「私が大学時代に考えていたこと、今の大学生に思うこと」

一昨年8月末に大学時代の友達4名と久々に会う機会がありました。大学を卒業して今年で32年経ちますが会うとそれぞれ年は取って大いに変わっているはずなのに「全然変わってない」と互いに思ってしまいました。高校時代の友人も中学時代の友人もそれぞれ大切ですが、私にとっては大学時代の友人がその中でも格別の思いがあります。なぜ大学時代の友人は、大学時代は格別の思いがあるのでしょうか。今日は短い時間ですがそのことを一緒に考えてみたいと思います。

私もみなさんと同じようにこの京都の地で大学生活を送っていました。大学の3回生、4回生の2年間は寺町今出川ですからこの同志社女子大学今出川キャンパスから徒歩で5分くらいの至近距離に住んでいてこのあたりでご飯を食べたり喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。

今のみなさんを見ていると男女の違いはあるものの昔と今も変わらないものがいくつもあるように思います。もっとも昔は携帯電話がありませんでしたし、インターネットもパソコンもありませんでしたので、情報を検索したり友達と連絡を取るのは大変だったのは大きな違いです。

▼みなさんにひとつ質問があります。みなさんにとって大切なこと又は気になることを10個あげてみてください。サークル、アルバイト、片思いの恋人、コンパ(飲み会)、旅行、映画、授業、卒論、就職、そして心に秘めた悩み。この心に秘めた悩みというのは後から述べることにしておいて、どうでしょう、何個くらい一致したでしょう。 多分わたしの大学時代と半分以上一致するのではないでしょうか。

私の大学時代サークルは4つ同時にはいっていました。その中で一番時間を割いたのがテニスサークルかもしれません。これをいうともう二度と宗教部から奨励に呼んででもらえなくなるかもしれませんが、テニスサークルは正式名称、アトランティス、現在の通称アトランというサークルに入っていました。この名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。ひょっとしたら現在入ってらっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。現在もこのサークルは京大を中心に脈々と活動を続けていて2年前に創立30周年記念パーティがあり参加してきましたがその中には同志社女子大学で教えている学生の方もいてビックリしたのを覚えています。1期生なんです。といっても私が参加したのはアトランティスの原型が出来上がってサークル名を決める頃、1回生の秋くらいでした。高校時代の友人がその中核のメンバーで誘われた形で入れてもらいました。当時は(今は必ずしもそうではないようですが)よくテニスをしていました。荒神口に関西電力のいいコートがあって週に2回くらい汗を流し、夏には山中湖や軽井沢まで出かけて合宿をしたりしていました。コンパは時々で、明るく汗を流し、青春を謳歌していたように思います。

アルバイトもみなさんが現在アルバイトに励んでいるように、私も様々なアルバイトを経験しました。家庭教師を2-3件を掛け持ち、引っ越し屋さんの臨時の手伝いから北白川にある写真屋さんの焼き増しの手伝いこれは3年間ずっとしていました、時にはウナギやさんの注文聞き、また京都国際会議場で当時行われた国際学会のアシスタントをしたこともあります。このようなアルバイトによって普段見ることのできない世界をかいま見たおもいがします。

▼しかし、大学時代を振り返って印象に残ること、思い出に残ることは、このようないわば「かたちあるもの」だけではありません。今お話をしたサークルやアルバイトは形として残っているため話もしやすいし、話をしていて楽しいですが、これら以上に重要な事は、実は心に秘めた悩みだったのかもしれません。この心に秘めた悩みというのは大学生にとって大切なもので人間は死ぬまで悩みが消えませんが大学時代の悩みというのは格別です。当時はあまりはっきりと意識はしていませんでしたが、ずっと考えていたのは「どうやって生きていこうか」ということだったと思います。別の言い方をすると将来に対する不安と期待といえるかもしれません。教育学部に在籍していましたので将来は先生になる人も結構いましたが、必ずしもそうとも決まっていませんでした。丁度英語英文学科の学生のみなさんが将来必ず英語を使う仕事につくとは限らないこととよく似ています。

Appleコンピュータを創設したSteve Jobsは、大学を中退して初めて自分が何に興味があるかはっきり自覚したと、スタンフォード大学の卒業式の式辞で述べていますが、実は自分自身が何に興味があるのかと考えるのは、哲学的な言い方をするなら自分とは何者なのか、何者になろうとしているのか模索することなのかもしれません。

その疑問というか悩みの解決又はさらに輪をかけて迷走させてくれたのが友人との無駄話、ダベりだったと思います。当時学部の地下に学部生や大学院生が集まる場所があって授業に出なくても必ずそこに行って友人を探していたように思います。何を話していたかすっかり忘れてしまいましたが、そこで話していたことは偉そうに言うと少なくとも大学の授業2年間分くらいの価値があったように思います。京都大学の名物教授であった数学者森毅先生は「人生、無駄にこそ意味がある」と喝破されましたが、ひょっとしたら無駄な時間だったのかもしれません。ただ正直に真面目に今考えてみると、その友人や先輩とのダベりの中には無駄な話も多かったのですが、人生とは何かとか、男女に愛は成立するかとか、神は存在するのか、遺伝と教育はどちらが優勢かとか、日本社会はどうあるべきか、そして私たちはいかに生きるか、という深遠な話が少し含まれていたように思います。そしてそれ以上に重要であると今から思うのは、授業と異なり、「自分の口から話がスタートしていたこと」です。授業でのディスカッションはトピックが先生から与えられたり、先生の質問に反応することが多いのですが、自分から話を始めることの価値は大きいと思います。

▼先の森先生は著書の中で「20年前の自分は他人だと思えばいい。それぞれが新しい人生なのだから、昔の人生にこだわらなくてもいい」とおっしゃっておられますが、今ある自分を作ったのは大学時代の友人との何の話か分からない無駄話だったように思います。

もうすぐ大学生活を終えようという4回生からこれから佳境に入っていかれる1回生まで様々な皆さんですが、大学時代とは授業にどれだけ真面目に出たとか優や秀をいくつ集めたかということも重要ですが、それだけでなく、友人と、しかもいろいろな友人と、たわいもなく思える話を存分にしておくことが重要であるように思います。その中から自分がいかに未熟で物事を知らないかということも思い知ることもできると思います。そのような中から実は何に興味があって、自分は何がしたいのか発見できるのかもしれません。これからやってくる就職、結婚、という人生の大きな選択だけでなく、大学卒業後の人生にも生きるのではないか、と思います。

みなさんにも大学を卒業して30年経っても大学時代、大学時代の友人を懐かしく思える時間を過ごしていただきたいと念願しています。難しいことはありません。今日からすぐに始めることができると思います。よきサマリア人はみなさんのすぐそばにいます。

最後に敬愛する森毅先生の至言で締めくくりたいと思います「自分の一生を考えてみた時、だぶん7割くらいはムダに過ごしてきた気がする。それが人生の流れであった・そしてムダなようであってもその流れが自分の人生を特に自分にとっての人生の味を作ってきたような気がする」

(2015.1.7 同志社女子大学 栄光館 ファウラーチャペルでの奨励)

2013年新島先生墓前礼拝奨励

「志を立てるとき」(高い志)

何事にもはじめてというものがあります。みなさんも大学に入学されてたくさんの初めてを経験されていることと思います。私達教職員も昔そのような初めてを沢山経験しました。私が同志社の教員になったのは今からもう19年前のことになります。昨日英語英文学科のEクラスのみなさんと話をしていて、19年前というのは1994年、すなわちここにいらっしゃる多くの皆さんが生まれた年にあたることに気づいて感慨深く思っていました。

はじめて同志社に来た時、いくつもびっくりすることがありました。大学が同志社でなかったので、もちろん礼拝も新鮮でした。その中でも一番インパクトのあったのは「入社式」です。教員の世界では「辞令交付式」というのですが、封書で頂いた案内文書にそのまま入社式と書いてあったのです。何かの冗談かタイプミスだろうとおもって会場に行きますと、建物の外の看板に大きく同志社入社式と書いてり、たまげました。なぜ入社式というのかというその理由を当時、総長であった松山義則先生が教えて下さいました。同志社というのは字の如く、同じ志をもったものの集まりであると、その集まりを「社」という。その集まりに入るから入「社」式であると。同志社はユニークな大学であるとその時思いました。

しばらくすると職員証をいただきました。みなさんも学生証をもらいましたね。みなさんの呼び名も成長と共に変わっています。幼稚園時代は園児、小学校は児童、中高等学校は生徒、生徒会とか生徒手帳でした。大学になるとみなさんは学生なので、学生証、学生会となります。これは私の職員証なのですが、見えないと思うので、拡大コピーして持ってきましたので見て頂きたいのですが、「社員証」と書いてあります。会社員みたいですが、もうわかりました。同志社の社員なのです。同じ志をもったものの集まりの一員であるという意味です。本当に同志社は特別な大学だと思いました。

同志社は今から138年前にこのお墓に眠っている、新島襄先生、山本覚馬先生、宣教師デービス先生の3名によって作られました。

では、なぜ今私達はこの3名を含め同志社に貢献のあった先生方の墓地に集まっているのでしょうか。私は日本・海外・通信教育を含め、4つの異なる大学を卒業・修了していますが、新入生がこのように創立者のお墓にそろって参拝するというような大学は世界のどこを探してもこの同志社の他にはありません。

その理由は、同志社を作った新島先生の夢を知り、確認するためだと思います。では新島先生の夢とは何でしょうか?入学式で総長の大谷先生は「良心を手腕に発揮することができる若者をつくること」だとおしゃられていますが、私はひと言で言うと「夢」をもった若者を作ることだと思っています。夢を持った若者とはどのような人かというと、何かをしたいという志を持った人だと思います。

みなさんが夢を持った、志を持った若者になること、これこそが新島先生の夢であります。みなさんが夢のある志のある若者になったとき、新島先生の夢は叶うのです。そのために今日私達はこの場にいるわけです。

みなさん、どの時代も実は閉塞感があり困難な時代でした。今だけではありません。私が大学を卒業して就職する際にも就職氷河期といわれ就職は厳しい時代でした。どのような困難な時代でも、状況でも、人間は夢を持つことが出来るのです。

夢のあるところに道は開けます。志のあるところに風は吹きます。

どうぞみなさん高い志を掲げ、その志を理解してくれる友人を沢山つくり、一歩一歩、その夢を実現してゆきましょう。

志を立てる、夢を見つけるのは、いつでしょう?もちろん、「今でしょう!」

どうぞ同志社をつくった三人の先生、八重先生のお墓に手を合わせてお帰り下さい。

(2013年4月5日、京都若王子山頂、新島襄先生墓前にて)