで宿泊した NK Connections というホテルは私が泊まるホテルとしては珍しく高級ホテルのようでいいバスタブがありお湯もふんだんにでるので(オックスフォードのフラットのシャワーの水圧は弱いですし、ウイーンのホテルはバスタブなし、プラハのホテルはバスタブがあるもののお湯をためるところまではいかず)日本と同じようにゆっくりとお湯につかることができます。お湯につかるのは大事ですね。

ドレスデンはエルベ川と沢山の教会以外にはこれといって見物はないのですが、街をぶらぶらするのには楽しいところです。ホテルの前の広場は Altmarket (=old market)として食べものの店や工芸品のお店が並んでいました(ブラシ屋さんでパソコンのキーボードのブラシを購入)。ショッピングモールの中にはアップルストアもありお馴染みのMacやiPadが並んでいました(ただし、キーボードの配列はドイツ特有。キーの数も多い)。ビールも巨大な1リットルのジョッキのものもあり(結構な人数の人がこの巨大ジョッキでビールを飲んでいました。私も調子にのって注文したのですが、重すぎて片手で持ち上げるのが大変な感じでした)食事も肉料理中心ですがどれも美味しく頂きました(スペアリブ、ローストビーフ)。本当はクリスマスマーケットの頃に(同じ広場で沢山のお店がでるそうです)もう一度来れるといいのですが、これは10年後くらい先になるかもしれません。

さてベルリン中央駅に午前11時前に到着しました。最初に迷ったのがトラムと地下鉄。今晩のホテルはホリデイ・インのアレキサンダー広場前なおので「S」というトラムに乗るのですが、通常のトラムのイメージと異なりベルリン中央駅の2Fのプラットフォームから私鉄のように発着しています。ベルリンの近未来的なイメージとは異なりSのトラムも後から乗るUの地下鉄もふた昔まえくらいの乗りもののように見えます。これは東西ベルリンの分断の影響かしらとも思うのですが、映画『Bridge of Spies』で出て来るベルリンの電車そのままです。

まず訪れたのがブランデンブルク門です。東西ベルリン、東西ドイツ分断の象徴と言われた建物です。残念ながら旧西ドイツ側はイベントの準備していて足場が組まれていましたが、東西ベルリンの中心部に立っていた建物で、東西ドイツ統合の象徴の門を見ることが出来感無量でした。すぐ横にアメリカ大使館、少し離れてイギリス大使館があるのも(イギリス大使館前はBrexitの関係でしょうか、車両通行止めになっていました)。ブランデンブルク門の土産物屋でベルリンの壁のカケラを売っていたので写真に撮ったところお店の人にこっぴどく怒られました(すいません)。

その後、苦労しながら(SというトラムとUという地下鉄の路線が分かりにくい!)ベルリンの壁記念館(Gedenkstätte Berliner Mauer)へ。その前には巨大な壁がそのまま残されていました。これを見て人は何を思うのでしょう。もちろん権力による抑圧された人々が感じる理不尽さ、自由を求める人間の根源的欲求、時代に翻弄されながらも時代を動かした人々の力の大きさ。いろいろなイメージや印象が湧いてきます。展示を見る人達(多くはドイツ人だと思われます)の真剣さ。

それにしてもベルリンは「S」といい「U」といい乗り場も方向も間違えやすいです。ベルリンの壁記念館を訪れた後帰ろうとして「U」も駅を探しても分からず、ベルリンの人には分からない、又は急いでいるのでと十分教えてもらえず、よく考えると勘違いで「S」に乗ってきたのでした。S=トラム、U=地下鉄なのですが、Sも地下を走るので混乱します。方向も逆方向の電車に乗ってしまい慌てて戻るということもありました(これはドイツ語の車内放送が分からないため)。

さて、夜はこの旅のハイライト、ベルリンフィルの定期演奏会への参加です。思えば、父に連れられて中学生の時に京都市交響楽団の定期演奏会に(旧)京都会館に連れて行ってもらったのがクラシックコンサートの出発点でした。それから40年、ついにホールもオーケストラも世界最高峰と言われるベルリンフィルのコンサートに行けることに感無量の想いでした。この日は思い切ってホテルからタクシーで(アプリで簡単に配車してもらえます)、フィルハーモニー(Philharmonie)へ。開演1時間以上前でしたがすでにかなりの人が集まっていました。1時間前きっちりに開門、中へ、勇んでチケットを手渡すと係員が厳しい表情で「ここではない」。愕然。間違えた?でもよく聞くと横のホールがクラシックコンサートの会場のようです(実際に私のような人がドイツ人も含めて結構いらっしゃいました)。

ベルリンフィルは人気があるのか日本人の姿も結構見ました。この日は豪勢にコンサート前にシャンパンを頂きました(グラス一杯が€15=2000円もしました。でも新しいボトルを景気良く開けてくれました)。開演前に会場を見て回りましたが、ステージの四方を客席が囲みこむスタイルです。これで2000人近く入るそうですが、どの席からもステージが近くに見えます。さすがにコンサートが始まると写真撮影は禁止のアナウンスが流れましたので(なかには、Go Proで演奏後の拍手のところを撮っている剛の人も、イタリア人?)。

ベルリンフィルのコンサートマスターは(イギリスではLeader)樫村大進さん。奏者の最後に拍手で迎えられての入場。堂々とした態度にも笑顔で団員と談笑する余裕が見えます。今日はブルックナー交響曲No.5一曲のみ。奮発して一番いいA席でしたので、樫村さんをはじめ楽団員の姿がよく見えます(コンサート用の強い矯正メガネを忘れて行ったのですがよく見えました)。

感想は、音の振動を楽団員と客席が共有している、ということに尽きます。客席もいいコンサートになるよう音ひとつ、咳一つしないように協力する緊張感が感じられます。その中で、バイオイン、ビオラ、チェロ、コントラバスという絃楽器が第一楽章から一貫してブルックナーの重厚な音を奏でます。途中、フルートやトランペットの管楽器が主題を導入していきます。73分あったはずですが、ステージに集中しながら脳裏にはいろいろなことが浮かんできました。

印象的だったのは、ベルリンフィルは緊張感漂う中でもちろん一生懸命演奏しているのですが、同時に音楽を楽しんでいる姿が見て取れました。楽章の合間に見せる笑顔、演奏中の恍惚とした表情。緊張と楽しみ、これは以前、樫村大進さんがドキュメンタリーの中で(The Professionals)「No risk, No fun」と言っておられてたことと符合するところです。

帰り道、でも東西ドイツがあってベルリンの壁で覆われている時代も(その時代は少なくとも30年はあった)このホールでベルリンフィルが最高の演奏を続けていたことを想像しながら、当時のオーケストラがより緊張感と存在意義を賭けて演奏に臨んでいたんだろうと思いを馳せました。
ベルリンの壁とベルリンフィルは関係ないようで深く結びついているように思います。なぜ音楽を奏でるのか、愛するのか?それは人生の絶望と可能性そして希望を謳うためではないでしょうか。

(2018.9.22)

★今回の教訓:ベルリンは絶望と希望が入り混じった街なのか。
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オックスフォード通信(177)シェークスピア・ブックストア

プラハにあるシェークスピア・ブックストアに行ってきました

シェークスピアの本ももちろんあるのですが、映画に関する本から子ども向けの本、チェコ語、ドイツ語、英語の本など多種多様の本が並んでいます。新品と古本が混じっているのも面白いところです。店主の趣味が多分に反映した品揃えですが、なかなかいい趣味の選択だと思います。

店の中には至る所にソファが置いてあり、ゆっくりと本を読めるような雰囲気です。京都の三月堂書店を地階を作って、ソファを置いた感じだと思っていただくといいです。

その前に近くのカミュ博物館に行ってきたのですが、プラハは、チェコ語、ドイツ語、ユダヤ(ヘブライ語)が入り交じる混沌とした文化状況にかつてはあったようです(現在は圧倒的にチェコ語、チェコ人か?)。その文化状況がプラハの豊かな文化を形成したようです。

先日、歴史学習ではマリアテレジアとモーツアルトの関係を一緒に学ぶべきだと書きましたが、カミュの博物館をみながらそれらは「コンテクスト」「文化」と一緒に学ぶべきだといいかえてもいいように思いました。カミュはアインシュタインと同時代に生きています。同時代に生きてきた人達が互いに影響を与えながら新しい文化や新しい政治体制をつくるのだと思います。ゆえに、「同時代性」を意識した歴史認識や歴史学習の必要性を感じます。

私の好きな言葉で置き換えると「connecting the dots 的な考え方・学び方」(=遠山啓のいう「分析と総合」の総合)をどこかでしておく必要があると思います。これは英語学習においても当てはまることかもしれません。

その後、スメタナ博物館へ。あの「わが祖国」を作曲したスメタナです。昨日はお休みだったのですが、カフェに像の前も占領されて入り口もひっそりと。でもプラハ中央駅の発着のメロディーはモルダウでしたし、下記のルカルシュさんもドボルザークと並んで尊敬される作曲家だと言っておられました。

ヴルタヴァ川のほとりに立つスメタナ像と川をみながら、スメタナは「モルダウの流れ」で何を描こうとしたのか、呆然と考えていました。すると、鴨長明の「方丈記」の出だし「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」(の最初の部分)が浮かんできました。そうか、川の流れは変わらないように見えるけれどその間に人は移り変わり栄枯盛衰がある。これは河島英五の「いきてりゃいいさ」(加藤登紀子作詞・作曲)と同じ事を言っているのではないかと思いました。「よろこびも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐってゆくのさ」

独裁者も支配者も川の流れのように歴史の流れには盛らず、真でないものは流れ去る。そして、人の人生には限りがありいつか流れの中に消え去るのみ。だからこそ今という時間を大切に謳歌しようではないか、そんなことをスメタナはモルダウという音楽に込めたのではないか、川の声を代弁したのではないか、と思いました。

午後、時間があるので、軽い気持ちで「共産党博物館」へ行ってきたのですが、予想に反して、チェコの現在までの歴史を共産主義との関係で丁寧に描いた見事な博物館でした。第二次世界大戦終了後ナチスの代わりにソ連共産主義が導入され、それに対して1968年のプラハの春、1989年のいわゆるビロード革命を軸にチェコの歴史を描いたものでした。

その国から発祥したものでない借り物はいかに良さそうに見えても人々の心に根差すことはできず、民族の心は戦争でも占領でも鎮圧でも抑えることはできないことがよく分かる内容でした。特に、1968年のプラハの春で焼身自殺した大学生と反共産主義といレッテルのもと公教育を受けさせてもらえず、強制労働や兵役につかされていたハベル元大統領の写真や言葉には力がありました。

大統領になったあとも権力を乱用することなく、私怨に囚われることもなく、チェコの民主化に努めたハベルの姿はインド独立に貢献したガンジーの姿にも重なるものがあります。ドキュメンタリーフィルムのコーナーは結構な人が集まり中には涙を拭っている人もいました。

どうもこのチェコの淡々かつ毅然とした民主化の流れとドボルザークやスメタナの姿がダブって見えるのは拡大解釈のしすぎかもしれません。

午後は電車でからドレスデンへ移動。電車のコンパートメントで一緒になったのがチェコの大学3年生のルカルシュさんと彼が途中の駅で降りるまでの1時間半くらいいろいろな話をすることができました。このコンパートメントタイプの車両は(プラハ=ドレスデン=ベルリン行きは全部がそうでした)自然とこのような話ができる雰囲気です。

おもしろかったのは、チェコ人からみると英語はあまり上手いとはいえず、シャイな人が多いとのこと。世界一シャイと言われる日本人からすると興味深いコメントでした。8才から英語、中学からフランス・ドイツ・ロシアから選択するとのことです。

おじいさんがフランスに住んでいるので、大学卒業後はフランスで仕事を探したいと言っておられました。母語はチェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、この順で自分がコミュニケーションできると思う、とのこと。こちら来てみて、チェコ語はやはり難しいと思いました。ルカルシュさん自身も母語でありながらチェコ語は難しいという認識を持っているとのことです。文字もむずかしいし、発音も難しいです。スラブ語族なのでロシア語に近いはずなんですが、ルカルシュさんに「ありがとう」をチェコ語でどう言うのか何度か聞いたのですが、別れる時にも聞き直す始末で、今に至っては全く記憶の片隅にも残っていません。

これまで、グローバルリンガフランカとしての英語について、主な配役は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、シンガポールまでだったと思うのですが、オックスフォードに来てから、ヨーロッパの人達、例えば学会でお会いしたスウェーデン、オーストリアの先生方や今回のチェコの人達をクローズアップする必要があるのではないかと思い始めています。

日本とのデモグラフィックな違いは沢山ありますが、母語を大切にしながら、英語や他の言語とうまく付き合っている姿は白か黒ではなく、その中間のようないい立ち位置を示してくれているように思います。

もう機会はないかもしれませんが、チェコ人、チェコ語、プラハに興味が一層湧いた旅になりました。そしてもっとドボルザークとスメタナの音楽を聞いてみたいと思います。

まだ聞いたことのない人はドボルザークの「8 Slavonic Dances, Op. 46, B.83: No. 1 in C (Presto)」を聞いてみて下さい。心が躍ります。

(2018.9.20)

★今回の教訓:チェコとドイツ(旧東ドイツ)国境を流れるエルベ川も美しかった。途中のSaxon Switzerland の山並みも素晴らしい。
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オックスフォード通信(174)Tower of Babe

先日のオックスフォードでの学会でお目にかかったウイーン大学の Mariene 先生にオススメの場所を教えていただき何ヶ所か訪れてみました

まずはシェーンブルク宮(Schonbrunn Palace)へ。ホテルの近くから地下鉄に乗って約20分。その車両に乗っていた半分くらいの乗客が下車。なにやら胸騒ぎが。駅を降りてみるとバスは何台も停まっているし、延々と続く人、人。まあ、入れなことはないだろうとタカをくくって入り口に。宮殿ですのでかなり広いスペースでしたが、それでもかなりの人が。

入場券売り場は長蛇の列ですが、Information で聞いてみると長時間のツアーでなければ自動販売機でチケットが買えるとのこと。英語を含め(日本語はなかったような)6ヶ国語くらいに対応したスマートな自販機でチケットを買っていざ入口へ。

入り口で預けなければいけないというバックパックを手渡し、ゲートへ。ゲートには厳しい顔をした女性係員が。また胸騒ぎ。チケットを手渡すと12:36分のチケットなので2時間後に戻ってこいとのこと。まあそう言わないで、という雰囲気も作らして貰えず断固却下されました。一度市内に戻って夕方来ようかと思ったのですが、今後は少し優しそうな男性(男女の区別をいうわけではありませんが、このような場面では男性の係員の方が柔軟に話を聞いてくれる傾向があるように思っています)に聞くと30分オーバーくらいまでが許容範囲とのこと。この宮殿は厳しい。

あきらめて、宮殿裏手の(?)庭に出てみてビックリ。広大でしかも幾何学的に設計された庭がはるか遠くの方まで続いています。ただイギリス人的発想では芝の刈り方が甘いなあなどと思いながら散策しているとあっという間に2時間が。それくらいガーデン、噴水、塔(登るのに更に追加の入場料が)には見所がありました。さすが、ハプスブルク家です。さすが、マリアテレジアですね。塔の最上階からは遠くウイーンの町並みを遠望することができました。シュテファン大聖堂の尖塔もこの景色によく合っているように思います。

厳しい受付がいるので少し早足で戻ってくると12:30、6分前です。自信を持って券を渡すと、Too Early と断固とした口調の英語が。絶望感に襲われながら3分待ち、流石にいいだろうと思った時にはその係員は他の入場者と話をしていてしめしめと思ったのですが、何のことはない、入場用のマシンが早すぎると受け付けない設定になっているのです。地下鉄駅のオープンさとのギャップに少しびっくりしました。

どうせみるものは大したものはないだろう(失礼しました)と思っていたのですが、音声案内を聞きながらのセルフガイドで回る各部屋からは荘厳・淡麗かつ現代に生きる歴史をひしひしと感じることができました。特に、マリアテレジアの前で6歳のモーツアルトが演奏した部屋と舞踏会が開かれていた大広間にはしばらく立ち尽くしました。そうだったのですね、マリアテレジアというとあのマリーアントワネットの母というつながりしか知らなかったのですが、モーツアルトが同時代にというよりも、マリアテレジアの時代が醸し出す雰囲気の中で音楽を作っていたということなのですね。

世界史は高校時代好きな科目だったのですが、この時、マリアテレジアとモーツアルトがなぜ一緒に教えられなかったのだろうとふと不思議に思いました。答えは簡単で大学入試では政治的・社会的なことは出題されても文化的な側面についてそれほど重要視されていなかったからだと思います。

しかし、このように大人になってから外国の街を訪れる際に興味深いのは政治経済よりも、人々の暮らしや生活、文化的な側面の方です。昨夜耳にしたモーツアルトの音楽が頭の中で流れてきました。マリアテレジアはどのような顔でモーツアルトの音楽を耳にしていたのでしょう。それは丁度、シェークスピアがエリザベス1世の時代に生きていたことと同じような関係なのかもしれません。

その後は、バベルの塔を見に、ウイーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)へ。途中、マーケットをしているという Naschmarkt の近くの Kettenbruckengasse 駅で下車(ドイツ語は途中で切らないので1つの単語が長い)(結果的には日曜日でマーケットはお休みだったのですが、そのホームに衝撃のポスターが。10.2からバベルの塔展。絵、ということは今は展示していないのか。そういえば日本でバベルの塔展をしていたな、まだどこかを回っているのだろうか、とだんだん弱気になってきました。でも地下鉄で乗り合わせたリビア人の男性二人が面白かったので、まあいいかという気になりました。お前はどこから来たんだ、と聞いてくるので日本というとおおテクノロジーの国か、寿司は好きだと、いろいろとステレオタイプ的なことを言ってくるので、テクノロジーは確かに当たっているが、寿司は毎日日本人が食べていると思っているだろうというとそうだと答えるので、その誤りは正しておきました。一方、リビアはどこにあるか知っているかと聞いてくるので、自信を持って日本人は100%その場所を言い当てることができるというととても喜んでおられました。わかりますよね、リビアの場所。ちなみにその母語はアラビア語ですよ)。

博物館へ行く気が一気に失せたので、途中、サンデイ・ストリート・ロックコンサートみたいなイベントをやっていて(最初は遠くの方からデモ隊の雄叫びのようなものが聞こえると思っていました)、そこでホットドック(すいません、ウイーンはイギリスよりも格段に食べ物が美味しいです)を食べたりしながら、美術館入り口へ。高い入場料を払う気がしなかったので、受付でミュージアムショップだけ行きたいと申し出ると、一目瞭然で分かるような赤のストライプのIDをいただくことが出来ました。せめて、バベルの塔のトランプでも買おうと思ったのですが(外国では必ずトランプを買うようにしています)、あまりにできが悪いので、クリムトのトランプなどを買って、レジでバベルの塔は展示していないよね、と聞くと、横でお金を払っていた客が残念だったな、来月から展覧会だと追い討ちをかけて来ます。するともう一人の客が、いやいま展示をしているはずだと。それはないともう一人の客が言い返すと、「20分前にこの目で見てきた」というではありませんか。えええ。するとミュージアムショップのレジの係員はとても親切で気が回る人ですぐさまウエッブを検索して2Fのxx室!と教えてくれました。

危機一髪。

すぐさま方針転換。受付で改めてチケットを買い(ウイーンではチケットを買うと必ず、Where are you from? と聞いてきます。不思議に思ってなぜ聞くのかと聞くと、そのように聞くように決まっているとのこと。午前中のシェーンブルク宮でも全く同じ質問をされました。本当に皆に聞いているのでしょうか)、ダッシュ気味で2Fへ(と言っても、ドイツと同じで0階から数えるので、3F、ここの美術館は更に0.5という中二階?もありました)。

ありました。あのブビューゲル (Bruegel) 作、The tower of babel です(これはホテルに帰ってから調べたのですが、ブビューゲルのバベルの塔には2作あって、1作はオランダに、そしてこのもう1作がこのウイーンにあるとのこと。日本で展覧されたのはオランダのもののようです)。

しばらく立ち尽くしました。

天に届くかというバベルの塔。聖書にも登場するこのバベルの塔。言語との関わりにおいても興味深いのですが、天国に届くように人が知恵を合わせて塔を作るというのですが、ブビューゲルの描写は細かく人々を無理強いして働かせる領主や外敵を攻撃する大砲も描かれています。

でも人々が更なる高みを目指してコツコツと塔を建設する様子は何か私達にインスピレーションを与えるものです。古来から人はこのように何かを夢見ながら果たせぬ夢に終わるかもしれないものに挑戦してきたのだと思います。これは外では無理やり働かせられているようにも描かれていますが、この塔を作るのは人間の本能ではないかとも思いました。

それほど混雑もしない贅沢な空間でバベルの塔について色々と考えを巡らせていました。

それにしてもレジで一声かけてよかった!

PS. その後、国立図書館 (Austrian National Library) へ。これがまた分かりにくい所にある。今回の旅では珍しく (?) Vodaphoneが完璧にカバーしてくれているので (giffgaffは全く駄目)Goodle Mapが使えて便利なのですが、図書館はなかなか分かりませんでした。問題は核心の場所まで行ったときに全く反対方向の矢印案内があったことです。オックスフォードのボードリアン図書館と同様の1300年代くらいからの本の展示がしてありました。エスペラント語についての情報も展示してあり興味深いものがありました。

(2018.9.17)

★今回の教訓:私にとってのバベルの塔とは?あなたにとってのバベルの塔とは?ひとりひとりが人生の中で打ち立てようとしているバベルの塔があるはずだ。
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オックスフォード通信(173)Wien Vienna ウイーン

オーストリアのウイーンに来ています

ロンドン(Gatwick空港)から1時間50分(時差が1時間あるので3時間かかるように見えますが)、LLCのEasy Jetを利用しています(天気が良くてイギリス側、フランス側の海岸線が綺麗に見えました。イギリス緑がクッキリしているのに対してフランス側はくすんだように見えるのは手入れの違いでしょうか。また着陸前にウイーンの街が見えたのですが周辺には風力発電の風車がズラリ。近未来映画のようです)。ヨーロッパなのでどこも同じだと思っていたのですが、やはり真面目にその場を踏まなけrばいけないと確認することがいくつもありました。

まず、ドイツ語。もちろんオーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を皆さんが話をしているとは思っていたのですが、ドイツ語だけです。英語で話かけるとアクセントのないニュートラルな英語で(本当に分かりやすいです。すいません、イギリス人よりもはるかに理解力が上がります)かえってきます。なのでオーストリア人の英語能力の高さは疑いようのないところですが、地下鉄や電車の放送は(車掌さんは外国人と見ると英語で話してくれます。地下鉄や電車の切符も独特です。何しろ、地下鉄の改札がなく、車内検札もなし[あるのかもしれませんがまだ経験していません。空港からの電車ではありました]。正直、空港からの乗り換えの地下鉄はタダ乗りしてしまいました。すいません!)ドイツ語のみ。日本なら、日本語→英語→中国語→朝鮮語と(JR嵯峨野線の場合)順番にします。プラットホームの電光表示も少なくとも日英でしているはずです。

しかし、ウイーンではドイツ語のみ

不便を感じるよりも、オーストリアの人達がドイツ語に誇りを持っている姿を想像して逆に好感を持ちました。そうですよね。イギリスでフランス語のアナウンスもするかというとしません!

二番目。タバコに緩い。数珠つなぎみたいですが、ホテルに早く着いてまだチェックインできないので昼ごはんの美味しいところを尋ねる→美味しいヴィエナ・シュニッツェル(Wiener Schnitzel)を頂く→そこの美人のウエイトレスにウイーンでオススメのカフェを尋ねる→素晴らしいカフェで「ウインナコーヒー」の原点のようなコーヒーとこれまで食べた中で一番美味しいザッハトルテ(Sachertorte)を頂く、とVirtuous Cycle(正の連鎖)をうまく辿れたのですが、そのカフェに行ってみてびっくり。久々にカフェの中でタバコをふかしている人を見ました(イギリスでは皆無)。また、今晩、ホテルの近くのバーでビールを飲もうと入ってみたのですが、これまた煙がもくもくしていてすぐに退散しました。タバコ文化なのでしょうか。あまりタバコを隔離しようと思っていないようです。

今夕はウイーン楽友協会でモーツアルトのコンサートに行って来ました。思えば大学3回生の時のヨーロッパ旅行では楽友協会のみ入ることができず悔しかったのですが、その黄金の間でのコンサートに参加することができました。開始が遅く、夜8時15分 ~ 10時まで。モーツアルトの名曲を聴きながら、改めてモーツアルトはすごいことを実感しました。41歳までの人生であれほど多くの名曲を作曲したこともさることながら、作曲した曲は誰もを魅了する素晴らしいメロディーばかり。

天才という言葉で片付けのは簡単ですが、彼は自然と天にあるものを音楽として表現したのだと思います。ビートルズも同じような天才でしょう。リバプールに行けばビートルズを礼賛し、ウイーンではモーツアルトか、と思われるかもしれませんが、同じ人間が行ったこととして考えると凄いことだと思いました。私もモーツアルトやビートルズのように、真理を探求してスラスラと論文が書けるといいのですが(だいぶ良いところまで来たと思うのですが今考えている問題をあと一つ詰められていません)

これはCDを聞いているだけではなくて、その場で実感しないと分からないことなのではないか、と思います。

(2018.9.16)

★今回の教訓:ウイーンを流れる河はドナウ。ストラウスが歌うように(テムズ川とは異なり)青く雄大なドナウだ。
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オックスフォード通信(172)7 pence

7ペンスというと日本円でいうと10円くらいでしょうか

ポンドからユーロとクローナ(英語ではCrown、チェコの通貨です)に為替交換をするためにオックスフォード市内の両替所に行ってきました。不思議なことですが銀行よりもどうやらレートがいいようです。

と言ってもそれほど高額ではなくて全部で1万5千円程度です。アプリがあるので(App)便利ですね。レートを確認して、£100(約15000円)ほどユーロに、そして£20(約3000円)をクローナに交換しようと思いました。

両替所はオックスフォード観光案内所の中にあってとても便利なところです。私の前に英国人の大学生風の男性が私と同様にポンドからユーロに交換していました。私の番になって、まずはユーロからということですが、£100に7セント出せば丁度€110になると親切に言ってくれます。ところがどこを探してもというか普段クレジットカードしか持っていないので(本当にクレジットカードとApple Payがあれば事足ります)小銭は持っていません。

ああああ、という残念な空気が流れ始めた時、私の前に両替した男性が「どうぞ」と7セント差し出してくれるではありませんか。

先に書いたように日本円にすれば10円ほどですが、心が動きました。

なかなかできることではないですね。私だったら、と立場を置き換えて考えてみてもすぐにサッと差し出せるか、自信がありません。

人に、特に、海外で親切にしていただくと心にしみるものですね。このお返しは日本できちんとさせて頂きたいと思います。

Pay it forward!

PS. 明日からしばらくはヨーロッパの諸国の旅にでます。現地からお届けします。お楽しみに。

(2018.9.15)

★今回の教訓:額の多少ではないのだろう。爽やかなその青年の顔がくっきり浮かんでくる。
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オックスフォード通信(171)Serena Williams

USオープンで優勝した大坂なおみさんがインタビューを受けている様がBBCなどで放送されていました

テニスコートで見る姿よりもずっと大人びた雰囲気で落ち着いた受け答えをしていました。

一方で、Serena Williamsについてはオーストラリアの新聞が漫画に描いたことによって更なる波紋が広がっています。

先日のガーディアン紙では (2018.9.7) 大学で教える教員の BME (Black Minority Ethnic)の比率が極端に低いことを報じています。裏を返すと、白人男性の比率が高いと言うことです。この新聞のグラフを見るとその極端さに驚きますが、その状況は日本においてもまた女子大学においてもそれほど変わらないのかもしれません。

マンガについては賛否両論あるようです。BBCのWebはその様子を伝えています。大坂なおみさんも白人風に描いてあると、漫画への批判は Serena だけに留まらないようです。また、PC(Politically Correct、パソコンではない)という言葉も出て来ています。

ただ生放送でUSオープンの決勝戦を見ていて、Serena の激昂ぶりは異様に映ったのは事実ですし、観客のブーイングも見たことがないような尋常ではないものでした。これが Serena が仮に優勝していたら彼女はここまで言っただろうか、第一セットをとっていたら・・・とも考えます。

どうも「江戸の仇を長崎で討つ」といった日本の諺も浮かんできそうな状況です。

(2018.9.14)

★今回の教訓:BBCの関心の高さの方に興味を持つ。NHKは放送しているのかしらん。
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オックスフォード通信(168)911

この日にどこで何をしていたか?

そのような日が人生にはいくつかあると思います。例えば、阪神淡路大震災、JR福知山線脱線事故、東日本大震災。そして、2001年9月11日もまたそのような日に数えられると思います。

日本は夜の10時すぎで久米宏のニュースステーションの番組の中で旅客機が激突する様子を見たと言う人が多かったと後から聞きました。

当時、トロント大学の大学院生だった私は事件が発生した8:47頃には既にBloor Street に面した建物(OISE)2F、現在でいうところのラーニング・コモンズ(Educational Commons) コンピュータールームにいました。まだインターネットがそれほど普及していない時代でしたが(自宅アパートではまだモデムで電話回線を通したインターネットを使っていました)Netscapeというブラウザーを使いながら何かの調べ物をしていました。

2週間後には日本に帰国することになっていましたので、友人で当時トロント大学のContinuing Educationの教員をしてたClayton Young先生(現在はドバイ在住)に使用しているテキストや教材を午後、見せて頂くアポイントメントをしていました。

9時頃になって回りが騒がしくなってきて何か大きな事故がNew Yorkで起きたらしいと言う話が聞こえてきました。1Fのロビーに降りてみるとすでに特設のテレビが置かれていて多くの人がその回りを囲んでいました。トロントはニューヨーク州に面していて心理的にも地理的にも近い距離にありました。時差もなく全てがリアルタイムでした。

そのあとは悲鳴は聞こえるものの唖然としすぎて割と静かだったのを覚えています。目の前の映像が信じられず、中には先週そのワールドトレードセンターの展望台に行って来たところだと言う人もいました。従兄弟がニューヨークに住んでいると言う人もいました。

午後になってクレイトン先生に教材を見せてもらいながら「この日に何をしていたかと言うことは永久に覚えているだろう」と言われたことを鮮明に覚えています。

当時住んでいたBloor-Yong(ブロア・ヤング)にあるトロント大学のファミリー用アパートまでは徒歩で15分くらいの距離にありましたが、途中の電気店のテレビに人が群がっていたのを印象深く覚えています。

3000人近くの人がテロによって理不尽に命を奪われたことに感じた怒りは今も消えることはありません。その中には少なかぬ日本人も含まれていました。ただ、世界を震撼させた事件でありながら、今だに多くの不明な点があることやそれについてアメリカ政府が納得のできる説明を提供していないこともそのような姿勢が必ずしも感じられないことは不思議なことだと思います。

(2018.9.11)

★今回の教訓:911は南米・チリでは1973年9月11日のクーデターをいう。911はアメリカ的発想の数字だ。
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オックスフォード通信(165)炎のランナー (A chariots of fire) と大坂なおみ

本日、土曜日夕刻はBBC Promsの最終夜 (BBC 2, 1)とUSオープン女子決勝(Amazon Prime)がほぼ同時刻に生放送されていました

BBC Promsは一度ロイヤルとアルバートホールに見に行った事もあり(通信145参照)今日の最終回を楽しみにしていました。Proms自体リラックスした雰囲気ですが、最終夜は最初から各国の国旗が舞うお祭り気分のコンサートになっていました。指揮者のSir Adrews Davisの挨拶やコメントにも観客と一体感があり見ていて楽しいものでした。Promsは日本でもBS-NHKで1-2度見たことがあるのですが、イギリスで生で見ると一段と臨場感があります。

特に、ハイライトの Pomps and Circumstance(エルガー作曲、威風堂々)は良かったです。普通なら極評するところだが今晩は良かったと指揮者のDavisが冗談ぽく言いながらもう一度アンコールとして演奏しました。

そして、そのあとの Jerusalem。38年前、20歳の頃、映画『炎のランナー』の最後にこの聖歌が教会で歌われるのを見て何故か心を揺り動かされたことを昨日のことのように思い出します。今回の在外研究でカナダではなくオランダでもなくイギリスを選んだのはまさにこの曲をもう一度イギリスで聞いて見たいと思ったことをが潜在意識にあったと思います。

この Jerusalem の最後で a chariots of fire(炎のランナー)の一節が出てきます。38年前何に感動したのか、それは情熱を持って人生を生きていく姿勢だったと思います。その曲がPromsの最後で歌われることに、イギリス人がこの曲を大切にしていることに共感を覚えます。

と、同時に。USオープンでの大坂なおみの快挙。昨日の錦織圭のベスト4とあわせて素晴らしい試合を見せてもらったと思います。錦織は準決勝で負けてしまいましたが、二人ともテニスを楽しんでいるところがいいと思いました。特に準々決勝でのClic戦では、タイブレークを取ることになった錦織のパッシングショットに思わずClic が笑っていたのが印象的でした。

テニスはビジネスになっているし、賞金も掛かっていますが、大阪にしても錦織にしてもテニスが好きでプレイを楽しんでいるところが節々に見ることができました。恐らく人生も同じことなんだと思います。勝とうとするマインドセットを楽しもうとするものに変えるときに思わぬ力が出るのだと思います。ひとが思うほど他人のことには興味はないもので、勝っても負けても、また新しい出来事に人の関心は移って行くものです。

ならば誰かのために頑張って勝とうとか思うよりも、自分が楽しんでプレイをする方がより人生が豊かになるのだと思います。

肩に力が入りがちな中で錦織も大阪も楽しいプレイを見せてくれたと思います。

錦織は準決勝で敗退しましたが、テニス人生においてはすでに勝利していていると思います。大学生の皆さんにも同じことが言えるのではないでしょうか。大学に入った時点ですでに人生に勝利していると。
人生を楽しむことと Chariots of Fire。相反するように見えますが根底は同じだと思います。人生を楽しもうと思わないと情熱は湧いてきません。誰かに勝とうとかそのような気持ちでは長続きしないと思います。

PS. セリーナウイリアムズの審判への執拗な抗議には辟易とするものでした。それを煽るアメリカの観客もどうかと思います。ウインブルドンではそうはならないだろうと思います。試合をみる観客の態度も含め自由をはき違えている人が多いように思いました。

PS-2. 錦織の試合のコメンテーターはあのジミー・コナーズで声を聞けて嬉しかったのですが、しゃべりすぎで、錦織がサーブやプレイをしている間も喋り通しの異様な中継だった。名選手が名コメンテーターとは限らないのだろうか。コナーズが選手時代のビデオで、”You may not like me, but I like you.” と言っているものがあったがコナーズファンが減らないように気をつけた方がいいと思う。

(2018.9.8)

★今回の教訓:帰国まで200日。更にイギリスを楽しみたいと思う。
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オックスフォード通信(157)帰国ラッシュ

季節が変わります。

と合わせて日本人研究者の先生方で帰国される方も多くなってきています。車を譲っていただいたK先生が8月上旬、妻が親しくしていただいていた九州の大学にご勤務のK先生が先週、そして湖水地方やグロースター大聖堂などをご案内頂き文学に疎い私に新たな光明を与えていただいたK先生ご夫妻が9月初旬に帰国されます(全てイニシャルがKなのは偶然の一致)。

一期一会という言葉が指し示す通り、日本では決して実現しないような出会いがあるのがこの在外研究の醍醐味の一つであると思います。特に自分の専門外の先生とは学内ではお会いすることはあってもゆっくりとお話をする機会はそれほどないものです。

そのような先生方がご帰国されるのを目の当たりにすると一抹の寂しさがあるものです。まだまだ時間があると思っていたのに、というのは人生にも当てはまることかもしれませんが。

火曜日に帰国されるK先生ご夫妻とはオックスフォードシティーセンターのパブで一献傾ける(と言ってもビールですが)ことができました。オックスフォードの経験が深い先生からは「やはり健康第一」「あまり欲張らないで淡々と生きる」「日本とオックスフォード、あるものはそれほど変わらない、むしろいつも時間がないのでできないことが多い。新しいものに飛びつくよりもじっくりと時間を大切に」との貴重なアドバイスを頂き、今後半年の人生訓にしようと思っています。

銀行口座開設やフラット探しの苦労など、今となっては笑い話に花を咲かせて楽しくささやかな送別の宴を持てて良かったと思います。どこにいても今後もひととひとのつながりを大切にしたいと思います

明日からは9月。在外研究もあと半年となります。

(2018.8.31)

★今回の教訓:素晴らしい人たちに会うと心がすがすがしくなる。
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オックスフォード通信(145)PROMS

イギリスにいる間に是非ともと思っていた BBC PROMS (PROMenade concertS), に金曜日の夜に行ってきました

4月当初からプログラムを買っていたのですが、なかなか踏ん切りが付かず、このままでは行かずじまいになってしまいそうでしたので、思い切って(大事な事ですね)バスに飛び乗りロンドンまで日帰りで行ってきました。

グズグズしていたのには理由がいくつかあるのですが、その最大のものが、イギリスのコンサートは始まるのが遅く、当然のことながら終演も遅いという事です。このプロムスも同じ事で金曜日のコンサートも19:30から終了はほぼ22:00(中には、Late night concertというものもあり0:00終演というものもあります)。

結果的には帰りもバスで帰ることができて、オックスフォードのアパートには0:30頃には帰り着いていましたので、地下鉄やバスの乗り継ぎもうまく行きました(Victoria Station のCoach Bus Stationから乗ったのですが、行きに帰りの乗り場を下見しておいて良かったです。イギリス最大のバス乗り場だと思います)。

さてこの PROMS に是非にともと思っていたのには微笑ましい理由があります。36年前(1982年)ヨーロッパ一人旅(正確には、到着時と出発時のみツアー。現在の『地球の歩き方』の前身であるダイヤモンドツアーに参加)した際、この会場の Royal Albert Hall の外観だけ見て中を見ることができなかった悔しさが残っていました。今回はコンサートということもあったのですが、この会場となった Royal Albert Hall の中に入って見たい気持ちの方が強かったと思います。

会場内は外観から想像できるように円形、しかも中央部1Fは当日券の立ち見席という他のクラシックコンサートでは考えられないような形式。

インターネットで3日前に予約した席でしたが、ステージからそれほど遠くなく指揮者やコンサートマスター、バイオリンのソリストの顔もはっきり見えるいい席でした。

PROMS の趣旨がクラッシック音楽を一般大衆にも楽しんで欲しいというところにあるからでしょうか、ビールなどの飲み物の持ち込みもOKという気軽なコンサートのように思えました。また休憩時間には甲子園のように肩から番重のようなものにアイスクリームを載せて客席を売り歩いていたのにはビックリしました。しかしコンサートが始まると誰一人物音一つさせないでシーンとするメリハリは流石です。

曲目は、エルガーやプロコフィエフ、フィンランドの作曲家の現代曲でした。BBC交響楽団の弦の響きが美しく引きこまれるような演奏でした。

客層は圧倒的に60代以上のシニアが多いように思いましたが、クラッシックを手軽に楽しめるような仕組みは上手い、と思います。日本にもこのような企画があるといいですね。

36年間の想いを遂げることができて、イギリスに来た目的を一つ成し遂げることができた夜でした。

(2018.8.19)

★今回の教訓:プロムスはBBC3のラジオでも生中継しているが生の感動には到底及ばない。期間中にもう一度行って見たい。
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オックスフォード通信(141)イスラムの世界

しばらく前に、ブルキナファソのピーターさん、ギニアのサマーさん、シリアのオマールさん、そして日本のコナツさんと一緒にランチを食べました(通信114参照)

その日はピーターさんがステーキが好きだというのでオックスフォードの南、カウリー (Cowley) にあるパブでお話をしました。

折角ステーキが美味しい店に来たのですが、サマーさんとオマールさんは宗教的な理由でステーキを食べないというのです。ピーターさんを含め3人ともイスラム教を信仰しています。ピーターさんが詳しく教えてくれたのですが、イスラムではまずポークを食べることを禁じている、これはよく知られた事実です。難しいのはビーフです。

ビーフに関しては、ハラル (halal)によって詳しく規定されていて、要するにこの要綱に沿った食肉の処理をしなければ食べられないとのことです。牛はインドのヒンズー教や日本の神道の一部でも固く信じられているように、田畑を耕したりして人を助ける動物であり神聖化されているところがあります。その聖なる牛を食すには牛が苦しまないような形で食肉化 (slaughter)しなければ食べられないということです。その証拠としてhalalというマークの付いている食肉でなければ、またレストランであればハラルの肉を使っていると証明がなければいけないとのことです。

サマーさんとピーターさんは30代半ば、オマールさんで40代半ばといったところですが、ピーターさんを除くお二人はこの掟を堅く守っておられるようです。

ただアフリカでも国が異なるからなのか、個人差なのか、ピーターさんはハラルには気にせず、ステーキが好きだと言ってメニューにあれば良く注文するそうです。

その他の行動規定についてはシャリーア法 (Sharia)で細かく規定されているようで、原則としてお酒やタバコも禁止とのことです。最も厳格に守っているのがサマーさんでお酒もタバコも吸わないとのこと。その中間がオマールさんでタバコは吸う、お酒はほどほどに、ポールさんはタバコは個人的な趣味で吸わないだけであとは何ら規制されないと言っておられました。

全世界人口の何分の一かを占めるイスラム教ですが、このように個人ベースでお話を聞くとよく分かって面白いです。

その他、シャリーア法では一夫多妻制度を禁じていないそうですが、実際に実践してしている人は少ないそうで、二番目の奥さんをもらうには一番目の奥さんの許可がいるそうです(許可する奥さんは少ないと思いますが)。

先日話題になった、女性が初めて車の運転を許されたサウジアラビアはイスラムの中では例外的存在のようで他の国では女性も普通に車の運転が許されているようです。

ハラルシャリーア法についてはイギリスの新聞でも触れられることがあるようです。

お二人には申し訳ないのですがステーキはとても美味しかったです。

(2018.8.15)

★今回の教訓:イスラムというと分かりにくいというイメージがあるが話をしてみるとなるほどと分かってくるところもある。日本は敗戦記念日。

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オックスフォード通信(136)対等だと女性中心と誤解してしまうのか

イギリスでは女性が活躍していると思っていました

でもそれは単に男性と肩を並べているだけであって、男性中心の日本からするとその対等という状態が、私にイギリスは女性中心の社会と錯覚させるのかもしれません。

例えば毎朝見ているBBC One の Breakfast。女性キャスターの Naga Munchetty と男性キャスター Dan Walker が並んで番組を進めることが多いですが、日本と違うのは女性が補助的な役割ではなく、Naga が Dan に話をふることもその逆もあるということです。また、Naga が Dan にジョークをいうこともあれば、先日などは、今年の夏増えているというヘビが実際にスタジオに持ち込まれ、尻込みするDanを横目にNagaがヘビを手にはわせるという場面もありました。

教育学部の事務職員も女性が多く、現在の教育学部長も女性教授です。多く、と書きましたが、圧倒的ではなくて事務職員にも男性もいるし、オックスフォードの教授陣は男性の方が多いように思います。

男女が対等に扱われる社会とは、女性が中心の場面もあれば男性が中心の場面もあるということだと思います。女性も男性も互いにこびることなくリラックスして生きることのできる社会。

日本がそのような社会を目指すとすれば、女性が中心のモードを増やしてゆくことだと思います。どちらがいつも中心的な役割を果たすのでなく、次の仕事では女性が、その次は男性がと交替すればいいのだとおもいます。それが男性が外で働き、女性が家事をするというステレオタイプ的に固定されるからいびつになるのだと思います。

一方、それだけ女性自身が担うべき責任も大きくなるのは避けられません。

(2018.8.10)

★今回の教訓:ヘッドを固定してしまうのではなく、プロジェクト毎に男女の役割が交替してゆくようなスケジュールを組むことはできないだろうか。
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