幻の2012新島先生墓前礼拝奨励(雨のため午後から中止)

日本に世界にどれだけの数の大学があるかわかりませんが、同志社は特別な大学だと思います。その中でも同志社は際立っています。スペシャルな大学です。何がスペシャルなのか。お話は7分以内といわれていますので、短時間ですが、その理由を一緒に考えてみたいと思います。

▼建物。
確かに同志社の建物は美しいです。私はいくつかの大学で学んだり、教えてきていますが、今出川及び京田辺とも、同志社の建物は最上級に上品で環境との調和が取れています。赤煉瓦調の外観は私達にほっとするような気持ちを与えてくれます。でも同志社は、建物だけじゃないのです。

▼じゃあ、場所か、と思います。
確かに、場所もまた二つのキャンパスとも素晴らしい環境にあります。京都は、古都でありながらロームやオムロン、京セラ、任天堂を産んだ革新性を持っています。歴史を持ちながら未来に開かれている。このような場所はなかなかないと思います。そして歴史に関しては、想像力を働かせるととても面白い。みなさん、少し考えてみてください。弘法大師、平清盛、法然、親鸞、足利義満、はたまた坂本龍馬に新島襄、彼らはすべて教科書に載っている歴史上の人物ですが、この京都では単なる教科書上の人物ではありません。実際に彼らはこの京都の地に暮らしていたのです。京都の町を歩いていたのです。ひょっとするとこの場所にもそれらの人物が来たかもしれません。歴史的人物は単なる書物上の人物ではなくて、ここ京都では彼らはまだ生きています。その意味では京都は単なる観光だけでなく「歴史を変えてきた」場所であり、そのような地に同志社が100年以上もある。これは大きいことです。京都で学ぶというのは、未来と過去に想像力を働かせる、ことを意味します。でも同志社は場所だけでもないのです。


建物だけじゃない。また、場所だけでない、とすると同志社の凄いところは一体なになのでしょう?
それは、入学式から繰り返し繰り返しいろいろな話の中で取り上げられてきた新島襄先生の生き方そのものにあると思います。創立者はどの大学にもいます。しかし同志社の創立者新島襄先生はひと味も二味も変わったユニークさを持っています。命がけなのです。まさに命をかけてこの同志社をつくったのです。丁度みなさんと同じ年の頃、1860年、18才の時に黒船を見て、西欧の進んだ科学文明にショックを受けます。それから4年後の22才の時、1864年に函館から密出国してアメリカ、ボストンにわたります。そして32才、1874年に帰国するまでの10年間、アーモスト大学やアンドーヴァ神学校で学び、翌1875年、33才の時に同志社大学の前身の同志社英学校を、翌1876年に同志社女子大学の前身の同志社女学校を開校することになるわけです。そして46才という若さで亡くなってしまいます。

何が、新島先生を国禁を犯してまで、命をかけてアメリカへ駆り立てたのか?何が、命を削ってまで京都にキリスト教主義の大学を設立しようとしたのか。

それは、先生の夢の実現のためです。先生の夢は「一国の良心というもいうべき人々をつくろう」「そのことによってこの日本という国を発展させよう」というものでした。新島先生は(同志社)大学設立の旨意(しい)の中で「1年単位の計ならお米をつくればよい、10年単位で何かを計画実行しようとすれば木を植えればよい、でも100年単位で何かを計画実行しようとすれば人を育成しなくてはならない」と述べておられます。同志社は新島先生の「良心を持った人物を育成したい」という夢と志が詰まった場所なのです。その意味では同志社で学ぶみなさんは、新島先生の夢そのものなのです。

そしてこの創立者墓参はそのような新島先生の志と夢を認識し、同時に自分自身の夢を再確認する場なのです。みなさんの中には自分の夢が何か分からないという人もたくさんいると思います。それは自然なことです。新島先生もきっと同様であったとと思います。黒船を見てから密出国するまでの4年間は丁度皆さんの年、18才から22才、大学の1回生~4回生に当たります。その4年間に先生もいろいろなことを考え、悶々とした日々をすごされたことと思います。悩むこと、迷うことは自然です。でも、大学生となったからには自分の夢を探そうとする態度は重要であると思います。

夢のある人は夢を実現できるように気持ちを新たにする、自分の夢がはっきりと分からない人は自分の夢とは何だろう、この大学4年間で実現してみたいことは何だろうと考え始める。それでいいと思います。夢を持つこと、又は持とうとすることこそが「志を立てる」ことだと思います。


新島先生は、時代の先駆者、パイオニアです。そして、私達にもそうなるように語りかけておられるように思います。みなさん、聞こえませんか?新島先生の声が。「夢を大切にしろ、自分の直感を信じろ、先駆者になれ」とお墓の中から語りかけてくれているように思えて成りません。私は、同志社で学ぶとは、単に京都という素晴らしい場所で美しい校舎の大学で学ぶだけでなく、同志社の、新島先生のパイオニア精神を理解して、いわば「同志社な人」になろうとすることだと思います。同志社とは目に見える大学そのものではなくて、目には見えない生き方なのです。新島先生の精神が今も息づく美しい学園同志社で、いろいろなことを学びながら、一緒に同志社な人になりませんか。夢を探し、夢を持って一緒にそれぞれの夢を実現させましょう。夢を探し、夢を持ち、悶々としながらも、その夢を実現しようとする。これこそが、同志社なひとだと思います。一緒に同志社な人になりましょう。

(2012.4.5)

映画『Super 8』

Super 8 は、やはりスピルバーグの映画だ。宇宙人を描いているようで、父と息子、父と娘の絆を描く。ETの時のように、友好的でないけれど、心は通じ合う。人も宇宙人もつながりや家族を思いやる気持ちでは同じなのだ。ハッピーエンドなんだけれど、苦味も混じった笑顔にしてくれるのが、普通のハリウッド映画と異なるところだ。

“Bad things happen, but you can live. “は、この映画だけでなく、スピルバーグの思想なのだろう。といって、説教臭くなく、説得力がある。人でも、映画でも、本でも同じだな。

最後のエンドロールまでも楽しませてくれる。映画の醍醐味満載のこれこそよきハリウッド映画だ。音楽もいい選曲だ。まさか、この曲を?と思うものを使っている。

スピルバーグを見る度に、アメリカ自体は碌でもない国だが、「いい思想が、ナイスガイがいる」と思わせてくれる。

PS.小太りの子どもは、どうしておもしろいのだろう。いつも登場するが、子どもを描く際に必須だ。

PS. ちなみに、Super8とは、コダックの8ミリ映写機。映画の中で、映画が撮られているという二重構造になっている。

PS. 列車の爆発シーンは、迫力がある。また、奇妙なルービックキューブは、いい謎として最後まで、聴衆へのいい握力になっている。

(2011. 8. 1)

Pay back & Pay it forward

私がコンピューターと出会ったのは、(もちろんかなり昔から知ってはいたが)そんなに昔のことではない。今からほ んの4年前のことである。以前まで使っていた東芝のルポというワープロとの差も分からないまま、まわりの友人の1人が買ったので何となく欲しくなったとい うのが実状だが、奥様に頭を下げ下げ、なんとか買ってもらった。頭を下げて買ってもらうという姿勢はその後、コンピューターを買う度に繰り広げられる光景 となり、回を重ねるごとに周到な用意が必要となっている。さて、当時初めて32ビットになったというのがうたい文句のNECのノートパソコンを手にしたの だが、今のようなウンドウズであるわけもなく、一太郎が動き出すまで大変な時間と友人の協力を要した。(ここがDOSマシンの悪いところである)。しか し、いったん動き出すとなかなかおもしろいものでその範囲内だけだが、かなり使いこなせるようになった(と思っている。)そうなると、ワープロを使ってい る友人がもどかしく思えるもので、私の悪い癖だが、友人という友人に「NECのパソコンはすばらしい、やっぱりパソコンを買うならNEC」などとNECの 宣伝をして回っていた。その後NECとの甘い蜜月はしばらく、続いたのだが、運の悪いことにというか良いことというべきか、当時私の隣に住んでいた住人が マックを購入し、ハイパーカードを使って学校で使えるようなソフトの開発の研究をしていた。当時のマックは今からは想像できないくらい高価で、・ciとい うマシンを彼は使っていたが100万円を軽く越していた。はじめはそんな彼を大いにバカにしていたのだが、2つ以上のソフトを同時に動かせるという点(今 ではどのマシンでも出来ますが)は驚きだった。そして何よりもソフトのインストールの方法やアイコンによる表示などマックのUser-friendlyな 点には惹かれるものがあった。根っから文科系の私にとっては大きな魅力であった。恋愛と同じでいったん心が動いてしまうと、止められないのが人の情。 NECを買ってちょうど1年半、私はマックに乗り換えようと決意した。そして、入念な計画にはいった。もちろん奥様の説得である。今にして思えば、オウム 真理教と同じ手口だったのかもしれないが、(教祖が「修行するぞ、修行するぞ、….」というビデオがありましたね)、約6カ月間ことあるごとに「マッ クがどうしても必要だ、買ってくれ、買うぞ」といい続けた。洗脳の効果があらわれた、いや相手があきらめたのがちょうど12月のボーナスの時期だった。当 時CD-ROM付きの画期的とうたわれたMac ・vxがちょうど発売になったところだった。それまで、ほんの少しずつバージョンアップしては新製品を出して購買意欲を掻き立てるというNECの姿勢に比 べ、満を持して決定版しかも他に何も買い足さなくてもよいというアップルコンピューターの姿勢を信じていた私はこれだ!と思った(アップルおまえもか!と 叫ぶのはほんの2カ月先だったが)。今にして思うと60万円というのは信じられないくらい高いが、隣の住人からすると倍速CD-ROMがついてその値段は 信じられないといっていた。

さ てその日からマックとの甘い生活が始まった。こんな風に書くとちまたにいる『マックおたく』みたいだが、私がマックをまがいなりにも使いこなせるように なったのはNECの場合同様、いやそれ以上本当に多くの人の無償の指導援助のたまものである。特に隣の住人であったN氏は私の生みの親・育ての親といって よい。コンピューターではちょっとしたことが実は重大なことであったりして、コンピューターが動かなくなったりする。しかもそんな簡単なことはマニュアル に書いてない! 彼にはそのような細々したことを実に頻繁に尋ねた。ある時などは32ビットアドレススイッチをめぐって朝の4時までつきあってもらったこ とがある。しかし驚いたのは彼がイヤな顔ひとつせず嬉々として教えてくれる事だった。もちろん彼自身マックが好きだったこともあると思うが、懐の深さを感 じされられた。

コンピューターをはじめて買った人はたぶん必ずマニュ アルを読むとか市販されているコンピューター関係書を買い込んだりするが、私はそれは大きな間違いだと思っている。時間がコンピューターのためだけにある のなら別であるがそうでない場合がほとんどであるから、はっきりいって時間の浪費に終わることが多い。学習の形態にも様々あるがことコンピューターに関し て言えば、「Problem solving=問題解決型」のアプローチがベストだと信じている。つまり、私はこれをしたい!手順を教えて欲しい。これである。私は絵を描きたい!どの ソフトを買って、どう使ったらよいか?表計算で合計!どうやったら簡単にできるか?教えて欲しい。…. しかし、難点はいい先生を身近に見つけるこ と、そして日本人には特有の負い目である。つまり、すごくお世話になっている、いつも教えてもらって悪いなという気持ち、これはなかなかぬぐい去ることが 出来ない。

私 もそのような負い目をずっと持ち続けてきたが、この大学にきて少し考え方が変わったところがある。相変わらず、今度はパソコン通信の仕方などを多くの先生 や職員の方々に聞き回っていたが、特にS先生、K先生には手とり足とりと言ってていいほど時間をさいてもらって教えてもらった。おかげで私のしたいことは 100%できるようになったが、なんとお礼をいったらいいのだろうと思っていたとき、お二人から(別々に)たまたま同じ言葉をお聞きした。それ は、”Don’t pay back. Pay it forward.”「私に何かお礼をしたり返さなくてもいい(それはもちろん教えていただいた先生より知識があるわけでもないからしようと思ってもできな い)。誰か違う人に今度は教えてあげなさい。」そんな意味だと思う。この言葉に非常に感銘を受けるとともに、あつかましく今までいろんな人にお世話になっ てきた負い目がなくなるような気がした。これはコンピューターに関わっていくとき実に大切な姿勢だと思う。その言葉を耳にしてからは、私の教えられる事に 関しては、求められればどんどん助言させていただこうという気持ちになった。

しかし考えてみればコンピューターという機械を通してそのような人間のつながりが出来てくるは奇妙でもあるが、ホッとする。今後もマックを使いながらパソ コンネットも含め様々な人たちとかかわり合いになれればいいと思っている。そして、願わくば妻を説得し末には新しいパワーマックが購入できることも…

と ころで、この大学に来てLLの操作方法などで本当にお世話になったA氏が今度の人事異動で他の部署に移られると聞いた。仕事とはいえ、それ以上の熱意と誠 実な姿勢で教えていただいたA氏に何もお礼が出来ないのは申し訳ないが、この原稿が彼の依頼であったことを考えるとコンピューターについて書くことが何ら かの形でpay backいやpay it forwardになればと願っている。

(短期大学部講師 わかもと・なつみ)

DOS&DOS 情報システム課 1994に掲載

(1994)

若き日に薔薇を摘め

「薔薇を摘むと、棘(とげ)、がささるから血が出る。でも若い人はすぐに治るのだから怖がらずに何にでも手をだせ。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が死 ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な人生しか送れませんわよ」。これは僧侶であり作家である、瀬戸内寂聴さんが語った言 葉として先日の朝日新聞に掲載されていました。「若き日に薔薇を摘め」。いいことばです。

いまみなさんは、まさにこの若き日を生きていらっしゃいます。そしてみなさんに比べれば多少年は取りましたが、私もまた、この若き日を生きているつもりです。

この大学という場所はそのような若き情熱の溢れる場所であります。

さ まざまな行事や出来事のあったこの秋学期及び2004年度の授業も今日で終了となります。あとは定期テストを残すのみとなり、1-3回生のみなさんは楽し みにしていらっしゃる春休みが待っているわけです。特に3回生のみなさんにとっては、これから就職活動、教員採用試験の勉強またはさらに大学院受験など、 これからが今後のみなさんの人生を占う重要な時期となります。一方、4回生のみなさんにとってはこの新島記念講堂における礼拝は今日が最後となります。大 学の卒業、卒業式が視野に入ってきました。時間の経つのは経ってしまうと早いものです。

今日のお話の主人公はこの大学のあるゼミの4回生達です。

か つて私が大学生であったころのように全員に課されるわけではありませんが、卒業論文に取り組んでいる4回生はこの大学でも数多くいます。日本語日本文学科 のように全員が書かなければいけない学科もあります。そのある学科のあるゼミでも23名の4回生が卒業論文という大きなプロジェクトに取り組みました。

こ の卒業論文で最も困難を極めるのが、「何について書くか?」卒論のテーマを決定することです。なぜ、大変かと言えば、それはひとりひとり顔や性格が違うよ うに、各自が興味を持っていることが異なるからです。これはその本人にしか決められないことです。これは、よく言うのですが、卒論の書き方は教えられて も、何について卒論を書くのか?これだけは教えることはできません。

卒論 のテーマは、別名、 研究テーマ、問題の所在とか、解決すべき問題、私の問題意識などと表現されますが、英語にはこれをあらわすいい言葉があります。私は大学院生の2回生の時 に、現在はハワイ大学で応用言語学を教えている、J.D. Brown博士から直接教えてもらいはじめて知りました。Research Questionsです。Research Question、私の大学院時代に学んだなかで最も重要な概念の一つです。世の中には多くの疑問があります。どうして空は青いの?どうして、人は人を好 きになるの?どれも大切な疑問、 Questionです。その中でも自分の研究分野に関して抱いている疑問、解決すべき疑問が、Research Questionです。かつて算数教育の研究をしていた私の大学時代の Research Questionは「分数のわり算をするときにはどうして分子と分母をひっくり返してかけるの?」というものでした。実にくだらなく、実に素晴らしい Research Questionです。他人から見たらくだらなく思えるでしょう。でも、私にはこの礼拝の15分間では語りきれなくらい、この Research Questionが重要である理由がありました。

こ のあるゼミの学生23名の卒論にとっても、この Research Questionを発見すること、確立することが最も困難を極めた作業でした。1週間に1-2本の英語論文をゼミで読み討議し、担当教員からは「そのテー マではまだまだ広すぎる、感想文にしかならない」と極評され、スタディーグループでも互いの Research Questionを議論しあいました。一体どれだけの時間をこの Research Questionを発見するために費やしたことでしょう。就職活動、教育実習、アルバイト、クラブ、サークルなどに時間をとられながらも 7月には、47名の他のゼミのメンバーとポスターセッションを開き、自分の Research Questionを発表する段階にまでたどり着きました。相談にのっていたゼミの担当教員も各自の Research Questionが明確になるについて、目を輝かせ自信を持って話ができるようになっていく23名がまぶしく感じられるほどでした。ここで卒論のテーマと して掲げられた問いはそれぞれの23名のこれまでの人生、または今後の人生に関わる問いであるだけに もうこの時点でこの卒論プロジェクトは半分成功したようなものでした。

こ のあるゼミでは、卒論とは直接関係がないように思えることにも果敢にチャレンジしてきました。時に無謀と思えることにもトライしてきました。10月のス ポーツフェスティバルへの模擬店の出店、競技への参加、春、夏、そしてこれから行われる冬の年3回の合宿。そしてそのうちの一つは他のゼミとの合同合宿で した。合宿委員はプログラム内容に苦心していました。ハンガリーの大学生のゲストスピーカーとしてのゼミへの参加、3-4回生の間での学習サポート、ゼミ ホームページの作成、ゼミTシャツ、スウェット、ゼミベストCDの制作、台風被害にあった友人へのサポート、卒論に向けて11月後半からほぼ毎週土曜日の ミニ合宿、名物になった合宿の際のローソンへの買出し(本当にいっぱい買いました)、体育館での3-4回生合同のスポーツ大会。総計50回を越えるゼミ運 営委員会。運営委員は本当に縁の下の力持ちとしてゼミを支えてくれました。そして教員に頼らないゼミの自主運営、と数え上げるとキリのないくらい数多くの 小プロジェクトがありました。そのなかには、笑いがありました。真剣な討議がありました。大粒のなみだもありました。ゼミが危機に瀕したこともありまし た。決して平坦な道のりではなく、決してすべてが成功したわけではなかったけれど、彼女たち23名はそれらのプロジェクトを通して2つの大きな財産を得た と思っています。

ひとつは、「なんでもやってみよう」とするチャレンジ、 いやパイオニア精神です。イラクで殺害された香田さんの例を引き合いに出すまでもなく、時にこれは状況を誤ると悲劇を招くこともあります。この境目には微 妙なものがありますが、そのような危険性を承知しながらも私は、果敢にチャレンジする気持ちは生きていく上でとても重要であると思います。この大学を創立 された新島襄先生も当時の国禁を犯して、ワイルドローバー号にてアメリカボストンに渡られました。新島先生21才の時、ちょうど現在のみなさんと同じくら いの年の頃であります。当時日本に根付いていなかったキリスト教主義教育を建学の精神として掲げるこの同志社は、いわばそのパイオニア精神によって支えら れている大学といっても過言ではないと思います。この同志社でさまざまな活動に時間を費やし、情熱を傾けられたこのゼミのみなさんのパイオニア精神はその 意味でも大いに賞賛されるべきことだと思います。そしてこのパイオニア精神の重要性を認識すること、これはこの大学で教え、学ぶものにとってとても重要な ことです。

もう ひとつは、グループによる学習や、互いの生の意見がぶつかりある中で、友情が培われたことです。友情というと古くさい、何か青臭いもののように聞こえるか もしれませんが、友情そして友人こそがこの大学生活の中で得るべき最も重要なものの一つだと私は考えています。シラバスには コースの目的として書かれてありませんが、共に同じ教室で1年、または2年学ぶ中で是非ともこの友情をコースの参加者の中に芽生えさせたいものです。この ゼミの中にも多くの友情が芽生えたと思います。ただ、友情は目に見えません。目に見えないだけに、友情を信じない人には友情が芽生えていることに気づくこ とがないのです。サンテクジュペリは、『星の王子様』という本のなかで「本当に大切なものは目に見えない」、と言っていますが、この大学を卒業した後も、 23名全員が目には見えないこの大切な友情を大切にしていただきたいと思っています。

卒 業論文がひとつのプロジェクトとすると、大学の4年間もそしてゼミもまたひとつのプロジェクトです。プロジェクトにはかならず終わりがあります。これが何 かの努力目標や取り組みとの大きな違いです。23名のあるゼミのプロジェクトももうすぐピリオドが打たれる時が来ようとしています。

23名のあるゼミでも、卒業論文を全員が提出をし、そしてポスターセッションの時と同様に明日25日に総勢70名で「第二回卒業論文発表会」でそのプロジェクトを完成させようとしています。

私 は、彼女たち23名のこれまでの情熱溢れる活動をみながら、これこそ「青春」ということばがピッタリ当てはまるのではないかと思っていました。図らずもそ のゼミの卒論キャッチフレーズは、今日のお話のタイトルにもなっている「青春謳歌」であります。これは青春謳歌とかいて青春バンザイと読むと彼女たちが決 めました。青春バンザイ、実にすがすがしく若者らしい、そしてこの同志社にピッタリの言葉だと思います。

新 島先生の永眠記念日、すなわち命日はちょうど昨日23日でした。先生は、遺言の中で、「同志社においては__不羈(てきとうふき)なる書生=信念と独立心 にとみ才気があって常軌では律しがたい学生を、圧迫することなく、その本性に従いこれを順導し以て天下の人物を養成すべき事」と述べておられます。

まさに、パイオニア精神をもってさまざまな可能性にチャレンジする学生こそこの同志社を創建された新島先生の意思にあうことなのではないでしょうか。

い い先輩のもとにいい後輩が育つ。これはそのゼミのある4回生が掲示板に書き込んだ言葉です。正鵠を射た言葉です。さらに付け足すなら、新島襄先生の建学の 精神が息づくこの伝統のある大学だからこそ素晴らしい若者が育つと。今後、このあるゼミの23名の卒業していく先輩の姿をみながらこのようなすばらしい精 神が、今後この大学で学ぶ後輩に受け継がれ、さらに確固としたものとして根付くことを祈ってやみません。

若き日に薔薇を摘め

「大学時代怖がらずに何にでも手をだしてみよう。たくさん経験をしてたくさん苦しんだ方が大学を卒業するときに、ああよいい大学時代だったと思えるでしょう。逃げていたんじゃ、貧相な大学生活しか送れません」。

若き日に薔薇を摘め

青春バンザイ、同志社バンザイ、2004年度バンザイ 、そして青春バンザイ。

(2005年1月24日、新島記念講堂における2004年度最終礼拝より)

(2005. 1. 24)

10年後の祖母からの返信

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(コリントの信徒への手紙 II: 4章18)。

祖母が他界して今年で10年。もう子どもたちの誰もが帰る可能性がなくなってしまったということで、広島にあった家を処分することになった。父からすると、故郷を長らく離れていたとはいえ、心のふるさとがなくなってしまうことに寂寥の思いだったにちがいない。数年に1回程度訪れる場所ではあったが、寂しさがこみ上げてくる。

思い返せば、広島郊外の祖父母の家をはじめて訪れたのは、小学3年の時だった。当時、山陽新幹線もなく、わくわくしながら呉線回りの「特急しおじ」に乗って行ったこと、五右衛門風呂のフタに乗り損ねて熱かったこと、原爆資料館のショックがあまりに大きく眠れなかったこと、宮島で穴子弁当を食べすぎてお腹をこわしたこと、など鮮明な記憶が蘇ってくる。

ハワイ生まれで満州鉄道の駅長をしていた祖父が、いつも優しい眼差しを私達に向けていたのに比べ、祖母は厳しかった。朝から晩まで畑仕事に精を出し、凛として、孫である私達を甘やかしたり、優しい言葉をかけることはなかった。「そんなことしとったら、つまらん」、「しっかり、がんばんなさい」、というのが明治生まれの祖母の口癖だった。

祖母の家の片付けを終えた父と久々に会った際、ひと包みの封筒を手渡された。中を見た私は、しばらく言葉を失った。そこには、ことある毎に祖母に送った20年分の手紙や絵はがき、年賀状がおさめられていた。祖母からの年賀状は印刷のもので、手紙を送っても音沙汰がなかったので、祖母は私達にあまり興味がないのかとも思っていた。

手紙の束は、大学入学後の私の人生の記録のようであった。浪人の末の大学合格、就職、一人暮らし、中学の教師の頃、結婚、大学院への進学、子どもの誕生、初めての学会発表、七五三、小学校入学、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ。口には出さなかったものの、祖母は、遠く広島の地で私達の成長を見守っていた。死後10年も経ってからそれに気づくとは、まだまだ修行が足りない。見守るとはこのようなことかもしれない。

すぐに結果や見返りを探す風潮があるが、愛情とはこのように、再確認することのないもの、なのかもしれない。考えてみると、どれだけ多くの人の愛情を受けて成長してきたのかと思う。受ける側が成長しないと、本当の愛情には気づけない。(Yonge)

(2009年11月、同志社女子大学宗教部Chapel News 11月号に掲載)

(2009. 11.)

Projectを立ち上げよう

おはようございます。

先ほど読んでいただいた聖書の箇所及び本日歌っていただいた賛美歌の共通点は何でしょうか?

本年度お招きいただき何度か卒業生の方の結婚式に参加させていただいたのですが、実は結婚式で判を押したように歌われ・読まれるのが今日の賛美歌・聖書の箇所なのです。

私自身の結婚式は20年前になりますが、冠婚葬祭でもお葬式と異なり結婚式には何度お招きいただいても晴れやかで同時に新しい人生の門出の初々しさと希望を感じることができて、こちらまで嬉しい気持ちになります。

5月に東京で卒業生のにほさんという方が結婚されました。その際、私は、スピーチを依頼されて彼女が卒業時に書いたエッセイの一節を引用しました。いいエッセイなので少しご紹介してみようと思います。

卒 業論文を書き終えた今、安堵の気持ちと少し寂しい気持ちです。去年の4月から卒論を意識し始め、7月にポスターセッションで発表するために少しずつテーマ を固めていき、本腰を入れて書き始めたのが11月下旬から12月22日でした。この数ヶ月間ご飯を食べていても喉に骨がひっかかったような感じで、寝てい る時も、卒論の夢を見るくらい追い詰められていたりして、提出日までの1ヶ月位は特に気が休まる時がなく大変でした。

ですが、今思うと卒 業論文を書いている時が大学生活で一番楽しい時を過ごすことが出来たと思います。このような貴重な時間を過ごすことが出来て、私達は本当に幸せな学生だと 思います。卒論をするためにコンピュータ室に行けば必ずゼミ生がいて机を並べて卒論に没頭したり、卒論に疲れてC458の研究室に行くと、いつも誰かが居 て、みんなで励ましあったり、行き詰まって悩んでいたりする人がいれば、みんなが適確なアドバイスをくれたりと常に一人でやっているのではなくて22人全 員でやっているのだという気持ちを本当に感じることが出来たと思います。

そして卒業論文というものを通して、私は新たな発見をすることが 出来ました。それは、この私が卒論を書くことが出来たということです。私は、英語が得意ではありません。そんな私でも29ページもの論文を書き上げること が出来たというのは、自分でも本当にびっくりしています。私が2回生の時に先輩の卒論発表会で先輩の卒業論文を見た時に、私には絶対に書けないと思ってい た私でしたが、今の私は12月22日17:00までに卒論を書き上げて提出したのです。根拠のない自信が私の中に生まれたような気がしています。

大学でゼミに入り、2年間勉強し卒業論文を書くということは、自分の可能性を試し、チャレンジできるすばらしい物であると思います。

彼女のこのエッセイを読みながらあらためて、今は東京で暮らすにほさんですが、すばらしい大学生活を送ったなあと思います。

それは正直、卒論でなくてもいいのです。

自分で何かに真剣に取り組むものを見つけること、または友人とともに一緒になって真剣に取り組むものを見つけることが重要なのです。

私 は正直言って、授業に全部出ていても、にほさんのように「自分で真剣に取り組んでみようと思うものを見つけられなければ」大学生活の価値はそれほどないと 思っています。考えてみてください。みなさんは、もうすでに「いい大人」です。20年近く生きてきて、そろそろ「自分で何か行動を起こして」何かに取り組 んでみる、ということができなければ、これからの人生で主体的な生き方ができるでしょうか?いくら知識を身につけていても、それを自ら主体的に生かしてゆ くことができなければ宝の持ち腐れと言われてしまうかもしれません。

そんなにたいしたことでなくてもいいのです。自分一人でしなくてもいいのです。友達と一緒にやってみればいいのです。

昨 年、私のゼミの学生のみなさんが、フラダンスをEVEで踊りました。正直びっくりしましたが、同時にとてもうれしくなりました。自分たちで考えて自分たち で行動を起こしたからです。でもまったく何もないところから、EVEの舞台に主演するところまで練習をし、衣装をそろえる、考えてみると数多くのすべきこ とがあったはずです。それを例えば仮に先生がこうしなさいといってしまうと効率よくできてしまうかもしれないけれど、それでは何も残らないと思います。価 値があるのは、EVEで上手に踊ることよりもむしろ自分たちの力でその舞台に立とうとすることだと思うのです。その試行錯誤、膨大な無駄に思える時間、実 はそれこそが、その後のみなさんの糧となり力となるものだと思います。

昨年度ノーベル物理学賞を受賞された京都大学名誉教授の益川先生は、著書の中で「自分自身の大学時代に最も良かったことは、友人とあーでもない、こーでもないと議論したこと、ディスカッションしたことだ」と書いておられます。私もそう思います。

大学時代に重要なのは、お金とか効率とか、資格をとることよりもむしろ、いかに回り道にみえても自分たちで議論をしながら何かを追求してゆくことだと思います。

そのためにも、自分で、友人と何かの「プロジェクト」を立ち上げてみましょう。どんな小さなことでも、どれほどばかばかしくみえることでもいいです。

フ ラダンスを踊った彼女たちは今年に入って、大阪府豊中市の小学校で英語を教えるプロジェクトをはじめています。STEPと名付けられたこのプロジェクトは 私が橋渡しをしたものではありますが、リーダーを中心に教える内容を考え、教材の準備や段取り、そして実際に教室で教えはじめています。果たしてこの後ど うなるのか、私にもわかりません。でも、何かのプロジェクトをかかえて、何かに取り組んでいる限り、卒業論文というプロジェクトを完成させたにほさんのよ うに、必ずやって良かったという気持ち、根拠のない自信というものを得ることができるのだと思います。それは仮に失敗した場合においても、必ずその失敗は 将来につながるのです。

私の敬愛する、アップルコンピュータCEOのスティーブジョブズは2005年のスタンフォード大学の卒業式で次のように述べています。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

「何がどこにつながるか、人は先んじて知ることはできない。しかしだからこそ、どこかにつながることを信じて、何かに真摯に打ち込むべきだ」と。

もちろん、身を危険にさらすことはしてよいわけではなく、よく考えてから行動はしなければなりません。

大切なのは、自分で、友達と、自分たちで考えて、何かをやってみることなのです。

2009年度春学期の授業も本日で終了します。春に学んだことを振り返りながら、夏休みに「My Project」を立ち上げてみませんか?

すこし人生の見方が変わってくると思います。

秋学期、また元気な姿でお会いしましょう。

(2009年7月29日、今出川キャンパス栄光館にて奨励)

(2009. 7. 29)

2013年の私へ

(草稿メモです)
4月1日、あなたはどこでなにをしていましたか?
翌日の入学式を前に、家元を離れて、ひとり電車にのり、京都を目指していた人
ご家族と食事をしていたひと
御世話になった高校の先生の人事異動を新聞で知って複雑な重いに駆られていた人
エイプリルフールで面白い嘘で友達を楽しませていた人
大学生活を前に、わくわく、どきどきしていた人

府立医大の話
元気でいることに対する感謝の気持ち
親子の話:親子の絆の強さ
自分の子ども(高校生)の事を思い出した。どのような気持ちで子どもを育ててきたか。また、自分自身が自分の親からどのように愛情を注いで育てていただいたか、思いを馳せた。
支えてくれている人がどれだけの数いることか?
500万円の話(玉田先生)
と同時に、「親の言うとおりの人生」を歩むことも問題かもしれない。精神的にも、経済的にも、自立しなければならない。大学とは、支えてくれる人に感謝をしつつ、同時に親から自立できるような力をつけなければならない。

では、大学における学力はどうやってつけてゆくのか?
学力がなければ人から尊敬されない。一流の学生になってほしい(大谷総長)
土台、岩の上に積み上げてゆこう(杉野)
ダイアローグが基本(Teele学長)
大学においては、「学力」はそれほど問題にならない。
何でもやってみようと思うー意欲
恥ずかしいと思うかもしれないけれど前に出る-静かな勇気
自分の気持ちを大切にする-こころざし

大学は人生の中で光り輝く時期
コヘレトの言葉にあるように
全てのことには定められたときがある
大学は、学ぶ時、議論する時、本を読む時、旅に出る時、英語能力を飛躍的に伸ばす時、恋をする時、失恋をする時、友達を増やす時、アルバイトやクラブ・サークルに参加する時
将来について考える時、親や家族の支えに感謝する時、自立する時、世界で通用する日本人になる時

しめくくりに
同志社は、良心を手腕に社会で活躍する人物の育成を目標としています。
ただ、あまり従順でいい人になってもいけないように思います。良心を手腕にちょっと生意気に生きてみることが大切かもしれない。権威や常識に挑戦する元気がなければいけないように思います。
大学は知識を吸収するだけの場ではありません。
情報の収集方法
分析方法
ものの考え方、生き方
知識やスキルは先生から学ぶことができますが、ものの考え方・生き方は、必ずしもそうとはいえません。
友達から学ぼう。
伝統から学ぼう。
そして新しい歴史を新しい時代を一緒につくっていきましょう。
2013年、みなさんはどのような自分になっているのでしょうか?みなさんのほんの少しの心がけで、みなさんの4年後は大きく変化すると思います。みなさんの4年間に大いなる期待をしています。共に、月曜日から一緒にこの新しいキャンパスで一歩一歩頑張っていきましょう。

(2009年4月4日、英語英文学科新入生オリエンテーション閉会礼拝にて奨励)

(2009. 4. 4)

コロンブスの卵たち

四月のある日、英語英文学科のあるゼミのお話です。4年生のそのゼミでは、卒業研究のテーマを見つけようと、いろんな議論をしていました。リサーチクエスチョン (Research Question)という言葉がありますが、問題設定をすることはとても難しいことです。きっと現在、日本のまたは世界の大学4年生は、自分たちの卒業研究のテーマを何にしようかと悩んでいる時期ではないかと思います。例えば、有名な言語学者であるマサチューセッツ工科大学教授ノーム・チョムスキーのリサーチクエスチョンは「どうして人は教えられなくても、母語を話すことができるのか」です。至極当たり前のようなクエスチョンなのですが、その「問い」自体を見つけることは実はとても難しいことです。

その日のゼミでは、「どうしたらそのような新たな問いの発見が出来るのか」という話をしていました。ゼミ担当者である私は期することがありまして、朝自宅の冷蔵庫から生卵をこっそりとゼミに持って行きました。生ですので、どこかで割れないかと少し冷や冷やしましたが、4講時目無事に教室へ持って行けました。

私はおもむろにポケットからその生卵を取り出して、ゼミメンバーに「どうしたらこの卵を立てることができると思いますか?」と問いかけました。

みなさんは、今日のタイトルになっている「コロンブスの卵」という話を聞いたことがあるでしょう。アメリカ大陸を発見したコロンブスが「どうしたら、卵が立つのか?」と問いかけると、聴衆は「そんなのは無理だ」と一笑に付します。しかし、コロンブスは「それは簡単」と言い放ち、卵のカドをコンコンと叩いて、くぼみを付けて立てたという話です。私は、その話は知っていたのですが、実際やったことがなかったので、「やってみよう」と、ゼミでその話をしながらやってみようと思ったのです。

ゼミのメンバーはキラキラした眼を輝かせて私の話を聞いていましたが、リナさんという方が、「私がやってみます」と前に出て卵をこんこんとたたきはじめました。感動しましたねえ。コロンブスはきっと、コンコンと見えるようなくぼみをつけて立てたと思うのですが、リナさんはほんの少しだけ、くぼみをつけるというか、角を取って立てました。傍から見ると完全な卵と区別がつかないくらい、きちんと机の上に立っていました。「コロンブスの卵」の逸話は本当だったのですね。ゼミメンバーも予想以上にびっくりしていたようでした。やっぱり、実際に、些細なことでもやってみると意外な発見がある、ということはあるのですね。

実際、ほんの少しの違いなんですが、ちょっとやってみると全然違う世界が広がるということは、卒業研究やリサーチクエスチョン以外にも様々なところに存在します。そして、そのコロンブスの卵的なおもしろい発想、おもしろい取り組みというのは実は同志社女子大学のあらゆるところで行われています。今日はそのような、おもしろい取り組みを3つ紹介したいと思います。

一番目の話。2月のある日、英語英文学科4年生の方が「今年、教員採用試験を受けるのだが、どうしよう。」と話をしていました。大抵おもしろい話というのはディスカッションの中で生まれてくることが多いのですが、「どうしたらいいかな、採用試験難しいな」という話をしていると、ある人が「みんなで集まって勉強したらいいやん」と、単純な発想なんですがそんなことを言いました。それはおもしろいということで、話はとんとん拍子にまとまりまして「教員採用試験本気組」という変わった名前のグループが出来上がり、2月から教員採用試験に向けて勉強しています。人数が増えたり、減ったりするということはありますが、3年生も含めて約10名の学生が教員採用試験に向けて、週一回くらいのペースで集まったり、または春休みなど集まれないときはインターネットなどを使いながら、勉強しています。私もある程度、効果はあるだろうなと思っていたのですが実際にやってみると、効果絶大です。勉強そのものというよりはむしろお互いが刺激しあい発奮し、意欲が向上しているように思います。そのような参加者の気持ちの変化というものが見えて、おもしろい気がします。現在では、金曜日の5時間目に知徳館C271の部屋に集まって、最終の専門科目、英語の勉強をしていますが、この本気組の取り組みもある意味でちょっとした話から「コロンブスの卵的」に広がってきた大きな取り組みなのかもしれません。

二番目の話。今日、この場所に西村仁志先生も来ていらっしゃいますが、リトリートでも活躍された三田果菜さんという方から、3日ほど前にお手紙をいただきました。彼女はリトリートや英語英文学科のさまざまな行事で活躍されて、卒業記念パーティーの実行委員長もされていました。彼女は現在、同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースという難しい名前の学科で勉強されていますが、手紙を見てびっくりしました。ネイルアートと町屋をくっつけて新たなイベントを立ち上げ、しかもそれがAll Aboutというインターネットの有名なサイトで紹介されて、記事になりインタビューされたので、ぜひ見てほしいというお手紙でした。さっそくそのページを見ると、従来の発想とは全く違う新たな大学院での学びといいますか、研究の姿というものを見せていただき、すごいなと思いました。しかし、すごいなと思う一方で、そのきっかけというのはほんのちょっとした何か発想の転換だとか、こんなことしたらおもしろいんじゃないかという西村先生やゼミ生とのディスカッションで起きてきたのではないかと思います。結果としては非常に素晴らしいものですが、出始めというのはそういうものです。

三番目の話。6月11日に英語英文学科では、生協とタイアップをして辞書のワークショップをしようということになりました。電子辞書を生協でたくさん売っているが、本当の使い方を分かっているのだろうかという話を、生協の方と話をしたのがきっかけです。その日、なんとかならないかなと話をしていたのですが、ひょんなことからワークショップをしたらいいんじゃないか。だったら、メーカーのカシオにも声をかけて一緒にやろうと、とんとん拍子に進みまして、実際にカシオ電算機株式会社後援という形で、電子辞書をどのようにして英語学習に使うのかというワークショップをすることに発展しました。

これらは、結果としては、うまく行っているようですが、始まりというのはほんのちょっとしたきっかけであり、コロンブスが卵の角をコンコンと叩いたような、そういうところから全てが起きているような気がします。今、聞いていらっしゃるみなさんは、そんな当たり前ではないか。そんなことやっても仕方がないじゃないかと思われるかもしれませんが、最初のやってみるかどうかの小さな違いこそが後々大きな違いを生んでくるというものではないかと思っています。

この、コロンブスの卵というのは、本当か嘘か、実は後から作ったのではないかという話もあります。コロンブスはみなさんご存知のように、アメリカ大陸を発見した(いやコロンブスがネイティブアメリカンに発見されたという見方もあるが)のですが、ある人が「そんなん、西に行ったら必ず見つかるよ。ヨーロッパから西へ、西へ行けば、アメリカがあると。誰だって出来るよ。」と言いました。するとコロンブスは「でもその誰でもできる簡単なことをみなさんは思いつかなかったじゃないか、いや思いついていてもしなかったではないか。じゃあ試しにこの卵を立ててごらん」と言ったそうです。世の中というのはある意味では当たり前、やってみたら誰でもできることが溢れています。みなさんの研究、私の研究を含めて、全て当たり前のことかもしれません。ただ、その当たり前ことを不思議に思って、実際にやってみるかどうか。そこが大きな分かれ目ではないかという気がします。

その日のゼミは、英文科のゼミなので英語で “A little difference makes a big difference”、すなわち、小さな違いが後々大きな違いを生むという言葉で締めくくりました。私も40数年間生きてきて、このほんのちょっとした違いというのが、人生において大きな変化を生むということを実感しています。

今、そのゼミでは、大学一、日本一といわずに世界一のゼミを目指そうということであらゆる取り組み、一見しょうもないと言われるようなものも含めてやろうとしています。私は、そのような一見当たり前、一見しょうもない取り組みの中から必ず、すばらしいもの、後から考えるとすごいといわれるような発見や結果が生まれると信じています。世界一のゼミを目指そうという気持ちでみんながやっている限り、必ず世界一のゼミになれると私は信じています。また、この大学においても日本一といわずに、世界一の大学になろうとみなさんが思って、いろんなことに取り組み、参加していくと必ず、世界一の大学になれるのではないかと思います。

今日のタイトルは「コロンブスの卵たち」になっています。実は、卵はたくさんあると思います。最初は小さな卵ですが、みなさんが一緒に考えてディスカッションし、試行錯誤していく中で本当に大きな卵になっていくと思います。私も含めて一緒にコロンブスの卵を見つけたいと思っています。

(2008年5月14日、京田辺キャンパス 新島記念講堂、5月26日 今出川栄光館にて奨励)

(2008. 5. 14)

私達はわすれない

先週の金曜日、駅で電車を待っていると、一人の若い女性がにニコッと、わらって走り寄ってこられました。今から、5年前、英語英文学科を卒業されたIさんでした。5年の間にIさんは、一層美しく成長されていたので、学生時代の彼女だと一致するのに何秒かかかりましたが、英語の教職課程で熱心に学んでおられた当時のIさんの姿がすぐに思い出されました。

Iさんは現在京都のある有名銀行に勤務しているとのことなのですが、亀岡駅から彼女が降りる二条までの間の25分間、さまざまな話をしてくれました。

5年間の間に、支店を一度転勤になり、現在は西陣支店にいること、最初の2年間は仕事になれるのに大変だったこと、2つのお店では、ずいぶんお客さんの印象が異なり、現在勤務する西陣支店は昔ながらの京都というお客さんが多いこと、5年間の間に、いろいろな部署をまわり冷や汗をかきながらもいい経験を積んでいること、30才を前にしてそろそろ結婚もしたい、そしてもっと経験も積みながらキャリアアップもしたいこと、できればMBAなど大学院にも行ってみたいことなど、喜々として彼女の現在の仕事、将来への展望を語ってくれました。

と、同時に、大学時代の事についても話がおよびました。友人達の話、小学校で教師をしているKさんのこと、大学院を卒業した同じイニシャルのKさんのこと、旅行代理店で働いているTさんのこと、ゴールデンウイークにその一人が結婚すること、また、その式に久々に友人達が集まること、そして大学時代のゼミや授業のこと。

彼女は大学時代、この春、英語英文学科をご退職になった、清水宏先生のもとで、中世ルネッサンスについての研究をしていました。私は、カナダからの在外研究から帰ってきた年でゼミもなく、彼女たちがゼミのみんなでイタリアへ行こう!と、計画をしていたのをうらやましく眺めていました。そのときの彼女達の盛り上がりは大変なもので、一人10万円近くの旅行資金を着々とため、清水先生を含め20名近くのゼミ生がイタリアへ行く寸前まで旅行の具体的な計画を作り上げていました。結果的に旅行は、個々人で行く事となったのですが、その時の顛末をまるで昨日のことのように喜々として話してくれました。当時は2週間でしたが、教育実習についても話はおよび、いつどのような授業をした、ホームルームでこのような話をした、など、緊張しながらもある意味では、教育実習が忘れることのできない大学時代最高の経験だった、とIさんは語っていました。

彼女は最後に、「確かに当時は多少大変とおもったかもしれなかったけれど、自分の好きな勉強を好きなだけできる、こんな楽しいことはなかった、私には大学時代からうすうすわかっていたけれど、この大学時代こそが人生でもっとも楽しい時代だっとおもう」、と言って電車を降りてゆきました。

彼女を見送りながら、Iさんは本当にいい大学時代を過ごしたのだなあ、また、大学時代っていうのは本当にいい時代なのだなとあらためて、思いました。

しかし、いま、この新島記念講堂にいらっしゃるみなさんには、ひょっとしたこのことは実感できないかもしれません。就職活動、教育実習、日々の授業やプレゼンテーションの準備、山のような課題に追われ、中には恋の悩みを抱え、将来についての漠然とした不安を抱いている人も数多くいるでしょう。

しかし、それにもかかわらずこの4年間の大学時代は、学びの集大成の時期であり、人生のスポットライトのあたる最高の時期のひとつであると思います。悩みや苦しみはあるでしょうが、それは明日の未来への準備であり、多く悩んだ人ほど、将来光り輝く人生が待っていると私は信じています。

今日、4月25日は、この同志社にとっては特別な日です。人の死は、年齢に関係なく、悲しいものです。しかし、2年前のJR福知山線の事故でなくなった107名の人達に思いを馳せる時、悲しみはことばでは語ることはできません。特に、多くの若者、特に高校生や大学生が亡くなっています。龍谷大学、京都女子大学、そしてこの同志社においても、
同志社大学文学部英文学科仙木さん、社会学部メディア学科 榊原さん、法学部法律学科 長濱さん、そしてこの同志社女子大学においては音楽学科特別専修生の大森さおりさんが事故でなくなりました。

さきほどのIさんの話にもあるように、大学という、ある意味では人生で最も光り輝く時期に、事故によってその命を絶たれる事の無念さについて、特に同志社という同じ学園で教える、教師として、自分よりも若い人達の死にはいたたまれない思いが致します。また、ご家族のみなさまの悲しみと喪失感については想像もできません。この2週間あまりテレビ新聞で様々な報道がなされていますが、親しい人を無念の事故で亡くす事の悲しみは当事者でなければわからないものであるとおもいます。亡くなった方々ばかりでなく、事故の後遺症に苦しむ人も多いと聞いています。昨日の夜のNHKニュースでも最後に救出された同志社大学4回生の林さんのことが報じられていました。このJR福知山線の事故は2年経った今もまだ終わっていないのだと実感させられるものでした。

わたしはつい、「私達に何ができるのか?」と問いかけたくなります。しかし、それは人それぞれの考え方、感じ方でいいのかもしれません。人によっては、亡くなった人の分まで精一杯生きようと考える人もいるでしょう。人によっては、図書館に立ちよって、これまでの新聞報道を振り返りながら、どうしてこのような事故が起きてしまったのか、もう一度考えようとするひともいるでしょう。人それぞれの考え方があっていいのだ、と思います。

しかし、同じこの同志社に学ぶものとしてしなければならないことがひとつだけあると思います。

それは、今日の奨励題にも掲げさせて頂いたように、107名の亡くなった方々を忘れないということです。この同志社で学びつつこの事故で亡くなった4名の学生のみなさんをわすれない、ということです。あなたをわすれない。亡くなった人達、そしてこの悲劇的な事故をわすれない、そして将来にわたり語り継ぐこと、これはこの同志社で学び教えるものの責務であるとおもいます。林さんも昨日の番組の最後に「私が生きている限り、この事故を風化させない」と絞り出すように決意を語っておられました。

最後に、Tuesdays with Morrieという本から、生と死についてのメタファー的一節を読ませて頂きます。易しい英語で書かれていますので一緒に意味を考えてみてください。

[Tuesdays with Morrie から引用]

亡くなった人達を忘れない限り、その人達の志は生き続けるのだと私は信じています。

(2007年4月25日、京田辺キャンパス新島記念講堂にて、奨励)

完全版は2007年度宗教部ともしびに掲載

朝日新聞京都版にもこの話が部分的に取り上げられました(2007.4.26)

一番好きな映画

今日、5月15日は、沖縄本土復帰35周年の記念日、そして京都三大祭りの一つ葵祭の日ですが、今日は映画の話からはじめたいと思います。

みなさんは一番好きな映画は何ですか?と聞かれたらどうお答えになりますか?きっとたくさんの映画がその候補として浮かんでくることでしょう。私も忙しい毎日ですが、映画をよく見る方です。先日もスパイダーマン3を見てきました。どのような映画を見てもその映画から学ぶことは多くあります。

私がもしどの映画が一番好きですか?と聞かれたなら、好きな映画の一つとして山田洋二監督の「同胞」を挙げるでしょう。山田洋二さんというと「寅さんシリーズ」で有名ですが、それ以外にも「幸せの黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」や「学校」など数多くの素晴らしい映画を制作しています。

1.「同胞」の舞台は、岩手県松尾村という農村。寺尾あきら演ずる主人公の高志はこの村の青年団長で、酪農を営んでいます。その松尾村を一人の女性・河野さんが訪れます。彼女は東京の統一劇場の勧誘・オルグとして、この村でミュージカル「ふるさと」公演を青年団主催でやってみないか、とすすめにきます。公演の費用が65万円。

青年団の幹部は、みな二の足を踏みます。もし赤字が出たら、どうしよう?赤字が出るかもしれない。毎晩、会合を重ねますが、結論が出ません。そのような中で、同じ酪農を営む博志が言います。

2.「失敗するかもしれない、でも失敗を恐れてやらなければ、もうそれは失敗しているのと同じだ。失敗を恐れて取り組まないよりは、思い切ってやって失敗したほうがいい。酪農も同じだ」

私は何度もこの映画を見ていますが、見るたびにこの場面で心の中で「そうだ、そうだ」と言ってしまいます。このようなチャレンジ精神、パイオニア精神、大切だと思います。

3.夏、公演の時が来ます。目標六五○枚の切符はなかなか売れません。青年団は、作戦を変更し、仕事が終わってから夜、一件一件各家を回ってようやく売り切ります。

トラブルも発生します。公演三日前になって、会場に予定されていた中学校の体育館が、有料の催物には貸せない、と校長に断わられてしまうのですね。校長の答は変らない。河野さんは遂に「無料ならいいんですね」と無謀とも思える提案をします。河野さんは、「自分達は金儲けのために芝居をしているわけではない、無料で公演するのは苦しいけれど、芝居を楽しみにしている人たちのために中止することはできない」、と言って校長室を出ます。「今回に限り特別に許可する」、という校長の許可を聞いたのは、みんなが校門を出てすぐでした。青年団が小躍りでその喜びを表します。

この映画の楽しいのは、今は亡き渥美清など寅さんシリーズに出てくるレギュラーが所々に顔を出すところにもあります。

4.さて、公演当日。この公演自体は、統一劇場の「ふるさと」というミュージカルがダイジェストでそのまま挿入されています。テーマは、タイトル通り、ふるさとのありがたさ、そしてそのふるさとの農業。農業をやめ、土地を売ってしまった人たちの悲しみ、ふるさとのお祭りの楽しさ、ふるさとが人々にとってどれほど心の支えとなっているのかが切々と伝わってきます。この公演自体、実際に松尾村で上演してそのライブが映画になっているのですが、このミュージカルに実際に涙するお年寄りの姿も印象的です。

青年団の奮闘で、この公演は大成功を収めます。

そして、映画のラストシーンです。公演が終わって、3ヵ月後、秋、稲刈りのシーズン。主人公の高志が河野さんに手紙を送ります。寺尾聡演じる高志の声で次のように読み上げられます。

「いま、稲刈りを愛ちゃんが手伝いに来てくれています。そしていつもあの忙しかったあの公演前のことを懐かしく話し合っています。なんであんな大変なことが僕達にできたのか、不思議な気がします。でも愛ちゃんは言います。幸せって、ひょっとしたらそのようなことじゃないかと。僕もそんな気がします。」

私もそんな気がします。私も幸せとはそのようなものだと思います。幸せとは、今日の奨励のタイトルにもさせていただいたように、「夢の中に、すなわち何かに夢中になって取り組むこと」じゃないかと思います。

ただ、高志自身、公演の準備に取り組んでいた時にはそのような実感はできなかったわけで、夢中になっているときになかなか自分が幸せであるとは実感できないことが多くあります。

ある程度のお金も必要でしょう、健康はもちろん重要です。でも、お金そのものは人を幸せにしてくれません。何でもいいから夢中になって取り組むこと、そのような夢中になって取り組むことを持つことが人生にとってとても重要なことであると思います。

この場にいらっしゃる大学生のみなさんはたぶんいまその実感はないかもしれませんが、きっと後から振り返った時、研究でもゼミのことでもサークルでもアルバイトでも旅行でも恋愛でも、夢中になって取り組んだことが、楽しかった、幸せだったと実感できることだと思います。そして夢中になって取り組むことが大学生活で最も重要な使命であるとすら思っています。他人からはどんなにつまらなく見えても自分がのめりこんで取り組めるものを探すことことの重要性はいつら強調しても強調しすぎることはありません。

そして、なぜ夢中になって何かに取り組むことが幸せなのか、その意味もこの映画の中で示唆されています。河野さんが映画の終わりの方で高志達に語りかけます。

「長い間、このような仕事をしているけれど、若い人の可能性って本当に素晴らしいのね。今回もみなさんから教えられたわ」

そうなんですね、夢中になって何かに取り組むとき、知らず知らずのうちに自分の可能性が引き出され、そして自分が成長してゆくのでしょうね。背が伸びている時、自分ではあまり実感がないけれど、ある時振り返って、背が伸びたね、と分かります。夢中になって何かに取り組むとき、本当に自分が成長するのでしょうね、そして自分が成長できていることが自分が幸せだと感じることなのだと思います。

わたしは、今年で教師生活通算25年を迎えます。河野さんのように、「長い間、このような仕事をしているけれど、若い人の可能性って本当に素晴らしいのね。今回もみなさんから教えられたわ」

と3月の卒業式で学生のみなさんに言えるように、若い学生諸姉の可能性を一層引き出せるような教師になっていきたいと思っています。

みなさんももうもっていらっしゃると思いますが、何でもいいですから、「夢中になって取り組むことのできるもの」に取り組んでいきましょう。探してみましょう。

(2007年5月15日、今出川キャンパス 栄光館にて奨励)

(2007. 5.15)

集大成へ

秋学期が今日からはじまりますが、みなさんはどのような夏休みをお過ごしになったのでしょうか。このようにいう と、何か特段すばらしい夏休みであったことを暗に期待しているようですが、何もしないボーとした夏休みであってもそれはそれでいいのではないか、と思いま す。わたし達は、つい、昨日よりも今日の方が、今日よりも明日の方が素晴らしい日々であることを期待してしまいます。また、大学生の皆さんにとっては、自 分の専攻している分野において、日々成長できることを期待してしまいます。しかし、わたし達の長い人生はそのような、丁度赤ん坊が日に日に成長するよう に、目に見えて成長が見えるような、絵に描いたようなサクセスストーリーばかりではないとおもいます。

私 もまたこの夏休みには多くの課題を持って入ったのですが、実際夏休み中にどれだけそれが達成できたか、と問われると、半分くらい、としか、いや半分以下と しか返答できないかもしれません。実際のところ、私は今取り組んでいる論文の執筆を大方済ませてしまいたいと意気込んで8月を迎えました。論文を書こうと 思うとアテネオリンピックが気になったり、集中できないことも多く、なかなか論文を書き上げる事はできません。よく学生諸姉には、がんばって書きなさいと 指導していますが、自分自身が実際に書く段になると大変です。

そのような悶々とした日々を過ごしている中で、9月6日から一週間、群馬県榛名町で実施された宗教部主催ワークキャンプに参加してきました。私が滞在したのはそのうちほんの二泊三日でしたが、いろいろなことを考えさせられる、また感じさせられる貴重な三日間でした。

群 馬県に初めて足を踏み入れたということもよかったのかもしれません。上越新幹線に初めて乗ったことも、また新島先生の旧宅を訪れることができたこともよ かったのかもしれません。ワークキャンプでは、参加した学生のみなさんが生き生きと毎日を過ごし、そしてその毎日を時に涙も交えながら振り返る姿をみて、 このワークキャンプが学生のみなさんに与えている大きなインパクトを感じました。

そ のような中で私にとっては理事長の原慶子先生やエンジェルホーム園長の長坂としや先生にお会いできた事は幸運なことでした(原先生は11月にこの同女に来 られますので先生の話をお聞きする機会があると思います)。長坂としや先生には夜の8時から1時間半に渡ってエンジェルホームでの入園者のみなさんとの交 流を通して考えられたことなどについて、お話いただきましたが、そのお話を通して、いままでの忙しい生活の中で私自身も忘れかけていた大切なことを思い出 したような気がしました。

それは「すべてのことに意味がある」ということ です。老人福祉施設に入居している方々はもちろんのことながら高齢者であり、かならずしも明るい未来が待っているわけではありません。そう遠くない将来に 死と直面することになります。しかし、考える基準を私達において発する問いこそ間違っているのではないか、長坂さんはいいます。つい、私達は、生きている 事を効率的な意味に置き換えようとしてしまいますが、もともと生きているということは、何かの為に役に立たなければいけないわけではなく、生きている事そ れ自体に意味がある、と長坂さんはいいます。これは、理論ではなくて長坂さんの生活から生まれた実感であると思います。お話を聞いていて何かこころにスト ンと納得するものがありました。

人生うまくいかないと、また大学生活でも うまくいかないと、何のためにこんなことをしているんだろう、と思ってしまう事があります。しかし、私は、長坂さんのいうように、「一日一日、一瞬一瞬 を、精一杯生きる事」が大切であり、今は、意味がないと思っている事にも、あとから考えてみると重要な意味があることが実に多く思います。

自 分が自分らしくあるということほど難しい事はない、また、自分をいつも好きであることも困難であると思います。この夏の私自身の論文の進展を見ても、私自 身についてそう思います。自分に憤慨したり、自分に嘆く事も時に、必要だと思います。ただ、悲しみや辛さは幸せにつながっている、という楽観的な信念は持 ち続けたいものだと思います。幸せになる努力、これは難しいようですが、現在目の前にある大小の困難に立ち向かう事には必ず意味があると思う事、すなわ ち、生きていいる中で出会う、起こるすべてのことには、自分を成長させてくれる何らかの意味があると信じる事が、生きていく上では重要なことになるのでは ないか、と思います。

長坂さんと一緒にみんなで、加藤登紀子の「いきて りゃいいさ」という歌を歌いました。「喜びも悲しみも立ち止まりはしない、喜びも悲しみも立ち止まりはしない、いきてりゃいいさ、いきてりゃいいさ」。様 々な喜びと困難がこの秋学期も待ちかまえていると思いますが、「一日一日、一瞬一瞬を生きている精一杯生きる事」が、最終的に私達に幸福をもたらしてくれ る秘訣なのかもしれません。

今日のお話のタイトルは「集大成へ」としまし たが、4回生のみなさんは、大学生活の集大成ともいえる卒業論文、卒業研究の仕上げにかかる秋学期だと思います。1-3回生のみなさんは、春からの学習・ 研究のまとめをする時期に当たります。また、10月末にはスポーツフェスティバルや秋季リトリートも控えています。学生のみなさんも、私達教員もそれぞれ 忙しく走り回る毎日になりますが、「困難も、苦労も、幸せにつながっている」という楽観的な気持ちを持って、汗と涙を流しながらこの秋学期を楽しみたいも のです。

今日は秋晴れの爽やかな一日になりそうです。お互いの健闘を祈念して今日のお話をおわりにします。

(2004年10月1日、今出川礼拝堂における2004年度秋学期最初の礼拝より)

(2004. 10. 1)

英語の学習開始年齢は何歳までか?(臨界期)

「英語教育」(大修館書店)1998年6月号で『外国語学習と年齢』という特集を組んでいます。いわゆる臨海期 (Critical Period)といわれ、何歳までに英語など外国語学習をはじめないと発音など習得に問題が残るか、という興味深い問題です。冒頭の静岡大学白畑先生も書 いておられますが、この答えをめぐっては「もう遅いのか」という自分へのあきらめと、その分自分の子供へ「過剰の期待」をかけ、小学校へ行く前から英会話 や塾へ通わせるという結果になります。

さて、この特集の中で特に興味深いのは、浜松医科大学の植村研一先生の談話です。脳神経外科のお医者さんだけあって、脳の働きから非常に説得力のある説明となっています。ポイントとして以下の3点があげられるでしょう。

言語の理解はウエルニッケの野に各言語の領域ができるかどうかに関わっている。そのためには、まず聞くことからはじめなければいけない。
デジタル情報を扱う左脳ではなく、アナログ情報の右脳を使う方が忘れにくい。
5才頃臨界期はやってくるから、それまでに日本語だけの環境ではなく幅広い音を聞かせるべきだ。

医者という立場または、脳の研究家という立場で発言されると、「そうですか」と言わざるを得ないところがあるのですが、「聞くところ」からはじめるというの は、確かに理にかなった教授方法なのかもしれません。今後、英語教育にも脳を意識した研究の必要性を感じさせるものでした。

(1998.  5. 23)

老人問題は自分の問題です

私には96才になる祖父がいます。祖母が今から5年前になくなってからも元気にしていたのですが、最近少し周りの ことがわかりにくくなってきました。歩くことができるのはいいことだと思っていたのですが、介護をしているひとからは、寝たきりになっている方が案外いい こともある、という話を聞いたことがあります。徘徊をしないからです。実験的に2週間老人福祉施設にお世話になっていたのですが、孫である私や曾孫である 私の子供には目を細めて喜ぶのですが、現実世界から遊離したこともよく言うようになりました。今後どのように祖父と接していくべきなのか、いろいろ考えさ せられます。ただはっきりしていることは、どのような状態でも祖父は祖父であり愛しているということ。それは現在アルツハイマー病をやんでいるレーガン大 統領を家族があたたかく見守っていることと同じです。

しかし、今後このような状況は加速度的に身の回りに多くなってくると思います。それだけ日本の老人人口は増えてきているということです。私もいつかは年老いるときがくるのです。

(1998. 5. 14)

生きている喜びと生かされている喜び

イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人に仕えるものになりなさい」(マルコによる福音書、第9章35節)

英語には、active voiceとpassive voiceがある。中学の英語の授業で学んだように、同じ現象を異なる見方から言っているわけだ。このように一歩離れたところから言語を客観的に見ること のできるメタ言語能力を持つことは、英語運用能力を身に付けることと並んで外国語学習の重要な目的である。

さて、この能動態と受け身であるが、形式的に変換はできてもいつもinterchangeablyに使えるわけではない。むしろ、英文を書く際には、受け身にすると「誰が」という主語が曖昧になることから、例えばMicrosoft Wordで文法チェックをすると、「Passive voiceを使っていますよ」と警告を受けることがある。しかし、40年ほど人生を生きてきて、自分で生きてきたというactive voiceに少し疑問を持つようになった。学生のみなさんには、人生の選択に迷った際には、「自分自身で決めること」が後悔しない最大の秘訣だと、いわばいつもactive voice的なアドバイスしているこの私が、である。

人生はもちろん、自分で生きているわけだが、一方で、生かされていると感じると、心が何となく爽快になることに最近気付いている。悔いのない人生を、と思う あまり、これまでとかく肩に力が入り過ぎていたのかもしれない。自分の人生だが、同時に自分以外の人々=家族、友人、同僚、学生のみなさん、多くの人の支 えによって実は生かされている。ただ、そのような多くの人々の協力を得ているのが、目標達成の過程の方法論ではなくて、人生の目的そのものが、実は誰かに 生きる使命を与えられて、誰かのために生かされていると考えてみる、ということなのだ。すると、自分だけが得したい、いい思いをしたい、という メ我よしモ の気持ちから、誰かに メContributionモしようという心持ちに心のスイッチが切り替わる事に気付く。

自分以外の人に神の存在を含めるかどうかは、個人の自由だとおもう。ただ、時々、誰かに「生かされている」と思うことで、変な虚栄心から解放されることは事実だ。’Number One’でなくても’Only One’でなくてもいい。時には、’After you’といえる心の余裕を持ちたい、とおもっている。

生きている喜びと生かされている喜び、この両方を味わいたいものだ。

(同志社女子大学 Chapel News 11月号掲載)

(2003. 11. 1)

「買ってはいけない」の衝撃

週刊金曜日が発行している、別冊「買ってはいけない」を買って読んでしまった。読んでしまったというのは、読まな ければよかったという意味を含んでいる。この本には、これまでに週刊金曜日に連載されたものであろう、この食品には(たとえば、日清ラ王)こんな危険性が あるよ、という私たちがスーパーや特にコンビニなんかで買っているものの内情を暴露する記事をまとめたものだ。知らなければ、マクドナルドのハンバーガー も、ローソンのアイスクリームも、山崎パンも気持ちよく食べられたのに。それは、それとして、この本を先週末に読んで、しばらくして、衝撃が走った。

それは、「美味しんぼ」という漫画の時にも薄々感じていたことだった。たとえば、日本酒は日本酒だけから出来ているわけではない。でも私は知らなかった。 工業用アルコールが混ぜられているし、同じくビールにはコーンやスターチ(よくわかんないけれど)が入っている。漫画を読んだとき、「えっ」と思ったけれ ど、その時はそのままだった。おいしければいいじゃないかと。でも、問題は、日本酒だけじゃなかった。たとえば、キリンビールには遺伝子組み替えの材料が 使われているかもしれない。虫除けスプレーは虫もよけるけれど人間にも害があるかもしれない。えっ。そうなの?そうなんです。それをそうとして知ってつ かっていれば何ら問題はないけれど、知らないで、自分や子供につかっていればそれは自分に毒を盛っているようなものだ。コンビニのおにぎり、しかりであ る。

しかもである。

本にも書いてあったように、テレビはスポンサーによって(民放は)成り立っていから、自分のパトロンを批判することは絶対にいえない。そして、多分NHK は政権担当政党に問題のあること(原発など)には厳しい目を向けさせないように番組をつくっている。考えてみれば、みのもんたの昼時の番組もそうだ。体に 悪いこと、これをしちゃいけない、ということは一杯いっているが、製品の危険性にはいっさい触れない。つまり、よっぽど、努力をしないと(たとえばこのよ うな本を買うとか、生協でものをかうようにするとか、環境問題を専攻するとか)これらの情報は入ってこない。

なぜ、これにはこんな毒が入っていますよ、こんな危険性がありますよ、ということを国民にいえないのか。それは、民主国家とかいっているけれど、この国 は、国民を馬鹿にしているからだろう。言ってもわからないか、言わなくても文句を言わないだろうとたかをくくっているのだろう。そう思って、最近のニュー スを読むとよくわかる。

1. 阪神淡路大震災の時には、被災者の個人補償をあれほど渋った政府が、銀行にはぽんとお金をだすのはなぜか。
2. 銀行は、取り立てやまで雇って個人のローンは追求するのに、大手ゼネコンのけた外れの負債はチャラにするのはなぜか?
3. アメリカやヨーロッパでは認められていない添加物が日本でのみ認められているのはなぜか?カップヌードルの容器が有毒物質を発生危険性から海外向けでは使われていない発泡スチロールが国内向けでのみいまだに使われているのはなぜか。
4. 本にも書いてあったように、先進諸国(G8など)では喫煙率が下がっているのに、日本だけ減らないのはなぜか。学校では喫煙問題に苦しんでいるのに、テレビであんなさわやかなCMをいまだにしているのはなぜか。
5. 政府は、教育問題の根本解決にはクラスサイズを小さくしかないことを20年も前から知っていて、知らぬ振りをするのはなぜか。

だから、日本は欧米から未だに「子供の国」とバカにされる。子供は親の言うことをきいていればいい(最近の子供はそうでもないが、すると子供の国にもならないか)。

疑問山積みである。でも、ここで終わっていたら、ブロードキャスターや関口ひろしのサンデーモーニングと同じガス抜き効果しかない。

2つ考えてみよう。

ひ とつは、辺見庸と筑紫哲也が対談でいっていたが、「大状況と小状況」という点。たとえば、今回の君が代日の丸の問題にしても問題が大きすぎて、または生活 からかけ離れていすぎて反応しにくい。テレビでもいっていたように、さっちーとみっちーの対決の方がわかりやすくておもしろい。しかし、考えてみれば、大 状況と小状況というよりも、「わかりやすさ」の問題なのだろう。それと、「興味」。大状況であっても、例えばガイドライン法案の場合についても、だれかコ ンピュータグラフィックを使って、こんな風になるんですよということをわかりやすく説明してあげれば良かったのに、それがなかった。たけしの万物創世記で はあれほどリアルにわかりやすくお茶の間にこどもでもわかるようにイラストレイトできるのに、こと政治になるとわかりにくくすることが美徳でもあるような 気がする。

いや、むしろ、スポンサー付き、政府付きのテレビや新聞はあえてそれをしなかったのかもしれない。

“Explain this to me like I’m a six-year-old.”

もう一つは、エイズ薬科事件の時そうであったように、ミドリ十字を責めていくと、タマネギの皮むきのように、どんどんタマネギが小さくなってしまう。結局 誰が悪かったのか?阿部とか郡司などの人物には確かに責任がある。でも、彼らだけがわるいかったのではないだろう。本当は、チェック機能もままならない厚 生省という、システムを作ってしまった、そのようなシステムを作動させてしまったことに問題があるのだ。つまり、個人が、誰か悪玉がいるようにみえるけれ ど、それを支えている思想にほんとうのもんだいがある。もし、郡司や松村という課長だけがわるかったのなら、本の中で批判した合ったような小林製薬の製品 はもう市場にはでまわっていないだろう。

思想とは何か。

ものの考え方であるが、これはよく考えてみなければいけない。意志決定システムでもある。しかし、意志決定するためには、課題がなければ、または問題がなければいけない。すなわち、どのように問いの立てるか、というだろう。

つ まりこういうことだろう。どのような問題を問題として認識するか(問題の立て方)、そして、それをどう問題解決するか(意志決定のシステム)、そしてどう 検証するか(責任のとりかた)。これはまだ、未熟な部分が残っているだろうから、もう少し考えなければいけないが、私はこれが根本だとおもう。それらをど う遂行するかというのはスキルになるだろうから、これが今のシステムに不足しているとは思わない。問題は、もっと前の段階のものだ。

問題の立て方には、イマジネーションが不可欠だ。すなわち、頭の中のバーチャルリアリティがいかにあるか、ということ。こうすれば、どうなるだろう、どのような結果になるだろうという想像力である。

私 は、別に政治家でも官僚でもないし、なろうともおもわない、なれるとも思わない。しかし、これとパラレルな小状況は今の私の周りにもごろごろと転がってい る。それに前向きに取り組まないでおいて、政治やマスコミを批判していては、単なるごろつき評論家とかわらないだろう。

教師として、研究者として、どのような思想をもって前向きに取り組むか。

(1999.  6. 18)

30代最後の Birthdayの誓い

昨日めでたく39回目の誕生日を迎えました。朝から両親をはじめ妻、子供、姪までもから「おめでとう」という電 話やお祝いの言葉をかけてもらい、「うん、いくつになっても誕生日はいいものだ」と思ってしまいました。おまけに、大学では心優しい1回生の学生のみなさ んがケーキを焼いて持ってきてくれ(誕生日に来てくれたのは単なる偶然だったようですが)ハッピーバースデーまで歌っていただきました。教職の授業でも、 誕生日だということを自ら宣伝して拍手をしていただきました(少し拍手の数が少なかったような気もしましたが)。

いつになってもいいものだ、と書きましたが、平均寿命を考えるとまだ人生は56%残っていることになります。計算が大変ですが。さて、この残りの、(おっ と、誰かがこのように人生を逆算するようになる年がいつか来る、といっていましたが、私にもついに来てしまいましたね)56%をいかに生きるか、大切に考 えたいと思っています。来月は双子の誕生日です。彼らはもうすぐ5才。さて、何を考えていることやら。

(1998. 5. 16)

神をこころのなかにすまわせるとは

いま、私が勤務している同志社は、クリスチャンの大学であるが、わたし自身は、キリスト教の信仰を持っていない。 だからといって、神の存在を信じていないわけではない。しかし、神をつねに心の座標軸において生活をしているわけではない。もちろん、家族や同僚、多くの 友人との交流を感謝し、自分一人の力で現在の自分が存在しているとは決して考えてはいない。しかし、最近、神をいつもここに住まわせ、祈りながら生活をし ている人と、都合のいいときだけ神を頼りにするわたしの姿勢では、生き方に決定的な差な差を感じるようになった。

つまり、自分のことは自分で決める、または自分一人で存在しているという「自立した人間」はすばらしいことのように思えるが、同時にその言葉にはおごりと自分の弱さが隠されているのではないか、ということだ。
私の後に私がなく、私の前に私なし、と考えるととても勇気がわくと同時に、「力み」もで、同時に不安にもなる。だが、極力(顔に似合わず)私はこのよう に考えるようにして生きてきたと思っている。もちろん、他者の存在を排除するわけでもなく、他者との相互共存、相互協力関係を前提としたものだが。ただ、 時々、私はこれからどのように生きていけばいいのか、新しい研究のアイディアはこれからも生まれるのか、という不安は常に感じていたし、これを他者と共有 することはできなかった。それは、他者と共有のしようのないものだと考えていたからだ。しかし、人間の存在を越えた神にこれらの不安を全て任せることによ り、これらの不安感から解放されることができるように思った。それは一歩間違えば、オーム真理教に足を踏み入れることかもしれない。全てを任せようとして いるのではない。ただ、人知を超えた部分を神にあずけることにより、より人間らしくいきられるのではないか、それは人間が考えない方がいいのではないか、 と思うのだ。これは神の誤ったとらえ方かもしれない。もちろん、最新の認知心理学でみられるように、人間の意識やものの考え方は人間の手により解明が進ん でいる。しかし、どこまで行っても人間の手の及ばない聖域は残る。それは、これから先の未来に対する期待と同時に不安なのではないだろうか。この部分を私 は神にあずけ、神の声を聞きながら、人間の手によりできることを追求してみたいと思う。話は飛躍するが、これは、なすにまかせよ、”Let it be”という境地によくにているのだと思う。逃げようとしているのはない。人間の領分と神の領分があると言っているだけなのだ。何が人間らしい生き方か? もうすこし考えてみたい。

(1999. 5. 3)

コンピューターの価値とメディアの評価

ウインドウズ97いや98の発売が延期されたようだ。ウインドウズ95の使いにくさにヘキヘキとしていたユーザー にとってはたいそう残念なことだろう。私は基本的にはMacintoshを使っているのでMac OS8が発売されて使用できるようにセットアップも済んだ状態の今となっては、完全に傍観者である。一方で、歳末商戦を前にしてコンピューターの売れ行き が今一歩になってきたようだ。日本の景気回復のためのエースだけに新聞などでもなぜコンピューターの売れ行きが鈍っているかについての記事がよくでてい る。それらの記事は大まかにいってウンドウズ95は宣伝されているほど使いやすいものではなく、初心者が買ってきてインターネットの設定はもとより、ワー ドひとつ起動して保存するのでも大変だ、というような論調のものが多い。

何 を今さら。というのが私の感想だ。ウインドウズ95が発売されるときあれほど国を挙げて(!)こんなにすごいんだ、こんな事ができるようになったんだ、と 新聞や雑誌で洪水のようにウインドウズ賛美の記事を書いたのは一体誰なんだ、といいたい。あのときそんなにウインドウズ95って使いやすいのかな、と疑問 を持っていた人ですら、あれだけあらゆるメディアで”YES” と洗脳するように言われ続けられれば、信じてしまうだろう。

そして、これだ。どうしてこのように手のひらを返すように全く矛盾することを公の新聞や雑誌に書けるのだろう。試しに1年前のウインドウズ95が発売されるときの記事を読み返してみるといいだろう。関係のない私でも恥ずかしくなるぐらいだ。

最 近学生でコンピューターを買いたいが何がいいと聞いてくる。ウインドウズを買っておけばいいのじゃない、でもマックの方が使いやすいよ、という返事しかし ていない。非常に控えめだ。マックユーザーとしては。最近のアップルの動きをみているとアップルおまえもか、といいたいところばかりだから、正直それほど マックというよりもアップルアメリカは信頼がおけない。しかし、今痛切に思うのは、自分の目で自分の頭で判断する姿勢を持つことの大切さだ。ウインドウズ が主流だから、新聞や雑誌でよく書いているからという理由だけで買うと埃をかぶりお蔵入りの運命だ。ウインドウズを買うのならそれだけの知識か、またはそ れをサポートしてくれる人が身近にいたり、最初のセッティングをしてくれる人が絶対必要だ。どうしてそのようなことをコンピューター雑誌や新聞はわかって いるはずなのにはじめから書かないのか。コンピューター産業いやコンピューターデマゴーグの餌食になってはいけないと、思う。

だっ て、誰だってわかっているはずだ。あのウインドウズといいながら使える画面の少なさ、センスの悪さ、GUIといいながらアイコンのできの悪さ。ウインドウ ズの悪口を書く意図はまったくない(いえばうそになるか)が、なぜあんな代物がもてはやされるのだろう。もてはやすのだろう。だいたいウインドウズを使っ ているとコンピューターを使っているというよりも166MHZまたH200MHZのCPUに使われている気がしてならない。気のせいでしょう。きっと。別 に非難する気はないが、コンピューターなんてHappy Macの顔のように身近な友達で、お助けマンのはずなのに、と思ってしまう。

そういえば、私の勤務する大学の英米語科で最近コンピューターを1台買うことになったが、1票差でウインドウズに負けた。以前のコンピューター選定を含めると2連敗だ。だから、どうこう言う気はまったくない。

でもだ。なかなかいいものというのはわかってもらえない。またはわからせないようにうまくメディアは報道をする。

来年ウインドウズ97いや98がでるときメディアがどんな大騒ぎをするか今から楽しみだ。こんどはどんな褒め言葉を用意しているのだろう。

(1997. 10. 23)

しあわせとは

「人間の幸せとは何か?」これは大きな命題で、一生かかってこの答えを探すのだ、という人もいるでしょう。しか し、もうすでにその答えが分かってしまった人の答案を見せてもらうのも悪くはないと思います。私は、『同胞』(山田洋次監督)にその答えを見つけたような 気がしています。この映画は、岩手の青年団が自分たちには不釣り合いの大きな仕事=劇団を地元に呼んで興業を成功させる、に取り組む姿を描いている割と地 味な映画なのですが、成功するまでには紆余曲折なかなか大変なわけです。若き頃の寺尾聡や寅さん映画のおなじみの顔(例えば渥美清)が出ていてそれだけで も楽しませてくれるわけですが、この映画がすすむにつれて「幸せとはなにか」ということがだんだん分かってくるような気がします。もう、5回以上は見たと 思うのですが、見るたびにそのような気がします。

映画の最後のシーンで主人公が次のようにつぶやくところがあります。「どうしてこのようなすごいことができたのか(劇団の公演のこと)。わからない。で も、私の人生の中であんなに夢中になれることがあるかどうか。」そうです。これではないでしょうか?夢中になれるものがあるかどうか、それを発見できるか どうか、そこに人生の幸せはかかっているのではないでしょうか?よく、幸せかどうかわからない、という人はいます。でも、そのときには、しんどいだけで自 分をよく分析できないと思います。当然です。でもしばらくしてそのような自分に気づくのでしょう。もちろん、こう考えると夢中になれるものは人それぞれで 違うわけですから、自分なりのしあわせを探さなくてはなりません。

1998年度の授業が1月21日ですべて終わりました。おわったとき、なにかしら映画の中の寺尾聡のような気持ちになれました(学生のみなさんはわかりま せんが)。今年の授業はゼミを筆頭に昨年にもまして夢中で取り組むことができました。私のしあわせの定義からすると、しあわせな1年間でした。「大切なも のは目には見えない」とは星の王子様を書いたサンテグジュペリの言葉ですが、目には見えないませんが、この1年間はお金では買えないような充実感に満ちて いました。今日、学生の何人かの人と話をしていて「何か寂しい気がする」と言っていたのですが、考えてみるとしあわせはそのような気持ちと裏腹なのかもし れません。別れが寂しく思えるほど、充実していたと。本当にすばらしい学生のみなさんとこの同志社女子大学で出会えたことを感謝したいと思います。

これから3月までのあいだに、別れる寂しさと出会えたしあわせをゆっくりとかみしめたいと思います。ちょうど、山に上った登山者が登山の苦労を癒すようにまわりの景色をゆっくりと眺めるように。

PS.
ニュースステーションの特集に「最後の晩餐」というシリーズがありますが、山田洋次が出ていました(2月4日)。このシリーズは、死ぬ前に何を食べるかと いうものなのですが山田の、「多分それは青年期に飢えていて食べることができなかった、ふかし芋か、あつあつの銀シャリに卵をかけて食べたいですね。きっ と、口の回りを黄色くしてね」という回答は平凡なものですがうなずけるものでした。これらのものは食べることができなかったから、想像が膨らんでいつに なってもあこがれなのだと、彼は言います。(私は最近「かに」にたいして非常に執着してる自分に気づいているのですが、きっと同じ心理なのかな、と思いま した。)

今、欲しいものは割と簡単に手に入ってしまう、だからつまらないのかな、という気がしました。ものを手に入れた代わりに、想像力を失ってしまったのかもし れません。そういえば、恋愛も「あえない時間が愛をはぐくむ」と言われてきました。会えないから、今度会う日が楽しみなのですね。会える日を夢見ること、 ができるのはその意味では大切なのでしょう。想像力はひょっとしたら、ものを手にすることによりひとつずつうしなっていくのかもしれない、そんなことを考 えました。

(1999. 1. 23)

ディスカッションのおもしろさ

今年わたしが担当している授業・ゼミではDiscussion=討論の時間を多くとろうと心がけている。正直なところ、学生に討論をさせてもろくな意見が出てこないだろう、と高をくくっていたところがあるのだが、どっこいどうして、とてもおもしろ意見が輩出している。

先 日の英語英文学科3回生のゼミでは、個人差に影響する要因の中で、「年齢」についてディスカッションしたが、司会をしているわたしが交通整理をするのが大 変なくらい、どんどん意見が出た。「ネイティブライクな発音はどうしても必要だ」「いや国際語としての英語には必要ない」「ネイティブと話すときには相手 は母語だから多少ジャパニーズイングリッシュでもわかってもらえるが、第二言語として英語を学んでいるもの同士の場合は、かえって難しい」「いや、インド 人の英語があって、フィリピン人の英語があるのだから、日本人の英語があってもいいじゃないか」「日本人にだって、方言があるように、英語を母語とする人 にもオーストラリア人の英語、イギリスの英語、アメリカだって南部なまりの英語があるじゃないか」などと、意見がさまざまでた。

正直、話の内容は別にして、このような討論をみて、今までの日本人大学生とはすこしちがった大学生像をかいま見た(ちょっと大げさか?)ような気がした。一 方で、先々週(5月18日)京都府立大学の授業でも100名近くの学生と「ディスカッション」をした。テーマはもちろん違うが。そこは、確かに、人数も多 いせいもあって(指名討論者をつくった)うまく話がかみ合わない部分もあったが、ここでもつぎつぎに意見がでて、こんなことをいっちゃいけないが「できる もんだな」とちょっとした感動をおぼえたものだ(これは司会をしてもらった坂本君の力量に負うところがおおきい)。

だだ、ここで考えてみたいのは、その討論の仕方である。日本人の討論は、よく話がかみ合わず、順番を「じっと」待つボーリングのようだと揶揄されることがある(Polite fiction参照)。だから、討論する前には、”Don’t play bowling. Let’s play volleyball.”とあらかじめ話しておいた。また、簡単な事実関係の確認をするような「Quick question」は話の途中でもカットインしていいことも話した。それが話をかみ合わせる必要条件だと思っていたからだ。
しかし、討論を終わってのあるレポートに、そのような討論は、たしかに話がかみ合っているように見るが、実際は騒々しいだけで、自分の意見を「勝手に」 「声高」に述べているに過ぎないのではないか?とう批判が書いてあった。この2つの討論は、そんな風には、実際は進行しなかったのだが、昨晩(5/28) 久しぶりに朝まで生テレビをみていて、ちょっと考えてしまった。
オームとそれに反対する人たちが「議論」していたが、それこそ「わいわいと」、まさに騒々しいこときわまりなかった。話は結構かみ合っていたけれど、で もね、と考えてしまった。結局は、田原総一郎の腕なのかな?とも考えた。議論の中では、想像をしない論点が次々にでてくる。何を取り、何を捨てるか、どの トピックを発展させていくか、それを司会者は瞬時に判断しなければならない。バレーボールのようなボールの撃ち合いの方がわたしは議論としては優れている と思うが同時に、司会者の腕も要求されているということだ。

ディスカッションはだから楽しいのだろう。

(1999.  5. 29)