オックスフォード通信(123)OUP

オックスフォードにはかの有名なOxford University Press (OUP) があります。

本社は昔、現在のボードリアン図書館の前にあったそうですが、現在は Jericho と言われる大学の東側に移っています。まあ、そこは本社という事なのですが、その直営店(=書店)がオックスフォードのハイストリート(イギリスのどの街にもある通りで、通常メインストリートになっている。オックスフォードの場合にはコーンマーケットストリートの方が賑わっている)にあります。

日本なら即日(大学の研究室のある京都市内なら)や翌日(自宅のある亀岡市内)に配達ということもありアマゾンで注文する事が多いのですが、イギリスのAmazon(こちらでもプライム会員になっています)は翌日配達が稀でほぼ2-3日以内の配達という状況です。すると急に、アマゾンで注文する魅力が失せる感じもあり、今住んでいるフラット(Summer Townです)からCirty Centre(イギリスではダウンタウンよりもこちらの言い方)まで自転車で(!)10分程度なので、本が欲しくなったら買いに出かけるようにしています。

もちろん四条河原町や四条烏丸まで出かけると丸善やジュンク堂があるのですが、同じ大学街でも徐々に本屋さんが無くなっている京都はとは少し状況が違うように思います。ただ、オックスフォードでも以前はもっと本屋が多かったという声も聞きますし、私がこちらに来てからでもサマータウンの唯一の30年以上続いた本屋さんが閉店しましたので、実は本屋さんへの逆風は日本もイギリスも同じなのかもしれません。

オックスフォードの中心部にある本屋さんとしては、ギネスブックに世界最大の本屋さんとして登録されているブラックウエル(Blackwell’s Bookshop)とウオーターストーン (Waterstones)が代表格です。

しかし、語学や応用言語学の多くの専門書を出版している OUP の本が欲しくなったら直営店に行けるという贅沢さがオックスフォードにはあります。

実は、図書館で本を閲覧・借り出ししたり、PDFで論文を読む事が多かったのでそれほど多くの本をこちらでは購入していないのですが、先日 Waterstones で購入した英語の文法の本が面白かったので、その類書をOUPの直営店に探しに行ってみました。

さすが。欲しいなあ、と思っていたOUPの本は全てあって、ついでにその横に置いてあった David Crystal の本まで購入する事ができました。このあたりが、アマゾンとの違いですね。その本を実際に手に取り、またその周りに置いてある本も手に取ってみたり(更にその近くにおいてあったOUPのペンとかトートバッグなどの誘惑に負けそうになりました)、また同じ書棚を見ている他の客が手に取っている本も参考にすることができます。そこから得られるインスピレーションはすごいとはいいませんが、いい刺激になります。

綾部市という京都北部の小さな街に生まれ育ち、小学5年生くらいの頃に近くにお住まいだった日野先生に英語の手ほどきをしていただいてからどれほどの年月が経ったか分かりませんが(実は分かります)、世界最高峰のオックスフォード・ユニバーシティ・プレスで本を買うことができたことに変な感慨と感動を覚えていました。小さな夢が叶ったように思います。まあ、本を買うなら誰でもできることなんでしょうが。

ところで、昨日はほぼ10年前に同志社大学での授業の受講生だったTさんが会いに来てくださいました(オックスフォードのパブでお会いしました)。また本日は数年前の京都大学での授業の受講生だったDさんからこのブログを見つけてメールを送ってくださいました。このように授業が終わった後も覚えて連絡をしてくださることに感謝の気持ちで一杯です。教師を志望する人に、教員のいい所は授業が終わった後にもその人間関係が持続することがあること、と言っていますが、まさにその通りのことを実感しています。

幸せな気持ちにつつまれた土曜日になりました。

(2018.7.28)

★今回の教訓:本を購入するだけでなく、いつかOUPから自著を出版することを次の夢に。
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オックスフォード通信(122)小学校英語

日本人全体としての英語能力が一層向上できるようにしたいと念願しています

この部分について異論を挟む向きはほぼないと思います。しかしその方法については異論続出だと思います。特に、小学校からの教科しての英語と大学入試にTOEFLなどの民間テストを活用することについては。いわば英語教育の入り口と出口ですね。今回は、前者の「入り口問題」について私見を述べたいと思います。

2020年から教科としての英語が小学校5年生から、小学校3年生から外国語活動が始まります。と言っても、京都市のように既に前倒しで開始していたり、2020年から更に小学校1年生から(ということは小学校入学と同時に)外国語活動を開始するところもある。

早期英語教育に疑念を抱く研究者が主張するような母国語である日本語に対する影響はないと思いますが、インターネットで得られ新聞報道を見る限り、小学校から始めることが重要であってその効果は二の次という印象は拭えません。

どれだけ早く始めても「週に1-2回程度のDrip Feed(ボタボタという感じです)の授業では、後から集中的に始めた人たちに簡単に追いつかれてしまう」という事をカナダの研究者、Lightbown and Spade (1999, 2003, 2006, 2014) が名著 “How languages are learned” (Oxford University Press) で明快に述べています(SLA, Second Language Acquisition 研究の知見)。

若ゼミでも2009年から豊中市の小学校とSTEP (Shogakko Teaching English Project) と称して継続的にプロジェクトを進めてきましたが、確かに小学生の方が、1) 物怖じしない、2) 他の教科との連携が取りやすい、3) 興味を持って学習しやすい、という点で中学生より外国語に対する適性に優れていると感じてきました。ゲーム感覚で授業にタスクを持ち込むとこれまで中学生以上のクラスで感じたことのないような集中力とスピーディーな反応に驚いています。この時期に、英語は難しくない、むしろ楽しく、コミュニケーションのツールとして活用できると実感することはむしろ有益であるとすら感じています。

しかし、問題が小学校での英語教育をどうするか?どのような授業を展開するか?という事ばかりに集中して、義務教育の終了する15才、又は高校教育の終了する18才、又は多くの大学で教養英語という形の終了する20才でどのように英語能力を身につけさせるのか、という議論が手薄であると思います(CEFRでの目標値は示しているよ、という声が聞こえてきそうですが)。

昨年度まで地元のK市の教育委員を務めさせていただいていました。そこで小中連携の重要性を事あるごとに提案していましたが、教育委員会と言えども、実は如何ともし難い状況があり、小学校での英語をどうするか、に話が終始してしまいました。それは、もともと小学校での英語教育が現場サイド(中学校を含め)からの発想でなく、文科省からのトップダウンで降りてきたものである事。教育委員会はその決定に従い、各小学校でどのように実施するかにしか、考える時間も人的リソースを与える余裕がなく、本来なら議論の中心にあるべき、小学校で英語の授業をどうするか、そして小学校で学んでいた英語を中学校でどう発展させるかについて議論する必要性は感じながらもできていない状況でした。

この間の動きを見ると、どうしてもアリバイ作りのように思えてなりません。つまり、「なぜ日本人は英語が下手なのか」ということについて、文科省的に対策を取っていますよ、という。でも本気で日本人の英語能力を上げようと思っているのなら、早くから始めることの効果をどのように中学校で高め、高校につなげてゆくかについて、議論するような指導と財政的な援助(=人的配置)をするべきです。もちろん、中高の英語の授業改革(英語の授業は英語で)や入試制度の手直し(4 skillsの測定)なども提唱されていますが、それらを現場でどのように実現するかについての議論と検証は十分とは言えません。

ひとことで言うと、文科省がこう決め、通達したのに、教育現場はそのように変わっていない。教育委員会からもっと強く指導するべきだ。このようなマインドセットであるかぎり、一部のモデル校を除いて、小学校からの英語が功を奏するわけはありません。

まずゴールを日本人の英語能力を高めることに据え、そのために最も欠けているいることを
リストアップして(主として財政)援助することが筋です。

欠けていること
① 小中連携の人員。つなぎめ、すなわち、小=中、中=高、の連携が不足している。各公立中学校にできれば大学院卒の英語教員加配を置き、校区の小学校の外国語活動、英語の授業のコーディネートをする仕組みを作る。これは実際に授業をしながらでは大変なので、授業ゼロにして、各小学校を巡回したり、会議を主宰する。

1クラスの人数が多い。コミュニケーション指向の授業というなら少なくとも中高等学校すべての英語の授業をG8の先進国がおこなっているように20名以内にする。財政的に大変だという声が聞こえきそうだが、そもそもお金を掛けないで英語能力を上げることが無理なのです。

③ 早期英語教育を既に実施してきた自治体の学力慎重の検証が見えない。早急に検証をおこない(報告書を見たことがありません)、データベースで小学校からの英語教育をするかどうか議論する。

4 skillのバランス。大学でもそうですが、ライティングが本当に必要かどうか議論するべきだと思います。BICSやCALPという議論を踏まえ、まんべんなく4つのスキルが必要かどうか、改めて考えてみる必要があると思います。

日本人が習得するべき英語像が明確でない。オックスフォードに来てみて、改めて世界各国の留学生は国際語として英語を使っていると実感します。合わせて、日本人が目指すべき英語使用とはどのようなものなのか、についての議論もしてゆくべきだと思います。例えば、アメリカ英語とイギリス英語のミックスも有り、かもしれない。

私達が豊中市でSTEPプロジェクトをするきっかけは大学院時代の畏友N校長先生から、このままでは大変なことになるので、校区の小学校の外国語活動を見にきて欲しいと依頼されたことでした。一校長先生の一言でも小さな波は起きるのです。

文科省もいつまでも中央官庁からトップダウン式に号令をかけるだけでなく、選挙のように草の根で全国の中学校区を全て洗い出して、それぞれにリーダーを据えるくらいの本気さが欲しいと思います。全国を飛び回って良心的に講演会を行っているN教科調査官の善意を無にしないためにも、省庁としての本気さが欲しいところだと思います。

ただ冒頭で述べたように、小学校で3-4年生での70時間 (週1回、1×35週×2 =70)、5-6年生での140時間 (週2回、2×35週×2 =140)、計210時間(週6回分の授業相当)を中学校に移行して集中的に学ぶ計画も同時進行で検討を続けるべきだと思います。SLAの研究の知見は、長期にわたってチョビチョビするよりは、短期間で集中的に学ぶ方が効果的、です。この210時間あれば、例えば、中学校の英語の授業を現行の4コマに2コマ加えて、どの学年でも週6回、すなわち毎日1回以上の英語の授業がある形に持ってゆけます。そこに、20名以下の少人数を導入する方が、SLA研究を持ち出すまでもなく、効果的なのは自明だと思います。どうしても小学校から始めたければ、この中学校の英語の授業数を増やす形をまず導入し(小学校で誰が英語を教えるのかという問題はなくなる)、その間に小学校で英語を教える専科教員数を確保した上で、その増加分を小学校へ移譲すれば混乱を引き起こすこともありません。

小学校で英語を始めることが重要なのではなく、日本人が世界市民(Global Citizen)として誇りを持って生きていけることが大切であることを、再認識する必要があると思います。

(2018.7.27)

★今回の教訓:オックスフォードでの私の在外研究も1/3。残りを考えながら時間を有意義に過ごしてゆきたい。
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オックスフォード通信(121)良心とxxx

From a distance

遠望すると普段見えないものも見えることがあります。私の好きな歌に、この From a distance があります。もう四半世紀(=25年)前になるのがビックリですが、公立中学校の英語教員をしている時も3年生の授業では必ずこの歌を取り上げていました。

湾岸戦争の際(1990-91)Bette Midler のカバーが有名になりましたが、もともとは Julie Gold の歌です。その頃、NHKラジオ英会話を視聴していて講師の大杉正明先生の名調子で紹介されたのがこの曲を知ったきっかけです(先生とは、大学の教員になってFEAT3の学会で親しくお話をさせていただく機会があり感激したのを覚えています)。

From a distance, the world looks blue and green
And the snow capped mountains white
From a distance, the ocean meets the stream
And the eagle takes to flight …

と続きます。イギリスは宇宙ではありませんが、日本を傍観したり、イギリスと日本を比較することによって Julie Gold が歌った効果があります。

会議を重ねても良い結論に至らないことが日本ではよくあります。3つのパターンがあって、A) トップダウン式の会議で何を言っても結論は最初から決まっているので「あきらめて」何も言わない(このパターンが一番多い)、B) 意思決定者(CEO、社長など)に歯向かうと報復(特に、人事などで)を受けるので、意見を言わない、反対しない、C) 正論の提案に対して、しんどいことが嫌なので理由をこね回してその正論が通らないように筋の通らない意見を述べる(現状を改革しようとする会議によく見られる=だからトップダウンでないといけないのだという短絡的結論を生んでしまう)。

パターンは違え、共通しているのは、自分の中にある「本当は … なんだけど」という良心のささやきと何かを取引していることです。パターンAの場合は、良心と平穏な生活を、Bの場合には、良心と保身を、Cの場合には良心と自分さえよければ後は知らないというわがまま(自己中心性「わが亡きあとに洪水はきたれ」)と交換しているのです。

よく、なぜ太平洋戦争を防げなかったのか、なぜナチスドイツのような独裁を生んでしまったのかという疑問が呈せられることがあります。私も何十年とその疑問をモヤモヤと考えてきましたが、最近ハタと疑問が氷解したように思います。

それは政治制度や社会・経済状況というrマクロの問題もありますが、最も大きな問題は個人のレベルで良心を押し殺す作業が日常的に行われている所です。この押しつぶされた良心の束と交換されたものが戦争や絶対主義を招く原因ではないでしょうか。

誰しも自分が可愛く、平穏で少なくとも現状を維持しようと思います。しかしそう思えば思うほど、現在の自分の生活を維持することは難しくなるのではないでしょうか。

私が勤務する同志社女子大学は良心教育を根幹に据える大学ですが、良心ほど言葉で教えるのが難しいことはないと思っています。

イギリスに来てから多くの教会を訪れる機会がありましたが、その多くはイギリス国教会です。最上位にはGod、そしてイエスキリストという図式は変わりませんが、その次に女王が据えられているのが、宗教の役割をわかりやすくしていると思います。つまり戦争には正義の戦争と不義の戦争があり、正義のためには爆弾を落としても人の命を奪っても、神に祈るのことによって正当化されてしまいます。きっとこの時、教会の牧師は良心と何かを取引していると思いますが、それは祈りによって正当化されてしまうのです。人の命はある時は最も重要で、神の愛を説きながら戦争に加担してしまう。言葉では良心と言いながら行動に結びつかない。戦争でこれまで明確になっていることは、爆弾で死ぬのも大衆であるし、戦争に真っ先に駆り出されるのも一般大衆であることです。戦争にいい戦争とわるい戦争があるわけでなく、全ての戦争が良心の対極にあることは自明です。そのことに全ての宗教が全力で反対したのを過去を振り返ってお見たことがありません。ここにも良心と何かとの取引があると思います。

良心はどうやって教えるか。それは実際の行動や実践によってでしかできないと思います。しかもそれほど大上段に構えなくても日々の生活の中で良心の感じられる行動を実践することは十分可能だと思います。教育の大切な役割は、良心が大事だと教えることではなくて、「あなたにも良心を実践する能力が備わっている」と自信を与え、そのような場を提供することだと思います。

同志社女子大学の場合であれば、もうすぐ今年も始まる群馬県榛名町・新生会でのワークキャンプであり、手前味噌で恐縮ですが、若ゼミの活動が含まれると思います。

では、良心と取引しないためにはどうしたら良いか、本当はそのようなことを考えるのが、本年度 (2018年度)から小学校で来年度 (2019年度)から中学校で教科化される『道徳』の目的ではないかと思います。

遠くからものごとを眺めるとよくわかることがあるのは本当です。

(2018.7.26)

★今回の教訓:社会は一人一人から、大学も一人一人の学生・教員・職員から成っている。そのひとりひとりの意識や行動が社会や組織のあり方を決定づけるのは当たり前のことかもしれない。
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オックスフォード通信(120)Oxford University が世界一の秘密(9)図書館

ボードリアン図書館

これがオックスフォード大学の中心の図書館です。内部の写真撮影は禁止されているのでお見せできないのが残念ですが、特に円形のラドクリフカメラと言われる図書館にいると歴史をしっとりと感じることができます。

オックスフォードでも今年は猛暑と言われ(と言ってもやっと34℃になるかもというレベルです。ただ水不足は深刻になって来ました。芝生からほとんど緑がなくなってしまいました)さすがに日中はエアコンがないと辛いのですが、このラドクリフカメラは恐らくエアコンが入っているからだと思うのですが、ヒンヤリとして心地よい感じです。

机の上には、白熱灯とコンピュータの電源などのためにコンセント(socket/outlet)が用意してあります。必要最小限にして十分という感じです。

ここは外の喧騒とも無縁の世界で観光客も立入禁止区域になっています(その他のところは、大学関係者は2名のゲストをお連れすることが出来る事になっています。ただ図書館だけは例外で大学関係者以外は入ることができません)。

壁には天井までの書棚、そして誰かはなかなか分かりませんが、恐らく中世からの著名な学者の彫像と壁画が飾ってあります。

ただ2点だけ問題があります。

ひとつはオックスフォード大学全体に言えることですが、Wifiがそれほど強くなく(弱いわけではありませんが、フラットで契約しているスカイのネットワークの方が早いです)、途中でよく切れることです。

もうひとつは意外ですが、案外早く閉まってしまうことです。同志社女子大学の図書館でも早いと思っていたのですが(午後8時です)、ここは6:45になるとチリリン、と終了15分前の鐘が鳴ります(と言っても図書館員がハンドベルの小さな鐘を鳴らしているだけだと思います。現場はまだ見ていません)。午後7時の閉館は少し早くないですか、と思います。

でも5時にはお店が閉まり、カフェでも8時くらいには閉まってしまうお国柄ですから、大学の図書館もそれに倣えということかもしれません。

オックスフォード大学の図書館にも随分慣れて来ました。

(2018.7.25)

★今回の教訓:夏は研究に限ります。
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オックスフォード通信(119)インターネットゼミ15 回目 

昨日は、インターネット・ゼミの春学期しめくくりとなりました

オックスフォード大は既に夏休みにはいっていることを考えると、日本の大学は長期間に渡って勉強していることになります(本題とは関係ないですが、遠くイギリスから漏れ伝わる日本の国政や社会状況を傍観すると、日本は制度疲労していて、国の行く末を誤っているように思います。私は政治家を非難しようとしているのではありません。彼らには日本の100年先や200年先の自分達がこの世からいなくなった後のことを考えるリーダーとしてのビジョンがないのは事実ですが、そのような政治家を選挙に行って又は棄権することによって選んでいるのは日本国民です。そのビジョンがないのは実は日本国民自身であって、国政の状況は日本国民の映し鏡になっているのに過ぎないと思うのです。自分はこれが[仕事が、家庭が、勉強が]忙しいので政治のことは何世も続く政治家のみなさんにお任せしますと言っている間に、世界の大勢からみると、独自路線を行くと言うよりも、行っては行けない方向に危険も顧みず、みんなで進んでいるように思えます。大学に話を限ってみても、15回も授業をする必要はありません。特に今年のように暑い夏の中、効率が上がるわけはありません。それは、大学といいながら、大学評価委員会とか文部科学省に従順であろうとする、大学自治とはかけ離れた態度を取っているからです。なぜそのような態度を取るかというと、それが正しいからではなくて、そうしておけば社会的にも現在では大学内からも非難されないからです。そこに欠落しているのは大学で学ぶ学生や教職員の実際の姿です。効果があれば20回でも授業をすればいい。でも大学設置基準に書いてあるからといって、文科省からの指導があるからと言って盲従しているだけで、大学の将来を真剣に考えているとは到底思えません。自分達が非難されなければ・・・穏便に事なく進めることができれば・・・この理由なき消極主義が日本中にあふれているように、イギリスからは見えます。その裏で文科省の局長が自分の息子を裏口入学させたというニュースが象徴するように無為に権力を持った人達は見識のない行動をとる、それをマスコミが非難する、けれど国民は仕方ないと、どうせ何も変わらないとあきらめ、テレビのお笑いを見、世界一便利なコンビニに買い物に行ってその怒りを静める。でもそうかな、と思います。日本人は総体としてみたときとても優秀だし、ひとりひとりのポテンシャルも高い。要は、控えめするぎるのかもしれないと思うのです。もう少し自分を信じて、つまり自分にできることがあるいことを信じて行動すればまわりの雰囲気は一変すると思います。小学3年生の時、バカなことを考えていて、日本人一人一人から1円ずつもらった、1億円以上のお金になる、と[もちろん、全国民に対して同じ事ができないのでこれは成立しないのですが]。ひとりの力は例えば、1円くらいですが、集まると1億円の力になる、1億円も1円なければ9999万9999円でしかないということです。問題はみんなそのことは知っているけれど、行動を起こそうとしないことです。ではどうすればいいかというと、宮崎駿が「半径何Mのしあわせ」ということを著書の「出発点」・「折り返し点」[どちらか忘れました] に書いていますが、ここにヒントがあると思います。トップを替えないと世の中は変わらないと思う人が多いかもしれませんが、これは多くの場合不成功に終わります。なぜかというと、なかなかトップになれないし、トップになるまでに妥協の産物を沢山作ってしまって、トップになったときには本来の目的をほとんど忘れてしまって、世の中はそんなに甘いものではないとつぶやくのが精一杯になってしまうからです。割と簡単にできる道は、自分の半径1メートル以内を幸せにする努力をすればいいのです。これはできる。昔、自分の家の玄関をキレイにすれば世界は美しくなると聞いたことがありますが、よく似た論理だと思います。これを半径3Mくらいにしてこの春プロジェクトに取り組んだのが若ゼミ18ということにもなります。彼女達が普通のゼミとは異なるのはゼミの運営に関してはおよそ頼るべき指導者が近くにいないということです[アカデミックな部分についてはKitao先生に大きな薫陶を受けています]。じゃあ、自分達で自分達のゼミを何とかしなくては、という気持ちになる訳です。これはゼミだけでなく、結婚している人は自分の家庭は世界一の家庭にしようと思えばいいわけですし、先生をしている人は自分のクラスを世界一の教室にしようと思えばいいわけで、政治家にならなくても[なってもっと教育費を増やしてくれると有り難いですですが]できるわけです。この自分+自分の周辺を変えようと思う気持ちがあれば社会の向きを間違えることはないと思います。ただそこはぬるま湯だけではいけないわけで、建設的に意見を述べる人や前提を作りすぎる[=これは自分達には無理だ]といけない訳です。オックスフォード大に来てほぼ4カ月経ちますが、この大学が世界一であって、他のランキング1000番台の大学と根本的に違うことは[これまで色々書いてきましたが]ないように思います。違いは実はほんの少しで、その違いというのが、真面目に将来を考える、コツコツと実践している、夢の実現のためには先入観なく誰とでも話をする、この3つくらいです。ただその根底には、自分は社会の役に立るはずだという自信(自己効力感)があると思います。というとなーんだ、やっぱりそれはオックスフォード大学だからできるのだ、という人もいるかもしれませんが、そう思う人は「半径を狭くすればいいわけです」。Think globally, Act locally. という言葉もそのような意味合いなのだと思います。日本で政治家や高級官僚と言われる人達を責める前に[彼らは責められるべきだと思いますが]、それを他山の石として自分の持分の半径をハッピーにする方向に生かせば、結果的に、1円×1億=1億円の論理で、社会は健全になると思います。前置きが?長くなりました)。

さて、昨日は同志社女子大学側のWifi状況がよくなかったようで(このどこが悪い?は場所の特定のが難しいです)、計4回止まってしまいましたが(2回は私が話をしている最中でした)、ゼミメンバーの早急な対応でそれほどフラストレーションを感じることなく進めることができました。

ポスターセッションと春学期のまとめを行ったのですが、しめくくりに相応しい充実したセッションになったと思います。強く感じることは前置きに長々と書きましが、以下の3点です。

1a. 自分達のゼミに17名が責任持とうとしている
2a. 仕事の分担を公平 (being fair) かつ平等 (being equal) にしようとしている、誰かに任せってきりにしない
3a. 楽天的ものごとを進めようとしている

また、それぞれに対応する形で具体的な行動として、以下の特徴を見て取ることができたと思います。

1b. コンピュータの設置設定に象徴されるように縁の下の力持ちになることをいとわない
2b. いろいろな局面でゼミのリーダーが入れ替わる
3b. 大学行事も含め、どうせやるなら楽しく進めようとしている

4月9日の4回生第一回ゼミから終わってみるとあっという間でしたが(その意味でもこのブログにこと細かく記録しておいて良かったと思います)、いい成果を上げてきていると思います。ただ、「百里を行く者は九十を半ばとす」という「戦国策」の戒めにあるように、本当にまだ半分なので、敢えて「ゼミはこれからです」という気持ちで気持ちを引き締めて「世界一のゼミ」を目指して新たな考えをめぐらせたいと考えています。春学期、多くの方々にお世話になりました。特に、Kitao先生、TAのKさん、事務室の池内さん、三浦さん、スタッフの皆様には一方ならぬお世話になりありがとうございました。これらかも無理難題をお願いすることがあると思いますが、引き続き、ご支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さあ、夏休み!

(2018.7.24)

★今回の教訓:若ゼミ 17期生に餞別に頂いた2018カレンダー。7月の欄は「夏は汗も書くが、収穫も多い」と一言が。オックスフォードも史上最高に熱いといわれる夏だが、こちらでも頑張りたい。
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オックスフォード通信(118)第16回英語英文学科ポスターセッション(後編)

ポスターセッションについての若ゼミ18メンバーの感想をお届けします

今回はTwitter風に140文字以内でのコメントです。

ポスターセッションを通して自分が進めている卒論を客観的に認識することができた。発表準備や実際の質問から今後の展望が見えてきた。また、ゼミメンバーや他のゼミの発表を聞き、良い刺激やヒントも得ることができた。SPや実習報告などを見てもらう機会もあり、一つの分岐点として今後の活力になった。(RH)・・・「客観的」というところがいいですね

目標としていた相互的なプレゼンテーションができた。他のゼミの卒論の進め方や考え方に触れることができた。今後の課題や詰めの甘さを感じた。他の発表を見てモチベーションが上がった。ポスターセッション委員として円滑に運営することができた。(ibeibe) ・・・「インターラクティブな発表」いいですね。委員ごくろうさまでした。

このポスターセッションを通して、これから書く卒論の内容をより明確に理解することができました。今まではただ、大まかな内容でしか考えられていなかったことを、他人に見やすくポスターにまとめ発表することで私自身も自分の卒論の内容をより具体的に決めることができました。これからさらに構成を固めて、卒論に取り組みたいと思います。 (べいびー)・・・発表することで自分自身気づくことができるのですね。いいポイントです。

ポスターを作る過程で自分が何について卒論を書こうとしているのかを改めて考えることができたし、他の人が何について研究しているのか、新しい発見をすることができ、貴重な時間になった。(うどん) ・・・他のメンバーの研究を通して自覚できることは重要ですね。

ポスターセッションを通してもっと自分の研究を深めたいと思った。係の仕事などで抜けなければならなかったので、他の人の発表があまり見れなかったのが心残り。次回は今回よりもより良い発表にしたいし、良い卒論ができるよう努めたい。(AiAi)・・・「もっと」という気持ちは重要ですね。

今回のポスターセッションにて卒業研究の途中経過を発表する機会をいただいたことで、今までの努力とこれからの課題の両方を客観的に認識することができたと思います。また他のゼミメンバーの発表を聞き、私ももっと様々な角度から自分の研究を進めていこうと感じ、いい影響を受けることができました。(MI)・・・「様々な視点」という点が重要ですね。

ポスターセッションを通して、似たような内容を扱っている発表を聞くことによってまた新たな観点からの見方考え方が自分の中で生まれたり、発表や質問を通して自身の卒業論文においてもっと詳しく書かなければならない点が浮かんできたりと、とても有意義な時間を持つことができました。これから自分の課題と向き合って良い卒業論文にしあげていきたいです。(poco)・・・「新たな考えが自分の中で生まれる」ことは素晴らしいことですね。

私は人前での発表やプレゼンには苦手意識があり、今回のポスターセッションも億劫でしたが自分なりに質問紙を何回も書き直したりして頭に入っていたこと、みんなが笑顔で見守ってくれたことにより少し苦手意識が緩和したような感じました。また課題も見つかり卒論まであと半年頑張りたいです。(こあら)・・・発表の積み重ねが苦手意識を克服することになりますよ。

今回のポスターセッションでは、改めて研究したい内容について、また今後どうすれば良いかについて考えるいい機会になった。他の人の発表を聞くことも、とても刺激になった。きちんと準備して望めなかったことが反省点だ。ポスターの彩り、構成を含めて、工夫する必要があった。これからは、自分の納得のいく卒論を仕上げることができるよう、真剣に取り組んでいきたい。(N)・・・ポスター発表では特にポスターの仕上げは重要なポイントですね。

今回のポスターセッションで卒業論文に対する意識が向上したことが最も良い学びになったと思います。友だちの発表からは多くの新鮮なアイディアを発見しました。その為、自分の現段階の考えはまだまだ未熟なものであると再認識しました。自分の研究したい内容についてさらに検討し、考えを深めていきたいと思います。 (Haruka)・・・未熟であることを自覚できれば大成功なのかもしれません。

ポスターセッションを通して、自分の研究がまだまだ広すぎてごちゃごちゃしてしまっていることに気付きました。同時に、みんなの発表を聞いて、こんな考え方もあるんだなと視野を広げることもできました。みんなの笑顔の多い最高のポスターセッションになったのではないかと思います。(お蕎麦)・・・「笑顔の多い」発表会は若ゼミ18のこれまでのゼミの映し鏡ですね。

今回のポスターセッションを通して、まだまだ自分の研究を試行錯誤しなければ、明確な結論にたどり着かないかもしれないという焦りが生まれました。他の人の発表を見て、フォーカス出来ている人がたくさんいたので、自分の研究をもっと見直すべきだと考え直すいい機会となりました。(n2)・・・「見直し」の機会になれば、発表会は大成功です。

ポスターセッションを通して、自分の卒業論文のテーマについてもう一度しっかり考えることができた。発表形式についてはコーチの助言を参考に聞き手に質問をすることで、聞かせるだけのプレゼンテーションではなく、自分らしい発表になったと思う。まだ研究内容への理解が十分ではないので、しっかり研究を続けて行きたい。(ぴ)・・・「自分らしい」というところが素晴らしいですね。

ポスターセッションを行なったことによって、これまでぼんやりとしていた内容を順序立てて整理することができ、具体化してきたと感じた。また、メンバーの発表を聞いたことで、改めて卒論に対する姿勢を見直すことができ良い刺激となった。今後は、メンバーからの質問で得たアイディアを参考にしながら高い意識を持って取り組み、納得のいく卒論を仕上げていきたいと思う。(MY)・・・他のメンバーの発表を聞く事はいい刺激になりますね。

ポスターセッションをすることにより、自分の中で曖昧だった研究内容を客観的に見ることが出来た。また、他の人の発表を見て、視野も広がりました。これをきっかけに、卒論に対する意識が高まりました。(non)・・・「視野が広がる」ことは卒論だけでなく人生にとっても重要ですね。

ポスターを作成していく中で、自分の卒業論文のテーマにより自信を持てたと思う。ポスターセッションを通して、このテーマで卒論を書きたいという気持ちが強まった。また、他のメンバーの発表を聞き、良い刺激になったと同時に、自分の研究へのヒントも得られた。これから一生懸命、研究を進めていきたいと思う。(Satosato)・・・「自信とヒント」大事なポイントですね。

ポスターセッション本番までの過程で、自分の研究テーマを客観視し、全体を見ることが出来たので本文の執筆に大いに役立ったと思う。発表後の質疑応答でも、今後のディスカッションに加えるべきものが出てきたので、有意義なものになった。他のゼミの発表も聴けて刺激にもなった。(ひつじむし)・・・「ディスカッション」は卒論最大のヤマ、そこへのヒントが得られたなら大成功。

(2018.7.23)

★今回の教訓:17名それぞれのコメントを読みながら、このゼミはどんどん進化成長しているように思う。教員に変に頼ることなく、互いに励まし、刺激し合いながら学んできた成果だと思う。17名の大所帯ゼミだが、全体に埋没することなく、ひとりひとりが際立っているのが素晴らしい。きっと世界一の卒論を書き上げることだろう。あらためて、第16回英語英文学科ポスタープレゼンテーションの成功を祝福したい。Congratulations!
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オックスフォード通信(102)喫茶店のオキテ破り

少し気まずい思いをしました

私が現在住むサマータウンにはCostaというイギリスのチェーン店のコーヒーショップがあります。このCostaはロンドンをはじめOxfordでも所々にあるイギリス人お気に入りの喫茶店です。スターバックスもありますが(サマータウンのスタバについてはいつか書きたいと思います)ブリティッシュには遥かにこのコスタの方が人気があります。

奥の方にはコンセントが近い席もあり、ラップトップで仕事をしている人も多くいます。席のタイプも木のチェアから今私が座っているゆったりとしたソファまで様々です。

問題はどの時点で自分が座る席を決めるかということです:①入店したら注文の前に自分の席を確保してからカウンターに注文に向かう、②注文して列に並んでいる間にパッと席を取って列に戻る、③注文を済ませて飲み物が出来上がるまでの間を利用して席を確保する、④飲み物を受け取って初めて席を探す。

さてみなさんは①~④のどれでしょうか。

私は日本では①、イギリスでは③と決めていたのですが、本日は結構お店が混んでいて列に並んでいる間に「うん、これはひょっとしたら座る席がないのでは?」と思ってしまったのです。そこで、②で列の近くのいい感じのソファに荷物をおいて席取りをしました。

ブリティッシュは圧倒的に④です。私の前の小学生くらいの男の子とお母さんがさあ座ろうとした時に私が危惧した通り咳がなかったのですね。仕方ないので2つのテーブルのところを1つ分けてもらって相席のような形で座っていました。席を探す時に私が荷物を置いているのを見て、あら、という感じで仕方ないわね、みたいな感じだったのですが、心が痛みました。

たかがコーヒーショップの席ですがここにはカルチャーが表れていると思います。文化とは、みなさんもご存知のように「すなわち何が良くて何が良くないかという価値判断、道徳判断の基準」でそれをもとに行動がなされます。同じ文化圏の人達はその「判断基準」を共有していますので行動も似通ったものになります。

イギリスには ”First come, First served” (早い者勝ち)の基準があるのだと思います。ただその早いものの「判断基準」が先に店に入店した順ではなくて、飲み物を手にした順なのだと思います。イギリス人で私のような②や③の行動をしているのは高校生か外国人だけのように思います。

別に悪いことをしたわけでも無いのですが、どこにも書かれていないけれどイギリス人なら皆が知っている不文律を破ったようで気まずい思いをしました。

文化の大きな問題(挨拶の仕方、食事の仕方、お風呂の使い方など)はガイドブックに書いてあって知っているのですが、このような細かいけれど結構大事な問題はその場にいないと分からないものです。

文化の問題は多岐にわたり、目に見えないだけに理解するのに時間がかかります。

(2018.7.7)

★今回の教訓: カルチャーで次に問題になるのが携帯の使い方。いつ、どこで携帯を使っていいかよくないか。文化とは言いかえると皆がハッピーに生きるためのソフトウエアなのだろう。
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オックスフォード通信(101)帰国便・その後

航空チケットはネットではなく、旅行代理店で購入するべきです。
以前、A社の帰国便を予約変更で(11月→3月末)しようとしたところ既に予約で一杯でできなかったと報告しておりました(通信91)。その後日談です。

私は21世紀になってから(おおげさ)ほぼ全ての海外航空券を奈良県にあるR旅行代理店にお願いしています。今となっては何がきっかけだったのか記憶が定かではありませんが、電話一つで細かなリクエスト(例えば、飛行機の座席は窓側で翼にかからない所で外の景色が良く見えるところにして欲しいなど、大したものではありません)に気持ちよく答えてくださることと、最初の頃はチケットを研究室まで手渡しで持ってきてくださるなど、人間味あふれる対応にほれ込んだのが理由だと思います。

国際電話をしたところ、既に代理店は閉まっている時間だったのですが、オーナーのSさん(いつも声だけでお会いした事はありません)個人の携帯につながりました。事情を簡略に説明して詳細をメールで送ると、翌日には解決策の提示のメールが届いていました。

L航空(同じスターアライアンスグループ)だがA社のコードシェア便(という形だと思います。ですから形の上ではANAという事)に変更して3月末の航空券の発券が可能とのこと。同じことをA社の東京(恐らく)事務所に電話で相談したのですが、そこではそのような話では出ることもなく、オプションは2つ、正規運賃の60万円のチケットか、格安の15万円の片道チケットを再購入する、という選択肢から選んでください、というものでした。もちろんその時点でインターネットを調べるとF社のヘルシンキ経由がA社の半額くらいの格安チケットが出てきましたので、これで帰らないと仕方ないなあ、と思っていたところです。

では、チケットの変更に全く料金が発生しないかというと、
・払い戻しになるもの:週末料金ー>平日料金 ¥5000払戻し
・追加料金:空港税追加(経路が変わったため)¥1690、再発行手数料 ¥2160

とうまく相殺できそうだったのですが電子チケットを現金化するのに¥5400かかる為、空港税の追加は払い戻しの5000円を充て、残りの¥3310の払戻は放棄し、再発行手数料(これは代理店の業務に関するものなので充当できない)のみの支出ということで決着しました。約2千円でチケット問題が解決したということです。

飛行機のチケットを購入する際、安いからといってインターネットのクリックで購入をしている大学生も多いと思うのですが、今回の事象が象徴するように人の機転によって救われることがあります。ネット自体は救ってくれません。

お会いした事はないと書きましたが、Sさんそしてもう一人のSさんが誠実なお人柄である事は電話の声からよく分かります。またA社の社員さんも長時間に渡って親切に色々な方法を考えてくださったのですが(感謝しています)、R代理店との違いは、どれだけ「お客さん」の立場に立って考えているか、という事だと思います。恐らくR代理店は大会社というような規模ではないと思いますが、人間味あふれる、言い方を変えると、お客にあった柔軟な対応ができる会社なのだと思います。ここは大事なところですね。よくルールとかプロセス論を持ち出して、そのような個人的な対応をしてはいけないのだとおっしゃる方も(特に大学において)いらっしゃいますが、そうなのかな、と疑問に思います。単に面倒くさがっていらっしゃるだけではないかと。

飛躍してはいけませんが、同じことは大学での教員と学生の関係についても当てはまるのではないか、と思います。つまり学生のことを本当に親身になって考える、ということ。

その意味では同志社女子大学は学生規模が6000名、英語英文学科で一学年145名と中規模でいいサイズなので、節度のある人間味あふれる対応が十分できる条件にあると思います。

でもオックスフォード大学の規模は同志社女子大学よりも遥かに大きいのですが、対応はとても人間味溢れるものです。なぜできるのでしょう?

この人間味溢れるというのはつまるところ「一対一の対応」をするという事です。確かに時間も労力もかかりますが、効果は絶大です。

恐らく完璧にしようと思っていないのでしょうね。または「求めよ!されば与えられん」に基づいて申請のあったものだけに対応しているのかもしれません。

インターネットゼミを続けていますが、恐らくこの「一対一の人間味あふれる対応」にインターネットをうまく組み合わせると効果的になってゆくのだと思います。

オックスフォード滞在も100日を超え、そろそろ、Connecting the dots、すなわち、関係ないと思っていたことがつながり始める、ということを「感じて」ゆきたいと思っています。

(2018.7.6)

★今回の教訓:100回を記念してFacebookにリンクを貼ったところ多くの方からご支持をいただいたり、更に365回まで頑張るよう激励のメールを頂いた。365回は無謀と思えるがまずは200回を目指して頑張りたい。
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オックスフォード通信(100)Oxford University が世界一の秘密(7)優れた研究ツール

大学内で開かれたワークショップに参加してきました。

今回は質問紙などの調査をインターネットでリサーチ用に実施するためのインターネットベースのソフトウエアです。

今回の在外研究の裏(サブ)目的は世界一と言われるオックスフォード大の秘密を探ることにありますが、本日のワークショップに参加して、またなるほどと納得しました。ケチケチしないで研究ツールを無料で豊富に用意し、そのためのワークショップも提供するというもの。

SPSSまでは同志社女子大学でも無料で利用できるのですが、オックスフォード大ではそれに加えて質的研究ツールのNvivoも大学関係者(IDを持っている人=学部生、大学院生、教員、研究員 [=私はこれに当てはまります]、職員)なら誰でも利用できるのがすごいところです(但し、1年毎の更新)。

質問紙作成には、Google Docも使いやすく有効ですが、特にセキュリティーやアカデミックで利用する際には十分とは言えません。

1時間でのワークショップで全てマスターできるわけではありませんが、概要が分かり使ってみようという気になって来ます。

みなさんのお手元に「質問紙調査のお願い」というメールが届いたら(このブログでも告知・お願いをするかもしれません)その節は是非どうぞよろしくお願いします。

データベースや(通信28参照)研究環境を整えること、それは当たり前のことのように思えるかもしれませんが、なかなかできないことです。逆にいうならそのような研究環境がない状態で研究を増やせ、という方が無理なことなのかもしれません。口幅ったい言い方ですが・・・(やめます・・・この続きはご想像にお任せします)

オックスフォードに到着してから本日で丁度100日目この通信も100回に達しました。続けられるところまで続けようと思って始めたものですが、みなさんからコメントも頂いたりして(勝手に結構たくさんの皆さんに読んで頂いていると妄想しています)励まされたのが続けることができた理由の一つだと思います。ありがとうございます。

不思議なものですが、書きたいことは最初に決めて書くのですが、書きながら新たな発見があります。アウトプットの重要性を自分自身でも実感するところです。イギリスでの在外研究も1/3が終了。何か成果になるものを創り上げたいと思うのですが、このブログもささやかながら今回イギリスに来ることを契機に始められたもので、自分の考えの移り変わりを見てとれるのが面白いと思っています。完成してから(え、365日書くつもり?)先に述べた、Nvivo などの質的データ分析ツールで分析してみるのも面白いと思います。

このはてなブログはとてもいいのですが、一点、自分のブログ内で検索できないのが問題だと思っています。現在、少しずつWordPress利用のブログに移行していますので(そちらの方が見やすいかも)、よかったらそちらでもご覧ください。事の顛末:自身のHPが大学から追い出されたのを機会にNTT Biz ウエッブ&メールエコノミーに加入しました (http://wakamoto.orgというドメイン名も取得)。正確には大学が教員用のHPサーバーを、HPを開設している教員が少数であるからという理由から廃止したためです。その際会議でも反対意見を述べたのですが、HPを自分で作っていない人にどれだけその重要性を言っても無駄ですね。でもピンチがチャンス。月々1500円でサーバーを利用させて頂いています。2012年のことですのでもう6年になります。HPだけでなく今後はそのブログも活用したいと思っています。

(2018.7.5)

★今回の教訓:時間を有効に使うとは役に立つことに時間を使うこと。こうなったらどうしようと心配しても何も産み出さない。行動あるのみ、という人もいるが言っていることは同じ。考えて役に立つことだけに絞って考え、それ以外は行動しながら考えるといい。Your time is limited. これは私のような外国で研究生活を送っている人だけでなく、大学生を始めすべての人に当てはまることだろう。
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オックスフォード通信(99)イギリスにおける外国語教育

フランス語の先生のカンファレンスに参加してきました

オックスフォードにいることのメリットはここが会場となってカンファレンスが開かれることが結構あることです。「わざわざ」というと腰が重くなったりするのですが、宿泊をすることもなく自転車で行ける距離でこのようなチャンスがあるのはとても有り難いです。

昨日のカンファレンスのほぼすべてのみなさんがフランス語の先生だったと思うのですが、①イギリスにおける外国語教育のありかた、②研究プロジェクトのありあた、という点で興味深いものでした。

プレゼンテーションの最初に提示された、”Ignore the panic. There is little point learning languages at school” (Simon Jenkins) が示す通り、英語を母語としているからでしょうか、フランス語やイタリア語など第二言語を学ぶ必要性を感じている人が多くないようで(R先生を除けばカナダと異なりイギリス人がフランス語や多言語を話をしているのを聞いたことがありません)、生徒の学習成果も芳しくないようです(GCSEという共通テストでA-Cのランクの成績を得ているのが1/3に留まっていると報告されていました)。

しかも非常に限られた時間(確か週1回の授業)しかないため、教え方を工夫しなければいうところからプロジェクトがスタートしているようです。3グループ(工夫したテキストG=統制群 [control group]・フォニックスを教えるG・リーディングストラテジーを教えるG)に分けて比較をしているのですが、予測したように、統制群よりも他のグループの方が結果的に成績が伸びたということは確認できなかったそうです。興味深かった点を以下箇条書きにしておきます(備忘録として)

・Slow Learnersにはself-efficacy(自己効力感)を上げることを考えながら
教えたこと
(特にリーディングでは分からない、なかなか効果が見えないことで
ガッカリする生徒が多いのでこの点は重要だと思います)

・ストラテジーを教える際には、
a) まずstrategy awarenessを高めておく
b) ストラテジーの説明
c) ストラテジーの使い方についてのモデリング
d) グループやペアでストラテジーを使ってみる
e) 個人でストラテジーを使う

・cognatesの活用:フォニックスにしてもストラテジーにしても英語とフラ
ンス語で単語が共通であったり語源が同じであったりすることなどから
cognatesを活用しやすい

・ハンドアウトの工夫:生徒が興味のあるトピックを読解教材にしている
(同志社女子大学のReading Courseで使っているNewsFlashとほぼ同じ考
え)。またYoutubeへのリンクも考えていること

また研究プロジェクトのあり方という点では、恐らく10名くらいの先生がチームを組んでクラスルームに根ざしたリサーチをしていることです。日本もイギリスも先生が忙しいのには変わりがありません。個人で研究には規模においても掘り下げ方についても限界があるのでしょう。先日の生理学のプレゼンテーションでも、理論と実験で担当を分けていました。例えば、いつか若ゼミの卒業生の皆さんでチームを組んで共同研究をすることも夢物語ではないと思います。

現在イギリスにいますが、現在私が関わっている共同研究だけで、
A. I先生を中心とする大学1回生の共通英語プロジェクト(計、7名)
B. Y先生を中心とする副専攻ブロジェクト(計、3名)
C. 私が中心の科研プロジェクト(計、3名)
D. 大学院生Kさん中心の学習スタイルプロジェクト(計、3名)

と計4件の共同研究に参加しています。共同研究をすることで視野が広がり(他の研究者の専門性に触れることができる)、自分自身の専門性も深めることができる(自分の担当として)、という利点があります。

最後のワークショップに参加できなかったのは残念だったのですが、いいヒントを沢山いただいたいい機会となりました。

(2018.7.4)

★今回の教訓:授業はどの国でも工夫しようとしている。授業にはどの国でも先生は悩んでいる。You are not alone!

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オックスフォード通信(98)日本代表はよくやった!

サッカーファンではありません(でしたという方がいいか)。

ワールドカップで世界中が(特にイングランド)熱狂している中、割と冷静を保ってきたのですが、前の試合をUniversity Clubで在オックスフォードの皆さんと一緒に見て(通信94参照)少しずつサッカーが頭の中に入ってくるように(時間の流れ、ルール、勝ち負けの予感)なってきました。

本日の(イギリスでは7/2、試合直後に書いています)試合はどこで見ようかと思いあぐねたのですが、パブの大スクリーンで観るのもいいかと思い立ち、サマータウンにあるパブ(Dew Drop)で午後7時10分くらいに到着して観戦をさせていただきました。

海外にいると大局的に日本を見るようになってしまうのか、サッカーの試合を見ている間は少なくとも100%愛国者になって日本を応援していました。サッカーという魔力なのか(オフサイドを除けばルールは至極簡単)国民をひとつにまとめる魅力があります。

パブで日本人は私達夫婦だけで他はおそらくイギリス人(後に判明したのですがベルギー人が一人いました)がほぼ全て。で、パブのムードはどうなのかというとほぼ全面的に日本の応援でした。

日本がボールを持つと「おおおー」と歓声が上がり、危機に陥ると「あああー」と悲鳴にも似たどよめきがおきます。ハイライトは次々に日本が点数をあげた瞬間。パブに来て良かったと思いました。大歓声です。これで愛国者にならなければおかしいと思うくらいです(日本人を愛国者に仕立てあげようと思ったら、全員海外に送って、日本のサッカーの試合を見せると劇的な効果があると思います。最も帰国するとその効果はなくなるかもしれませんが)。

でもイギリス人がこれほど日本を応援してくれるとは。恐らく、格下の日本に対する判官贔屓というのが本音なのでしょうが、同情とかではなくて、日本のサッカーを楽しんでいるようにも思いました。

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横に座っていた髭ズラのイギリス人は、日本がゴールを決めると、Good! Congratulations! と言ってハイファイブ、逆に入れられると、Sorryと慰めてくれます。このような姿を見ていると日本だけでなく、イギリスに対する愛着も湧いてくるから不思議なものです。

最後の最後に逆転されてしまいましたが、爽やかでいい試合を見せていただきました。ファールや過剰な演技が多い中、日本は清廉な清々しい動きを見せてくれました。日本人に対する世界の見方も少し変わったのではないか、と思います。

決勝ゴールの瞬間、実はベルギー人だったという男性が、Next Time!と握手を求めて来ました。その表情からはいい試合をした日本に対する尊敬の念が浮かんでいるように思いました。

なぜか、私たちが帰る際にお客さんから拍手が起こりました。その拍手はもちろんジャパンに対するものでしょうが、半分くらいは日本人に対する拍手のようにも思えました。

忘れることのできないいい1日になりました。

(2018.7.3)

★今回の教訓:スポーツはしている人達以上の効果をいつも産むものだ。スポーツは文化であり社会学の研究対象になるはずだ。

日本敗因の原因_1_2_3
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オックスフォード通信(97)インターネットゼミ12 回目 多様なメディアの利用が当たり前

本日のゼミはプレゼンテーション・リハーサルです。
朝7時から英語で授業をするのも随分と慣れてきました(サマータイムが終わる頃が怖いです。現在は夏時間で1時間進んでいますが、これは見せかけの時間で本来の時間よりも1時間進んでいます。地球儀で考えると分かりやすいですが、1時間遅くなるとそれだけ日本との時差は大きくなり、現在の8時間が9時間に。夏時間ゼミの朝7時から10時(と言ってもほとんどいつも10時半から遅いときは11時)が朝6時から9時又は10時までになります。偉大な先人のように(また来年還暦を迎える中高年として)そろそろ朝型の生活に本格的に移行する時期なのかもしれません(ゲーテは朝3時とか4時に起きていたそうです。「朝の時間は金貨をくわえている」という有名な言葉を残しています)。

さて、本日は第16回を迎える英語英文学科ポスターセッションのためのリハーサルです。プレゼンテーション成功の一番の秘訣は一度リハーサルをすること。しかも個人ではしようと思ってもなかなかしないので、このようにゼミでするのが一番です。

春の教育実習も終わり、ゼミメンバー17名全員が揃ってのゼミとなりました(全員揃うとやはり一体感が一段と高まります。K先生、TAのMさん、私を含めると20名です)。ただ問題は一人10分のリハーサルを全員すると単純計算しても17×10=3時間、となります(すべき時には全員同じ部屋で同時にしなければなりませんが)。本日は例年通り、3部屋に別れ、同時進行で1時間ですることとなりました。また会場も互いに近くでするというイメージを持つために昨年秋にオープンしたラーニングコモンズ(楽真館)2F、ワークショップスペース、グループスタディールームで。

ここまでは正直なところ昨年までとほぼ同じなのですが、今年は物理的に私の分身(マック)を三部屋に各10分間の中で、移動するのは不可能なので、私はワークショップルームに固定、残り2部屋をK先生に見てもらうことにし、各自のプレゼンテーションを各々のモバイルホンで1分間だけ動画撮影しLINEのグループチャットにアップロードすることにしました。すると全部ではなくても各自のプレゼンテーションの様子をうかがい知ることができます。じゃあ、昨年まではどうしていたかというと、3部屋(4部屋のこともありました)を10分間で代わる代わるダッシュで部分的に見ていました。

今回のように、初めからインターネットをベースにしていると、他のメディアを使うことへの敷居が低くなることに気づきます。Face-to-face で普通に(?_)ゼミをしていると他のメディアを特に授業中に使うことは思いつかないものです。これは今回の発見です。

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またその他の発見として部屋は異なっても Wifi があればインターネットゼミはできること、S506よりもワークショップルームの作りがいいのか、遠くの声も含め声が聞き取りやすい状況でした(音響効果のため)。

一方、Facetimeは計3回フリーズしたのですが、全て音声は通じていて、オックスフォード側は正常だが、同志社女子大学側の画面だけがフリーズするという状況でした。また以前にも書いたのですが(通信62参照)FacetimeもLINEと同様、マイク(話す)とスピーカー(聞く)の切り替えがあり、同時に利用できないことのデメリットが多く見られました。特に話の始めの1-2音が聞き取れず、5講時は基本的に日本語で授業しているため、会話のスピードも英語よりも速いこともあり、話が理解しにく状況が頻繁に起こりました。普段のコミュニケーションがいかに「聞きながらすかさず話し、話しながら相手が話に割り込んできているか」よく分かりました。

ポスター発表会は今週金曜日。でもひとつ問題が。私が参加できそうにないことです。

その理由の一つが時差。午前9時半~午後4時半までの開催ですが、イギリス時間では深夜1時半~午前8時半までの時間になります。まあこれは私が徹夜するつもりで夜起きていればいいのですが、最大の問題が私がインターネットで参加することのインパクトです。いい意味もあるかもしれませんが、イギリスにいる私が参加することを良しとしない考えもあるのではないかと危惧します。

この記事を最後まで読んでいただいた方で、京都周辺にいらっしゃる方は是非、私の代わりに参加して質問をしてやっていただきたいと思っております。

ひょっとしたらインターネットを通して私とリアルタイムでお話をして頂けるかもしれません。

(2018.7.2)

★今回の教訓:コミュニケーションにターン・テイキング(Turn Taking、話者の交代)があるが、実際のコミュニケーションの場でのターン・テイキングは1秒以内の隙間のないスムースなものだ、ということがインターネットゼミをすると実感できる。
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(キャスターのついたMacbook)

オックスフォード通信(96)めずらしく、夏日が続くオックスフォード

暑い、暑い、しかも水不足になってきたとBBCが報じています。

特にスコットランドや湖水地方では取水制限をすると言っています(そういえば、キャンセルになったので鉄道には乗れませんでしたが、Windermere の駅には本日のBBSで報じていたような大量の水のペットボトルが山積みしてありました)。

確かにこの10日ほどは雨がほとんど降っていません。スコットランドや湖水地方をのぞけばほとんど平地のイギリスにはダムを作るべくもなく水を貯めておくところがないのでしょう。

クライストチャーチ(Christchurch、日本語版のGoogle Map を見るとキリスト教会と表示してあって、ああそういう意味なのかと納得します。ちなみに the orthodox church はギリシア正教会)の近くの meadow (牧草地)にテムズ川の源流が流れていますが、ほとんど高低差がなくよく水が流れているなあという気がします。残念ながら日本のような清流はイギリスでほとんど見たことがありません。これは恐らく日本のように勢いよく川の水が流れるということがないからではないかと疑っています(日本語にある「終わったことは水に流そう」なんてことはイギリス英語にはあり得ないでしょう)。

あれだけ緑が美しかった芝生も流石に色があせたところも見えてきました。この10日ほど30℃近くの気温が続いていますし、テレビのCFでは寝苦しい夜のために、マットレスを冷やすシートまで大々的に宣伝しています。ただ日本人的にいうとこの Summer Heat も全然大したことはありません。日陰に行くと涼しいのです。フラットにも他の家と同様エアコンは付いていませんが、3Fでも窓を開けておくだけで涼しい風が入ってきます。湿度が全然ないのですね。その証拠に30℃を超えていても汗だくになる、ということがありません。

国によって随分と暑さに対する耐性は異なるのだと実感しています。

日本に住んでいる皆さんには申し訳ないのですが、サッカーWカップは①午後3時から、②午後7時からと無理をせず夕食を食べながら見せていただいています。

明日はいよいよ日本戦です。パブで応援したいと思います。

(2018.7.1)

★今回の教訓:水に対する感覚は国によって随分と異なる。暑さも然り。日本人は暑さには耐えられるように訓練されているようだ。
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オックスフォード通信(95)留学するならアメリカよりもイギリス(ヨーロッパ)?

留学はイギリスへの方がいいかもしれない。
これまで留学をするならカナダかアメリカと思ってきましたが少し考えが変わってきました。

昨日、ピーターラビット研究で著名なK先生と奥様に夕食にお招きいただき、オックスフォードで最も有名なレストランのひとつのトラウト・インを訪れました。場所も素敵なところだったのですが、料理も最高でビール(エール)と相まって素晴らしい夏の夕食を楽しませて頂きました。

その際にも話題に上ったのですが、イギリス人と日本人にはいくつもの類似性があるように思います。

例えば、控えめなところ。オックスフォード大学のセミナーに参加しても北米の学会にあるようなグイグイ質問する雰囲気ではなくて、周りを気遣いながら質問する姿を何度も目にしてきました。先日の生理学部の公開セミナーでも質問は一つ、司会者からもう一つ、もう質問も出ないのででは終わりましょう、という感じで予定の時間よりも早く終了してしまいました(全てのセミナーでそうであるわけではないですが。総体としてそのような印象があります)。これにはとても意外な印象があります。

その反面、相手の考えをじっくりと聞く姿勢を持っているように見えます。共感的態度があると言ってもいいでしょうか。

また、体型が特に男性はそれほど大柄な人は多くなく、日本人とそれほど体格が異なるという印象を受けません。

また質素で自然を(特にガーデニング)を愛する傾向があり、自宅の庭の手入れに時間をかけておられます(この点は日本人と異なるかもしれません)。

また伝統を頑なに守り外形的な変化を好まない傾向があると思います。つまり、自分が一度いいと思ったことは周りがどれだけ変わっても変えない。街中で時々オールディーズの自家用車に乗っている人を見ることがあります。また携帯もBlackBerry風の日本で言うところのガラ系を使っている人も目にします。

全般的に物事の考え方が堅実で真面目な人が多いように思える。

一方、K先生とも昨日話をしていたのですが、日本人と大きく異なるのが車の運転です。先日、湖水地方にK先生に連れていっていただいた際にも行き違いのできそうにもない道をものすごいスピードで(恐らく80キロ以上)皆さん走っておられました(K先生も)。5月にレンタカーを借りて Cotswolds を訪れた際にも(通信42を参照)同じことを感じました。ハンドルを握ると人間が変わるのか、スピード狂の人が多いように思えます。

これらはあくまでも印象なのでこれから変わるかもしれませんが、こと教室や英語使用に関しては、少し控えめでじっくり話を聞いてくれるイギリスの方が、同じく英語使用については奥手な日本人には向いている部分が多いのかもしれません。

あまり質問しない、出過ぎない、極端に大柄な体型の人がいないこのイギリスの環境は合わないという人もいるかもしれませんが、日本人の気質にあっているような気がします。

そう考えると、日本はアメリカを意識的にも無意識的にもモデルにしてしまっているのではないかと思います。自分から話をはじめ、分からないことは残らす質問し、周りの雰囲気よりも自分の学習を優先する。これは英語という言語と結びついた傾向だと思ってきましたが、これらは全てアメリカと結びについた傾向なのかもしれません。

この点については今後もう少し考えて見たいと思います。

(2018.6.30)

★今回の教訓:アメリカとイギリスのハイブリッド版のカナダもいい。オープンで人に優しいところは魅力的。特に人に優しいというところはカナダに優る国はないかもしれない(K先生曰く、スコットランドも人に優しいとのことだが)。
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オックスフォード通信(94)ワールドカップ in オックスフォード

日本チーム、おめでとうございます。

オックスフォードに住む日本人の組織(通信46参照)の呼びかけでみんなで応援しようということで、大学会館に当たる University Club で皆さんと一緒に観戦させて頂きました(私は前半のほぼ終了時点から参加)。これほど居たの?というくらい多くの日本人が集まって(と言っても約50人くらい)熱の入った応援がなされていました。食堂と兼用のホールには大きなテレビが4台あって、その内の2台が「日本ーポーランド」残りの2台が「セネガルーコロンビア」でした。午後3時同時キックオフだったのでほぼ同時に両方の試合がテレビ放送されていたことになります。

もちろんオックスフォードにはコロンビやセネガル出身の方もいて時々歓声が上がると「点が入ったのか?」と日本人グループも気になります。何せ、コロンビアーセネガルの試合次第で日本の決勝リーグへ進出も微妙となります。

オックスフォードなのでビールサーバーは当然のようにあるのでエールを(わたしはハーフパイント)飲みながら(社会学者のK先生はここでもアサヒスーパードライの瓶を購入されていました)の観戦です。

試合はご存知の通りなのですが、おやっと思ったのが、配偶者を除いてほぼ100%の参加者が男性だったことです。それはすなわち、オックスフォードの大学院やポスドク(博士号を取得してから研究を続ける研究者)はほぼ男性ということです。もちろん、先日お会いした法学を研究しているKさんのような女性の例もあるのですが(すいません、またはサッカーに興味のあるのが男性の方が多いだけでオックスフォードには沢山の日本人女性がいるのかもしれません)興味深かったです。

自宅で見るよりはパブでパブよりは同国民が集まって見る方が楽しいですね。それはまぎれもない事実で、久々にミニジャパンという感じでした。

私は正直なところあまりサッカーに興味がないので(ラグビーの方が好きです)、最後の西野監督の「0-1でファウルをしないようにして負ける」戦術にどうこうというコメントはありません。負けるが勝ち?ただ、見ていて面白くないのは事実でしたし、最初は何が起きたのか分かりませんでした。同じことは同日夜の「イングランドーベルギー」でも見て取れました。イングランドの先発にKaneなどの馴染みの顔はなく決勝リーグに温存しているようでした。というよりは決勝リーグでブラジルなどの強いグループに入らないように「わざと負けるようにした」という新聞報道もあります。まあ、Clubで見ていた日本人からブーイングはなく、決勝リーグに進むことができたことを喜ぶ声が多かったですが、まさに戦術を練った結果なのでしょう。

でも興味深いのは同じチームでも日本なら6名選手が交代しただけでも全然別のチームのようになってしまう点です。これは学校の教室でも同じことが言えることです。数名メンバーがいなかったり、変わるだけで集団は全然別のものになってしまいます。Chemistry という一語でいい表されることもありますが、まさに化学変化によって別物に変わってしまうのでしょうね。

次の試合も是非、University Club で皆さんと応援したいと思います。

(2018.6.29)

★今回の教訓:試合の終盤になって、音さ小さいでしょうと、University Club の職員がリモコンで音量を上げた。あなたがリモコンを持っているとは知らなかった。なら最初からもっと音量を上げて欲しかった。そこまで誰も文句を言わないのが日本人の美徳か。
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オックスフォード通信(93)オックスフォード風オープンキャンパス

オープンキャンパスというと日本だけかと思ったのですが、今週は全カレッジでオープンデイを実施していました。

わざわざ出かけた訳ではないのですが、各カレッジが普段見慣れないような横断幕を掲げ、テントを張っていると否が応でも目に入ります。植物園 (botanical garden)に行くのがそもそもの目的だったのですが(English Gardenなのであまり大したことはない)横断幕に釣られてその前の Magdalen Collegeに入ってみました。

College Ambassador というロゴの入ったTシャツを着た大学生がグループを作って普段は入ることのできないカレッジの中まで案内してくれます。私の今回の在外研究では学部(教育学部)に所属していますが、カレッジには所属していませんのでこのようなカレッジの奥深くまでというのは興味津々です。といっても彼らの寝起きする寮とコモンルームのような集会場があるだけですが。さすがと思うのはそのような集会所にもビールがあるのですね。まさにパブインカレッジです。そういえば、最近改装工事の終わったパブ、Kings Arms も以前は4月のはじめにお世話になていた Wadham College の一部だったという話を聞いたことがあります。ギネスもあったりしていいなあと思ったのですが、値段は街中のパブと変わりないものだったのが少し意外でした。

世界No.1 と言われるオックスフォード大学でもこのようなオープンキャンパスをしていることに感慨を覚えました。ただよく見ると参加者の半分くらいは観光客で普段は入場料(£2くらい)を取られるところが無料になっているのにちゃっかり便乗しているようでした(私も)。

ただカレッジの外ではギャップイヤーを利用してインターンシップなどに参加しようとビラを配っている学生もいて興味深かったです。一つ分からなかったのは各カレッジが、プライドパレードで利用するレインボーの旗を掲げていたことです。恐らく、LGBTに私たちは配慮していますよ、というメッセージなのだと思いますが。

(2018.6.28)

★今回の教訓:オープンキャンパスはどの大学でも。参加の高校生(恐らく)はほぼ親と一緒。このあたりも日本とよく似ている。
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オックスフォード通信(92)Hillary Clinton in Oxford

前国務長官でトランプとアメリカ大統領選挙を争ったヒラリー・クリントンさんの講演会がオックスフォード大学で開催されました。

といっても、チケット(無料)は瞬間的に売り切れとなってしまったのでFacebookを通しての生中継(午後5時半から)を見ました。

若者に期待している、民主主義の未来に期待している、女性の権利(Women’s rights are human’s rights and human’s rights are women’s rights) 、この3つのことについて約1時間の話でした。分かりやすい言葉を選び、プロクターがあったにせよ、聴衆とアイコンタクトを取りながらのいい講演だったように思います。

特に、時間はかかるが人類が進歩するにはデモクラシーは最も優れた方法であるという点には大いに納得をしました。トップダウンで物事が決まることが大学でも最近は多くなってきました。その割にはその決定過程が明確でなかったりその方針に首をかしげるものが多かったり、結果責任をそのトップダウンを決定した人達が潔く引き受けることもないのが現状です。現在のトップダウンは途中プロセスをすっとぱした単なる手抜き民主主義だと思います。ヒラリーさんの講演を通して、もう一度民主主義の手順を考えてみなければと思えたのはよかったと思いました。特に、民主主義的の結果、決定した結果責任、検証について考える必要があると思います。

ところで、昨日(火曜日)に参加したPhisiology 学部(生理学)のセミナーで「自信と意思決定の関係」という講演がありました。数式の部分は良く分かりませんでしたが「自信を持って間違えた場合と、自信がなくて成功した場合」から人は多くを学ぶという結論にはとても興味を覚えました。逆にいうと「自信がなくて失敗した場合」(及び自信があって成功した場合)からは人は学ばないということです。

民主主義ではこの自信がない場合の意思決定が大きいのではないでしょうか。特に、自信が無くて失敗する場合が。この場合の責任は誰が取るのですか?というと自分は自信が無くて意思決定に参加しているわけですから、実は個人的には反対だったけど多数決でそう決まってしまった、自分の意見は正しかったわけだから責任を感じたり、そこから学ぶことは少なくなってしまうと思います。戦争責任がその典型的な例です。個人的に戦争に賛成する人は(ほとんど)いるわけがないので、みんながそう決めてしまったから仕方ない、私には責任はない、よってそこから反省もなく、次に生かすことはできなくなります。トップダウン方式のエセ民主主義の場合にはトップダウンした本人は自信満々で望んでいるわけですから、本来は痛切な反省や責任を感じるはずですが、その部分だけ「みんな」に責任転嫁してしまう。皆んなが賛成したのだからと。

演説に戻ると、正直なところ、ヒラリーさんの美しい言葉とは裏腹に何か違和感を感じたのは私だけだったでしょうか。それは決してヒラリーさんが大統領選挙に敗北した敗者の遠吠えだったからというわけではなく、自分は引退するけど若者は頑張ってねといっているように聞こえたからでもなく、恐らく大統領選挙中にも投票権を持つアメリカ国民が感じたであろう違和感です。

言行不一致という言葉で表してしまうと少し違うようにも思えますが、ヒラリーさんの言う民主主義はあなたの又はあなたが重要だと思う人達にとっての民主主義であって、そこに含まれていない人達は見捨てられているのではないか、と言う危惧です。確かにマイノリティーや女性の権利を述べていますが、その一方で「正義」のためであれば他国にミサイルを打ち込んでも仕方ないと思っているのではないかと言うことです。簡単に言うと民主主義のためなら沖縄のオスプレイが墜落しても「仕方ない」と思っているのではないかという危惧です。

彼女の言葉通りに民主主義のために若者が立ち上がり、世界の平和のために尽力するのはいいことですが、ヒラリーさんの正義のために尽力するのとは少し違うな、と思うのです。事実、1%の人達が99%の富を独占していることに反対運動を起こした若者はヒラリーさんを支持しませんでした。逆説的ですが、とても民主主義とは縁遠く見えるトランプの方が世界平和に貢献しているように見えます(例えば最近の米朝会談)。そう考えるとヒラリーさんの考える民主主義って本来の民主主義とは異なるものなのではないか、とも思えるのです。

いい演説だったと思いました。でも、生の話ってここに述べたような微妙な違和感を伝えてくれるので面白いです。質問を受けることもなく、演説が終わってそそくさと帰っていかれた姿勢にもそれは現れているように思えました。

念のために、私はヒラリーさんは嫌いではありません。

(2018.6.27)

★今回の教訓:今こそデモクラシーを、デモクラシーについて議論しようというヒラリーさんの訴えは逆説的だが正しい。その結果、アメリカのデモクラシーとは異なるデモクラシーの結論になろうとも。
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オックスフォード通信(91)帰国便がすでに・・・

フライトは一年のオープンチケットを購入しました
といっても購入時には半年後までしか設定できないため、当初の日本への帰国便フライトは11月になっています。イギリスに到着してから来年3月末に変更することになっていたのでそろそろしておこうと思いANAのロンドン支店(と言っても電話は結果的に日本に転送されているようですが)に電話しました。

予約でいっぱいです

例によって長時間待たされた挙句(ただいま電話が混んでおります、という例のアナウンスの後、30分くらいは音楽を聴きながら待たせていただきました)、衝撃のご返答。そうなんですね3月というと日本は年度末、帰国する人が多いようです。特にこのタイプのチケットは席の割り当て数が少ないようですぐに一杯になってしまうとの事。しまった!旅行代理店から言われているように4月末に電話してをしておけばよかった、と思うのですが、その時にはそんな気にもならないのですね。この辺りが海外生活の難しさです。

ただ海外で大事なのは冷静になって対応策を考えるです。以前こんな事がありました。空港での話ですが、カナダのトロントから日本に帰る便。時期は同じ3月末。超まで行きませんが格安のチケットで、トロント→シカゴ→大阪、という便で帰ることになっていました。ところが、ピアソンインターナショナルエアポートのNorthWest航空(現デルタ航空)のカウンターに行くと、トロント→シカゴがキャンセルになったと平然とのたまうわけです。I am sorry も何もなしに、君にはオプションが2つあると:①その晩ホテルを用意するのでそこで泊まって翌日の同じ便で帰る、②香港まで行って、そこから乗り継いで日本に帰る、That’s All. えー、ですよね。

でもよく考えると何かおかしい。そうなんです。トロント→シカゴは精々1時間くらいのフライトです。本丸のシカゴ→日本がキャンセルなら諦めますが、トロント→シカゴは色々な行き方があるはず。

落ちついて(ここが海外では最も重要で最も難しい)、本当に他にはオプションはないのか?トロントからシカゴへは本当にいけないの?と聞いてみると、渋い顔(本当にそのような顔をしておられました)をしながら、ないわけではない、と仰るのですね。ルートは、トロント→デトロイト→シカゴ。なぜそのルートを先に言わなかったかというと乗り換えが大変だということよりも他航空グループを使わないといけないからなんです。あるじゃないですか。ということで、そのルートで横で私の話を聞いていた福井県出身のビジネスマンと一緒にそのルートに乗りました。実際、デトロイト→シカゴが大変で、シカゴ・オヘア空港(あの映画『ホームアローン』で迷子になる空港です)の巨大な空間を映画さながらに全速力で走ったのを鮮明に覚えています(なにせ乗り換え時間が10分くらいしかなかった)。後日談として私達は無事に乗る事ができたのですが、福井県のビジネスマンのスーツケースは乗り遅れて(なぜ彼の分だけ?)関空には到着しませんでした。

ということで、現在対応策を考えています。①まずANAにご相談。片道のチケットを取り直す、キャンセル待ちをする(この場合waiting listはないので時々電話をする)、11月までに空きがあれば片道チケットをキャンセル、逆の場合にはオープンチケットをキャンセル(税金分は返却されるそうです)。②次に電話で(国際電話も最近は快調です [通信11参照])旅行代理店に相談。

ということで当初予定していた日程での帰国が少し怪しくなってきました。まあ最善を尽くして楽天的にことの進展を待ちたいと思います。Good luck to me!

(2018.6.26)

★今回の教訓:航空券は複雑。でもANAの日本直行便で帰りたい。
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オックスフォード通信(90)インターネットゼミ10 (11) 回目

映画『Snowden(スノーデン)』(オリバーストーン監督、2016年、Netflixでも視聴可)この最後のシーンにモスクワにいるスノーデンと(恐らく)アメリカの会場をインターネットで結んでインタビューをするシーンがあります

スノーデンはモスクワの一室でラップトップコンピュータ、会場にはスノーデンのテレビ通話の画面が映ったキャスター付きのモニター。そのモニターが時々インタビュアーや会場を向いてアイコンタクトを結んでいます。

このシーンを見ていて、ハッと思いました。今、若ゼミ18のインターネットゼミでしていることとほぼ同じ。違うところは、キャスター付きのマックが手動という事くらい。むしろ、MacをApple TVを通してワイヤレスでプロジェクタにつないでいる点は若ゼミの方が進んでいるかもしれません。

本日も午後3時(イギリス時間午前7時)~ 午後6時40分までの約3時間半のゼミ。改善点はハードではなくむしろソフトの問題。メンバーから指摘がありましたが(このような指摘があるところがこのゼミが世界一のゼミを目指している証)、インターネットの接続状況が良くない時にゼミがダレてしまうというもの。これはまだゼミが完全に学生主体となっていない証拠かもしれません。自分達の貴重な時間であり、大切なセッションと思えば緊張感も生まれてくるもの。この点は日本にいる若ゼミメンバーに改善を託したいところです。

これは1年限りの実験ですが、もしこのようなインターネットゼミを更に長期間続けるとしたら、オックスフォード側にスタジオではないのですが、机周りにMac、iPad、メモ帳、書籍と機能的に利用できるセットを作るといいと思います。最初の3回はオックスフォード大学からの中継でしたが、オックスフォード大学のインターネット回線(WifiはEdurome)がそれほど高速でないので自宅に切り替えていますが、特に自宅からの場合にはそのようなセットを作る必要があると思います。関係ないですが、オックスフォード大学の先生方の研究室(Office)では座り机を立ち机に切り替えることのできるデスクを使っている先生が多いように思います。

さて、4月から始まったインターネットゼミもいよいよ春学期最終の7月に突入します。第16回を迎える英語英文学科ポスタープレゼンテーションが7月7日(土)に同志社女子大学今出川キャンパスで開催されます。若ゼミは本年より英語でのプレゼンテーションに移行します。ポスターの出来ばえと共にゼミとしての一体感のある発表会を作り上げる心意気です。このブログをご愛読、またはたまたま読んだという皆さん、お時間が許せば、私の代わりに(私もできればオックスフォードから参加したいと思っていますが)是非発表を聞きに行ってやってください。

(2018.6.25)

★今回の教訓:オリバーストーンの映画との共通点を発見して興奮。ひょっとしたらかなり最先端のことをしているのか。インターネット、英語でのコミュニケーション、ファイル共有による遠隔地黒板(ホワイトボード)。
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オックスフォード通信(89)タトゥーに対して鈍感な国

タトゥーが気になります(したいわけではありません)
イギリスに来てから(さすがに大学関係者にはいません)タトゥーをしている人を街中で本当によく見かけます(あとは、飲酒運転と喫煙)。特に、サッカーのW杯になってから入れ墨をしている選手をよく見かけます。腕に足に、テレビの中継を見ていると気になります

先日のアルゼンチン対クロアチア戦などでは試合の最後に近づいた場面でアルゼンチンの監督が上着を脱いで両腕の見事な(?)刺青を見せていました。さながら時代劇の遠山の金さんのようで滑稽でした。どういう感覚なのか表現する言葉を見つけられませんでした。

刺青は男性に限らず女性もしている人が多く見かけます。妻とはああ、日本の温泉に入れないね、と冗談を言っていますが、なぜこれほどタトゥーをする人が多いのでしょうか。

自分に自信がある人は決してタトゥーをしない、これは洋の東西を問わず事実だと思います。恐らく面白半分でしているのでしょうが、それを可能にするようにオックスフォードですら(?)街の中に看板を出している店があります。

少なくとも私はイギリス人であってもタトゥーをしている人に複雑な気持ちはあっても好感を持つことはありません。一度タトゥーをすると取るのが大変なことも知らないで無邪気な感じもします。

持って生まれたものでないものをつけて何かメッセージを発しようとする姿勢には組みする事ができません。

(2018.6.24)

★今回の教訓:どこの国でもダメなものはダメ。
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