映画『Super 8』

Super 8 は、やはりスピルバーグの映画だ。宇宙人を描いているようで、父と息子、父と娘の絆を描く。ETの時のように、友好的でないけれど、心は通じ合う。人も宇宙人もつながりや家族を思いやる気持ちでは同じなのだ。ハッピーエンドなんだけれど、苦味も混じった笑顔にしてくれるのが、普通のハリウッド映画と異なるところだ。

“Bad things happen, but you can live. “は、この映画だけでなく、スピルバーグの思想なのだろう。といって、説教臭くなく、説得力がある。人でも、映画でも、本でも同じだな。

最後のエンドロールまでも楽しませてくれる。映画の醍醐味満載のこれこそよきハリウッド映画だ。音楽もいい選曲だ。まさか、この曲を?と思うものを使っている。

スピルバーグを見る度に、アメリカ自体は碌でもない国だが、「いい思想が、ナイスガイがいる」と思わせてくれる。

PS.小太りの子どもは、どうしておもしろいのだろう。いつも登場するが、子どもを描く際に必須だ。

PS. ちなみに、Super8とは、コダックの8ミリ映写機。映画の中で、映画が撮られているという二重構造になっている。

PS. 列車の爆発シーンは、迫力がある。また、奇妙なルービックキューブは、いい謎として最後まで、聴衆へのいい握力になっている。

(2011. 8. 1)

Pay back & Pay it forward

私がコンピューターと出会ったのは、(もちろんかなり昔から知ってはいたが)そんなに昔のことではない。今からほ んの4年前のことである。以前まで使っていた東芝のルポというワープロとの差も分からないまま、まわりの友人の1人が買ったので何となく欲しくなったとい うのが実状だが、奥様に頭を下げ下げ、なんとか買ってもらった。頭を下げて買ってもらうという姿勢はその後、コンピューターを買う度に繰り広げられる光景 となり、回を重ねるごとに周到な用意が必要となっている。さて、当時初めて32ビットになったというのがうたい文句のNECのノートパソコンを手にしたの だが、今のようなウンドウズであるわけもなく、一太郎が動き出すまで大変な時間と友人の協力を要した。(ここがDOSマシンの悪いところである)。しか し、いったん動き出すとなかなかおもしろいものでその範囲内だけだが、かなり使いこなせるようになった(と思っている。)そうなると、ワープロを使ってい る友人がもどかしく思えるもので、私の悪い癖だが、友人という友人に「NECのパソコンはすばらしい、やっぱりパソコンを買うならNEC」などとNECの 宣伝をして回っていた。その後NECとの甘い蜜月はしばらく、続いたのだが、運の悪いことにというか良いことというべきか、当時私の隣に住んでいた住人が マックを購入し、ハイパーカードを使って学校で使えるようなソフトの開発の研究をしていた。当時のマックは今からは想像できないくらい高価で、・ciとい うマシンを彼は使っていたが100万円を軽く越していた。はじめはそんな彼を大いにバカにしていたのだが、2つ以上のソフトを同時に動かせるという点(今 ではどのマシンでも出来ますが)は驚きだった。そして何よりもソフトのインストールの方法やアイコンによる表示などマックのUser-friendlyな 点には惹かれるものがあった。根っから文科系の私にとっては大きな魅力であった。恋愛と同じでいったん心が動いてしまうと、止められないのが人の情。 NECを買ってちょうど1年半、私はマックに乗り換えようと決意した。そして、入念な計画にはいった。もちろん奥様の説得である。今にして思えば、オウム 真理教と同じ手口だったのかもしれないが、(教祖が「修行するぞ、修行するぞ、….」というビデオがありましたね)、約6カ月間ことあるごとに「マッ クがどうしても必要だ、買ってくれ、買うぞ」といい続けた。洗脳の効果があらわれた、いや相手があきらめたのがちょうど12月のボーナスの時期だった。当 時CD-ROM付きの画期的とうたわれたMac ・vxがちょうど発売になったところだった。それまで、ほんの少しずつバージョンアップしては新製品を出して購買意欲を掻き立てるというNECの姿勢に比 べ、満を持して決定版しかも他に何も買い足さなくてもよいというアップルコンピューターの姿勢を信じていた私はこれだ!と思った(アップルおまえもか!と 叫ぶのはほんの2カ月先だったが)。今にして思うと60万円というのは信じられないくらい高いが、隣の住人からすると倍速CD-ROMがついてその値段は 信じられないといっていた。

さ てその日からマックとの甘い生活が始まった。こんな風に書くとちまたにいる『マックおたく』みたいだが、私がマックをまがいなりにも使いこなせるように なったのはNECの場合同様、いやそれ以上本当に多くの人の無償の指導援助のたまものである。特に隣の住人であったN氏は私の生みの親・育ての親といって よい。コンピューターではちょっとしたことが実は重大なことであったりして、コンピューターが動かなくなったりする。しかもそんな簡単なことはマニュアル に書いてない! 彼にはそのような細々したことを実に頻繁に尋ねた。ある時などは32ビットアドレススイッチをめぐって朝の4時までつきあってもらったこ とがある。しかし驚いたのは彼がイヤな顔ひとつせず嬉々として教えてくれる事だった。もちろん彼自身マックが好きだったこともあると思うが、懐の深さを感 じされられた。

コンピューターをはじめて買った人はたぶん必ずマニュ アルを読むとか市販されているコンピューター関係書を買い込んだりするが、私はそれは大きな間違いだと思っている。時間がコンピューターのためだけにある のなら別であるがそうでない場合がほとんどであるから、はっきりいって時間の浪費に終わることが多い。学習の形態にも様々あるがことコンピューターに関し て言えば、「Problem solving=問題解決型」のアプローチがベストだと信じている。つまり、私はこれをしたい!手順を教えて欲しい。これである。私は絵を描きたい!どの ソフトを買って、どう使ったらよいか?表計算で合計!どうやったら簡単にできるか?教えて欲しい。…. しかし、難点はいい先生を身近に見つけるこ と、そして日本人には特有の負い目である。つまり、すごくお世話になっている、いつも教えてもらって悪いなという気持ち、これはなかなかぬぐい去ることが 出来ない。

私 もそのような負い目をずっと持ち続けてきたが、この大学にきて少し考え方が変わったところがある。相変わらず、今度はパソコン通信の仕方などを多くの先生 や職員の方々に聞き回っていたが、特にS先生、K先生には手とり足とりと言ってていいほど時間をさいてもらって教えてもらった。おかげで私のしたいことは 100%できるようになったが、なんとお礼をいったらいいのだろうと思っていたとき、お二人から(別々に)たまたま同じ言葉をお聞きした。それ は、”Don’t pay back. Pay it forward.”「私に何かお礼をしたり返さなくてもいい(それはもちろん教えていただいた先生より知識があるわけでもないからしようと思ってもできな い)。誰か違う人に今度は教えてあげなさい。」そんな意味だと思う。この言葉に非常に感銘を受けるとともに、あつかましく今までいろんな人にお世話になっ てきた負い目がなくなるような気がした。これはコンピューターに関わっていくとき実に大切な姿勢だと思う。その言葉を耳にしてからは、私の教えられる事に 関しては、求められればどんどん助言させていただこうという気持ちになった。

しかし考えてみればコンピューターという機械を通してそのような人間のつながりが出来てくるは奇妙でもあるが、ホッとする。今後もマックを使いながらパソ コンネットも含め様々な人たちとかかわり合いになれればいいと思っている。そして、願わくば妻を説得し末には新しいパワーマックが購入できることも…

と ころで、この大学に来てLLの操作方法などで本当にお世話になったA氏が今度の人事異動で他の部署に移られると聞いた。仕事とはいえ、それ以上の熱意と誠 実な姿勢で教えていただいたA氏に何もお礼が出来ないのは申し訳ないが、この原稿が彼の依頼であったことを考えるとコンピューターについて書くことが何ら かの形でpay backいやpay it forwardになればと願っている。

(短期大学部講師 わかもと・なつみ)

DOS&DOS 情報システム課 1994に掲載

(1994)

英語の学習開始年齢は何歳までか?(臨界期)

「英語教育」(大修館書店)1998年6月号で『外国語学習と年齢』という特集を組んでいます。いわゆる臨海期 (Critical Period)といわれ、何歳までに英語など外国語学習をはじめないと発音など習得に問題が残るか、という興味深い問題です。冒頭の静岡大学白畑先生も書 いておられますが、この答えをめぐっては「もう遅いのか」という自分へのあきらめと、その分自分の子供へ「過剰の期待」をかけ、小学校へ行く前から英会話 や塾へ通わせるという結果になります。

さて、この特集の中で特に興味深いのは、浜松医科大学の植村研一先生の談話です。脳神経外科のお医者さんだけあって、脳の働きから非常に説得力のある説明となっています。ポイントとして以下の3点があげられるでしょう。

言語の理解はウエルニッケの野に各言語の領域ができるかどうかに関わっている。そのためには、まず聞くことからはじめなければいけない。
デジタル情報を扱う左脳ではなく、アナログ情報の右脳を使う方が忘れにくい。
5才頃臨界期はやってくるから、それまでに日本語だけの環境ではなく幅広い音を聞かせるべきだ。

医者という立場または、脳の研究家という立場で発言されると、「そうですか」と言わざるを得ないところがあるのですが、「聞くところ」からはじめるというの は、確かに理にかなった教授方法なのかもしれません。今後、英語教育にも脳を意識した研究の必要性を感じさせるものでした。

(1998.  5. 23)

老人問題は自分の問題です

私には96才になる祖父がいます。祖母が今から5年前になくなってからも元気にしていたのですが、最近少し周りの ことがわかりにくくなってきました。歩くことができるのはいいことだと思っていたのですが、介護をしているひとからは、寝たきりになっている方が案外いい こともある、という話を聞いたことがあります。徘徊をしないからです。実験的に2週間老人福祉施設にお世話になっていたのですが、孫である私や曾孫である 私の子供には目を細めて喜ぶのですが、現実世界から遊離したこともよく言うようになりました。今後どのように祖父と接していくべきなのか、いろいろ考えさ せられます。ただはっきりしていることは、どのような状態でも祖父は祖父であり愛しているということ。それは現在アルツハイマー病をやんでいるレーガン大 統領を家族があたたかく見守っていることと同じです。

しかし、今後このような状況は加速度的に身の回りに多くなってくると思います。それだけ日本の老人人口は増えてきているということです。私もいつかは年老いるときがくるのです。

(1998. 5. 14)

「買ってはいけない」の衝撃

週刊金曜日が発行している、別冊「買ってはいけない」を買って読んでしまった。読んでしまったというのは、読まな ければよかったという意味を含んでいる。この本には、これまでに週刊金曜日に連載されたものであろう、この食品には(たとえば、日清ラ王)こんな危険性が あるよ、という私たちがスーパーや特にコンビニなんかで買っているものの内情を暴露する記事をまとめたものだ。知らなければ、マクドナルドのハンバーガー も、ローソンのアイスクリームも、山崎パンも気持ちよく食べられたのに。それは、それとして、この本を先週末に読んで、しばらくして、衝撃が走った。

それは、「美味しんぼ」という漫画の時にも薄々感じていたことだった。たとえば、日本酒は日本酒だけから出来ているわけではない。でも私は知らなかった。 工業用アルコールが混ぜられているし、同じくビールにはコーンやスターチ(よくわかんないけれど)が入っている。漫画を読んだとき、「えっ」と思ったけれ ど、その時はそのままだった。おいしければいいじゃないかと。でも、問題は、日本酒だけじゃなかった。たとえば、キリンビールには遺伝子組み替えの材料が 使われているかもしれない。虫除けスプレーは虫もよけるけれど人間にも害があるかもしれない。えっ。そうなの?そうなんです。それをそうとして知ってつ かっていれば何ら問題はないけれど、知らないで、自分や子供につかっていればそれは自分に毒を盛っているようなものだ。コンビニのおにぎり、しかりであ る。

しかもである。

本にも書いてあったように、テレビはスポンサーによって(民放は)成り立っていから、自分のパトロンを批判することは絶対にいえない。そして、多分NHK は政権担当政党に問題のあること(原発など)には厳しい目を向けさせないように番組をつくっている。考えてみれば、みのもんたの昼時の番組もそうだ。体に 悪いこと、これをしちゃいけない、ということは一杯いっているが、製品の危険性にはいっさい触れない。つまり、よっぽど、努力をしないと(たとえばこのよ うな本を買うとか、生協でものをかうようにするとか、環境問題を専攻するとか)これらの情報は入ってこない。

なぜ、これにはこんな毒が入っていますよ、こんな危険性がありますよ、ということを国民にいえないのか。それは、民主国家とかいっているけれど、この国 は、国民を馬鹿にしているからだろう。言ってもわからないか、言わなくても文句を言わないだろうとたかをくくっているのだろう。そう思って、最近のニュー スを読むとよくわかる。

1. 阪神淡路大震災の時には、被災者の個人補償をあれほど渋った政府が、銀行にはぽんとお金をだすのはなぜか。
2. 銀行は、取り立てやまで雇って個人のローンは追求するのに、大手ゼネコンのけた外れの負債はチャラにするのはなぜか?
3. アメリカやヨーロッパでは認められていない添加物が日本でのみ認められているのはなぜか?カップヌードルの容器が有毒物質を発生危険性から海外向けでは使われていない発泡スチロールが国内向けでのみいまだに使われているのはなぜか。
4. 本にも書いてあったように、先進諸国(G8など)では喫煙率が下がっているのに、日本だけ減らないのはなぜか。学校では喫煙問題に苦しんでいるのに、テレビであんなさわやかなCMをいまだにしているのはなぜか。
5. 政府は、教育問題の根本解決にはクラスサイズを小さくしかないことを20年も前から知っていて、知らぬ振りをするのはなぜか。

だから、日本は欧米から未だに「子供の国」とバカにされる。子供は親の言うことをきいていればいい(最近の子供はそうでもないが、すると子供の国にもならないか)。

疑問山積みである。でも、ここで終わっていたら、ブロードキャスターや関口ひろしのサンデーモーニングと同じガス抜き効果しかない。

2つ考えてみよう。

ひ とつは、辺見庸と筑紫哲也が対談でいっていたが、「大状況と小状況」という点。たとえば、今回の君が代日の丸の問題にしても問題が大きすぎて、または生活 からかけ離れていすぎて反応しにくい。テレビでもいっていたように、さっちーとみっちーの対決の方がわかりやすくておもしろい。しかし、考えてみれば、大 状況と小状況というよりも、「わかりやすさ」の問題なのだろう。それと、「興味」。大状況であっても、例えばガイドライン法案の場合についても、だれかコ ンピュータグラフィックを使って、こんな風になるんですよということをわかりやすく説明してあげれば良かったのに、それがなかった。たけしの万物創世記で はあれほどリアルにわかりやすくお茶の間にこどもでもわかるようにイラストレイトできるのに、こと政治になるとわかりにくくすることが美徳でもあるような 気がする。

いや、むしろ、スポンサー付き、政府付きのテレビや新聞はあえてそれをしなかったのかもしれない。

“Explain this to me like I’m a six-year-old.”

もう一つは、エイズ薬科事件の時そうであったように、ミドリ十字を責めていくと、タマネギの皮むきのように、どんどんタマネギが小さくなってしまう。結局 誰が悪かったのか?阿部とか郡司などの人物には確かに責任がある。でも、彼らだけがわるいかったのではないだろう。本当は、チェック機能もままならない厚 生省という、システムを作ってしまった、そのようなシステムを作動させてしまったことに問題があるのだ。つまり、個人が、誰か悪玉がいるようにみえるけれ ど、それを支えている思想にほんとうのもんだいがある。もし、郡司や松村という課長だけがわるかったのなら、本の中で批判した合ったような小林製薬の製品 はもう市場にはでまわっていないだろう。

思想とは何か。

ものの考え方であるが、これはよく考えてみなければいけない。意志決定システムでもある。しかし、意志決定するためには、課題がなければ、または問題がなければいけない。すなわち、どのように問いの立てるか、というだろう。

つ まりこういうことだろう。どのような問題を問題として認識するか(問題の立て方)、そして、それをどう問題解決するか(意志決定のシステム)、そしてどう 検証するか(責任のとりかた)。これはまだ、未熟な部分が残っているだろうから、もう少し考えなければいけないが、私はこれが根本だとおもう。それらをど う遂行するかというのはスキルになるだろうから、これが今のシステムに不足しているとは思わない。問題は、もっと前の段階のものだ。

問題の立て方には、イマジネーションが不可欠だ。すなわち、頭の中のバーチャルリアリティがいかにあるか、ということ。こうすれば、どうなるだろう、どのような結果になるだろうという想像力である。

私 は、別に政治家でも官僚でもないし、なろうともおもわない、なれるとも思わない。しかし、これとパラレルな小状況は今の私の周りにもごろごろと転がってい る。それに前向きに取り組まないでおいて、政治やマスコミを批判していては、単なるごろつき評論家とかわらないだろう。

教師として、研究者として、どのような思想をもって前向きに取り組むか。

(1999.  6. 18)

30代最後の Birthdayの誓い

昨日めでたく39回目の誕生日を迎えました。朝から両親をはじめ妻、子供、姪までもから「おめでとう」という電 話やお祝いの言葉をかけてもらい、「うん、いくつになっても誕生日はいいものだ」と思ってしまいました。おまけに、大学では心優しい1回生の学生のみなさ んがケーキを焼いて持ってきてくれ(誕生日に来てくれたのは単なる偶然だったようですが)ハッピーバースデーまで歌っていただきました。教職の授業でも、 誕生日だということを自ら宣伝して拍手をしていただきました(少し拍手の数が少なかったような気もしましたが)。

いつになってもいいものだ、と書きましたが、平均寿命を考えるとまだ人生は56%残っていることになります。計算が大変ですが。さて、この残りの、(おっ と、誰かがこのように人生を逆算するようになる年がいつか来る、といっていましたが、私にもついに来てしまいましたね)56%をいかに生きるか、大切に考 えたいと思っています。来月は双子の誕生日です。彼らはもうすぐ5才。さて、何を考えていることやら。

(1998. 5. 16)

神をこころのなかにすまわせるとは

いま、私が勤務している同志社は、クリスチャンの大学であるが、わたし自身は、キリスト教の信仰を持っていない。 だからといって、神の存在を信じていないわけではない。しかし、神をつねに心の座標軸において生活をしているわけではない。もちろん、家族や同僚、多くの 友人との交流を感謝し、自分一人の力で現在の自分が存在しているとは決して考えてはいない。しかし、最近、神をいつもここに住まわせ、祈りながら生活をし ている人と、都合のいいときだけ神を頼りにするわたしの姿勢では、生き方に決定的な差な差を感じるようになった。

つまり、自分のことは自分で決める、または自分一人で存在しているという「自立した人間」はすばらしいことのように思えるが、同時にその言葉にはおごりと自分の弱さが隠されているのではないか、ということだ。
私の後に私がなく、私の前に私なし、と考えるととても勇気がわくと同時に、「力み」もで、同時に不安にもなる。だが、極力(顔に似合わず)私はこのよう に考えるようにして生きてきたと思っている。もちろん、他者の存在を排除するわけでもなく、他者との相互共存、相互協力関係を前提としたものだが。ただ、 時々、私はこれからどのように生きていけばいいのか、新しい研究のアイディアはこれからも生まれるのか、という不安は常に感じていたし、これを他者と共有 することはできなかった。それは、他者と共有のしようのないものだと考えていたからだ。しかし、人間の存在を越えた神にこれらの不安を全て任せることによ り、これらの不安感から解放されることができるように思った。それは一歩間違えば、オーム真理教に足を踏み入れることかもしれない。全てを任せようとして いるのではない。ただ、人知を超えた部分を神にあずけることにより、より人間らしくいきられるのではないか、それは人間が考えない方がいいのではないか、 と思うのだ。これは神の誤ったとらえ方かもしれない。もちろん、最新の認知心理学でみられるように、人間の意識やものの考え方は人間の手により解明が進ん でいる。しかし、どこまで行っても人間の手の及ばない聖域は残る。それは、これから先の未来に対する期待と同時に不安なのではないだろうか。この部分を私 は神にあずけ、神の声を聞きながら、人間の手によりできることを追求してみたいと思う。話は飛躍するが、これは、なすにまかせよ、”Let it be”という境地によくにているのだと思う。逃げようとしているのはない。人間の領分と神の領分があると言っているだけなのだ。何が人間らしい生き方か? もうすこし考えてみたい。

(1999. 5. 3)

コンピューターの価値とメディアの評価

ウインドウズ97いや98の発売が延期されたようだ。ウインドウズ95の使いにくさにヘキヘキとしていたユーザー にとってはたいそう残念なことだろう。私は基本的にはMacintoshを使っているのでMac OS8が発売されて使用できるようにセットアップも済んだ状態の今となっては、完全に傍観者である。一方で、歳末商戦を前にしてコンピューターの売れ行き が今一歩になってきたようだ。日本の景気回復のためのエースだけに新聞などでもなぜコンピューターの売れ行きが鈍っているかについての記事がよくでてい る。それらの記事は大まかにいってウンドウズ95は宣伝されているほど使いやすいものではなく、初心者が買ってきてインターネットの設定はもとより、ワー ドひとつ起動して保存するのでも大変だ、というような論調のものが多い。

何 を今さら。というのが私の感想だ。ウインドウズ95が発売されるときあれほど国を挙げて(!)こんなにすごいんだ、こんな事ができるようになったんだ、と 新聞や雑誌で洪水のようにウインドウズ賛美の記事を書いたのは一体誰なんだ、といいたい。あのときそんなにウインドウズ95って使いやすいのかな、と疑問 を持っていた人ですら、あれだけあらゆるメディアで”YES” と洗脳するように言われ続けられれば、信じてしまうだろう。

そして、これだ。どうしてこのように手のひらを返すように全く矛盾することを公の新聞や雑誌に書けるのだろう。試しに1年前のウインドウズ95が発売されるときの記事を読み返してみるといいだろう。関係のない私でも恥ずかしくなるぐらいだ。

最 近学生でコンピューターを買いたいが何がいいと聞いてくる。ウインドウズを買っておけばいいのじゃない、でもマックの方が使いやすいよ、という返事しかし ていない。非常に控えめだ。マックユーザーとしては。最近のアップルの動きをみているとアップルおまえもか、といいたいところばかりだから、正直それほど マックというよりもアップルアメリカは信頼がおけない。しかし、今痛切に思うのは、自分の目で自分の頭で判断する姿勢を持つことの大切さだ。ウインドウズ が主流だから、新聞や雑誌でよく書いているからという理由だけで買うと埃をかぶりお蔵入りの運命だ。ウインドウズを買うのならそれだけの知識か、またはそ れをサポートしてくれる人が身近にいたり、最初のセッティングをしてくれる人が絶対必要だ。どうしてそのようなことをコンピューター雑誌や新聞はわかって いるはずなのにはじめから書かないのか。コンピューター産業いやコンピューターデマゴーグの餌食になってはいけないと、思う。

だっ て、誰だってわかっているはずだ。あのウインドウズといいながら使える画面の少なさ、センスの悪さ、GUIといいながらアイコンのできの悪さ。ウインドウ ズの悪口を書く意図はまったくない(いえばうそになるか)が、なぜあんな代物がもてはやされるのだろう。もてはやすのだろう。だいたいウインドウズを使っ ているとコンピューターを使っているというよりも166MHZまたH200MHZのCPUに使われている気がしてならない。気のせいでしょう。きっと。別 に非難する気はないが、コンピューターなんてHappy Macの顔のように身近な友達で、お助けマンのはずなのに、と思ってしまう。

そういえば、私の勤務する大学の英米語科で最近コンピューターを1台買うことになったが、1票差でウインドウズに負けた。以前のコンピューター選定を含めると2連敗だ。だから、どうこう言う気はまったくない。

でもだ。なかなかいいものというのはわかってもらえない。またはわからせないようにうまくメディアは報道をする。

来年ウインドウズ97いや98がでるときメディアがどんな大騒ぎをするか今から楽しみだ。こんどはどんな褒め言葉を用意しているのだろう。

(1997. 10. 23)

しあわせとは

「人間の幸せとは何か?」これは大きな命題で、一生かかってこの答えを探すのだ、という人もいるでしょう。しか し、もうすでにその答えが分かってしまった人の答案を見せてもらうのも悪くはないと思います。私は、『同胞』(山田洋次監督)にその答えを見つけたような 気がしています。この映画は、岩手の青年団が自分たちには不釣り合いの大きな仕事=劇団を地元に呼んで興業を成功させる、に取り組む姿を描いている割と地 味な映画なのですが、成功するまでには紆余曲折なかなか大変なわけです。若き頃の寺尾聡や寅さん映画のおなじみの顔(例えば渥美清)が出ていてそれだけで も楽しませてくれるわけですが、この映画がすすむにつれて「幸せとはなにか」ということがだんだん分かってくるような気がします。もう、5回以上は見たと 思うのですが、見るたびにそのような気がします。

映画の最後のシーンで主人公が次のようにつぶやくところがあります。「どうしてこのようなすごいことができたのか(劇団の公演のこと)。わからない。で も、私の人生の中であんなに夢中になれることがあるかどうか。」そうです。これではないでしょうか?夢中になれるものがあるかどうか、それを発見できるか どうか、そこに人生の幸せはかかっているのではないでしょうか?よく、幸せかどうかわからない、という人はいます。でも、そのときには、しんどいだけで自 分をよく分析できないと思います。当然です。でもしばらくしてそのような自分に気づくのでしょう。もちろん、こう考えると夢中になれるものは人それぞれで 違うわけですから、自分なりのしあわせを探さなくてはなりません。

1998年度の授業が1月21日ですべて終わりました。おわったとき、なにかしら映画の中の寺尾聡のような気持ちになれました(学生のみなさんはわかりま せんが)。今年の授業はゼミを筆頭に昨年にもまして夢中で取り組むことができました。私のしあわせの定義からすると、しあわせな1年間でした。「大切なも のは目には見えない」とは星の王子様を書いたサンテグジュペリの言葉ですが、目には見えないませんが、この1年間はお金では買えないような充実感に満ちて いました。今日、学生の何人かの人と話をしていて「何か寂しい気がする」と言っていたのですが、考えてみるとしあわせはそのような気持ちと裏腹なのかもし れません。別れが寂しく思えるほど、充実していたと。本当にすばらしい学生のみなさんとこの同志社女子大学で出会えたことを感謝したいと思います。

これから3月までのあいだに、別れる寂しさと出会えたしあわせをゆっくりとかみしめたいと思います。ちょうど、山に上った登山者が登山の苦労を癒すようにまわりの景色をゆっくりと眺めるように。

PS.
ニュースステーションの特集に「最後の晩餐」というシリーズがありますが、山田洋次が出ていました(2月4日)。このシリーズは、死ぬ前に何を食べるかと いうものなのですが山田の、「多分それは青年期に飢えていて食べることができなかった、ふかし芋か、あつあつの銀シャリに卵をかけて食べたいですね。きっ と、口の回りを黄色くしてね」という回答は平凡なものですがうなずけるものでした。これらのものは食べることができなかったから、想像が膨らんでいつに なってもあこがれなのだと、彼は言います。(私は最近「かに」にたいして非常に執着してる自分に気づいているのですが、きっと同じ心理なのかな、と思いま した。)

今、欲しいものは割と簡単に手に入ってしまう、だからつまらないのかな、という気がしました。ものを手に入れた代わりに、想像力を失ってしまったのかもし れません。そういえば、恋愛も「あえない時間が愛をはぐくむ」と言われてきました。会えないから、今度会う日が楽しみなのですね。会える日を夢見ること、 ができるのはその意味では大切なのでしょう。想像力はひょっとしたら、ものを手にすることによりひとつずつうしなっていくのかもしれない、そんなことを考 えました。

(1999. 1. 23)

ディスカッションのおもしろさ

今年わたしが担当している授業・ゼミではDiscussion=討論の時間を多くとろうと心がけている。正直なところ、学生に討論をさせてもろくな意見が出てこないだろう、と高をくくっていたところがあるのだが、どっこいどうして、とてもおもしろ意見が輩出している。

先 日の英語英文学科3回生のゼミでは、個人差に影響する要因の中で、「年齢」についてディスカッションしたが、司会をしているわたしが交通整理をするのが大 変なくらい、どんどん意見が出た。「ネイティブライクな発音はどうしても必要だ」「いや国際語としての英語には必要ない」「ネイティブと話すときには相手 は母語だから多少ジャパニーズイングリッシュでもわかってもらえるが、第二言語として英語を学んでいるもの同士の場合は、かえって難しい」「いや、インド 人の英語があって、フィリピン人の英語があるのだから、日本人の英語があってもいいじゃないか」「日本人にだって、方言があるように、英語を母語とする人 にもオーストラリア人の英語、イギリスの英語、アメリカだって南部なまりの英語があるじゃないか」などと、意見がさまざまでた。

正直、話の内容は別にして、このような討論をみて、今までの日本人大学生とはすこしちがった大学生像をかいま見た(ちょっと大げさか?)ような気がした。一 方で、先々週(5月18日)京都府立大学の授業でも100名近くの学生と「ディスカッション」をした。テーマはもちろん違うが。そこは、確かに、人数も多 いせいもあって(指名討論者をつくった)うまく話がかみ合わない部分もあったが、ここでもつぎつぎに意見がでて、こんなことをいっちゃいけないが「できる もんだな」とちょっとした感動をおぼえたものだ(これは司会をしてもらった坂本君の力量に負うところがおおきい)。

だだ、ここで考えてみたいのは、その討論の仕方である。日本人の討論は、よく話がかみ合わず、順番を「じっと」待つボーリングのようだと揶揄されることがある(Polite fiction参照)。だから、討論する前には、”Don’t play bowling. Let’s play volleyball.”とあらかじめ話しておいた。また、簡単な事実関係の確認をするような「Quick question」は話の途中でもカットインしていいことも話した。それが話をかみ合わせる必要条件だと思っていたからだ。
しかし、討論を終わってのあるレポートに、そのような討論は、たしかに話がかみ合っているように見るが、実際は騒々しいだけで、自分の意見を「勝手に」 「声高」に述べているに過ぎないのではないか?とう批判が書いてあった。この2つの討論は、そんな風には、実際は進行しなかったのだが、昨晩(5/28) 久しぶりに朝まで生テレビをみていて、ちょっと考えてしまった。
オームとそれに反対する人たちが「議論」していたが、それこそ「わいわいと」、まさに騒々しいこときわまりなかった。話は結構かみ合っていたけれど、で もね、と考えてしまった。結局は、田原総一郎の腕なのかな?とも考えた。議論の中では、想像をしない論点が次々にでてくる。何を取り、何を捨てるか、どの トピックを発展させていくか、それを司会者は瞬時に判断しなければならない。バレーボールのようなボールの撃ち合いの方がわたしは議論としては優れている と思うが同時に、司会者の腕も要求されているということだ。

ディスカッションはだから楽しいのだろう。

(1999.  5. 29)

日本の姿は相撲で見て取れる!?

先日のStudent Timesに「相撲が外国人にも受ける理由」のような以下の記事がありました。

“I want to see what’s great about Japan go out to the world, -because it breaks down culture barriers, and people can see just regular Japanese things. Instead of automobiles and toasters and computers, they can see Japanese people. They not only see the rikishi , but they see the audience . They see people being happy and people eating bento and being just regular, having-a-good-time people. I want to share that with the world. That was my original idea.”

なるほど、テレビやコンピュータ、WALK-MANからは日本人の姿は見えないが、相撲だと日本人の様子が分かるというのだ。この記事の意図するのはちょ んまげを結った巨漢のお相撲さんの姿を見せようとするのではなく、その取り組みをみているお客さんの方にむしろ力点があることだろう。お客さんの喜ぶ姿や 座布団を投げる姿に「生の日本人」をみるというのだ。このようなメディアの在り方は重要だ。しかし、インターネットの私たちのホームページでもこのような 取り組みができるのではないか?1998年度の短大のゼミはそのような情報発信を目指している。

(1998.  5. 20)

明治34年の祖母の死

12日に97才の祖母が天界にかえった。これで、1975年に祖父(父方、多分72才)、93年に祖母(母方、 86才)、98年に祖父(父方、96才)に続き、私の全ての祖父母が現界からいなくなってしまったことになり、さびしいかぎりだ。この年齢をみると両家と もずいぶん長命の家系だと思われるだろう。それは大変ありがたいことであるし、また祖母も天寿を全うしての大往生と言えるかもしれない。しかし、葬式で、 「遺族」と私たちが呼ばれるように、祖母をなくしたことによる心の穴はやはりある。なにしろ、私が生まれてこの方、広島という離れた場所に住んでいるとは いえ、存在自体が当然であったからだ。もうこれで、「おばあちゃん」と呼ぶことも、手紙を書いたり、電話することもなくなってしまった。一つのネットワー クのチャンネルがなくなってしまった感じだ。

昨日の葬式では祖母の歩んだ長い道が紹介されたが、広島に生まれた祖母は、結婚の後、満州の地を踏み(満州鉄道に祖父が勤務)、そこで私の父や叔母を育 て、敗戦の際には命辛々広島に戻ってきた。ここまでで、明治、大正、昭和と激動の時代をまさに地で生きた波乱といえる人生だが、私が知っている祖母のすが たはまだそのずっと後の部分だ。広島に帰ってきてからは、百姓をしながら家計を支え、私たちにもよく野菜や名産の広島菜を送ってくれた。祖母というイメー ジにありがちな優しさを感じることはあまりなかったが、凛として背筋の伸びた信念の人であった。それは祖母が、祖父の死後もひとりで生計を立てていたから かもしれない。

広島弁で特別ということは、ないのかもしれないが、「そんなことしとったら、つまらん」「しーかり、がんばんなさい」というのが祖母の口癖だったようにお もう。さすがに最後にあった昨年の夏には、そのような言葉をいう元気もなかったようだったが、目がそのようにいっているような気がした。

祖 母がいるから、父が存在し、そして私が存在し、そしてその命のリレーは私の息子と娘に渡されていく。その命のリレーとともに、口癖であった、強く生きる姿 勢もまた受け継がれたと思う。人が生き、そして死ぬことは物理的なものかもしれないが、精神の連続性と向上はそのなかで脈々と営まれていくのだ。私は宗教 心と豊かな教育を与えられた。私は、今後の人生の中でいかにわかもとの精神を高めそして、子孫に何を残すことができるのだろうか?そのようなことを考えさ せられた祖母の葬儀であった。そして、広島で生まれたわかもとの精神は、広島から撤退することになろうともそのルーツを忘れることは決してないだろう。

(1999. 2. 15)

ハイキングに行って考えたことなど

先週の日曜日(5月9日/1999年)に京都最高峰の愛宕山にゼミの学生のみなさんとハイキングいや登山してきました。

コースの紹介********

午前10時にJR保津峡の駅に集合し、午後5時すぎに嵐山清滝に下山するというほぼ一日をかけたハイキングとしては体力的に厳しいものだった。出発地点か ら、水尾の里まで約1時間かけてゆっくり歩いた。途中、山藤がところどころに咲き誇り、川には清流ということばがぴったりするようなきれいな水が流れてい る。このあたりまでは、全員に余裕があふれ、いろいろ話も弾み、元気いっぱいだったが、水尾の里から水尾の別れまでの1時間はそれはもうたいへん。5分歩 いては5分休むというパターンをくり返し、すでに下山をしてくる人に「あとどのくらいでしょう」ときいてはがっくりと肩を落とすというありさま。しかし、 坂は急であったが、途中ところどころ見える下界はきれいでもあり、だんだん小さくなっていく街の風景に山にのぼっているということを実感させられる。
「水尾の別れ」は、清滝から上ってくる途と合流する場所で、そこで一服をし、愛宕山頂上へ向かうことになる。山ではいろいろな人に会う。見ず知らずの人 に、「こんにちは」とあいさつすることのなんとすがすがしいことか。日頃、これだけのあいさつをしているかなと考えてしまう。ほぼ、1年分くらいの「こん にちは」をいったのではないか。しかも、山に来ている人すべてがこのことをこころえているから気持ちいい。水尾の休憩所では、初老のおじいさんに出会っ て、いろいろ話をした。よく聞いてみると、京大の名誉教授の田口先生であった。直接習ったことはないものの、同じ時期に吉田キャンパスにいたこともわか り、学生時代をちょっぴり思い出したりした。しかし、あの年でといっては失礼だが、70才を悠に越えて、愛宕山に上られる体力と気力は見上げたものだ。す ぐ横でへばっている19-20才の学生のみなさんとの違いは歴然。
愛宕山は厳しい。黒門について、もうこれで境内と思って「バンザイ、ついた」と思った瞬間にまたあらたな石階段が目の前にあらわれる。だからこそ、本当 の頂上についたときの感慨もひとしおである。頂上でお弁当を食べた後、神社に参拝を死、「ひのようじん」とかいたお札をいただくこととなる。てっぺんまで 来たな、という気持ちがいちだんと強くなる。
帰り道は、月輪寺を回るコースをたどった。途中、京都市街地がかすんでいたもの、あそこは御所、あの辺が今出川キャンパスとわかる程度にみえる。下りの 途は上りに比べれば遙かに楽なものの、だんだん足、特に膝と、足の裏が痛くなる。誰かが、「くつから足がとび出そう」と言っていたが言い得て妙な表現だ。 月輪寺までのあと30分がなんと遠いことか。しかも、歩いても、いや下っても下っても、石と岩の階段道。結局1時間くらい歩いたか。登りでなくてよかっ た、とは思った。
月輪寺は空也上人が開いた寺。むかし「山寺の、和尚さんが….」といううたがあったねえ、と、誰かが言っていたが(その続きが出てこなかった が…)、本当はお寺というのは修行のためで山にあったのだということが、よくわかる。でも、不思議に山道を歩いているといろんなことを思い出す。はる かむかし、小学校の時に登った山、ハイキング、むかしのうた。なぜなんだろう。月輪寺は西国何カ所かのお札所になっていて、年を召した多くのかたが杖を片 手にのぼってらした。信仰のちからは年とともに、強くなるものか。
さらに月輪寺を下ること、1時間から1時間半。ようやくゴールの清滝に到着。元気のある、5名+私は、空也の滝を250mのぼって見に行った。いい滝でした。あれはみていないひとはみるべきだったね。
帰りの京都バスは、橋のすぐ近くでまっててくれるかと思ったけれど、人生もこんなものなのか、疲れ切った体にむち打って、約10分登ってゴール。

ちょっと考えたこと************

たぶん、学生のみなさんの中には、もっと簡単に登れるものと考えてた人も多く、ことばにならないくらい体力的にしんどかったことでしょう。もう二度と上り たくないと思っているひともいるかな。私も愛宕山には初登頂となったわけですが、予想以上にしんどかった、というのが本音です。しかし、こんかいの「ハイ キング」には私なりにいくつかの意味があったと考えています。

☆目標を達成できた。
ひさびさに、帰りのバスの中ですぐ寝てしまうくらいのしんどさだったことでしょうが、逆にいうとそれだけちょっとした目標を達成できたということ。たぶ ん、途中で帰りたい、このまま山を下りたいと思った人はひとりや二人じゃないはず。でも、全員、文句をいいながらも、あの高い山に登れた。これはすごいこ とだ。きっと忘れられないくらいのしんどい思いだったでしょう。そう、中学や高校時代のクラブ活動以来じゃないのだろうか。でも、やろうと思えば、まだま だなんでもできるんだ、と私は思いました(みなさんの姿をみて、よけいに私はまだまだ若い!と思ってしまった)。大げさですが、でもこれからの人生そんな ものなんじゃないでしょうか。山で足を止めれば、前へはすすめない。結局自分で歩くしかないわけですが、どんなにしんどくてもちょっとずつ休憩しながら、 前進すればいつかは目標は達成できる。しかも、そのときに一緒にいてくれる仲間がいれば最高です。私は、頂上へ登り切った時と、清滝でバスに乗ったとき、 「やった」と思いましたね。頂上では、登り切れたことの喜び。そして、バスに乗ったときはゼミの学生のみなさんと、今回のハイキングをしてよかった、とい うよろこび。たぶん、私は当分このハイキングのことは忘れないでしょう。成人式の日に友人と徒歩で比叡山に登ったことを忘れていないから、ずっと忘れない かもしれない。目標達成の喜びを久々に体で再確認できた一日でした。

☆自然にかえる。
JR亀岡駅からの帰り道、てくてく駐車場まであるいていると、何とも言えない違和感を覚えた。そう、道が平らすぎるんです。1日でこぼこの山道をあるい たせいか、アスファルト舗装の道がなんとも平坦で、物足りなく思えてきた、というと大げさですが、普段こんななめらかな道を何とも思わず歩いていたんだ な、と思ってしまいした。と、同時に田舎である亀岡ですら、みどりが少ないな、と思ってしまうんです。たぶん、体内に組み込まれているDNAがまだ自然の 中で暮らしていた先祖の記憶を持っていて、今回の山行きでそれがよみがえったのかもしれませんが、普段何気なく暮らしているこの私の生活がどれほどまっと うなものか、と考えざるをえませんでした。特に、インターネット漬けに近い状態になっているわたしの生活は何らかの再考を求められることでしょう。

また、近いうちに、「山へかえりたい」と思います。ちなみに、愛宕山の「ひのようじん」のお札は、研究室の壁にどんと鎮座しています。

(1999.  5. 12)

メディアのインパクト

小学校の頃の宿題で、「テレビが普及しても新聞が廃れないのはなぜか」ということを考えてくるものがあった。あの ころは、手元でじっくりとみたいから、また何度も読み返せるから、というのが模範的な答えだったようだ。最近、インターネットの教育的価値について考える ときに、これと同じような疑問を抱いている自分に気づく。つまり、こうだ。ニュースは、テレビはもちろんのこと、インターネットでも読めるようになってき た。しかも、自分の好きなときに。さて、小学校時代の自分の模範解答をこれに当てはめると、手元でじっくりとみたいからというのは、コンピュータスクリー ンをじっくりみることは可能だから△、何度も繰り返し読み返せるからというのは、完全に○、ということで、新聞は滅びかける運命をたどるはずだ、が、そう はならないだろう。こどものころには思いもつかなかったもうひとつの大切な要因があるのだ。最近やっと、それに気づいた。それは、先日妻と田舎暮らしのメ リットとデメリットという両義性について話をしたことへさかのぼる。

話の中で、カルチャースクールの話になった(朝日新聞の広告をたまたまみていただけだが。大学の同僚の名前を発見したりしておもしろかった)のだが、田舎 暮らしの最大の欠点は、カルチャースクールやコンサートなどに簡単には行けないことだ、ということになった。
「だったらディレクTVなど衛星放送でもやっているではないか。」
「でも同じ内容でも全然違う。」
「なるほど。」
と、やはりテレビの限界を感じるという点で意見が一致した。なぜ、カルチャースクールの同じ内容をビデオにとってテレビでみても印象に残らないのか?アル フィーのコンサートをペイパービューで390円お金を払ってみてもそれほどおもしろくないのはなぜか?それは高いお金を払っていないからか?多少はあって は、それほど大きな要因ではないだろう。それは、テレビの画面が小さいからとか、全部を映しきれないからということもあるけれど、情報を受け取る際の直接 性ということなのではないだろうか。テレビは、音声と画面情報のみを伝えてくる。しかし、実際のカルチャースクールの講義では、講師の顔の細かな表情や いってみれば汗、教室のにおい、それらがトータルな形で否が応でもついてくる。コンサートでもしかりである。さらに、決定的なのは、その場に居合わせるほ かの人々の存在である。教室でおもしろいのは、教師よりも一緒に学ぶ生徒であり、コンサートでは、楽しかったり腹立たしかったりするが、はじめっから立ち 上がったりして熱狂するファンである。このようなどうでもいいものはテレビではカットされるか、すみに追いやられるだけである。このような直接その場に居 合わせたものでなければわからないような情報が結構大切なのではないだろうか。

こ のことは、実はもっと前からうすうす感づいていた。そう、1995年の阪神淡路大震災の時である。大学から何度か、ボランティアで芦屋へ食べ物を届けに いったが、あのときみた(受けた)震災の被害のショックはテレビのニュースからは決してわからないものだった。そう、テレビでは見るか聞くしかないけれ ど、歩いてみることからは、家がつぶれたに土臭いにおいも感じるし、寒さも感じる。また被災した人の目がじっと私たちを向いているのも印象的だった。

は なしが、飛びかけているが、私が今、関心を持っているのは、英語学習でもインターネットの利用可能性が論じられるようになってきているが、はたして、どの 程度その効果があるか、学習者に対するインパクトという点から考えるときがきているのではないか、と考えるからである。電子メールは、またはチャットは直 接コミュニケーションの代わりになるかもしれない、という議論がある。また、Web上のバーチャル図書館は、本物の図書館の代わりに、インターネット新聞 はプリントされた新聞に取って代わるかもしれないと。E-mailは確かに便利で有効であるが、直接会って話しをする事に及ばないのはもちろんのこと、 snail-mailという原始的な直接郵便でもらう手紙の方がはるかに伝わってくるものがある。もっといえば、ワープロやコンピュータでかかれた手紙や プリントよりも手書きの方が(最近は遙かに少なくなってしまったが)あたたかな気持ちが伝わってくる(西島良平の「三丁目の夕日」のような)

イ ンターネットの便利さの中で英語学習で利用できる点は何で、やはり原始的な人と人が会って直接話したり教えてもらったりという関係でないとできないものは なになのか、という点をこのメディアのインパクトという点から考えてみたいと現在思っている。(まだまだ、まとまりきらない文章のままだが、今日はここま で)

(1999. 2. 26)

女子大の就職率は本当に低いか?

今年の就職状況は、昨年にもまして厳しい。それは、ゼミメンバーの中で現在活動中の人数がかなりの数にのぼることからしても確かだ。新聞紙上でも、ショッキングなタイトルで過去半年以内に何回か繰り返し述べられている。

し かし、「ちょっと待てよ」と思う。確かに、共学よりも女子大の方が就職率は現在のところ低い。しかし、これは男女まぜこぜにした共学と女子大を比べている わけであって、共学に通う女子学生と女子大の学生を比較したわけではない。でも、新聞を読んだ人は、そうはとらないだろう。女子大に行くと、就職ができな いかもしれない、そのような恐怖感をもってしまうのではないだろうか。これは単なる偶然か?陰謀と考えるのは下図の勘ぐりかもしれないが、いずれにせよ、 新聞記者には自分の書いた記事の影響がどのように及ぶか、じっくり考えて欲しいものだ。

私は、この就職問題に関してははっきりとこう考えている。…つまり、男子の方が女子よりも就職がよいというだけで、共学か又は女子大かという差はな い。企業は、企業自身の生き残りをかけて最小の戦力で最大の効果をあげようとしており、そのとき「男性の方が女性よりも役に立つ」という昔ながらの偏見が 頭をもたげているにすぎない。… むしろ、私は女子大の方が社会で活躍している人は多いのではないか、とおもう。同志社女子大学の広報誌のヴァインでも毎回OG訪問をしているが、実に魅力的な仕事をしている人が多いのに驚かされる。

ただ、問題なのは、この女子大で学ぶことの良さをいかに説明するか、ということだ。新聞に話を戻せば、いままで女子大擁護論を理路整然となされた記事を見 たことがない。女大で学ぶまたは教えるものにとっては、これは教育・研究とならんで重要視しなければいけない三本柱のひとつかもしれない。

問題の根の深さを一つ:「私がいま女子大で教えていなければ、この様なことを考えたか?」答えは、否である。つまり、女子大に関わるものから行動を起こさなければ、どこからも女子大の意義を再認識する動きはないだろう。

あのヒラリークリントンも女子大の出身なのだ。

(1999.  2. 5)

小児の時代

大人にも小児の時代はあった。賢人にも愚者の時代はあった。大人より小児をみれば、万事、幼稚でお話にならぬが、しかし、小児にとっては懸命である。賢者と愚者においてもそうである。大賢人と小賢人とにおいてもそうである。

そして、進化には一足飛びはない。かならず、経るだけの順序段階というものは経ねばならぬ。だから、もの皆それぞれに進んでいったらよいのであって、決して他の愚を笑ってはならぬ。自己もまた、より進んでいる人々からみれぬれば愚なのであるから。(words of Hidemaru Deguchi)

いい意味での謙虚さをいつも持ちたいと思います。また、ついつい焦って一足飛びをしようとしたがる私ですが、堅実に一歩一歩進みたいと思います。

(1997 12.3)

教えられたように教えないむずかしさ

もうすぐ、教育実習の季節(?)がめぐってきます。この同志社女子大学で教職を担当して晴れて今年で5年目になる わけですが、学生のみなさんに模擬授業をしてもらうたびに感じるのが、「自分が教えられたような授業をしない」ことの難しさです。女子大で英語を専攻して いる学生にみなさんに、教職科目で「みなさんはどのような授業を受けてきましたか?」という質問を必ずすることにしています。すると判で押したように「文 法訳読方式の授業」、「受験のための暗記授業」という答えが返ってきます。では、それは自分にとって役に立ちましたか?楽しかったですか?と聞くと、楽し いと答える人は、まあいませんよね。もちろん、文法学習に楽しいところはありますが。….

ここからが、問題なのですが、そのようなみなさんに英語の模擬授業をしてもらうと、つい、いままで批判してきたはずの、あの文法訳読方式になってしまうん ですね。蛙の子はカエルということなんでしょうか。でも、これは教職課程で英語科教授法を教えている私たちの責任なんですけどね。これに代わるような、有 効な教え方を学生のみなさんにわかるように教えていないだけだと、批判の声が聞こえてきそうです。

でも、ここで問題にしたいのは、実は学生のみなさんの模擬授業のことではなくて、実は自分の授業のことなんです。新学期がはじまって、さっそうとさまざま な授業が始まりましたが、実は私は内心、どのようにこれからの授業を変えていったらいいか、いつも考えあぐねています。特に、ゼミです。蛙の子はカエルと いいましたが、あれは実は私のことで、私が「大学で習ったよう」なスタイルでついゼミを進めている自分にハッとします。あのころ、私は、ゼミに対してすご く批判的でした。英文を読んで、それをレポートするだけのゼミ。本文からはなかなか抜け出せない。何のためにこのテキストを読んでいるかすら、時として見 失っている自分。もちろん、自分が悪かったのでしょう。でも、教員になって、ゼミを担当するようになって、同じスタイルでゼミをしている自分に唖然としま した。「教えられたように教えるな!」これは誰に聞いたか忘れましたが、今の自分に言い聞かせたいことばだと思います。
その点、これから抜け出すいい方法に関して、かすかな光が見えたような気がすることがあります。それは、ほかの先生と授業プランについて話すことです。 もちろん、Faculty Development (FD)として大学における授業改革についても盛んに研究議論されていますが、身近にいる同僚と意見交流をすること、これにより新しい授業の姿をまなぶこ とができる可能性が(回りくどいね)あります。先日も、E沢先生、I田先生と談笑していてそんなことをふと思いました。でも、これが、英米語科じゃなく て、他学科の先生だったらもっと根本的に違ったアイディアがあるだろうな、と思います。その意味では、1999年4月16日に立ち上がった「らんがく事始 め」はわたしにとってわくわくするような、企画となりそうだ。

(1999 4.19)

Two Foundations(Preface of SEE, 2003)

Reflecting Junior Seminar 2002, I think that every seminar participant was able to establish the following two foundations; (1) theoretical foundations for second/ foreign language acquisition research; and (2) foundations for mutual respect and confidence. Because the theme of this seminar was to investigate the strategies of successful foreign language learning, the first foundation might be natural. Participants spared quite a little time and made substantial efforts to understand theories such as behaviorist, innatist and interationist positions (spring semester) or the potential sources of individual differences (autumn semester). In order to understand those demanding topics, they were diligent and brilliant enough to make effective presentations (PowerPoint) and create thoughtful entries for required readings. In fact, participants improved their presentation skills dramatically and began to produce high-quality papers. It was great pleasure for me to observe their progress in understanding issues on applied linguistics, where they found their own research questions and tried to develop those questions by discussing with peer students or group projects. I would like to highly evaluate those endeavors.

The other asset is friendship. Although I could not explicitly declare that creating rapport was one of our course aims, I personally have believed that mutual understanding is far more important than course learning stuff. In that sense, we have noteworthy events and activities. In September our seminar had an overnight study program at Biwako Retreat Centre and took part in Sports Festival of our college to offer house made Doughnuts in October. Moreover, we shared dinner together several times. All of these activities contributed to make our friendship dense and solid. Furthermore, participation of two exchange students from Seoul Womenユs UniversityムJung Jinok and Yunam Cheongムin late autumn helped us think and develop our friendship. It is also significant to remember that through the year we have had our own Internet bulleting board, in which we expressed and exchanged our ideas; part of them can be seen in this volume.

I would like to express my deepest gratitude to all the seminar members for their contribution to make our seminar splendid and delightful. Still we are on the way, though. Let us keep in touch with each other, promote our network to be more secure and confident one, and develop our own research questions to create our own hypotheses. Thank you again for your active and diligent participation. I wish you good luck on your new academic year 2003.
See you around!

(2003.3.15)

N先生

「卒業式で涙を見せたら教師は一生やめられない」、N先生の言葉は今も鮮明に脳裏に蘇る。先輩でありかつての同僚 でもあったN先生が先日現職校長のまま亡くなった。もっと早く病院に行ってくれていたら、と誰もが思う。責任感が強い先生だっただけに、体の不調を感じつ つも現場を離れがたかったのだろう。N先生らしい。

N先生と同じ中学に勤務していたのはもう15年以上も前のことだ。明るく、渋く、話をさせると誰もが納得した。ダンディで格好いい先生だった。決して威圧 感はないのだが、カリスマ性があった。こんな先生になりたい、と思った。きっと内面の心豊かさと優しさが人の心を惹きつけたのだろう。名字ではなく、皆が ファーストネームで呼んだ。

N先生は生徒の目線に立ち、決して安易な妥協をせず、生徒とじっくりと対話することの重要性を説いた。そして教育は生徒との信頼関係を基礎に成立すること を自らの姿勢でもって若い教師に教えた。当時もう教師なんてやめようと思っていた私にN先生は光明であった。

15日の告別式には多彩な人々がN先生に別れと感謝の言葉を述べるために集まった。NHKのプロジェクトXでは取り上げられることはないだろうが、口丹波 の人々にとってはそれに値する偉大な人物であった。N先生を見送りながら、「教師は死んでもその教えは死なない」、とあらためて思った。それは生徒だけに でなく我々教育に携わる人間についても言えることだ。N先生の教えは、あのさわやかな笑顔と共に忘れられることはないだろう。

(2003年2月25日京都新聞朝刊・声の欄に掲載)

(2003. 2. 25)

Bilingual is beautiful

According to Fortune magazine, Toronto is the world’s most comfortable city to reside in, due to its being clean, safe and inexpensive. This is right, indeed. If I were to add one more word, the friendliness of its people would be appropriate.

Nearly three months have passed since I arrived in Canada, given the privilege of a one-year sabbatical. During that time I have fully appreciated the above advantages. The city is clean and spacious everywhere. Beautiful parks can be spotted around the city. Queen’s Park, only a five-minute walk from our apartment, is my children’s favorite playground and my cherished way to university, with brown and silver squirrels running on the grass, climbing trees or digging holes in the ground to hide nuts.

However, it is cold in winter, and I hate being cold. I definitely prefer summer. I am writing this piece almost at the end of November, using an iMac in the Computer Lab (so many iMacs are available!), and it is cold indeed. I already saw snow in the beginning of October. I could not believe my eyes. The temperature yesterday (November 27th), for example, ranged from minus 14 up to just minus 5 degrees Celsius. Canada uses the metric system (km-Celsius) instead of the imperial system (mile-Fahrenheit), which is also friendly to me. I cannot walk the streets without a warm coat, gloves and a hood covering my whole body except for my eyes. It is warm or rather hot inside the buildings, though. This is good news to me. Underground paths are well organized, connecting one building to others, so I do not have to walk outside so much. However, Canadian friends scare me by saying that this is just the beginning of severe winter and in February it is twice or three times colder than this, which I cannot even imagine.

Turning to friendliness, people are generous, frank and open to everybody. This might be just my impression, but I have observed this benefit everywhere in the subway, university classrooms and shopping malls. (AS an extreme example, there are beggars in the streets, and not a few people give them money or stop to talk with them.) Though I admit my experience in America is limited, Canadian people seem even friendlier than Americans.

There may be of several reasons for this, but if I mention only two, the first one goes to this vast land with few people. I strongly believe in the influence of environment on people’s minds. This sounds simple, but it is true from school classrooms throughout society; the school discipline problem in Japan would be drastically reduced if class size were reduced to fewer than 30 students per class.

Toronto is the biggest city in Canada, having a population of more than 2 million. It is spread out over a large area, and has no mountains. Yonge (pronounced ‘young’) Street, which runs north-south in the city center, is said to be the longest street in the world because there is nothing to block it. Resort areas are handy. On some weekends in September, renting a car, we went north to see colored leaves at Algonquin National Park, which encompasses untouched nature. Driving for one hour, we saw beautiful farms where horses and cows were peacefully eating grass, and in two hours, we saw beautiful woods with colored leaves, lakes and towns spotting the countryside. In three hours, we saw no more houses: just nature. From a Japanese perspective, this is, say, asking for the moon. This spaciousness is advantageous for Canadians, and also common to Americans.

Then, what is the second source shaping the friendliness of Canadians? What makes people in Canada talk to each other so frankly regardless of background? When riding streetcars or buses, it is interesting to find a mingling of various colors of skin. People talk freely in a cacophony of languages: Cantonese, Vietnamese, Greek, Italian, German, Spanish and English. Yes, so many various kinds of people are living in Toronto. However, this alone is no explanation. After all, America has a similar situation: it is the ‘melting pot’ of races. The explanation of Canadian friendliness lies rather in Canadian bilingualism.

In Canada, as is widely known, two official languages–English and French–co-exist. In Jesse Ketchum Public School, where my twins are now enrolled, students start learning French in the fourth grade. Depending on schools and boards of Education, students learn French following one of three patterns: early immersion (starting at 1st grade), late immersion (starting at 3rd grade) and core immersion (starting at kindergarten). In any case, the emphasis is put on fostering communicative competence of learners because they need to communicate in French. Immersion–the world gives an image of dipping someone deeply into something- is a unique system. Students learn school subjects, social studies, for example, in the target language of French, and it is successful.

At OISE (Ontario Institute for Studies of Education of University of Toronto), where I am learning about second language learning and teaching, distinguished faculty members like Dr. Merrill Swain and Dr. Sharon Lapkin have been conducting research on the effects of these immersion programs. According to them, the biggest benefit from these admirable programs is that the majority of Canadian people acquire a functional knowledge of French both in speaking and listening. However, the real benefit of immersion education is that, through practical communicative activities, people realize the difficulties of acquiring another language. Since they know the difficulties of handling languages other than their native language, Canadians seem to be generous to non-English speakers, and patiently try to understand what they mean. I think this leads to empathy for those who are different and may be having difficulties. Acquiring another language gives Canadians generosity and a balanced point of view. This might be a small difference, but it makes a big difference from American people, most of whom speak only their native language, English.

One morning in late September, I was reading the National Post over a cup of cappuccino at the patio of a coffee shop near my apartment. A middle-aged woman stopped by, looking into my newspaper, and whispered to me with great disappointment, “Oh, he has passed away.” I did not understand the significance of her words. “Who?” I asked. It was Mr. Pierre Trudeau, a very popular politician and Prime Minister in 1960s to 80s. Later I found out that he initiated the bilingual policy in Canada, symbolized by immersion. Reading his biography, we can understand how bilingual policy was deeply connected with his belief that the two languages unite different peoples and different parts of the country–Quebec and the rest into one. It also comes along with accepting quite a few immigrants from around the world.

For a long time I have been thinking about the rationale for Japanese to learn English. This is a challenging question. The dilemma is that people feel little necessity of this since communication in their native language is feasible; practical needs are hard to find except for traveling to foreign countries. Attending some classes at OISE/ UT and a conference on second language teaching (French in this case), I have come to realize I was playing only the doubting game. I was trying to find something wrong with the possible answers, which is important as a scientific attitude, but does not bring us anywhere. Now the believing game is needed. We should focus not on the necessities of learning, but on the assets gained by learning: what benefits Japanese people will obtain if they can handle one more language even if there is little practical need. In this sense, Canada has many resources and achievements for making us believe. We have much to learn from the splendid experiment of bilingual education in Canada, even though the situation is different in Japan. This short piece is not sufficient enough to prove this, but I think the bilingual policy and its successful program have surely contributed to the wonderful qualities of Canadian people. People who know more than one language have another world residing in their mind.

Bilingual is beautiful!

published in Halcyon No.44, 2002, March, pp.15-16

(2001.11.8)