オックスフォード通信(227)エジンバラ紀行(3)エジンバラ大学

エジンバラ大学に行ってきました

本当はこの大学のG先生にお会いしたかったのですが予定が合わず大学のみの見学をしてきました。最初に訪れたのが図書館。エジンバラ大学はオックスフォードとは異なりユニバーシティになっているようで全体でひとつの大学のようです。その分、オープンで一体感が感じられます。図書館も近代的で巨大な、私達が想像しやすいものが用意されています。

ビジターの登録をして中にはいるとどの机も学生・院生・研究者で埋め尽くされています。コンピュータのあるところはウインドウズマシンとマックが半々くらいの割合で。同女のラーニングコモンズのようなグループ学習スペースも所々に用意されていたり、ワークショップが常時開催されているのでしょう、特にIT関連の(恐らく)無料コースが用意されているようです。

インフォメーションで教えて頂いた学生会館もまたいい感じです。バーとカフェテリアが合体したような構造になっています。ここにも各自のパソコンを広げた学生の姿が。

日本のラーニングコモンズも図書館も最近では学生で賑わってきていますが、このエジンバラ大学の比ではありません。オックスフォードもそうですがあらためてイギリスの大学が学生によく勉強するように仕向けていることが分かります。

大学は実は街のメインストリートとつながっていて、大通りを歩いて行くとエジンバラ城の前の通りに出て来ました。エジンバラの街では所々でバグパイプを演奏している人を見かけます。

イギリスにありながらエジンバラは独自の文化(言語=ゲール語、音楽、考え方)を保持しているように思います。だからこそ多くの観光客を引きつけるのでしょう。

エジンバラの街を歩きながら、すこし突拍子もありませんが、日本人が目指すべき英語のモデルを見つけたように思います。それはヨーロッパ人の英語です。ヨーロッパでは多くの母語がありますが、それに加えて英語、また近隣の言葉を話します。(このブログは後日書いているのですが)、例えば、ATPファイナルツアーの錦織の試合でであったアンドレは、スロバキア語(母語)、英語、チェコ語、ドイツ語の計4ヵ国語を話します。英語にはそれほどの思い入れも買いかぶりもなくインターネットのようにコミュニケーションのための基盤という感じです。それほど力が入っていないため、失敗してもそれほどガッカリすることもなく、完全でなくても、インターネットが遅くなったり止まったりすることがあるように当たり前のことのように思います。

日本であれば、英語の教師だったら、英文科卒だったら、6年間も英語を学んだのだからと力の入ることが多くありすぎます。その力の入り方は、心理的にネイティブ・スピーカーに対するコンプレックスになっていきます。ヨーロッパの人達の話す英語を見ていて、コンプレックスのかけらも見当たりません。イギリス人が偉いわけではないと思っているようです。

日本人で英語を使う人はどこかでアメリカ人やイギリス人を崇拝してしまうところ、そこまで行かなくても英語のネイティブ・スピーカーが言ったことならそれが正しいとおもってしまうところがないでしょうか。

ひとことで言うと、ヨーロッパの人のように英語を使う、このモデルを掲げて、ヨーロッパの人達がどのように英語を学び、使っているか、ドイツ、フランス、オランダ、スイス、ベルギー、チェコ、オーストリア、スロバキアなどの国で英語をどうやって使っているのかを検討してみると言いように思います。ひと言でいうと、「日本人の英語ー欧米へのコンプレックス」という図式で表すことができるかもしれません。

なぜならいつまで経ってもネイティブ・スピーカーになることはできず、その必要もないからです。逆に、日本語を話す外国人に日本人と寸分違わぬ日本語を話すことを期待することはないでしょう。

逆に、エジンバラのように、私達も独自の固有の文化を保持しながら英語を使いこなす、そのようなことが求められるのではないかと思います。ヨーロッパ人の英語をグローバルリンガフランカとしての英語(EGLF)のモデルにということです。

エジンバラ城の見学の最後に牢獄を見せてもらいましたが、ナポレオン、フランス・アメリカ独立戦争の古来より使われてきた牢獄に見入りました。ここでもエジンバラはヨーロッパのひとつであることを実感します。

日本も世界のひとつであることを実感しながら着々と英語能力を身につけていけばいいと思います。

(2018.11.9)

★今回の教訓:世界遺産の Forth bridge(フォース川にかかる橋)もエジンバラに。わざわざ見に行かなかったが、飛行機からチラリと。このイギリス自体が旅のようなものだが、そこに安住することなくいろいろな場所に出かけることが重要だ。

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オックスフォード通信(226)エジンバラ紀行(2) CranachanとスティーブンソンComments

エジンバラの人は気さくで親切です

旅行をしていてそれほど多くの方と話をするわけではないのですが、でもホテルで、パブで、観光地で少し話をすることがあります。その端々からその人となりが伝わってくるのは面白いものです。

最近はまずホテルに着くと<span class=”deco” style=”color:#FF0000;”>ホテルのスタッフにその街の美味しいレストランを聞くことに</span>しています。そしてなるべくその地方の料理を食べることのできるお店を。その際に料金で高いところから手頃なところまで3つほど教えてもらうと完璧です。

エジンバラでも到着してすぐにホテルに向かい、美味しいランチの店を教えて頂きました。これまでの経験に違わずリーズナブルな料金で(2品どれでも £11といった感じです)エジンバラの美味しいランチを頂くことができました。このテクニックは日本人がバイブルにしている「地球の歩き方」よりも安くて美味しい店に確実にたどり着く方法だと最近は確信しています(9月ウイーン・プラハ・ドイツを訪問した際にももちろん活用しました)。

このお昼をたべたHowiesもまたそのようなお店でした。11:30くらいに行くと12時からなので出直すようにと。でも気になって戻って12時に念のために予約をしておいて良かったです。12時少し前に戻ると日本の人気レストランのように外に人がイスに座って待っています。中に入ると結構広い店内はどんどん人で埋まっていきます。

ここでも店員さんの受け答えがオックスフォードやロンドンよりも親しみがこもったもののように思います。するとビールも料理も美味しく思えるから不思議です。

夜に訪れたDeacon Brodie’s Tavern では更に人情味のある女性店員に会うことができました。この店は予約ができないということだったので、小雨が降る中お店に急ぐと続々と客が入ってきます。1Fがパブで2Fが食事ができるレストランという構造。2Fに行くと40分待ちとその愛嬌のある店員が。14分では?というと強調して40分と。あきらめて帰ろうと思ったのですが、そういえば昔トロントのレストランでよく一杯飲みながら順番が来るのを待っていたことを思い出し、一杯のパブで席を何とか譲ってもらって待つことに。再度2Fに行くとニヤリとしてその店員が40 minutesといいながら日本のレストランであるような順番が来たらブザーで知らせる Pager のようなものを渡してくれます(イギリスで初めてみました)。ビールを飲み始めて待つことなんと5分少々でブザーが鳴ります。2Fにいくとその店員が<span class=”deco” style=”font-weight:bold;”>短い40分だったねえと笑いながら席に案内</span>してくれます。この辺りが旅の面白いところです。

店内には Robert Louis Stevenson の絵がいくつも。聞いてみるとこの店に来ていたかどうは定かではないけれど、この店の近くに住んでいたとのこと。そう Treasure Island (1883) や Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde (1886) で有名なスティーブンソンです。

デザートで勧めてもらったのがクラナカン(Cranachan)というヨーグルトに蜂蜜とウイスキーが少し入ったものです(よく考えるとホテルの朝食のデザートにも似たものがありました。ウイスキーは入っていなかったけれど)。その店員さんにエジンバラは好きですか?と聞いてみると私はエジンバラから少し離れた街の生まれでずっとそこで育った、エジンバラは大きな街ですきではないとのこと。

なるほど、なるほど、と思いながらクランカンを頂きました。

(2018.11.8)

★今回の教訓:訪問するとその街で生まれた作家や作品を読んでみたくなる。その意味では文学は奥深い。私もかすかにスティーブンソンの名前を知っていたからこそ、Tavernでああ、と思うことができたのだろう。そう思うと文学概論などの授業はイヤでも大学生に教え込む必要があるのだろう。ただし、私のような体験談付きで(後日役に立ったよ、と)。f:id:wakazemi:20181108204324j:image

オックスフォード通信(225)エジンバラ紀行(1)

エジンバラに来ています

最近はすっかりEasy Jet での移動です。これまで日本で LCC に乗ってこなかったが不思議なくらいです。飛行機はいつも満席(格安の上に余った席は直前に更に安く売りさばくのだと思います)。LCCの問題点は飛行機に乗るのがゲートから直接ではなく、バスで移動やタラップをあがっていくということくらい(このブログはエジンバラから帰った後に書いているのですが、帰りの飛行機のように雨が降っている場合には、雨よけがあってもある程度は雨の中を歩かなければなりません。でも旅行でもそんなことはザラにあるので私には問題ではありません)。

エジンバラの空港からはトラムでCity Centreに向かいます。オックスフォードやロンドンと異なるのは車掌さんが常駐していてチケットを確認していること(もっともオックスフォードにもロンドンにもトラムはありませんが)。

バスに乗り換えてスーツケースを足下においているとおばさんから「そこに置くのではなくてスーツケース置き場に置くこと」と厳しいご指摘が。イングランド同様、見知らぬ人にも分け隔てなくビシビシと注意されます。これはイギリスの美徳かもしれません。ただおばあさんの英語はかなりスコットランドアクセントがあって2回聞かないと言っていることが分かりませんでした。

バスの中からは壮大なエジンバラ城が。エジンバラやグラスゴーの天気はいつも雨マークの印象がありますが、この日も雨の降った後の曇りの状況。でも山の頂上に鎮座するお城は気品のある感じがしました。

前日朝3時までゼミメンバーのドラフトを読んでいたため睡眠時間50分くらいで飛行機に乗ったためかなり眠かったのですが、ホテルで荷物を預けた後すぐにエジンバラ城に向かい、その途中にある Whiskey Experience というアトラクションに行ってみました。

ここではアミューズメントパーク風に、ウイスキーの作り方から最後は試飲までさせてくれるのですが、そのプレゼンテーションの仕方がイギリスで見た中で完成度が最高のものでした。最初はゴンドラ風のブースに乗ってウイスキーのでき方を見て回り、次にインストラクターが約20名の参加者に説明をしたりしながら、ブレンディングルーム風の部屋で実際に5地域のウイスキーの試飲をさせてくれる。最後にはこの写真のウイスキーのコレクションルームでさらにウイスキーの試飲(ウイスキーグラスお土産のにいただきました)。以前、インバネスを訪問した際にウイスキーの蒸留所でウイスキーの製造過程を見学したのとはまた趣の異なる見学となりました。

街に出てみるとウイスキーショップが至るところにあります。一軒、中に入ってお話を聞いてみるとやはりスコットランドの地域によって例えばスモーキーかどうかなど特徴は大きく異なるそうです。アイラ島(Islay)はスモーキーで有名なところ。試飲させていただくとその特徴がよく分かります。 一本買って帰りたいところですが、今回LCCで手荷物なし(機内持ち込みのみ)できているため、大きな便は飛行機に持ち込みが出来きません(このあたりがLCCの辛いところ。もちろん料金を払って手荷物ありにすればよかったのですが、料金に加えて荷物がターンテーブルからでてくるのを待たなくてはいけません。しかし結果的には帰りの飛行機、行列に並ばず最後の方に搭乗口を通ったため、先に機内に入った乗客の機内で荷物が一杯になってしまったようで、タラップのところで(無料でしたが)荷物を預けさせられました。

これは翌日2日目ですが、昼食の際、ドリンクの欄を見ると、ビール、ワインにならんでウイスキーも。昼からウイスキー?とも思ったのですが、郷に入りては・・・を固く信じているので、注文しようとすると、アイスがいるかどうかと聞いてくれました。オンザロックは日本だけかとお思ったのですがこちらでもそのような飲み方はあるようです(ただ水割りはありません)。

Whiskey Experienceで教えていただいたように、色を見る、匂いを嗅ぐ、グラスを回してウイスキーの筋がどのくらいの太さでできるか見る、味わう、という手順で飲んでみたのですが、お店で注文する際にはへたをすると一気に飲めるくらいの量しか入っていないのでそのチビチビのむというのが難しいようです。

オックスフォードのあるイングランドはエールビールが主流、エジンバラはビールももちろんあるもののとウイスキーが根付いていることを実感しました。

(2018.11.7)

★今回の教訓:街のシンボルは重要だ。エジンバラ城はお城という以上にスコットランド人の精神的シンボルなのだろう。日本でそれにあたるものは何だろう。そのシンボルに歴史がありドラマチックであり多くの人が共感するストーリがあればあるほどその求心力は増すものだ。さながら京大では時計台、同女では栄光館、京都では鴨川といったところか。f:id:wakazemi:20181107145111j:image

オックスフォード通信(181)Back to Oxford

オックスフォードに戻ってきました

昨夜、夜10時過ぎにベルリンからGTW (ガトウイック)空港に到着したのですが、不思議にイギリスの空港やコスタコーヒーを見ると(ウイーンにもありましたが)懐かしく思えました。

旅先で一番尋ねられた英語は、”Where are you from?” 普通なら “I’m from Japan” と答えるところですが、時々 “I’m from UK” と答えることもありました。この何処からというのは出身を聞いていますが、何処に住んでいるのという質問も含んでいます。

さて、質問。私は今回1年間のビザ(Academic Visa)をもらっているのですが、ドイツからイギリスに入国するときは、a) イギリス人 b) EU枠 c) No-EU

私は b) ではないかと思ってパスポートコントロールのところにいた係員に聞いてみたのですが、日本人は日本人ということで、c)となりました。また入国カードを書いてパスポートのところへ。オックスフォードは学者がたくさん来ているよね。イギリスは楽しい?くらいの楽しい感じで無事通過。よかったです。このパターンなら楽です。

夜の道路は空いているのか、GTW からヒースロー空港も経由して、午前1時過ぎに車を駐めている Thornhill Park and Ride に到着。驚くのはその時間にも結構他のバスから降りてくる人もいて、深夜という感じはありません。

今回はPark and Rideを経由しているのでどの時間でも(GTWからのバスは24hr、深夜でも1時間おきに発車している)帰る事ができて良かったのですが、ひとつ問題があります。それは駐車料金の問題で、私は料金さえ支払えば何日でも駐車できると思っていたのですが、Park & Ride に着いてから3日が限度であることを知りました。インターネットで追加料金を支払おうと試みたのですが、3日以上の駐車は違法駐車扱いになるそうで、罰金として £100(約15000円)課せられるとのこと。Park and … というなら飛行場へ行くのに車を駐めることもあると思うのです。その場合3日以内ということはほぼないですよね。ああ、罰金の通知が来るのがこわい。

その他、帰ってきて思ったことは、イギリスは霧につつまれている、ベルリンよりも10℃くらい気温が低いということです。すでに10月下旬から11月の気候です。

でも英語だけ(チェコ語やドイツ語ではなく)の生活はほっとするのも事実です。これで日本に帰国したらどれだけほっとすることでしょう。

若ゼミの秋学期の授業も開始します。インターネットゼミを更に発展できるよう可能性を探りたいと思います。

(2018.9.24)

★今回の教訓:イギリスの労働党大会が開かれている。そこで真剣にBrexitの再住民投票が議題になっている。メイ首相は、No result is better than bad result. と開き直っているようにEU離脱問題は困難極まる状況。ルールに厳格なイギリスがどの段階でどのような突破口を開くか。イギリスの底力が試されるとき。
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オックスフォード通信(180)ベルリンで自由について考える

私達は生まれてから自由な環境に育っているので分からないのかもしれませんが、行動、旅行、仕事や住まいの選択の自由は、水や空気と同じくらい重要なのかもしれません

今日の午後、チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)に行ってみました。ここでベルリンが東西に別れ自由に行き来ができなくなっていたのか思いながらそのボーダーを眺めていました(米兵風の軍服を着用した2名の兵士風の人が立っていました)。東ドイツの人にとっては、住む家も仕事も食べるものもあったけれど、自由に国外に出たり、自由にものを言ったりする自由がなかった(秘密警察に逮捕される)ことが耐えきれなかったのだろうと思います。

では、自由はあるけれど貧しい生活と、食べるものや住む場所など豊かな生活があるけれど自由がないのはどちらがいいのでしょう。今日、ベルリンの壁やこのチャーリーを訪れた人は後者だというかもしれませんが、なかなか難しい問題かもしれません。

話は飛びますが、日本では近年、高齢者の万引きなど軽犯罪が増えているというニュースを聞いたことがあります。その理由は刑務所では住む場所も食べるものも無料で提供してくれるのでわざわざ再犯を犯して戻ってくる高齢者が多いとのことです。近年の刑務官は高齢受刑者の介護までしなくてはならず大変な状況だとその記事は伝えていました。

ベルリンの壁やシュプレー川(Spree)の国境を命をかけてまで超えてきた東側の人達には共感も同情もしますが、本当に「西側」ではいい人生が待っていたのでしょうか。本日は、元ソ連共産党委員長・大統領のゴルバチョフがプロデュースした壁の博物館(The Wall Museum)も参観してきましたが、壁を打ち壊すまでの過程やその意義については述べていましたが、では東西ドイツが統合してドイツ国民がより幸せになったのか、という点については疑問を持たせないような持ち上げ方が気になりました。

イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)の壁に描かれた有名な絵画群を見終わった後、ベルリン・ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(Bahnof Warschauer Straße)からポツダム広場へ行くべく、U(地下鉄)に乗ったのですが、次の駅を過ぎるとなぜか電車は反対方向へ。そういえば、次の駅でほとんどの人が下車していたのを不思議に思っていたのですが、Schlesisches Tor 駅から先は通行止めで、バスの代行運転になっていました(後からわかりました。ベルリンでは何度も反対方向の電車に乗ったりも含めて地下鉄とS・トラムの乗り間違えが何度もありました)。何とか代行運転のバスに乗ったのですが、よほど迷っているように見えたのでしょう、ベルリン在住のクリスチアーナさんが流暢な英語でどこでどう乗り換えたらいいか、分かりやすく説明をしてくれました。

その際、ベルリンの壁のことについても聞いてみましたのですが、クリスチアーナさんによると壁がなくなったことも東西ドイツの統一も良かったとおっしゃておられました。クリスチアーナさんはハンブルクの生まれで子供の時に西ベルリンに移ってこられたそうです。同じベルリン市内の反対側の東ベルリンには親戚もいて分断時代は苦労したとおっしゃっておられました。このような話が無数にあるのだと思います。

市民の目線から見ると同じ街の中に壁があって行き来ができないのは不自然すぎるのは事実だと思います。「では統合してみんながハッピーになったと思いますか?」という質問には難しいことだとおっしゃっておられました。そう出ない人もいると思うと正直におっしゃておられました。

社会主義は歴史の遺物のように扱われていますが、資本主義はその代替としてうまく機能しているのか、という問題についてはフランスの経済学者ペケティが「21世紀の資本」で厳しく批判していますし、2016年のアメリカ大統領選挙前に「1-99%」の議論がありました。

壁は自由を束縛するものとして絶対悪であると思います。またそのような壁を今後作ることを許してはいけないと思います。しかし壁がない世界はそれだけでいいかというとそうでもない。壁はなくても自由でないことがたくさんあります。水・空気・自由と並べられるように壁がないのは絶対必要条件ですが、自由とは壁がないだけではないと思います。

旅行しようとするとお金もかかりますし、大学に行こうと思うと授業料も必要となります。私達の周りを縛っている目に見えない壁はたくさんあると思います。そのような壁が減ってくると人はより自由に楽しく生きることができるのだと思います。この中には外国語を自由に使いこなすスキルも含まれると思います。

2日間のベルリン滞在で、ベルリンの壁記念館と壁の博物館、それにチェックポイント・チャーリーを訪れました。その中で特に胸を締め付けられるのはベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された人達のことです。多くは若者でした。ドイツが統合された後、その責任追及が始まったとベルリンの壁記念館の展示は示していますが、国防大臣ですら自分の意思ではないとその責任を否定していることにビックリします。トップであったホーネッカー国家主席はキューバへ亡命し、誰も国境線を乗り越えようとした人を殺した責任を自ら認めた人がいないことはどう考えればいいでしょう。

これは、ハンナ・ アーレントがナチスの犯罪を「banality of evil」(悪の陳腐さ)と呼んだこととよく似ています。悪というものは大罪人が行うのではなくて、ごく平凡な人間が自分で何も考えることなく、官僚的に処理するところから起きる、とアーレントは述べています。

今回のベルリンの壁についていろいろと目にする中で、官僚的に、ではなくてみんなが「兵隊」になってしまったからこのようなことが起きたのではないかと考えるようになりました。それは国境線を守る兵隊だけでなく、国防大臣やホーネッカー国家主席に至るまで「思想の兵隊」になってしまったのではないか、だから嘘を言っているわけでもなく、本当に罪の意識がないのだと思います。兵隊とは言い方を変えると「何かを守る」ために「何かを犠牲にする」ことだと思います。

その犠牲が人の命であっても「仕方がない」と思う。でも、その思想も突き詰めると玉ねぎのように芯は何もないのですね。ナチスの思想がそうでしたし、戦前の日本の国体がそうでした。

そうならないためには3つだけ対策があると思います。ひとつは「納得のいくまでむやみに人を信じないこと」(映画『戦争と人間』、山本薩夫監督)です。かっこ悪いからわかったふりをする、これが道を誤るもとだと思います。かっこ悪くても分からなければ、安易についていかないことです。

もうひとつは「笑う」ことです。兵隊は絶対に笑いません。官僚も笑いません。人間的感情の最大の発露は笑いと泣くことです。笑うとこれまで悩んでいたことがバカバカしくなります。笑うことで人間的感情を取り戻すことができます。変な思想は、笑うことを恐れます。そのような考え方は間違っている証拠です。

最後は、いろいろな世界を見ることです。旅をすることです。今回、ウイーン、プラハ、ドレスデン、ベルリンと4つの都市、3つの国を旅する中でいろいろなものを見たり、人の姿を見たり、話を実際にして見たりする中で、自分の考えがまだ狭いことがよくわかりました。あのような姿がいいと思うことも、あれはいけないな、と思うことも含めていい刺激を受けました。

いい機会をあたえて頂いたことに感謝します。

(2018.9.23)

★今回の教訓:壁を作らざるを得ないような社会主義は失敗、でも資本主義も不十分。その2つを乗り越える第三の思想ってあるのだろうか。
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オックスフォード通信(179)ベルリン

ドイツ人の英語は分かりやすいとおもっていましたが、朝のチェックアウトの際の女性の英語はピンと来ませんでした。女性特有のピッチの高さから来るとところがあるのかもしれません。外国を旅行していて英語がピンと来ないと少し嫌なものですが、考えてみると日本語でも話をしていてピンと来ないことはよくあることなので英語だからどの人の英語もよく分かるということは考えない方がいいのかもしれません。

ドレスデンで宿泊した NK Connections というホテルは私が泊まるホテルとしては珍しく高級ホテルのようでいいバスタブがありお湯もふんだんにでるので(オックスフォードのフラットのシャワーの水圧は弱いですし、ウイーンのホテルはバスタブなし、プラハのホテルはバスタブがあるもののお湯をためるところまではいかず)日本と同じようにゆっくりとお湯につかることができます。お湯につかるのは大事ですね。

ドレスデンはエルベ川と沢山の教会以外にはこれといって見物はないのですが、街をぶらぶらするのには楽しいところです。ホテルの前の広場は Altmarket (=old market)として食べものの店や工芸品のお店が並んでいました(ブラシ屋さんでパソコンのキーボードのブラシを購入)。ショッピングモールの中にはアップルストアもありお馴染みのMacやiPadが並んでいました(ただし、キーボードの配列はドイツ特有。キーの数も多い)。ビールも巨大な1リットルのジョッキのものもあり(結構な人数の人がこの巨大ジョッキでビールを飲んでいました。私も調子にのって注文したのですが、重すぎて片手で持ち上げるのが大変な感じでした)食事も肉料理中心ですがどれも美味しく頂きました(スペアリブ、ローストビーフ)。本当はクリスマスマーケットの頃に(同じ広場で沢山のお店がでるそうです)もう一度来れるといいのですが、これは10年後くらい先になるかもしれません。

さてベルリン中央駅に午前11時前に到着しました。最初に迷ったのがトラムと地下鉄。今晩のホテルはホリデイ・インのアレキサンダー広場前なおので「S」というトラムに乗るのですが、通常のトラムのイメージと異なりベルリン中央駅の2Fのプラットフォームから私鉄のように発着しています。ベルリンの近未来的なイメージとは異なりSのトラムも後から乗るUの地下鉄もふた昔まえくらいの乗りもののように見えます。これは東西ベルリンの分断の影響かしらとも思うのですが、映画『Bridge of Spies』で出て来るベルリンの電車そのままです。

まず訪れたのがブランデンブルク門です。東西ベルリン、東西ドイツ分断の象徴と言われた建物です。残念ながら旧西ドイツ側はイベントの準備していて足場が組まれていましたが、東西ベルリンの中心部に立っていた建物で、東西ドイツ統合の象徴の門を見ることが出来感無量でした。すぐ横にアメリカ大使館、少し離れてイギリス大使館があるのも(イギリス大使館前はBrexitの関係でしょうか、車両通行止めになっていました)。ブランデンブルク門の土産物屋でベルリンの壁のカケラを売っていたので写真に撮ったところお店の人にこっぴどく怒られました(すいません)。

その後、苦労しながら(SというトラムとUという地下鉄の路線が分かりにくい!)ベルリンの壁記念館(Gedenkstätte Berliner Mauer)へ。その前には巨大な壁がそのまま残されていました。これを見て人は何を思うのでしょう。もちろん権力による抑圧された人々が感じる理不尽さ、自由を求める人間の根源的欲求、時代に翻弄されながらも時代を動かした人々の力の大きさ。いろいろなイメージや印象が湧いてきます。展示を見る人達(多くはドイツ人だと思われます)の真剣さ。

それにしてもベルリンは「S」といい「U」といい乗り場も方向も間違えやすいです。ベルリンの壁記念館を訪れた後帰ろうとして「U」も駅を探しても分からず、ベルリンの人には分からない、又は急いでいるのでと十分教えてもらえず、よく考えると勘違いで「S」に乗ってきたのでした。S=トラム、U=地下鉄なのですが、Sも地下を走るので混乱します。方向も逆方向の電車に乗ってしまい慌てて戻るということもありました(これはドイツ語の車内放送が分からないため)。

さて、夜はこの旅のハイライト、ベルリンフィルの定期演奏会への参加です。思えば、父に連れられて中学生の時に京都市交響楽団の定期演奏会に(旧)京都会館に連れて行ってもらったのがクラシックコンサートの出発点でした。それから40年、ついにホールもオーケストラも世界最高峰と言われるベルリンフィルのコンサートに行けることに感無量の想いでした。この日は思い切ってホテルからタクシーで(アプリで簡単に配車してもらえます)、フィルハーモニー(Philharmonie)へ。開演1時間以上前でしたがすでにかなりの人が集まっていました。1時間前きっちりに開門、中へ、勇んでチケットを手渡すと係員が厳しい表情で「ここではない」。愕然。間違えた?でもよく聞くと横のホールがクラシックコンサートの会場のようです(実際に私のような人がドイツ人も含めて結構いらっしゃいました)。

ベルリンフィルは人気があるのか日本人の姿も結構見ました。この日は豪勢にコンサート前にシャンパンを頂きました(グラス一杯が€15=2000円もしました。でも新しいボトルを景気良く開けてくれました)。開演前に会場を見て回りましたが、ステージの四方を客席が囲みこむスタイルです。これで2000人近く入るそうですが、どの席からもステージが近くに見えます。さすがにコンサートが始まると写真撮影は禁止のアナウンスが流れましたので(なかには、Go Proで演奏後の拍手のところを撮っている剛の人も、イタリア人?)。

ベルリンフィルのコンサートマスターは(イギリスではLeader)樫村大進さん。奏者の最後に拍手で迎えられての入場。堂々とした態度にも笑顔で団員と談笑する余裕が見えます。今日はブルックナー交響曲No.5一曲のみ。奮発して一番いいA席でしたので、樫村さんをはじめ楽団員の姿がよく見えます(コンサート用の強い矯正メガネを忘れて行ったのですがよく見えました)。

感想は、音の振動を楽団員と客席が共有している、ということに尽きます。客席もいいコンサートになるよう音ひとつ、咳一つしないように協力する緊張感が感じられます。その中で、バイオイン、ビオラ、チェロ、コントラバスという絃楽器が第一楽章から一貫してブルックナーの重厚な音を奏でます。途中、フルートやトランペットの管楽器が主題を導入していきます。73分あったはずですが、ステージに集中しながら脳裏にはいろいろなことが浮かんできました。

印象的だったのは、ベルリンフィルは緊張感漂う中でもちろん一生懸命演奏しているのですが、同時に音楽を楽しんでいる姿が見て取れました。楽章の合間に見せる笑顔、演奏中の恍惚とした表情。緊張と楽しみ、これは以前、樫村大進さんがドキュメンタリーの中で(The Professionals)「No risk, No fun」と言っておられてたことと符合するところです。

帰り道、でも東西ドイツがあってベルリンの壁で覆われている時代も(その時代は少なくとも30年はあった)このホールでベルリンフィルが最高の演奏を続けていたことを想像しながら、当時のオーケストラがより緊張感と存在意義を賭けて演奏に臨んでいたんだろうと思いを馳せました。
ベルリンの壁とベルリンフィルは関係ないようで深く結びついているように思います。なぜ音楽を奏でるのか、愛するのか?それは人生の絶望と可能性そして希望を謳うためではないでしょうか。

(2018.9.22)

★今回の教訓:ベルリンは絶望と希望が入り混じった街なのか。
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オックスフォード通信(178)ドレスデンの復興

ドレスデンは塔の街と言われるくらい多くの教会の尖塔が立ち並びます

滞在しているホテルの目の前には Holly Cross Church があります。相変わらず高い所が好きなのでドレスデンの教会で一番高いと言われている聖母教会 (Frauenkirche Dresden) に登ってみましたが、塔の頂上からもいくつもの教会の塔が近くに遠くに見えます。

聖母教会は一見したところ、古く見えますがが内部にはエレベーターの設備があったり、壁も床も新しい感じがします。しかし壁の所々には煉瓦の壁がわざと見せるようにむき出しになっている所もあります。

降りてみて疑問は氷解しました。入口の前に巨大なコンクリートに鉄柱が突き刺さった残骸が鎮座しています。そうです。1945年、第二次世界大戦の末期の大空襲によってドレスデンの街はほとんどが廃墟になったと言われています。この聖母教会もその時に破壊されたようです。

しかし街を歩いてみて、修復工事や新規の工事を見ることはできますが、廃墟の跡形を探すのは現在では難しいくらいです。

そう、すべての教会や重要な建物が元の姿に復元、復興されているのです。資料によると聖母教会は1994年までは戦争のむごたらしさを示すために残骸のままだったとそうですが(イギリス・リバプールにそのような教会がひとつありました)10年以上の歳月をかけて復元されたそうです。

復元にかかった月日から戦争のむごたらしさを感じることはもちろんですが、ドイツ・ドレスデンの街の人達の復元にかける情熱と多大な苦労にしばし呆然とする思いでした。1994年というと東西ドイツ統一後のことですが、教会を復元しないことには新たな一歩を踏み出すことができないということだったのでしょうか。

一方でそのコンクリートの残骸の巨大さに空襲のむごたらしさも推し量ることもできます。戦後の平和な時代に生まれた者としては想像もつかないことですが現実として戦争がもたらす被害は建物、人の命を含め甚大であることを再認識させられます。特に、日本と同様敗戦国であったドイツは誰に同情されることもなく元の姿に戻そうと黙々とみんなが働いたのでしょう(戦勝国では戦争の被害は多大に同情されるが敗戦国では自らが招いた災いであるような認識を戦勝国が作ることが多い。この傾向はアメリカによる911テロ攻撃に端を発したイラク侵略にも見てとることができる)。あらためて戦争の被害を真っ先に受けるのは一般庶民であり、その庶民に戦勝国も敗戦国もないとの思いを強くします。

さて、ドレスデンでスーパーマーケットに行ってみたのですが、日本のスーパー以上に商品がレベルも含めてきちんと揃えられています(イギリスのスーパーは商品が並んでいるだけという感じで雑多な印象を否めません)。合理的という点では日本のスーパー以上かもしれません。床にゴミが落ちているということもなく清潔感があります。

市電は時刻通りかどうかはわかりませんが、効率よく数多く運行されているようです。性善説に則っているのでしょうか、電車のチケットはプラハ同様、改札もなく極端にいうとただ乗りもできそうです。しかし、今日、トラムにのっていて、突然、車内検札がはじまりました。電車に乗ったときにドアの横に厳しい目をした人が立っているなあ、と思っていたのですが、しかもポケットに大きなクレジットカードの読み取り機のようなものを持っている。うーん、内心怪しいと思っていたのですが、私が乗り込んですぐにもう一人の係員と「切符拝見」という感じでチェックがはじまりました。もちろん、(そんなことがあろうかと思っていたわけでもないですが)私はチケットを買っていましたので問題なかったのですが、驚くことに私の見る限り車内の乗客(かなりの人数でした)誰一人、無賃乗車はありませんでした。学生は学生証をみせろと言われていましたし、短時間にかなり丁寧なチェックを行っていました。

成熟した街というのはいいすぎなのでしょうか、改札もなく、チケット売り場とチケットの有効化マシン(Validation)があるだけですが、皆がルールを尊重し遵守する。モラルが高いと言った方がいいのかもしれません。実際、経費としても無駄な改札や駅員も不要ですので、少ない経費でトラムを運行することもできます。イギリスや日本とは異なる価値観を見たように思います。

一方で日本とドイツの相違は何だろう、とも考えていました。午後、フォルクスワーゲンの工場見学ができるというのでトラムで3つほど東の駅で降りて行ってみました。残念ながら定時の工場案内は英語版は1時間半先だったため、自分で勝手に見て回る形だったのですが、ガラス張りで、エアコンがかかり(恐らく)、木のフローリングの床の美しい工場はクリーンかつ効率がいいように見えます。日本のような安全第一や目標達成のような張り紙もありません(この工場だけかもしれません)。工員のみなさんも映画にでてくるような真っ白のつなぎの作業服で淡々と仕事をしていました。

そのような姿をみながら、ドイツは美しく生きようとしているのではないか、と思い始めました。いや、効率よく生きよう、合理的に仕事をしようと言った方がいいのかもしれません。トラムの切符についてもそうですが、みんながルールを守り美しく生きることが結果的には効率が上がりひとりひとりの生活が豊かになるのだと。美化しすぎかもしれません。ただ、プラハの街を覆い尽くしていた落書きもこのドレスデンではピタリとはいいませんが激減していました(落書きされないように、先手を打って落書き風の看板もありました)。

夕食は少し早い目のスタートになったのですが、外のテーブルに席を取って頂いてゆっくりと楽しく食事を楽しむことができました。路上パフォーマンスにしては上手すぎるギターリストの音色も聞こえてくる中、テーブルの上のロウソクがゆらゆらとしていました。まだ明るい頃はそうでもないのですが、薄暗くなってくるとロウソクは半径20cmくらいしか照らすことができないのですね。でも食事には他のお客が見えないのでその方が都合がいい。何か面白いように思いました。あまり肩肘張らずに、ロウソクのように半径何センチくらいを照らすことができるような仕事ができればいいのではないか、そのような気持ちになりました。

ドレスデンの復興、ドイツ人のライフスタイル(文化、コンテクスト、言語、民族性)などを考えながら電車で2時間半移動するだけで大きく変化する街と人々の様子にいい刺激を頂きました。

いよいよ明日は最終訪問地のベルリンへ移動します。

(2018.9.21)

★今回の教訓:そういえば、延暦寺根本中堂には「一隅を照らす」という最澄・伝教大師の言葉があった。一隅を照らすとはそういうことなのか。ひとりひとりがロウソクのひかりの範囲を照らすことができれば世の中はそれだけで明るくなる。
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オックスフォード通信(177)シェークスピア・ブックストア

プラハにあるシェークスピア・ブックストアに行ってきました

シェークスピアの本ももちろんあるのですが、映画に関する本から子ども向けの本、チェコ語、ドイツ語、英語の本など多種多様の本が並んでいます。新品と古本が混じっているのも面白いところです。店主の趣味が多分に反映した品揃えですが、なかなかいい趣味の選択だと思います。

店の中には至る所にソファが置いてあり、ゆっくりと本を読めるような雰囲気です。京都の三月堂書店を地階を作って、ソファを置いた感じだと思っていただくといいです。

その前に近くのカミュ博物館に行ってきたのですが、プラハは、チェコ語、ドイツ語、ユダヤ(ヘブライ語)が入り交じる混沌とした文化状況にかつてはあったようです(現在は圧倒的にチェコ語、チェコ人か?)。その文化状況がプラハの豊かな文化を形成したようです。

先日、歴史学習ではマリアテレジアとモーツアルトの関係を一緒に学ぶべきだと書きましたが、カミュの博物館をみながらそれらは「コンテクスト」「文化」と一緒に学ぶべきだといいかえてもいいように思いました。カミュはアインシュタインと同時代に生きています。同時代に生きてきた人達が互いに影響を与えながら新しい文化や新しい政治体制をつくるのだと思います。ゆえに、「同時代性」を意識した歴史認識や歴史学習の必要性を感じます。

私の好きな言葉で置き換えると「connecting the dots 的な考え方・学び方」(=遠山啓のいう「分析と総合」の総合)をどこかでしておく必要があると思います。これは英語学習においても当てはまることかもしれません。

その後、スメタナ博物館へ。あの「わが祖国」を作曲したスメタナです。昨日はお休みだったのですが、カフェに像の前も占領されて入り口もひっそりと。でもプラハ中央駅の発着のメロディーはモルダウでしたし、下記のルカルシュさんもドボルザークと並んで尊敬される作曲家だと言っておられました。

ヴルタヴァ川のほとりに立つスメタナ像と川をみながら、スメタナは「モルダウの流れ」で何を描こうとしたのか、呆然と考えていました。すると、鴨長明の「方丈記」の出だし「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」(の最初の部分)が浮かんできました。そうか、川の流れは変わらないように見えるけれどその間に人は移り変わり栄枯盛衰がある。これは河島英五の「いきてりゃいいさ」(加藤登紀子作詞・作曲)と同じ事を言っているのではないかと思いました。「よろこびも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐってゆくのさ」

独裁者も支配者も川の流れのように歴史の流れには盛らず、真でないものは流れ去る。そして、人の人生には限りがありいつか流れの中に消え去るのみ。だからこそ今という時間を大切に謳歌しようではないか、そんなことをスメタナはモルダウという音楽に込めたのではないか、川の声を代弁したのではないか、と思いました。

午後、時間があるので、軽い気持ちで「共産党博物館」へ行ってきたのですが、予想に反して、チェコの現在までの歴史を共産主義との関係で丁寧に描いた見事な博物館でした。第二次世界大戦終了後ナチスの代わりにソ連共産主義が導入され、それに対して1968年のプラハの春、1989年のいわゆるビロード革命を軸にチェコの歴史を描いたものでした。

その国から発祥したものでない借り物はいかに良さそうに見えても人々の心に根差すことはできず、民族の心は戦争でも占領でも鎮圧でも抑えることはできないことがよく分かる内容でした。特に、1968年のプラハの春で焼身自殺した大学生と反共産主義といレッテルのもと公教育を受けさせてもらえず、強制労働や兵役につかされていたハベル元大統領の写真や言葉には力がありました。

大統領になったあとも権力を乱用することなく、私怨に囚われることもなく、チェコの民主化に努めたハベルの姿はインド独立に貢献したガンジーの姿にも重なるものがあります。ドキュメンタリーフィルムのコーナーは結構な人が集まり中には涙を拭っている人もいました。

どうもこのチェコの淡々かつ毅然とした民主化の流れとドボルザークやスメタナの姿がダブって見えるのは拡大解釈のしすぎかもしれません。

午後は電車でからドレスデンへ移動。電車のコンパートメントで一緒になったのがチェコの大学3年生のルカルシュさんと彼が途中の駅で降りるまでの1時間半くらいいろいろな話をすることができました。このコンパートメントタイプの車両は(プラハ=ドレスデン=ベルリン行きは全部がそうでした)自然とこのような話ができる雰囲気です。

おもしろかったのは、チェコ人からみると英語はあまり上手いとはいえず、シャイな人が多いとのこと。世界一シャイと言われる日本人からすると興味深いコメントでした。8才から英語、中学からフランス・ドイツ・ロシアから選択するとのことです。

おじいさんがフランスに住んでいるので、大学卒業後はフランスで仕事を探したいと言っておられました。母語はチェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、この順で自分がコミュニケーションできると思う、とのこと。こちら来てみて、チェコ語はやはり難しいと思いました。ルカルシュさん自身も母語でありながらチェコ語は難しいという認識を持っているとのことです。文字もむずかしいし、発音も難しいです。スラブ語族なのでロシア語に近いはずなんですが、ルカルシュさんに「ありがとう」をチェコ語でどう言うのか何度か聞いたのですが、別れる時にも聞き直す始末で、今に至っては全く記憶の片隅にも残っていません。

これまで、グローバルリンガフランカとしての英語について、主な配役は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、シンガポールまでだったと思うのですが、オックスフォードに来てから、ヨーロッパの人達、例えば学会でお会いしたスウェーデン、オーストリアの先生方や今回のチェコの人達をクローズアップする必要があるのではないかと思い始めています。

日本とのデモグラフィックな違いは沢山ありますが、母語を大切にしながら、英語や他の言語とうまく付き合っている姿は白か黒ではなく、その中間のようないい立ち位置を示してくれているように思います。

もう機会はないかもしれませんが、チェコ人、チェコ語、プラハに興味が一層湧いた旅になりました。そしてもっとドボルザークとスメタナの音楽を聞いてみたいと思います。

まだ聞いたことのない人はドボルザークの「8 Slavonic Dances, Op. 46, B.83: No. 1 in C (Presto)」を聞いてみて下さい。心が躍ります。

(2018.9.20)

★今回の教訓:チェコとドイツ(旧東ドイツ)国境を流れるエルベ川も美しかった。途中のSaxon Switzerland の山並みも素晴らしい。
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オックスフォード通信(176)ドボルザーク

朝一番にドボルザーク博物館に行ってきました

ホテルから歩いて10分くらいの距離にあります。彼自身が住んでいた場所ではなかったようですがかれの生前から同じ場所にあったとのことです。訪れてみて良かったと思います。ドボルザークの音楽は彼の素朴で気取らない性格からできたのだと言うことを知ることができました。愛煙家であったことは意外ですが、田舎に住み、プラハ音楽院の教授の職のオファーも断り、音楽をひたすら愛していたように思えました。ブラームスとの交流があったことも意外です。

展示の中で最も興味を惹かれたのがアメリカへの数年間の旅行・在住です。改めてドボルザークがアメリカ行きの中で交響曲第9番を書き上げたことはすごいと思いました。アメリカでの新しい生活に向けた期待と不安、故郷への想い、新しい可能性へ賭ける思いをこの交響曲に込めたのだと思います。今の私の心情と重なる部分があるのはもちろんですが、誰しもの人生とも重なるのではないかと思います。

モーツアルトもそうですがその気持ちや心情が音楽として見えるところが天才なのだと思います。ひょっとしたら天才ではなくて誰にもそのようなことは不可能ではないのかもしれませんが、交響曲や音楽としてまではまとめることができないだけかもしれません。

彼の代表曲を聞くことが出来るようにいくつかの音楽が選曲してありました。第9番も良かったのですが、スラブ舞曲のメロディーに心が躍りました。心をくすぐられる音楽です。といっても洗練されたものというわけでなく、何か懐かしくなる音楽です。

やはり今晩のコンサート(第8番、通信175参照)に行きたくて、博物館の受付の方に聞いてみたのですが、これはコンサート会場のBox Officeに行って懇願するしかないのではないか、ということでした。

ウイーンの皆さんもとても親切だったのですが、それ以上に親切なのがこのプラハの人達です。朝、ドボルザーク博物館の帰りにトラムに乗ったときには(実は逆方向に乗ってしまいました・日本、イギリスと反対の右側通行なのでトラムなどの方向も間違えがち)おばあさんが横に座って、10分くらいずっとチェコ語で私にいろいろと話しかけてきます。どうもいろいろな助言をしてくれているようなので、yes, of course などと答えていたら話は通じているようで、わたしも言っておられる言語は分かりませんでしたが、何となく言わんとすることは分かるという不思議なコミュニケーションをしました。降りる際には、スリが多いからお前の後ろポケットに入っているものを気をつけろ、と言ってくれました。私はこれはパンフレットで財布じゃないから大丈夫だというと通じたようです。帰りがけにニコッとした笑顔が素敵でした。また、時計台広場に行こうと思ってトラムに乗ったときには迷っているように見えたのでしょう、完璧な英語でどこに行くんの?迷ってない?とご婦人が声をかけてくれました。じゃあ、その前にユダヤ人墓地に行った方がいい、私がそこまで案内するとまで言って頂きました(結果的に時計塔は修理中で12時の音を聞くことは出来ませんでしたが、墓地は後から行きました)。もう一人の子連れの女性にも優しく声をかけていただいています(よっぽど迷っているように見えるのでしょう)。

でも、こうやって英語や、英語-チェコ語で話をしながら一つ分かったことがあります。コミュニケーションする態度は「目」ですね。いろいろな観光客が来ていますが、目を見るとこの人は話をしたがっている、話をしたらおもしろそうかどうか、が分かります。

中高の英語科の評価に「「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」がありますが、「目」で判断・評価するといいのかもしれません。目は大事ですね。おそらく私も目で何かを訴えていたのだと思います(教師の習性かもしれません)。

ところで、コンサート会場のRudolfinum (Dvořák Hall) に足を運び受付の方にチケットがあるかどうか→ない、当日券はないか→ない、キャンセルのチケットを手に入れることはできそうか→100人以上待っている、せめて会場をみせてくれないか→だめ、と取り付く島もない状態でした。ドボルザーク博物館の係員の女性は、手を合わせてお願いしろ、とボディーランゲージで示してくれましたが、流石にそこまではできませんでした(別件ですが、プラハのパンハンドラーは過激なアクションで迫ってきています。思わず心が動きそうになります)。

でも、小さな頃から好きなドボルザークでしたが(ユーモレスクが入り口です)、博物館やホールからいいインパクトを頂きました。昨日も書きましたが「第8番は次回のお楽しみに」いつかもう一度、プラハで聞きたいと思います。

代わりにというわけではありませんが、夜、ヴルタヴァ川 にペダル式のボートを繰り出し(奥さんの発案です。頭が柔らかいのはいいですね。スマートな証拠)流れているか流れていないか分からないくらいの緩やかな川の流れにゆらゆらとゆられながらカレル橋、プラハ城の夜景を見つめていました。

思えば、プラハの春の1968年から50周年、ビロード革命と言われる1989年の共産党政権の崩壊から約30年、第二次世界大戦中はヒットラードイツに、戦後はソ連に影響されながらもチェコ人の本質を見失うことがなかったチェコ人のしなやかで気さくな知性は傑出していると思います。

ウイーンもそうですが、プラハでも母語のチェコ語以外の表示や案内は要所を除いて(例えば、地下鉄で外国人観光客の乗降が多い駅など)母語のみです。それは母語に対する愛情と誇りを感じさせるだけではなくて、堂々とした印象を与えます。それについて誰も不満があるようにも思えません。グローバル社会で生きて行くというのはそのような姿なのではないかとも思います。

日本のように、どの場所でも英語・中国語・時に韓国語で表示、アナウンスをするのは「便利」かもしれませんが、それと引き換えに日本語に対する誇りを失ってしまってるのではないかと思うようになりました。これは変な硬直化した考えではなくて、バランスを上手く取りながら日本語を大切にするという姿勢です。分からなければ「英語」で観光客は聞けばいいのです(日本語ではなくて)。その時に応対できるだけの「基礎的英語能力」を日本人が付けておけばいいのです。今の状況は英語で聞いてもお答えできませんから、できるだけあらかじめ英語や中国語でお知らせしておきますよ、というように受け取られてしまうかもしれません。

明日は、ドイツ、ドレスデンに移動します(「世界の車窓から」風になってきました)。

(2018.9.19)

★今回の教訓:チェコで目を背けることができないのが第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人大虐殺。展示をみながらヒロシマ・ナガサキ、そして東京大空襲を思い出した。戦争の犠牲になるのはいつの時代も庶民だ。

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オックスフォード通信(175)プラハ

ウイーンからプラハへ電車で移動しました

ウイーン中央駅は予想以上に大きく、清潔で、電光掲示板などよく整理された使いやすい駅です。プラットフォームがどこになるか心配だったのですが、1時間前には表示され(9番ホーム C-Fでした。このC-Fの意味が最初分かりにくかったのですが、同じホームにA、Bと乗り場が指定されています。私が乗る前の電車がFあたりから出発したのですが、Aにも同様に電車が止まっており[Don’t rideと表示が出ていましたがが] 間違えて乗り込んでいる人もいました。その後発車した後に気づいたのか走っている人もいましたので分かりにくいところです)。

さて、朝、9:10発のTrain Jet スメタナ号にて一路プラハへ。ヨーロッパ版の新幹線とのこと。それほどのスピードは出ませんが(最高で120km/hくらい)電気気動車が牽引しているので揺れもなく快適な列車の旅です。

イギリスもそうですが、トンネルもカーブもほとんどなく直線の旅です。オーストリア西部に広大な草原が広がっています。雄大です。

列車はウイーンからチェコ国境の町Brunoを越えて山の中を走ります。イメージとしては山形新幹線といった感じです。スピードを出せるところは160kmくらい、山間部にはいると70kmくらいです。

車内はWifiや電源も完備されていて2等車で十分という感じです。それにしてもこのオーストリア=チェコ国鉄は生真面目で5分列車が遅れていることを申し訳なく思っているようで何度も5分遅れているとアナウンスします。このような態度はイギリスでは久しく見たことがありません

結果的には10分遅れでプラハ中央駅に到着しました。プラハの印象は石畳の街、そしてドイツ語とは異なりチェコ語が話される国。

まずはプラハ城に登るべく歩き始めました。プラハは大きな街ではないし、ウイーンとよく似た感じなので例えば一日乗車券などの買い方や有効化 (Validate) の方法などは同じです。ただ問題はトラム。なるべくトラムに乗りたいとおもうのですが、Google Mapの乗り換えでは地下鉄ばかりでなかなか出てきません。しかたなく、地下鉄に乗り込み、といっても3分くらいで到着。そこからはひたすら長い坂道を上がっていきます。

実は、到着して、お昼ご飯を食べていないことに気づき、ホテルマンのおすすめのチェコ料理のお店で、ウインナーとローストビーフを頂いた後でした。もちろん、ここにチェコビールがセットになっているわけでビールを飲んだ後に山の頂上にあるプラハ城に登るのはなかなか骨の折れるものでした。それにしても多くの観光客です。ウイーンよりも街が小さい(観光地域が)か観光客が多いように思います。

土産物屋さんやレストランの印象はより民族的、よりギリシアよりという感じでしょうか。親しみを持てる感じです。英語はウイーンで話をした人達よりもコミュニケーションしやすい印象です(これは全くの個人的印象です)。

今回、プラハでは是非、ドボルザークのゆかりの場所を歩いてみたいと思っています。クラシックで一番好きな曲は?と聞かれたら二もなく、「ドボルザーク、交響曲第8番、イギリス」と答えるくらいです(実は、明日、チェコ交響楽団演奏でその第8番がプラハで演奏会を開くことを知りました。大人気らしく、チケットはすべて売り切れ。事務局に昨日メールを送ったら2ヶ月前に売り切れていますのであきらめて下さい、と親切な返事が。もう一回来なさいということなのかもしれません)。

本日のハイライトはプラハ城の中にある「聖ヴィート大聖堂」の尖塔に登ることでした。高いところが小さな頃から好きなので(リバプールを案内して頂いたD先生は全く逆の好みだとおっしゃっておられました)、プラハ城までの道のりでかなり消耗していましたけれど、オックスフォードのSt. Mary教会くらいだろうと高をくくって登りはじめました(この高をくくることは結構大事なことです)が登っても登っても着きません、同じらせん階段の繰り返しです。時々、鐘楼が見えるくらいで、バベルの塔のようにどこまでも階段が続く感じです。何度も休憩をはさみながらやっとのことで頂上へ。プラハの全貌を目にすることができた感動と足の疲れが半々というところです。年の割には足腰には自信があったのですが(最近腰は怪しい)、その後登ってくる人を見るとすいすいと息も切らさず登頂する人も多いところから、まだまだ修行が足りないと思った次第です。

大聖堂のてっぺんからプラハの町並みを見ながら、たとえば、1400年当時の国王カレルは何を考えていたのだろうかと考えていました。恐らく、日本の戦国時代の武将と同じ心情だったのかもしれません。ただ違うのはお城と教会がセットになっているところです(オックスフォードもカレッジと教会がセットになっています)。一方、宮崎駿「ルパン三世カリオストロの城」の城下町のような飲食店がお城の麓に軒を並べているのは日本でも同じ事だったのかもしれません。

風景は綺麗だったのですが、一方で、ここに来ている人は何に感動しているのだろうか、とも思いました。歴史的建造物?古さ?絶対的な美しさ?自然と街の融合?私達が忘れかけている人間らしい町並み?

たしかに、ブルタバ川にいくつもかかる橋と煉瓦色の屋根の町並みは中世のようですし、無条件に美しいと思います。またカレル橋自体、味のある他にない、絶対無二のもののようにも思います。

答は分かりませんが、今の自分の生活にないものがこのプラハの町並みにはあるのでしょう。

(2018.9.18)

★今回の教訓:ドイツ語圏、チェコ語圏、イタリア語圏などが隣接していれば共通語としてのリンガフランカ構想が浮かぶのは理解できる。共通言語が生活に必要だ。
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オックスフォード通信(174)Tower of Babe

先日のオックスフォードでの学会でお目にかかったウイーン大学の Mariene 先生にオススメの場所を教えていただき何ヶ所か訪れてみました

まずはシェーンブルク宮(Schonbrunn Palace)へ。ホテルの近くから地下鉄に乗って約20分。その車両に乗っていた半分くらいの乗客が下車。なにやら胸騒ぎが。駅を降りてみるとバスは何台も停まっているし、延々と続く人、人。まあ、入れなことはないだろうとタカをくくって入り口に。宮殿ですのでかなり広いスペースでしたが、それでもかなりの人が。

入場券売り場は長蛇の列ですが、Information で聞いてみると長時間のツアーでなければ自動販売機でチケットが買えるとのこと。英語を含め(日本語はなかったような)6ヶ国語くらいに対応したスマートな自販機でチケットを買っていざ入口へ。

入り口で預けなければいけないというバックパックを手渡し、ゲートへ。ゲートには厳しい顔をした女性係員が。また胸騒ぎ。チケットを手渡すと12:36分のチケットなので2時間後に戻ってこいとのこと。まあそう言わないで、という雰囲気も作らして貰えず断固却下されました。一度市内に戻って夕方来ようかと思ったのですが、今後は少し優しそうな男性(男女の区別をいうわけではありませんが、このような場面では男性の係員の方が柔軟に話を聞いてくれる傾向があるように思っています)に聞くと30分オーバーくらいまでが許容範囲とのこと。この宮殿は厳しい。

あきらめて、宮殿裏手の(?)庭に出てみてビックリ。広大でしかも幾何学的に設計された庭がはるか遠くの方まで続いています。ただイギリス人的発想では芝の刈り方が甘いなあなどと思いながら散策しているとあっという間に2時間が。それくらいガーデン、噴水、塔(登るのに更に追加の入場料が)には見所がありました。さすが、ハプスブルク家です。さすが、マリアテレジアですね。塔の最上階からは遠くウイーンの町並みを遠望することができました。シュテファン大聖堂の尖塔もこの景色によく合っているように思います。

厳しい受付がいるので少し早足で戻ってくると12:30、6分前です。自信を持って券を渡すと、Too Early と断固とした口調の英語が。絶望感に襲われながら3分待ち、流石にいいだろうと思った時にはその係員は他の入場者と話をしていてしめしめと思ったのですが、何のことはない、入場用のマシンが早すぎると受け付けない設定になっているのです。地下鉄駅のオープンさとのギャップに少しびっくりしました。

どうせみるものは大したものはないだろう(失礼しました)と思っていたのですが、音声案内を聞きながらのセルフガイドで回る各部屋からは荘厳・淡麗かつ現代に生きる歴史をひしひしと感じることができました。特に、マリアテレジアの前で6歳のモーツアルトが演奏した部屋と舞踏会が開かれていた大広間にはしばらく立ち尽くしました。そうだったのですね、マリアテレジアというとあのマリーアントワネットの母というつながりしか知らなかったのですが、モーツアルトが同時代にというよりも、マリアテレジアの時代が醸し出す雰囲気の中で音楽を作っていたということなのですね。

世界史は高校時代好きな科目だったのですが、この時、マリアテレジアとモーツアルトがなぜ一緒に教えられなかったのだろうとふと不思議に思いました。答えは簡単で大学入試では政治的・社会的なことは出題されても文化的な側面についてそれほど重要視されていなかったからだと思います。

しかし、このように大人になってから外国の街を訪れる際に興味深いのは政治経済よりも、人々の暮らしや生活、文化的な側面の方です。昨夜耳にしたモーツアルトの音楽が頭の中で流れてきました。マリアテレジアはどのような顔でモーツアルトの音楽を耳にしていたのでしょう。それは丁度、シェークスピアがエリザベス1世の時代に生きていたことと同じような関係なのかもしれません。

その後は、バベルの塔を見に、ウイーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)へ。途中、マーケットをしているという Naschmarkt の近くの Kettenbruckengasse 駅で下車(ドイツ語は途中で切らないので1つの単語が長い)(結果的には日曜日でマーケットはお休みだったのですが、そのホームに衝撃のポスターが。10.2からバベルの塔展。絵、ということは今は展示していないのか。そういえば日本でバベルの塔展をしていたな、まだどこかを回っているのだろうか、とだんだん弱気になってきました。でも地下鉄で乗り合わせたリビア人の男性二人が面白かったので、まあいいかという気になりました。お前はどこから来たんだ、と聞いてくるので日本というとおおテクノロジーの国か、寿司は好きだと、いろいろとステレオタイプ的なことを言ってくるので、テクノロジーは確かに当たっているが、寿司は毎日日本人が食べていると思っているだろうというとそうだと答えるので、その誤りは正しておきました。一方、リビアはどこにあるか知っているかと聞いてくるので、自信を持って日本人は100%その場所を言い当てることができるというととても喜んでおられました。わかりますよね、リビアの場所。ちなみにその母語はアラビア語ですよ)。

博物館へ行く気が一気に失せたので、途中、サンデイ・ストリート・ロックコンサートみたいなイベントをやっていて(最初は遠くの方からデモ隊の雄叫びのようなものが聞こえると思っていました)、そこでホットドック(すいません、ウイーンはイギリスよりも格段に食べ物が美味しいです)を食べたりしながら、美術館入り口へ。高い入場料を払う気がしなかったので、受付でミュージアムショップだけ行きたいと申し出ると、一目瞭然で分かるような赤のストライプのIDをいただくことが出来ました。せめて、バベルの塔のトランプでも買おうと思ったのですが(外国では必ずトランプを買うようにしています)、あまりにできが悪いので、クリムトのトランプなどを買って、レジでバベルの塔は展示していないよね、と聞くと、横でお金を払っていた客が残念だったな、来月から展覧会だと追い討ちをかけて来ます。するともう一人の客が、いやいま展示をしているはずだと。それはないともう一人の客が言い返すと、「20分前にこの目で見てきた」というではありませんか。えええ。するとミュージアムショップのレジの係員はとても親切で気が回る人ですぐさまウエッブを検索して2Fのxx室!と教えてくれました。

危機一髪。

すぐさま方針転換。受付で改めてチケットを買い(ウイーンではチケットを買うと必ず、Where are you from? と聞いてきます。不思議に思ってなぜ聞くのかと聞くと、そのように聞くように決まっているとのこと。午前中のシェーンブルク宮でも全く同じ質問をされました。本当に皆に聞いているのでしょうか)、ダッシュ気味で2Fへ(と言っても、ドイツと同じで0階から数えるので、3F、ここの美術館は更に0.5という中二階?もありました)。

ありました。あのブビューゲル (Bruegel) 作、The tower of babel です(これはホテルに帰ってから調べたのですが、ブビューゲルのバベルの塔には2作あって、1作はオランダに、そしてこのもう1作がこのウイーンにあるとのこと。日本で展覧されたのはオランダのもののようです)。

しばらく立ち尽くしました。

天に届くかというバベルの塔。聖書にも登場するこのバベルの塔。言語との関わりにおいても興味深いのですが、天国に届くように人が知恵を合わせて塔を作るというのですが、ブビューゲルの描写は細かく人々を無理強いして働かせる領主や外敵を攻撃する大砲も描かれています。

でも人々が更なる高みを目指してコツコツと塔を建設する様子は何か私達にインスピレーションを与えるものです。古来から人はこのように何かを夢見ながら果たせぬ夢に終わるかもしれないものに挑戦してきたのだと思います。これは外では無理やり働かせられているようにも描かれていますが、この塔を作るのは人間の本能ではないかとも思いました。

それほど混雑もしない贅沢な空間でバベルの塔について色々と考えを巡らせていました。

それにしてもレジで一声かけてよかった!

PS. その後、国立図書館 (Austrian National Library) へ。これがまた分かりにくい所にある。今回の旅では珍しく (?) Vodaphoneが完璧にカバーしてくれているので (giffgaffは全く駄目)Goodle Mapが使えて便利なのですが、図書館はなかなか分かりませんでした。問題は核心の場所まで行ったときに全く反対方向の矢印案内があったことです。オックスフォードのボードリアン図書館と同様の1300年代くらいからの本の展示がしてありました。エスペラント語についての情報も展示してあり興味深いものがありました。

(2018.9.17)

★今回の教訓:私にとってのバベルの塔とは?あなたにとってのバベルの塔とは?ひとりひとりが人生の中で打ち立てようとしているバベルの塔があるはずだ。
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オックスフォード通信(173)Wien Vienna ウイーン

オーストリアのウイーンに来ています

ロンドン(Gatwick空港)から1時間50分(時差が1時間あるので3時間かかるように見えますが)、LLCのEasy Jetを利用しています(天気が良くてイギリス側、フランス側の海岸線が綺麗に見えました。イギリス緑がクッキリしているのに対してフランス側はくすんだように見えるのは手入れの違いでしょうか。また着陸前にウイーンの街が見えたのですが周辺には風力発電の風車がズラリ。近未来映画のようです)。ヨーロッパなのでどこも同じだと思っていたのですが、やはり真面目にその場を踏まなけrばいけないと確認することがいくつもありました。

まず、ドイツ語。もちろんオーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を皆さんが話をしているとは思っていたのですが、ドイツ語だけです。英語で話かけるとアクセントのないニュートラルな英語で(本当に分かりやすいです。すいません、イギリス人よりもはるかに理解力が上がります)かえってきます。なのでオーストリア人の英語能力の高さは疑いようのないところですが、地下鉄や電車の放送は(車掌さんは外国人と見ると英語で話してくれます。地下鉄や電車の切符も独特です。何しろ、地下鉄の改札がなく、車内検札もなし[あるのかもしれませんがまだ経験していません。空港からの電車ではありました]。正直、空港からの乗り換えの地下鉄はタダ乗りしてしまいました。すいません!)ドイツ語のみ。日本なら、日本語→英語→中国語→朝鮮語と(JR嵯峨野線の場合)順番にします。プラットホームの電光表示も少なくとも日英でしているはずです。

しかし、ウイーンではドイツ語のみ

不便を感じるよりも、オーストリアの人達がドイツ語に誇りを持っている姿を想像して逆に好感を持ちました。そうですよね。イギリスでフランス語のアナウンスもするかというとしません!

二番目。タバコに緩い。数珠つなぎみたいですが、ホテルに早く着いてまだチェックインできないので昼ごはんの美味しいところを尋ねる→美味しいヴィエナ・シュニッツェル(Wiener Schnitzel)を頂く→そこの美人のウエイトレスにウイーンでオススメのカフェを尋ねる→素晴らしいカフェで「ウインナコーヒー」の原点のようなコーヒーとこれまで食べた中で一番美味しいザッハトルテ(Sachertorte)を頂く、とVirtuous Cycle(正の連鎖)をうまく辿れたのですが、そのカフェに行ってみてびっくり。久々にカフェの中でタバコをふかしている人を見ました(イギリスでは皆無)。また、今晩、ホテルの近くのバーでビールを飲もうと入ってみたのですが、これまた煙がもくもくしていてすぐに退散しました。タバコ文化なのでしょうか。あまりタバコを隔離しようと思っていないようです。

今夕はウイーン楽友協会でモーツアルトのコンサートに行って来ました。思えば大学3回生の時のヨーロッパ旅行では楽友協会のみ入ることができず悔しかったのですが、その黄金の間でのコンサートに参加することができました。開始が遅く、夜8時15分 ~ 10時まで。モーツアルトの名曲を聴きながら、改めてモーツアルトはすごいことを実感しました。41歳までの人生であれほど多くの名曲を作曲したこともさることながら、作曲した曲は誰もを魅了する素晴らしいメロディーばかり。

天才という言葉で片付けのは簡単ですが、彼は自然と天にあるものを音楽として表現したのだと思います。ビートルズも同じような天才でしょう。リバプールに行けばビートルズを礼賛し、ウイーンではモーツアルトか、と思われるかもしれませんが、同じ人間が行ったこととして考えると凄いことだと思いました。私もモーツアルトやビートルズのように、真理を探求してスラスラと論文が書けるといいのですが(だいぶ良いところまで来たと思うのですが今考えている問題をあと一つ詰められていません)

これはCDを聞いているだけではなくて、その場で実感しないと分からないことなのではないか、と思います。

(2018.9.16)

★今回の教訓:ウイーンを流れる河はドナウ。ストラウスが歌うように(テムズ川とは異なり)青く雄大なドナウだ。
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オックスフォード通信(111)スコットランド紀行(6)北の玄関口、インバネス

北の玄関口、Inverness

ネス湖からの水が River Ness(インバネス川)を通って北海(North Sea)に流れ込みます。

最終日の本日は残念ながら雨模様です。Inverness Railroad Station(インバネス駅)やInverness Castele(インバネス城、現在は裁判所として使われている)を散策しました。Invernessは当初は飛行機の発着、レンタカーのPick-up Dropの場所くらいにしか考えていなかったのですが、落ち着いたとてもいい街だと思いました。来てみてよかったと思える街です。

街の規模はかなり大きく、教会とインバネス川を中心に、駅から500Mくらいの地域が大きな繁華街となっており(昨晩は夜遅くまで、私がパブを出たのが11pmくらいでしたがその頃はまだ煌々とお店の電気がついていました。酔っ払い同士の喧嘩もあった様で警察も出てきていました。その後朝方3時くらいまではガンガンに音楽が流れていた様に思います。宿泊先である川沿いのプレミアインまでよく聞こえていました)、多くの外国人観光客で溢れている様に思いました。インバネス空港はドイツやスイスから国際便が発着する国際空港にもなっています。

インバネスがネス湖観光の入り口になっていて、普通の観光だけでなく、バックパッカーを背負ったり、ネス湖の周辺を走るのでしょう、自転車に乗ったりホテルに自転車を持ち込んでいる人達を数多くみました。

スコットランドはイギリスの中でかなりの自治権を与えられている様で、運転時に許容されるアルコールの量もイングランドとは異なる様です。オックスフォードのあるイングランドでは、日本の感覚では信じられませんが、2パイント(=約1ℓ)のビールまでは飲んでも運転していいそうです。昨日、TomatinのDistilleryを案内してくださったKellyさんによるとスコットランドでは、ウヰスキーグラスで1杯はOKだが2杯目はアウトだと言っておられました(ウイスキーですからこれも相当のものですが)。寒いのでお酒を飲む量も、また飲むお酒をのアルコール度数も高くなるから厳しくしているのかな、とも思います。

昨日はそのような経緯もありドライバーにはウイスキーの試飲を一切させてくれなかったのですが、ホテルに帰ってから飲んでくださいとウヰスキーのミニチュア瓶をいただきました。

さて、合計5泊6日のスコットランドの旅でしたが、一言でいうと、みなさん、ゆったりと豊かな時間を楽しんでいらっしゃるように思いました。これは旅をしている外国人観光客もそうですが現地の人達にも当てはまることです。

本日、Invernessの空港のセキュリティーチェックで、私の前に8歳の男の子を連れた旅行客風の家族がいました。例によって、私はパソコンを出したり時計を外してトレーに入れてていたのですが、セキュリティーの係員がその男の子に携帯は持っていないか?何歳なのか?8歳でスマホを持っていないのは世界中で君だけだよ、などと言ってからかっていました。日本ではまずみないような光景です。まわりに笑いといい感じの空気が流れます。どんなことでも楽しみ、しんどいことは無理をしないようにして、それぞれが楽しく生きていけるような知恵の文化を持っているように感じます。

変にかしこまることも緊張することもなく、出来る範囲で頑張ってやっていけばいい、そんな見えない意図を感じます。

それはインバネスだけでなく、オックスフォードでも同じことが言えるのかもしれませんが、よりハッキリとみて取れる部分が多いように思います。

もちろん、変に融通がきかない頑固なところもありますし(本日、インバネス空港で荷物を預けようとしたのですが、搭乗券{と言ってもアプリでチェックインしたもの] に加えて身分証明書=国内線なのでResidence Permitと言われる居住許可証を見せればいいのですが、他の荷物の中に入れたままでその場では持ち合わせていませんでした。ちょっと取って来ますので荷物をこの場所にちょっと置いておいてください、と言ったのですが、あら残念、荷物はその場所に置かないで、最初から並び直してください、という感じで言われてしまいました。日本でなら利くはずの融通が利きません)、不便を感じることも少なくありません。

でも「人生を楽しもうとしている」というのが生き方のベースにあるように感じます。ひとりひとりが怠けてはいけないけれど、家族も大切にし、自分の健康も大切にしながら、仕事をしている、もちろん悩みも不安もあるでしょうが、人生のベクトルの向きがポジティブなのは生産的だと思います。

また今日からオックスフォードに戻りますが、あまりカリカリしないで、少し大らかな気持ちになって生活をしてみようと思います。

読むべき論文も本も、設計中の質問紙の仕事も山積みです。

(2018.7.16)

★今回の教訓:旅は人生の見直しの機会になる。何もせずただその場を訪れるだけでも授業3回分くらいの価値はあるだろう。これからも機会を見つけて旅に出ようと思う。
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オックスフォード通信(110)スコットランド紀行(5)ネス湖

Loch Ness

これが英語での表記です。今回の旅のひとつの目的がネス湖を見ることでした(変わった目的ですね、という声が聞こえてきそう)。

ネッシーという言葉は誰しも聞いたことがあると思いますが、本当に怪獣ネッシーの存在を信じている人はそれほど多くないでしょう。でもこのネス湖  (Loch Ness)はネッシー一色です。

昨晩はネス湖の畔、Drumnadrochit(ドラムドロケット) Hotel に宿泊し(13日の金曜日に13番の部屋でした!)、まず向かったのが湖畔の古城 Urquhart Castle(アーカート城) です。12世紀くらいの築城ですが、その後スコットランドとイングランドの戦いやジャコバイト党の盛り返しにあったりして廃墟となっていたものを復活させたものです。Glenfinnan(通信107参照)もそうでしたが、スコットランドは何世紀にも渡ってイングランドとの戦いと和平、それにヨーロッパの国(フランスなど)が絡んできた歴史であったことが伺われます。でもDrumnadrochitの街を歩いていても第一次世界大戦の戦没者の記念碑があったりします(オックスフォードの各カレッジにも必ず第一次・第二次世界大戦の戦没者の氏名を刻んだ石版画あります)。

戦いはあっても、イギリスやヨーロッパは(ドイツも含めて)世界観が根底から覆されたという記憶がないのではないかと疑ってしまいます。つまり、過去1000年以上、反省や禍根はあっても日本の明治維新(侍の世の中から欧米を追いかける世界に)や太平洋戦争の敗戦(天皇制から国民主権)のようなパラダイムシフトをしていないように思います。

じゃあ、ドイツのナチス敗戦やイタリアのムッソリーニ敗戦は?と問われそうですが、ヨーロッパ全体としての文化性は脈々と繋がっているように思うのです。

本日の午後、再びウイスキーの DistilleryのTomatin(日本の宝酒造が親会社になっているそうだ)の見学ツアーに行ったのですが、案内をしてくれた聡明なKellyさんが(12歳の息子さんが第二言語でゲール語かフランス語を選ぶと言っておられました)進めてくださった、スコットランドの伝統音楽を楽しめるパブに行ったのですが(Hootananny、と言ってもサタデーナイト、特別プログラムで A’Hooligan の演奏でした。スコットランド風のトラディショナル&フォークソングという雰囲気の音楽)、そこに集う恐らくバカンスでインバネスを訪れているヨーロッパ系のお客さんを見ていると何となくそんな風に思いました。ヨーロッパとしての記憶と意識はパラダイムシフトすることなく脈々と受け継がれていると。

お城と音楽ですが、文化を表す格好の指標かもしれません。そこにエールビールやウヰスキーを加えるとヨーロッパが出来上がるのではないかとすら思えてしますのです。産業革命があろうがフランス革命があろうが、人々の生活の中の風習とか伝統は消え去るどころか、一層その色を、特にヨーロッパとしての色を濃くしているようにすら思えます。

さて、ネッシー。

ネッシーランドは流石にパスしましたが、ホテルの横にあった Loch Ness Centre & Exhibition には行ってきました。抑揚を抑えた冷静な展示とこれまでの探索の歴史を丁寧にビデオによって提示する方法に感銘を受けたのですが、「私は見た!」という目撃談のインタビュー音声が電話の受話器を通して聞けるようになっているのが面白かったです。私はイギリス人はネッシーなんて!と冷めている様に思ったのですが、ここドラムドロケットの街に至っては、子供のミニプールから、ホテルの案内板、パブ(昨晩、Inverness Inn というB&Bのレストランでディナーをいただきました。ミネラルウオーターを買った土産物屋のおじさんのおすすめは確かでした)のストロー置きまでネッシー一色でした。

スコットランドの歴史とゲール語に興味が深まった一日となりました。

(2018.7.15)

★今回の教訓:じゃあ、日本の文化の底流を流れているものは何だろうか。外国から見ると遠くは平安時代から現代に至るまで変わらないものがあるはずだ。それにしても観光客(ほぼ白人、恐らく、欧米形)が持っている一眼レフカメラは、本日のアーカート城に限れば見渡す限り100%日本製だ。半分がキャノン、1/4ずつニコンとソニーという比率。いつからこんな日本独占になったのだろう。しかも重たい一眼レフを持っている。キャノンやニコンの名前の入ったストラップを付けて。
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オックスフォード通信(109)スコットランド紀行(4)スカイ島

スカイ島の夜は11時前頃まで明るい。

オックスフォードよりもかなり緯度が高くなるせいか、夏は日没が遅く日の出も早くなります(日没は天気予報ではずっと早い時間なのですが、薄借りがしてなかなか暗くなりません)。

スカイ島は英語では The Isle of Skye と表記します (isleとはもちろんislandの意味)。私は鳥が翼を広げているような島の形からその名がついたと思っていたのですが、もともとは雲(cloud)の島という意味のようです。

昨日泊まったホテル(Portree) はサービス満点でチェックインの時にはスコッチウイスキーはどうかとすすめてくれ(もちろん頂きました)、スコットランド伝統の甘いお菓子まで頂きました。日本風に言うならペンションのような感じです。ただディナーは(予約しました)シーフードをいっぱい食べるぞと意気込んでいたのですが、海老料理で出てきたのは本当に小さな小エビ×4匹で(道理でお皿が小さいとウエイトレスの女性が言っていた)かなりがっかりしました。

しかし朝ご飯は(付きです)、いつものEnglish Breakfast で本当はメニューから自分の必要なものを選ぶのですが、つい、Everythingといって超フルの朝ご飯となってしましました(これで晩ご飯と帳消し?)。でも気持ちのいいホテルで、フロントのホテルマンはドライブのコースについても適切なアドバイスをしてくれた上に、分かんなかったら途中から電話してくれたらいいと本気で言っているようでした。

北部を一周しました。彼のアドバイス通りです。

まずレンタカーで向かったのが、Old Man of Storr という山です。車が沢山止まっているのでちょっと見に行くつもりが(最初はそこが目的地のKilt Rockだと思っていました)そこが北ルート最大のアクティビティーの場であることが後から分かってきました。そうなんです、単なるView Pointで景色を楽しむ場所ではなくて、そこに登るところだったのです。道理でみなさん、来る人来る人、靴はキャラバンや登山靴、リュック+水、帽子、ウオーキングポールと本格的な登山の格好ばかり。私はスニーカーにTシャツのみ(水なし、リュックなし、カメラあり)。止めようかと思ったのですが、中にはクロックスをはいたおじさんもいたりしたので変な自信もついてそのまま登ることにしました。といっても途中4箇所くらい景色のいいところがあるので、どこで止めてもいいような緩やかな登山という感じした。そのせいか、中高年のみなさんのみならず、こども、犬(多かったです)、中には生後何週間?と聞きたくなるような赤ちゃんを抱っこした(しかも背中におんぶするのではなくて前に抱っこしたまま、これは危ない)男性など多民族・多年齢・多人種・多動物が思い思いに上を目指していました。

本当に3/4くらいのところで止めようと思ったのですが(さすがに上の方は風が強く、汗に濡れたTシャツでは寒かったのと発汗で喉が渇き、足下が滑りやすくなっていたため。これだけ書いたら普通は止めます)、なんとなく行けそうな(本当の登山ではいけませんね。このような時には引き返す勇気の方が大切です)気がして、結局多くの人が目指した頂上まで無事たどり着くことができました(恐らく私のような装備なしで登っていたのは数少なかったと思います)。

でも頂上からの眺めは格別のものがありました。見えなかったものが見えるのですね。頂上からは。遠くの運河、湖、連なる山々。幸い天気も良かったので全てが輝いて見えました。

頂上に登ったという達成感もあるのですが、少し面白いことに気が向きました。それは日の当たることの重要性です。頂上から見ていると、仮にそれほどの(?)景色でなくても陽のあたっているところはとても美しく輝いて見えます。影になっているところはそれ自体よく見えません。当たり前のことですが、片道1時間くらいかけて登りましたので考え方が哲学的になっています。

しかし、また1時間かけて下山した後にもその考えは頭の片隅に残っていました。私たちの研究や仕事も同じではないかと。それは陽の当たる仕事や部署が重要なのではなくて、その人が輝いて仕事をすることが重要なのではないかと。つまり、実際に仕事をする人が、その仕事に意義ややりがいを見つけて取り組めば、そこには自然と陽が当たり輝くのではないか、と。そう思えば、誰もが輝く機会があるのではないでしょうか。太陽が雲に光を遮られながらその都度違う場所に光が当たっていました。すると影が日向になりスコットランドの緑に映えてとても美しく見えました。

その後、本当の Kilt Rock を回ったり(水量が少ないせいか、滝ではなくて水しぶき程度になってしまっていました)、おじさんに、動物ではなく人だけが通れる門のことを Kissing Gate というと教えてもらったり(顔の表情付き)、のんびりとした時間を過ごさせて頂きました。

スカイ島 (Isle of Skye)は昨日渡ったようにフェリーも利用できるのですが、スコットランド本土と結ばれている橋を通って、初日に通ったネス湖まで車で戻ってきました。

明日は、ネス湖周辺を散策する予定です(ネッシーランドと称する怪しい展示館も目にしています)

(2018.7.14)

★今回の教訓:ではどうやって自分で自分の仕事に陽を当てるか。案外、どの仕事にも面白いことと面白くないことが含まれていて、どちらに目を向けるかだけの違いかもしれない。
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オックスフォード通信(108)スコットランド紀行(3)イギリス最高峰・ネビス山へ

スコットランドは美しい

これは旅をする前にはそれほど期待していなかったことですが、これほど美しい風景を目にすることができるとは思っても見ませんでした。

3日目の朝、例によって大量のブレックファストをPremium Inn で頂き、昨日は雨模様だったのが残念だったのでもう一度、Fort Williamsの駅で Jacobite号を見送った後、イギリスで最も高い山と言われる Ben Nevis へ向かいました。ゲール語でBenは山という意味(Lochが湖であることなど面白いですね)。

最高峰といっても1345mですので比叡山よりも少し高いくらい。でも滅多に頂上が見えるないと言われるように、本日も頂上どころか中腹から雲の中でした。

本日の麓、駐車場のパーキング駐車券はこれまでとは少し変わっていて、車のプレートナンバーも入力しろというもの。イギリスで面白いのはこのパーキング券の自動販売機ですらいろいろなバリエーションがあることです(統一できないのかしら、と思います)。

さて高めに設定のゴンドラに乗り(ひとり£19.5=約3000円、高いと言ったら、同じ日であれば何度でも乗ることができると、受付嬢はおっしゃいますが、スキーシーズンでもない限り、それはないだろう、と思っていたのですが、そうでもないのですね、夏はマウンテンバイクのメッカのようで若者から結構お年を召した方まで[圧倒的に男性]、山を下っていったり、バイクをゴンドラの外につけて乗っておられました)、頂上駅へ。ここから頂上までは300mくらいのはず。

地図をもらおうと思って売店のおじさんに話したらこの天候では絶対に頂上を目指してはいけないとのこと。時間は片道2時間はかかるし、霧で真っ白なので頂上からは何も見えない、そして遭難するかもしれないと。

前日のこともありますので、ここはあっさりと30分くらいでいけるView Pointまでいくことで決着。View Pointといっても霧で全く何も見えませんが。

ただ来て見てよかったと思いました。見ているだけでなく実際にスコットランドの山を歩いていみて、周りの高山植物や夜露のように綺麗な雫をつけている草々を目の前で見ることができました。ネビス山の中腹の木々もとても美しい姿をしていました。

その後、一路、Malligまでドライブ。ただこのネビス山からの約2時間のドライブが今日のハイライトだったかもしれません。緑の大地、気の生えていない低い山、その間を縫うようにWest Costの鉄道の線路。所どこに車を停めて風景を楽しめるようになっているのですが、これまで感じたことのないような自然との一体感がありました。

恐らく関係ないでしょうが、TolkienのHobbitやロードオブザリングの世界はこのようなものなのではないかと勝手に想像していました。少し歩いてみるとほんのわずか足がめりこむような地面の弾力があり、足に心地いい感触が残ります。

本当は予約なしでフェリーに乗れるかも、と思ったのですが、そろそろ「予約大国・イギリス」を実感している頃なので(前日のハイストリートを徘徊しながら良さそうなレストランに入ろうとしたのですが、ブッキングなしでは小さなレストランでもダメと言われてしいました)、朝、ホテルを出る前に予約完了(本来は最終便18:00に乗ろうと思っていたのですが、その時点で満杯でした)。15:20発のフェリーで一路、スカイ島へ (The Isle of Skye)。

フェリーは快適だったのですが、到着して車を出発させようとする直前、ハプニングが。地面に落ちていた、なんというのでしょう、パウチタイプと言うのでしょうか、中身は多分野菜ジュースを右横にいた車が踏んだ途端に放水のように中身が私のレンタカーに一気にかかってしまいました。おまけに、窓を全開にしてフェリー係員の指示を待っていましたので、外はもちろん、車の中まで(ダッシュボードやフロントガラスの内側)、ミックス野菜のようなものが飛び散ってしまいました。まあ、誰の責任でもないので(落としたのは踏みつけた車は多分関係なし、フェリーの係員は Are you okay? とは言っていましたが)、日本製のウエットティッシュで内側を、外側はやっと見つけたガソリンスタンドで日本でもしたことのない洗車をすることになってしましました(料金は3分で£1と格安)。

そんなこともありましたが、スカイ島も絶景の連続でした。絶景とはこれまでにみたことのないような風景という意味で書いているのですが、自然の美とはかくも素晴らしいと思いながら、いつ頃、恐らく火山の噴火によってこのような地形ができたと思うのですが、人間とは無関係に何万年前から存在しひょっとして人間が滅亡してしまった後にもその姿は残っているのだろうな、などと考えながらハンドルを握っていました。

(2018.7.13)

★今回の教訓:絶景は写真や映像で見るのとは全くインパクトが違う。実際にその場の空気に当たってみないとわからない。
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オックスフォード通信(107)スコットランド紀行(2)ホグワーツ 魔法学校

Glenfinnan Viaduct

これはハリーポッターの映画を見たことのある人なら誰でも「あ、あの!」と合点がいくと思います。ハリーポッター達がHogwarts魔法学校に入学するために蒸気機関車に乗っていく途中に鉄橋が出てくるシーンがあると思います。そこです。

2日目は、さすが宿の Premium Inn は便利な場所にあるだけあって駅もすぐ近くです。あいにくの本降りの雨でしたが(ほぼ3週間ぶりに本格的な雨を見ました)まず一日一往復半の蒸気機関車、The Jacobite 号の発車(10:15)を見送りにFort Williams駅へ。本当は乗りたかったのですが、割と(かなり)行き当たりばったりの旅行で予約というものをホテル以外していないので残念ながら予約で一杯で当日券を買うことはできませんでした(しかs、スコットランド人は親切で駅のチケット売り場で、鉄橋の通過時点を尋ねると親切に教えてくれました:ただ、イギリス英語の、A quarter past threeという言い方は頭の中で計算しないとなかなかピンときません。Three Fifteenと言ってくれません。3時15分前なら、A quarter to threeです。もちろん、出身の綾部中学校の英語の授業では当時そのようにきちんと教えて頂いています)。

Premium Inn はバイキング(Buffe, smorgasbord)スタイルの朝食なので昼ごはんは不要なくらいです(どうも貧乏性なのか、いわゆる食べ放題となると山のように食べてしまいます。オレンジジュース×2、マンゴジュース、目玉焼き、ベーコン、ソーセージ、マッシュルーム、焼きトマト、ハッシュドポテト、ベーグル、クロワッサン、チョコレートパン、マフィン、ヨーグルト、ダブルエスプレッソ、ラテ、ヨーグルト。これが1日目(2日目も)の自身のメニューです。

さすがにこれだけ食べると昼食は不要なのですが、2時間くらい大脳が働きません。周りをよくみると、このような食事を続けたせいか、お腹の出ているおじさんが沢山います。今後はバッフェ形式の朝食(日本に帰ったらディナーかな)でこの1/3とは申しませんが、半分くらいで満足できるようにしたいと思います。

さて、少し朦朧とした頭で向かったのが、本場スコッチウイスキーの蒸溜所 (distillery) です。ネビス山の麓にあるので銘柄は Ben Nevis です。かなり合理化された蒸溜所のようで、ひとり£5を払うと Vistor’s Centre で待つように言われ、スコッチウイスキーのいわれについてのビデオ(3分くらい)を見せていただきます(日本人も多いのか、ビデオの言語には日本語もありました)。私の前が30人くらい、後も20人くらいだったのですが、たまたま谷間のツアーだったので4名でのツアーでした。気楽にいろいろ質問したり雑談をしたりという感じの楽しいウイスキー工程ツアーとなりました。このBen Nevisはスコッチウイスキーでよく使うピートは使わないタイプだそうです。ビックリするのは全社員が21名しかいないということで、この人数でツアーガイドから実際のウイスキーのモルトの仕込みまでやっているそうです。すごい。最後にお決まりの試飲をさせて頂いたのですが、まろやかで美味しいウイスキーでした(あまりに感動したので大瓶1本購入しました。日本に帰国するまでは残念ながら持たないと思います。しかし、試飲のウイスキーの入れ方もさすが21名でやっているだけあって大雑把でグラスを30個くらい並べておいて上からざーと流し込む感じです。ツアーガイドのお兄さんが私が日本からきたと言ったら、(サントリーではなくて)日本にはニッカがあるね、と言っていたのが印象的でした。ニッカの創業者竹鶴政孝がスコットランドでウイスキーの勉強をしたことが影響しているのでしょうか。

さて、ウイスキーで少し頭の回転お良くなってきたので次に向かったのがNeptune’s Staircase (いわゆる運河)です。これは遠くの Loch Lohy と Loch Eil を結んでいます。当日は通行する船は見ることができなかったのですが、ゲートを開けて水位を同一にする作業を見ることはできませした。デジタルとは程遠いアナログの世界ですが、水の力の力強さとそれを利用する人間の力を目の当たりにすることができました。原初的ですが、感動を覚えます。

その足でいよいよ有名な鉄橋、Glenfinnan Viaductへ。ただ行ってみて分かったのですが、鉄橋はあとで、それよりも1745年の Prince Edward がJacobite党(蒸気機関車の名前にもなっています)を蜂起してイングランドに反旗を翻した場所の方がもともと有名だったそうです(その蜂起を記念するモニュメントの塔が湖のほとりに立っていて、現在はNational Trustが管理をしています。K先生のおすすめで会員になっていた私は颯爽と会員証を提示して塔をひとり[私の前にジェントルマンが降りてきた切りで塔に登ったのは私ひとりでした]頂上まで登り、Loch Shiel を優雅に眺めていたのですが、ついパノラマ写真を撮ろうとと思い立ち、360度一人でくるりと回ったのはよかったのですが、自分が上がってきた上り口があることをすっかり忘れて、350度くらいのところでその穴というか上り口に左足を取られ、左膝、iPhoneを持っていた右手が塔を形作る岩と激突してしまいました。私は当初、パノラマ撮影をしていたiPhoneが突然視界から消えたので何が起きたのか1-2秒分かりませんでした。よく学生の皆さんには留学や旅行で100%何かをしようとしたら無理をすることになり怪我をしたりするから80%くらいに抑えるようにアドバイスをしているのですが、絶景などを見るとついそのようなアドバイスをしたことを忘れてしまします。いけません。激突後、まずい!と思ったのですが、幸い、かすりギズの出血くらいでおさまって良かったです。今後は十分気をつけたいと思います。パノラマは激突の直後だけ画面がガクンと下がっています。見たい人は帰国後研究室に見にきてください)。

スコットランドの人達は自分たちのために蜂起してくれた Charles Edward Stuart を誇りに思っているようで Glenfinnan Parking には記念展示がしてありました(ここで私は高校時代の世界史の授業でジェイコブ党やエドワードを習ったことを思い出しました)。

朝ごはんを大量に食べていたにも関わらず、パーキングのレストランで、ハイランドスープという名前を見つけて、つい食べたくなり、ついでに一緒においてあったパウンドケーキも一緒に注文して食べてしまいました。イギリスではToiletsがなかなかないので見つけたら行くようにしているのですが、こちらのトイレ、特に男子トイレがヒドイです(女子トイレは入ったことがありませんので分かりませんが、恐らく日本と同等のレベルだと思います)。

さて、View Pointというのがその鉄橋を一望できるところで、少し時間も早かったのですが、上りはじめした。行って見てびっくり。降りてくる人や(鉄橋だけを見に行ったのか?)登る人で結構な人でした。ほとんど事前に調べないで来ているのですが(すいません)、かなりの人気スポットのようです。

日本人は他に会いませんでしたが、かなり多くの国々から旅行者がきているようでした。このGlenfinnan鉄橋は展望がいいので今回私が見たView Point以外にもいわゆる世界各国の「撮り鉄」と言われる人達はあちらこちらの場所に構えているようでした。なぜ分かるって?展望がいいので、本当に豆粒くらいですが、あちらこちらに人影が見えるのです。また若者は山の中をどんどん歩いて自分にとっていい場所を見つけようとしているようでした。

スコットランドは緯度がいっそう高いためか(イギリス自体緯度がとても高い。ロンドンで北海道の北の樺太くらい)、高い木がほとんど生えていません。よって草原が生い茂っている感じなので人の姿もかなり遠くでも分かります。

15:15、そろそろという頃に予想とは反対の方角から、蒸気機関車 Jacobite号がやって来ました。でも、蒸気機関車のトレードマークのモクモクとした煙が出ていない。ええええ、と思ったのですが、そこはさすが。鉄橋の真ん中に差し掛かった頃に迫力の煙を出し、なかなかいい音を立てて鉄橋を渡り、緑の大地の中に消えて行きました。

そろそろ帰ろうと思ったのですが、皆さん席を(その場を)立とうとしないのですね。何かある?すると5分後くらいに反対方向から別のJacobite号が蒸気機関車反対向きでやって来ました(終点のMallaigには京都の梅小路機関車館のような回転台がないのでFort Williamsからやって来たのと同じ形で、今後は機関車を逆向きのまま発車するのだと思います。翌日ですが、 Mallaigで反対のまま発車するJacobite号とその姿を写真に収めようとする沢山の撮り鉄を目にしました)。

得しました。しかも今後はさらにサービス満点で鉄橋の真ん中に近づくとスピードをグンと下げるのですね。これは恐らく列車に乗っている人が鉄橋からの風景を楽しめるような配慮だと思います。

いいものを見たと思いました。同時に、中学生の頃、住んでいた京都綾部市周辺を走っていた蒸気機関車がみるみる廃止されていくのがキッカケで、遠くは和田山や長野県の中津川や三重県の亀山まで蒸気機関車の写真を撮りに行っていたことを思い出しました。実に45年くらい前の話ですが。

夜は、サッカーW杯準決勝イングランド対クロアチアの試合を恐る恐る昨日を同じパブに観に行き夕食として、スコットランド名物ハギスを頂きました。結果的に前半1-0で勝っている状況のハーフタイムで店を出て残りはホテルで観たのですが、パブではもちろんそんなそぶりも見せられなかったと思うのですが、素人目にもクロアチアの勢いは明白でした。

何でもそうですが、守りに入ると人は弱いですね。守り切れません。クロアチアは0-1になったのでそれこそ死にものぐるいで向かって来たのですが、イングランドは割と簡単に先取点が取れてしまったので安心したのでしょうね。でも負けた後のイングランドの South Gate 監督の毅然として堂々とした態度は立派だっっと思います。座り込んでいるイングランドの選手を立たせ、何も悔いることも恥じることもなく、自分達がやって来たことを誇りに思っている姿勢が観て取れました。敗者の美学を観た思いです。

旅に出ると(今回のオックスフォード自体が旅なのですが)、いろいろなものを見、いろいろな人と話し、その結果いろいろと考えます。そしてその考えが自分の中にある何かとリンクしていくようで (connecting the dots)、自分でも多白く思います。

明日は、3日目の様子について書きます。少し冗長になっていますが、備忘録を兼ねていますのでお許しいただきたいと思います。

(2018.7.12)

★今回の教訓:歴史の舞台に立つといろいろな考えが浮かんでは消えていく。250年以上前の出来事が今にもつながっているようで興味不快。すると歴史やイギリス文化・文学について、知りたくなってくる。文学や文化史に興味がなかったのに不思議なものだ。
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オックスフォード通信(106)スコットランド紀行(1)いざScotlandへ

しばらくの休暇を利用してスコットランドに来ています。

England, Wales, Ireland, Scotlandと別けて話がされることがあるように、Scotland は日本でところの関西、関東、北海道 のような単なる地域ではなく、別の国のように思います。

車の運転でスピード狂なのは(通信95参照)変わりませんが(観光地なので私が目撃したのはEnglandの人々かもしれません)、まず人々がとても親切なのにびっくりします。オックスフォードの人達も親切ですが、スコティッシュはpush型の親切なのかもしれません。言われたら親切にするというのではなく、自分から進んで親切にしようとする姿勢です(イングランドとスコットランドの違いではなく、単に都会とカントリーの違い?という気もするのですが、イングランド郊外でそのような親切は見たことはありません)

1日目の昨日は、今回レンタカーを借りて、Innverness (インバネス)から南下してFort Williamsまで来たのですが、途中のドライブイン(コンビニがあったりする休憩所です)で駐車場の料金(イギリスでは駐車場はほとんどどのような場所でも有料です。ただゲートがあって帰りに料金を払って帰るというのではなく、自主的に料金を払い、その証明書を車のダッシュボードの上に明示するというパターンです。時々、係員がチェックして払っていない人には莫大な罰金を請求するというものです。

イギリスは罰金大国でこの罰金が恐ろしくて皆さん、駐車場料金もきちんと払っておられます)を払おうと思ったのですが、Apple Payがうまくいかず手こずってたのですが、後ろから Can I help? という声が聞こえました。私はてっきり列 (queue)に並んでいる人がイライラして早くしろよ、という意味で言ってきたのかと思ったのですが、全然違っていてたまたま通りかかったスコティッシュが親切で言ってくれていたのでした(もっときちんとお礼を言ったらよかった)。

さて、1日目ですが、朝6時台にオックスフォードをバスで出発し(GTWまでの直行バスがあります)、ロンドンガトウイック空港より12:30のEasy Jet (LCC)にてインバネスへ。

びっくりするのはガトウイック空港のLevel 1がほぼ全てEasy Jetの荷物チェックインのマシン(チェックインは事前にスマホによってするように促されていたので、実際には荷物を預けるだけ)。「世界最大の自動チェックイン」と謳っているだけあってそれこそ50台以上の自動チェックインマシンが並んでいます。途中で気になって荷物の重さを測ろうと思ったら£3というちゃっかりさ(断念)。荷物のタグはダーツの的と的を合わせてくださいという細かな指示まで(見る前に日本人的に端と端を丁寧に合わせて付けてしまいました。でもこれなら不器用と言われる欧米人でも出来るかもしれません)。

Easy Jetは思いの外、快適だったのですが、搭乗口が30年前の日本の飛行機のようなタラップを登るタイプで面白かったです。飲み物、スナックから機内は何から何まで有料(席も指定する場合には£5くらい課金されましたが、これはなくなく払いました)。でも約2時間で無事インバネスに到着。

14:20頃到着。すると申し込んでおいた レンタカー会社(Alamo)の係員が名前をチェックして送迎用の車を指示。3分ほど乗るとAlamoグループの空港支店に到着、£1000以下の免責もカバーする保険に入るかというのでここはそれをケチらないように£130で加入。Hyundaiのコンパクトカーですが、オックスフォードとは異なりこのスコットランドは旅行者向けなのか、オートマの設定が小型車でもあるのがありがたいです(私の前にいた白人の老人は大型車のオートマに颯爽と乗って行きました。やっぱりみんなオートマの方がいいんですって。イギリス人だけじゃないですか、ミッション車が好きなのは。通信72参照)。

さて、Invernessから一路、Fort Williamsを目指して車を走らせます。天候はあいにくの雨。でも小雨なので景色もとても綺麗に見えます。むしろ雨に濡れて一層綺麗に見えるくらいです。

ここで豆知識。ネス湖の玄関口は、Inverness、ネス湖は Loch Nessと言います。何か似ていますね。そうなんです。Nessがネス湖のネスという地名で、ゲール語でLochは湖、Inverは川の入り口という意味です。この地方には湖が多く、あちらこちらで Loch XXX(例えば、loch lochy)という名称を目にします。

見ました。ネス湖。ネス湖は波ひとつ立たないような静かな湖で南北に長く位置しています。車の運転をしながらでしたが(途中2回パーキングに停めて見てみました)、ネッシーが出てきてもおかしくないような幻想的で静かな湖でした。

Fort Augustusで休憩し、ここでネス湖とはお別れ、次の湖という感じです。Fort Williamsに到着したのは午後6時頃でしたか。1日目と2日目はPremier Inn に宿泊です(日本で言うところの Holiday Inn のようなファミリー向けのホテル)。

小雨が降っていましたが、High Street(イギリスのどの街の中心街もこの名前が。もちろんオックスフォードでも)を散策しながら、パブで夕食を食べようと思ったのですが、この日はサッカーW杯準決勝(フランスvsベルギー)がありどこも一杯。ホテルの近くのパブは空いていたので、大スクリーンでサッカーを見ながら私はエールビールにサーモンフライを頂きました。

(2018.7.11)

★今回の教訓:スコットランドの街の標識には英語とゲール語と両方表記してある。言語を守ろうとする姿勢は独自の文化を守ることにつながるのだろう。

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