オックスフォード通信(177)シェークスピア・ブックストア

プラハにあるシェークスピア・ブックストアに行ってきました

シェークスピアの本ももちろんあるのですが、映画に関する本から子ども向けの本、チェコ語、ドイツ語、英語の本など多種多様の本が並んでいます。新品と古本が混じっているのも面白いところです。店主の趣味が多分に反映した品揃えですが、なかなかいい趣味の選択だと思います。

店の中には至る所にソファが置いてあり、ゆっくりと本を読めるような雰囲気です。京都の三月堂書店を地階を作って、ソファを置いた感じだと思っていただくといいです。

その前に近くのカミュ博物館に行ってきたのですが、プラハは、チェコ語、ドイツ語、ユダヤ(ヘブライ語)が入り交じる混沌とした文化状況にかつてはあったようです(現在は圧倒的にチェコ語、チェコ人か?)。その文化状況がプラハの豊かな文化を形成したようです。

先日、歴史学習ではマリアテレジアとモーツアルトの関係を一緒に学ぶべきだと書きましたが、カミュの博物館をみながらそれらは「コンテクスト」「文化」と一緒に学ぶべきだといいかえてもいいように思いました。カミュはアインシュタインと同時代に生きています。同時代に生きてきた人達が互いに影響を与えながら新しい文化や新しい政治体制をつくるのだと思います。ゆえに、「同時代性」を意識した歴史認識や歴史学習の必要性を感じます。

私の好きな言葉で置き換えると「connecting the dots 的な考え方・学び方」(=遠山啓のいう「分析と総合」の総合)をどこかでしておく必要があると思います。これは英語学習においても当てはまることかもしれません。

その後、スメタナ博物館へ。あの「わが祖国」を作曲したスメタナです。昨日はお休みだったのですが、カフェに像の前も占領されて入り口もひっそりと。でもプラハ中央駅の発着のメロディーはモルダウでしたし、下記のルカルシュさんもドボルザークと並んで尊敬される作曲家だと言っておられました。

ヴルタヴァ川のほとりに立つスメタナ像と川をみながら、スメタナは「モルダウの流れ」で何を描こうとしたのか、呆然と考えていました。すると、鴨長明の「方丈記」の出だし「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」(の最初の部分)が浮かんできました。そうか、川の流れは変わらないように見えるけれどその間に人は移り変わり栄枯盛衰がある。これは河島英五の「いきてりゃいいさ」(加藤登紀子作詞・作曲)と同じ事を言っているのではないかと思いました。「よろこびも悲しみも立ち止まりはしない、めぐりめぐってゆくのさ」

独裁者も支配者も川の流れのように歴史の流れには盛らず、真でないものは流れ去る。そして、人の人生には限りがありいつか流れの中に消え去るのみ。だからこそ今という時間を大切に謳歌しようではないか、そんなことをスメタナはモルダウという音楽に込めたのではないか、川の声を代弁したのではないか、と思いました。

午後、時間があるので、軽い気持ちで「共産党博物館」へ行ってきたのですが、予想に反して、チェコの現在までの歴史を共産主義との関係で丁寧に描いた見事な博物館でした。第二次世界大戦終了後ナチスの代わりにソ連共産主義が導入され、それに対して1968年のプラハの春、1989年のいわゆるビロード革命を軸にチェコの歴史を描いたものでした。

その国から発祥したものでない借り物はいかに良さそうに見えても人々の心に根差すことはできず、民族の心は戦争でも占領でも鎮圧でも抑えることはできないことがよく分かる内容でした。特に、1968年のプラハの春で焼身自殺した大学生と反共産主義といレッテルのもと公教育を受けさせてもらえず、強制労働や兵役につかされていたハベル元大統領の写真や言葉には力がありました。

大統領になったあとも権力を乱用することなく、私怨に囚われることもなく、チェコの民主化に努めたハベルの姿はインド独立に貢献したガンジーの姿にも重なるものがあります。ドキュメンタリーフィルムのコーナーは結構な人が集まり中には涙を拭っている人もいました。

どうもこのチェコの淡々かつ毅然とした民主化の流れとドボルザークやスメタナの姿がダブって見えるのは拡大解釈のしすぎかもしれません。

午後は電車でからドレスデンへ移動。電車のコンパートメントで一緒になったのがチェコの大学3年生のルカルシュさんと彼が途中の駅で降りるまでの1時間半くらいいろいろな話をすることができました。このコンパートメントタイプの車両は(プラハ=ドレスデン=ベルリン行きは全部がそうでした)自然とこのような話ができる雰囲気です。

おもしろかったのは、チェコ人からみると英語はあまり上手いとはいえず、シャイな人が多いとのこと。世界一シャイと言われる日本人からすると興味深いコメントでした。8才から英語、中学からフランス・ドイツ・ロシアから選択するとのことです。

おじいさんがフランスに住んでいるので、大学卒業後はフランスで仕事を探したいと言っておられました。母語はチェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、この順で自分がコミュニケーションできると思う、とのこと。こちら来てみて、チェコ語はやはり難しいと思いました。ルカルシュさん自身も母語でありながらチェコ語は難しいという認識を持っているとのことです。文字もむずかしいし、発音も難しいです。スラブ語族なのでロシア語に近いはずなんですが、ルカルシュさんに「ありがとう」をチェコ語でどう言うのか何度か聞いたのですが、別れる時にも聞き直す始末で、今に至っては全く記憶の片隅にも残っていません。

これまで、グローバルリンガフランカとしての英語について、主な配役は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、シンガポールまでだったと思うのですが、オックスフォードに来てから、ヨーロッパの人達、例えば学会でお会いしたスウェーデン、オーストリアの先生方や今回のチェコの人達をクローズアップする必要があるのではないかと思い始めています。

日本とのデモグラフィックな違いは沢山ありますが、母語を大切にしながら、英語や他の言語とうまく付き合っている姿は白か黒ではなく、その中間のようないい立ち位置を示してくれているように思います。

もう機会はないかもしれませんが、チェコ人、チェコ語、プラハに興味が一層湧いた旅になりました。そしてもっとドボルザークとスメタナの音楽を聞いてみたいと思います。

まだ聞いたことのない人はドボルザークの「8 Slavonic Dances, Op. 46, B.83: No. 1 in C (Presto)」を聞いてみて下さい。心が躍ります。

(2018.9.20)

★今回の教訓:チェコとドイツ(旧東ドイツ)国境を流れるエルベ川も美しかった。途中のSaxon Switzerland の山並みも素晴らしい。
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オックスフォード通信(176)ドボルザーク

朝一番にドボルザーク博物館に行ってきました

ホテルから歩いて10分くらいの距離にあります。彼自身が住んでいた場所ではなかったようですがかれの生前から同じ場所にあったとのことです。訪れてみて良かったと思います。ドボルザークの音楽は彼の素朴で気取らない性格からできたのだと言うことを知ることができました。愛煙家であったことは意外ですが、田舎に住み、プラハ音楽院の教授の職のオファーも断り、音楽をひたすら愛していたように思えました。ブラームスとの交流があったことも意外です。

展示の中で最も興味を惹かれたのがアメリカへの数年間の旅行・在住です。改めてドボルザークがアメリカ行きの中で交響曲第9番を書き上げたことはすごいと思いました。アメリカでの新しい生活に向けた期待と不安、故郷への想い、新しい可能性へ賭ける思いをこの交響曲に込めたのだと思います。今の私の心情と重なる部分があるのはもちろんですが、誰しもの人生とも重なるのではないかと思います。

モーツアルトもそうですがその気持ちや心情が音楽として見えるところが天才なのだと思います。ひょっとしたら天才ではなくて誰にもそのようなことは不可能ではないのかもしれませんが、交響曲や音楽としてまではまとめることができないだけかもしれません。

彼の代表曲を聞くことが出来るようにいくつかの音楽が選曲してありました。第9番も良かったのですが、スラブ舞曲のメロディーに心が躍りました。心をくすぐられる音楽です。といっても洗練されたものというわけでなく、何か懐かしくなる音楽です。

やはり今晩のコンサート(第8番、通信175参照)に行きたくて、博物館の受付の方に聞いてみたのですが、これはコンサート会場のBox Officeに行って懇願するしかないのではないか、ということでした。

ウイーンの皆さんもとても親切だったのですが、それ以上に親切なのがこのプラハの人達です。朝、ドボルザーク博物館の帰りにトラムに乗ったときには(実は逆方向に乗ってしまいました・日本、イギリスと反対の右側通行なのでトラムなどの方向も間違えがち)おばあさんが横に座って、10分くらいずっとチェコ語で私にいろいろと話しかけてきます。どうもいろいろな助言をしてくれているようなので、yes, of course などと答えていたら話は通じているようで、わたしも言っておられる言語は分かりませんでしたが、何となく言わんとすることは分かるという不思議なコミュニケーションをしました。降りる際には、スリが多いからお前の後ろポケットに入っているものを気をつけろ、と言ってくれました。私はこれはパンフレットで財布じゃないから大丈夫だというと通じたようです。帰りがけにニコッとした笑顔が素敵でした。また、時計台広場に行こうと思ってトラムに乗ったときには迷っているように見えたのでしょう、完璧な英語でどこに行くんの?迷ってない?とご婦人が声をかけてくれました。じゃあ、その前にユダヤ人墓地に行った方がいい、私がそこまで案内するとまで言って頂きました(結果的に時計塔は修理中で12時の音を聞くことは出来ませんでしたが、墓地は後から行きました)。もう一人の子連れの女性にも優しく声をかけていただいています(よっぽど迷っているように見えるのでしょう)。

でも、こうやって英語や、英語-チェコ語で話をしながら一つ分かったことがあります。コミュニケーションする態度は「目」ですね。いろいろな観光客が来ていますが、目を見るとこの人は話をしたがっている、話をしたらおもしろそうかどうか、が分かります。

中高の英語科の評価に「「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」がありますが、「目」で判断・評価するといいのかもしれません。目は大事ですね。おそらく私も目で何かを訴えていたのだと思います(教師の習性かもしれません)。

ところで、コンサート会場のRudolfinum (Dvořák Hall) に足を運び受付の方にチケットがあるかどうか→ない、当日券はないか→ない、キャンセルのチケットを手に入れることはできそうか→100人以上待っている、せめて会場をみせてくれないか→だめ、と取り付く島もない状態でした。ドボルザーク博物館の係員の女性は、手を合わせてお願いしろ、とボディーランゲージで示してくれましたが、流石にそこまではできませんでした(別件ですが、プラハのパンハンドラーは過激なアクションで迫ってきています。思わず心が動きそうになります)。

でも、小さな頃から好きなドボルザークでしたが(ユーモレスクが入り口です)、博物館やホールからいいインパクトを頂きました。昨日も書きましたが「第8番は次回のお楽しみに」いつかもう一度、プラハで聞きたいと思います。

代わりにというわけではありませんが、夜、ヴルタヴァ川 にペダル式のボートを繰り出し(奥さんの発案です。頭が柔らかいのはいいですね。スマートな証拠)流れているか流れていないか分からないくらいの緩やかな川の流れにゆらゆらとゆられながらカレル橋、プラハ城の夜景を見つめていました。

思えば、プラハの春の1968年から50周年、ビロード革命と言われる1989年の共産党政権の崩壊から約30年、第二次世界大戦中はヒットラードイツに、戦後はソ連に影響されながらもチェコ人の本質を見失うことがなかったチェコ人のしなやかで気さくな知性は傑出していると思います。

ウイーンもそうですが、プラハでも母語のチェコ語以外の表示や案内は要所を除いて(例えば、地下鉄で外国人観光客の乗降が多い駅など)母語のみです。それは母語に対する愛情と誇りを感じさせるだけではなくて、堂々とした印象を与えます。それについて誰も不満があるようにも思えません。グローバル社会で生きて行くというのはそのような姿なのではないかとも思います。

日本のように、どの場所でも英語・中国語・時に韓国語で表示、アナウンスをするのは「便利」かもしれませんが、それと引き換えに日本語に対する誇りを失ってしまってるのではないかと思うようになりました。これは変な硬直化した考えではなくて、バランスを上手く取りながら日本語を大切にするという姿勢です。分からなければ「英語」で観光客は聞けばいいのです(日本語ではなくて)。その時に応対できるだけの「基礎的英語能力」を日本人が付けておけばいいのです。今の状況は英語で聞いてもお答えできませんから、できるだけあらかじめ英語や中国語でお知らせしておきますよ、というように受け取られてしまうかもしれません。

明日は、ドイツ、ドレスデンに移動します(「世界の車窓から」風になってきました)。

(2018.9.19)

★今回の教訓:チェコで目を背けることができないのが第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人大虐殺。展示をみながらヒロシマ・ナガサキ、そして東京大空襲を思い出した。戦争の犠牲になるのはいつの時代も庶民だ。

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オックスフォード通信(175)プラハ

ウイーンからプラハへ電車で移動しました

ウイーン中央駅は予想以上に大きく、清潔で、電光掲示板などよく整理された使いやすい駅です。プラットフォームがどこになるか心配だったのですが、1時間前には表示され(9番ホーム C-Fでした。このC-Fの意味が最初分かりにくかったのですが、同じホームにA、Bと乗り場が指定されています。私が乗る前の電車がFあたりから出発したのですが、Aにも同様に電車が止まっており[Don’t rideと表示が出ていましたがが] 間違えて乗り込んでいる人もいました。その後発車した後に気づいたのか走っている人もいましたので分かりにくいところです)。

さて、朝、9:10発のTrain Jet スメタナ号にて一路プラハへ。ヨーロッパ版の新幹線とのこと。それほどのスピードは出ませんが(最高で120km/hくらい)電気気動車が牽引しているので揺れもなく快適な列車の旅です。

イギリスもそうですが、トンネルもカーブもほとんどなく直線の旅です。オーストリア西部に広大な草原が広がっています。雄大です。

列車はウイーンからチェコ国境の町Brunoを越えて山の中を走ります。イメージとしては山形新幹線といった感じです。スピードを出せるところは160kmくらい、山間部にはいると70kmくらいです。

車内はWifiや電源も完備されていて2等車で十分という感じです。それにしてもこのオーストリア=チェコ国鉄は生真面目で5分列車が遅れていることを申し訳なく思っているようで何度も5分遅れているとアナウンスします。このような態度はイギリスでは久しく見たことがありません

結果的には10分遅れでプラハ中央駅に到着しました。プラハの印象は石畳の街、そしてドイツ語とは異なりチェコ語が話される国。

まずはプラハ城に登るべく歩き始めました。プラハは大きな街ではないし、ウイーンとよく似た感じなので例えば一日乗車券などの買い方や有効化 (Validate) の方法などは同じです。ただ問題はトラム。なるべくトラムに乗りたいとおもうのですが、Google Mapの乗り換えでは地下鉄ばかりでなかなか出てきません。しかたなく、地下鉄に乗り込み、といっても3分くらいで到着。そこからはひたすら長い坂道を上がっていきます。

実は、到着して、お昼ご飯を食べていないことに気づき、ホテルマンのおすすめのチェコ料理のお店で、ウインナーとローストビーフを頂いた後でした。もちろん、ここにチェコビールがセットになっているわけでビールを飲んだ後に山の頂上にあるプラハ城に登るのはなかなか骨の折れるものでした。それにしても多くの観光客です。ウイーンよりも街が小さい(観光地域が)か観光客が多いように思います。

土産物屋さんやレストランの印象はより民族的、よりギリシアよりという感じでしょうか。親しみを持てる感じです。英語はウイーンで話をした人達よりもコミュニケーションしやすい印象です(これは全くの個人的印象です)。

今回、プラハでは是非、ドボルザークのゆかりの場所を歩いてみたいと思っています。クラシックで一番好きな曲は?と聞かれたら二もなく、「ドボルザーク、交響曲第8番、イギリス」と答えるくらいです(実は、明日、チェコ交響楽団演奏でその第8番がプラハで演奏会を開くことを知りました。大人気らしく、チケットはすべて売り切れ。事務局に昨日メールを送ったら2ヶ月前に売り切れていますのであきらめて下さい、と親切な返事が。もう一回来なさいということなのかもしれません)。

本日のハイライトはプラハ城の中にある「聖ヴィート大聖堂」の尖塔に登ることでした。高いところが小さな頃から好きなので(リバプールを案内して頂いたD先生は全く逆の好みだとおっしゃっておられました)、プラハ城までの道のりでかなり消耗していましたけれど、オックスフォードのSt. Mary教会くらいだろうと高をくくって登りはじめました(この高をくくることは結構大事なことです)が登っても登っても着きません、同じらせん階段の繰り返しです。時々、鐘楼が見えるくらいで、バベルの塔のようにどこまでも階段が続く感じです。何度も休憩をはさみながらやっとのことで頂上へ。プラハの全貌を目にすることができた感動と足の疲れが半々というところです。年の割には足腰には自信があったのですが(最近腰は怪しい)、その後登ってくる人を見るとすいすいと息も切らさず登頂する人も多いところから、まだまだ修行が足りないと思った次第です。

大聖堂のてっぺんからプラハの町並みを見ながら、たとえば、1400年当時の国王カレルは何を考えていたのだろうかと考えていました。恐らく、日本の戦国時代の武将と同じ心情だったのかもしれません。ただ違うのはお城と教会がセットになっているところです(オックスフォードもカレッジと教会がセットになっています)。一方、宮崎駿「ルパン三世カリオストロの城」の城下町のような飲食店がお城の麓に軒を並べているのは日本でも同じ事だったのかもしれません。

風景は綺麗だったのですが、一方で、ここに来ている人は何に感動しているのだろうか、とも思いました。歴史的建造物?古さ?絶対的な美しさ?自然と街の融合?私達が忘れかけている人間らしい町並み?

たしかに、ブルタバ川にいくつもかかる橋と煉瓦色の屋根の町並みは中世のようですし、無条件に美しいと思います。またカレル橋自体、味のある他にない、絶対無二のもののようにも思います。

答は分かりませんが、今の自分の生活にないものがこのプラハの町並みにはあるのでしょう。

(2018.9.18)

★今回の教訓:ドイツ語圏、チェコ語圏、イタリア語圏などが隣接していれば共通語としてのリンガフランカ構想が浮かぶのは理解できる。共通言語が生活に必要だ。
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オックスフォード通信(174)Tower of Babe

先日のオックスフォードでの学会でお目にかかったウイーン大学の Mariene 先生にオススメの場所を教えていただき何ヶ所か訪れてみました

まずはシェーンブルク宮(Schonbrunn Palace)へ。ホテルの近くから地下鉄に乗って約20分。その車両に乗っていた半分くらいの乗客が下車。なにやら胸騒ぎが。駅を降りてみるとバスは何台も停まっているし、延々と続く人、人。まあ、入れなことはないだろうとタカをくくって入り口に。宮殿ですのでかなり広いスペースでしたが、それでもかなりの人が。

入場券売り場は長蛇の列ですが、Information で聞いてみると長時間のツアーでなければ自動販売機でチケットが買えるとのこと。英語を含め(日本語はなかったような)6ヶ国語くらいに対応したスマートな自販機でチケットを買っていざ入口へ。

入り口で預けなければいけないというバックパックを手渡し、ゲートへ。ゲートには厳しい顔をした女性係員が。また胸騒ぎ。チケットを手渡すと12:36分のチケットなので2時間後に戻ってこいとのこと。まあそう言わないで、という雰囲気も作らして貰えず断固却下されました。一度市内に戻って夕方来ようかと思ったのですが、今後は少し優しそうな男性(男女の区別をいうわけではありませんが、このような場面では男性の係員の方が柔軟に話を聞いてくれる傾向があるように思っています)に聞くと30分オーバーくらいまでが許容範囲とのこと。この宮殿は厳しい。

あきらめて、宮殿裏手の(?)庭に出てみてビックリ。広大でしかも幾何学的に設計された庭がはるか遠くの方まで続いています。ただイギリス人的発想では芝の刈り方が甘いなあなどと思いながら散策しているとあっという間に2時間が。それくらいガーデン、噴水、塔(登るのに更に追加の入場料が)には見所がありました。さすが、ハプスブルク家です。さすが、マリアテレジアですね。塔の最上階からは遠くウイーンの町並みを遠望することができました。シュテファン大聖堂の尖塔もこの景色によく合っているように思います。

厳しい受付がいるので少し早足で戻ってくると12:30、6分前です。自信を持って券を渡すと、Too Early と断固とした口調の英語が。絶望感に襲われながら3分待ち、流石にいいだろうと思った時にはその係員は他の入場者と話をしていてしめしめと思ったのですが、何のことはない、入場用のマシンが早すぎると受け付けない設定になっているのです。地下鉄駅のオープンさとのギャップに少しびっくりしました。

どうせみるものは大したものはないだろう(失礼しました)と思っていたのですが、音声案内を聞きながらのセルフガイドで回る各部屋からは荘厳・淡麗かつ現代に生きる歴史をひしひしと感じることができました。特に、マリアテレジアの前で6歳のモーツアルトが演奏した部屋と舞踏会が開かれていた大広間にはしばらく立ち尽くしました。そうだったのですね、マリアテレジアというとあのマリーアントワネットの母というつながりしか知らなかったのですが、モーツアルトが同時代にというよりも、マリアテレジアの時代が醸し出す雰囲気の中で音楽を作っていたということなのですね。

世界史は高校時代好きな科目だったのですが、この時、マリアテレジアとモーツアルトがなぜ一緒に教えられなかったのだろうとふと不思議に思いました。答えは簡単で大学入試では政治的・社会的なことは出題されても文化的な側面についてそれほど重要視されていなかったからだと思います。

しかし、このように大人になってから外国の街を訪れる際に興味深いのは政治経済よりも、人々の暮らしや生活、文化的な側面の方です。昨夜耳にしたモーツアルトの音楽が頭の中で流れてきました。マリアテレジアはどのような顔でモーツアルトの音楽を耳にしていたのでしょう。それは丁度、シェークスピアがエリザベス1世の時代に生きていたことと同じような関係なのかもしれません。

その後は、バベルの塔を見に、ウイーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)へ。途中、マーケットをしているという Naschmarkt の近くの Kettenbruckengasse 駅で下車(ドイツ語は途中で切らないので1つの単語が長い)(結果的には日曜日でマーケットはお休みだったのですが、そのホームに衝撃のポスターが。10.2からバベルの塔展。絵、ということは今は展示していないのか。そういえば日本でバベルの塔展をしていたな、まだどこかを回っているのだろうか、とだんだん弱気になってきました。でも地下鉄で乗り合わせたリビア人の男性二人が面白かったので、まあいいかという気になりました。お前はどこから来たんだ、と聞いてくるので日本というとおおテクノロジーの国か、寿司は好きだと、いろいろとステレオタイプ的なことを言ってくるので、テクノロジーは確かに当たっているが、寿司は毎日日本人が食べていると思っているだろうというとそうだと答えるので、その誤りは正しておきました。一方、リビアはどこにあるか知っているかと聞いてくるので、自信を持って日本人は100%その場所を言い当てることができるというととても喜んでおられました。わかりますよね、リビアの場所。ちなみにその母語はアラビア語ですよ)。

博物館へ行く気が一気に失せたので、途中、サンデイ・ストリート・ロックコンサートみたいなイベントをやっていて(最初は遠くの方からデモ隊の雄叫びのようなものが聞こえると思っていました)、そこでホットドック(すいません、ウイーンはイギリスよりも格段に食べ物が美味しいです)を食べたりしながら、美術館入り口へ。高い入場料を払う気がしなかったので、受付でミュージアムショップだけ行きたいと申し出ると、一目瞭然で分かるような赤のストライプのIDをいただくことが出来ました。せめて、バベルの塔のトランプでも買おうと思ったのですが(外国では必ずトランプを買うようにしています)、あまりにできが悪いので、クリムトのトランプなどを買って、レジでバベルの塔は展示していないよね、と聞くと、横でお金を払っていた客が残念だったな、来月から展覧会だと追い討ちをかけて来ます。するともう一人の客が、いやいま展示をしているはずだと。それはないともう一人の客が言い返すと、「20分前にこの目で見てきた」というではありませんか。えええ。するとミュージアムショップのレジの係員はとても親切で気が回る人ですぐさまウエッブを検索して2Fのxx室!と教えてくれました。

危機一髪。

すぐさま方針転換。受付で改めてチケットを買い(ウイーンではチケットを買うと必ず、Where are you from? と聞いてきます。不思議に思ってなぜ聞くのかと聞くと、そのように聞くように決まっているとのこと。午前中のシェーンブルク宮でも全く同じ質問をされました。本当に皆に聞いているのでしょうか)、ダッシュ気味で2Fへ(と言っても、ドイツと同じで0階から数えるので、3F、ここの美術館は更に0.5という中二階?もありました)。

ありました。あのブビューゲル (Bruegel) 作、The tower of babel です(これはホテルに帰ってから調べたのですが、ブビューゲルのバベルの塔には2作あって、1作はオランダに、そしてこのもう1作がこのウイーンにあるとのこと。日本で展覧されたのはオランダのもののようです)。

しばらく立ち尽くしました。

天に届くかというバベルの塔。聖書にも登場するこのバベルの塔。言語との関わりにおいても興味深いのですが、天国に届くように人が知恵を合わせて塔を作るというのですが、ブビューゲルの描写は細かく人々を無理強いして働かせる領主や外敵を攻撃する大砲も描かれています。

でも人々が更なる高みを目指してコツコツと塔を建設する様子は何か私達にインスピレーションを与えるものです。古来から人はこのように何かを夢見ながら果たせぬ夢に終わるかもしれないものに挑戦してきたのだと思います。これは外では無理やり働かせられているようにも描かれていますが、この塔を作るのは人間の本能ではないかとも思いました。

それほど混雑もしない贅沢な空間でバベルの塔について色々と考えを巡らせていました。

それにしてもレジで一声かけてよかった!

PS. その後、国立図書館 (Austrian National Library) へ。これがまた分かりにくい所にある。今回の旅では珍しく (?) Vodaphoneが完璧にカバーしてくれているので (giffgaffは全く駄目)Goodle Mapが使えて便利なのですが、図書館はなかなか分かりませんでした。問題は核心の場所まで行ったときに全く反対方向の矢印案内があったことです。オックスフォードのボードリアン図書館と同様の1300年代くらいからの本の展示がしてありました。エスペラント語についての情報も展示してあり興味深いものがありました。

(2018.9.17)

★今回の教訓:私にとってのバベルの塔とは?あなたにとってのバベルの塔とは?ひとりひとりが人生の中で打ち立てようとしているバベルの塔があるはずだ。
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オックスフォード通信(173)Wien Vienna ウイーン

オーストリアのウイーンに来ています

ロンドン(Gatwick空港)から1時間50分(時差が1時間あるので3時間かかるように見えますが)、LLCのEasy Jetを利用しています(天気が良くてイギリス側、フランス側の海岸線が綺麗に見えました。イギリス緑がクッキリしているのに対してフランス側はくすんだように見えるのは手入れの違いでしょうか。また着陸前にウイーンの街が見えたのですが周辺には風力発電の風車がズラリ。近未来映画のようです)。ヨーロッパなのでどこも同じだと思っていたのですが、やはり真面目にその場を踏まなけrばいけないと確認することがいくつもありました。

まず、ドイツ語。もちろんオーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を皆さんが話をしているとは思っていたのですが、ドイツ語だけです。英語で話かけるとアクセントのないニュートラルな英語で(本当に分かりやすいです。すいません、イギリス人よりもはるかに理解力が上がります)かえってきます。なのでオーストリア人の英語能力の高さは疑いようのないところですが、地下鉄や電車の放送は(車掌さんは外国人と見ると英語で話してくれます。地下鉄や電車の切符も独特です。何しろ、地下鉄の改札がなく、車内検札もなし[あるのかもしれませんがまだ経験していません。空港からの電車ではありました]。正直、空港からの乗り換えの地下鉄はタダ乗りしてしまいました。すいません!)ドイツ語のみ。日本なら、日本語→英語→中国語→朝鮮語と(JR嵯峨野線の場合)順番にします。プラットホームの電光表示も少なくとも日英でしているはずです。

しかし、ウイーンではドイツ語のみ

不便を感じるよりも、オーストリアの人達がドイツ語に誇りを持っている姿を想像して逆に好感を持ちました。そうですよね。イギリスでフランス語のアナウンスもするかというとしません!

二番目。タバコに緩い。数珠つなぎみたいですが、ホテルに早く着いてまだチェックインできないので昼ごはんの美味しいところを尋ねる→美味しいヴィエナ・シュニッツェル(Wiener Schnitzel)を頂く→そこの美人のウエイトレスにウイーンでオススメのカフェを尋ねる→素晴らしいカフェで「ウインナコーヒー」の原点のようなコーヒーとこれまで食べた中で一番美味しいザッハトルテ(Sachertorte)を頂く、とVirtuous Cycle(正の連鎖)をうまく辿れたのですが、そのカフェに行ってみてびっくり。久々にカフェの中でタバコをふかしている人を見ました(イギリスでは皆無)。また、今晩、ホテルの近くのバーでビールを飲もうと入ってみたのですが、これまた煙がもくもくしていてすぐに退散しました。タバコ文化なのでしょうか。あまりタバコを隔離しようと思っていないようです。

今夕はウイーン楽友協会でモーツアルトのコンサートに行って来ました。思えば大学3回生の時のヨーロッパ旅行では楽友協会のみ入ることができず悔しかったのですが、その黄金の間でのコンサートに参加することができました。開始が遅く、夜8時15分 ~ 10時まで。モーツアルトの名曲を聴きながら、改めてモーツアルトはすごいことを実感しました。41歳までの人生であれほど多くの名曲を作曲したこともさることながら、作曲した曲は誰もを魅了する素晴らしいメロディーばかり。

天才という言葉で片付けのは簡単ですが、彼は自然と天にあるものを音楽として表現したのだと思います。ビートルズも同じような天才でしょう。リバプールに行けばビートルズを礼賛し、ウイーンではモーツアルトか、と思われるかもしれませんが、同じ人間が行ったこととして考えると凄いことだと思いました。私もモーツアルトやビートルズのように、真理を探求してスラスラと論文が書けるといいのですが(だいぶ良いところまで来たと思うのですが今考えている問題をあと一つ詰められていません)

これはCDを聞いているだけではなくて、その場で実感しないと分からないことなのではないか、と思います。

(2018.9.16)

★今回の教訓:ウイーンを流れる河はドナウ。ストラウスが歌うように(テムズ川とは異なり)青く雄大なドナウだ。
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オックスフォード通信(172)7 pence

7ペンスというと日本円でいうと10円くらいでしょうか

ポンドからユーロとクローナ(英語ではCrown、チェコの通貨です)に為替交換をするためにオックスフォード市内の両替所に行ってきました。不思議なことですが銀行よりもどうやらレートがいいようです。

と言ってもそれほど高額ではなくて全部で1万5千円程度です。アプリがあるので(App)便利ですね。レートを確認して、£100(約15000円)ほどユーロに、そして£20(約3000円)をクローナに交換しようと思いました。

両替所はオックスフォード観光案内所の中にあってとても便利なところです。私の前に英国人の大学生風の男性が私と同様にポンドからユーロに交換していました。私の番になって、まずはユーロからということですが、£100に7セント出せば丁度€110になると親切に言ってくれます。ところがどこを探してもというか普段クレジットカードしか持っていないので(本当にクレジットカードとApple Payがあれば事足ります)小銭は持っていません。

ああああ、という残念な空気が流れ始めた時、私の前に両替した男性が「どうぞ」と7セント差し出してくれるではありませんか。

先に書いたように日本円にすれば10円ほどですが、心が動きました。

なかなかできることではないですね。私だったら、と立場を置き換えて考えてみてもすぐにサッと差し出せるか、自信がありません。

人に、特に、海外で親切にしていただくと心にしみるものですね。このお返しは日本できちんとさせて頂きたいと思います。

Pay it forward!

PS. 明日からしばらくはヨーロッパの諸国の旅にでます。現地からお届けします。お楽しみに。

(2018.9.15)

★今回の教訓:額の多少ではないのだろう。爽やかなその青年の顔がくっきり浮かんでくる。
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オックスフォード通信(171)Serena Williams

USオープンで優勝した大坂なおみさんがインタビューを受けている様がBBCなどで放送されていました

テニスコートで見る姿よりもずっと大人びた雰囲気で落ち着いた受け答えをしていました。

一方で、Serena Williamsについてはオーストラリアの新聞が漫画に描いたことによって更なる波紋が広がっています。

先日のガーディアン紙では (2018.9.7) 大学で教える教員の BME (Black Minority Ethnic)の比率が極端に低いことを報じています。裏を返すと、白人男性の比率が高いと言うことです。この新聞のグラフを見るとその極端さに驚きますが、その状況は日本においてもまた女子大学においてもそれほど変わらないのかもしれません。

マンガについては賛否両論あるようです。BBCのWebはその様子を伝えています。大坂なおみさんも白人風に描いてあると、漫画への批判は Serena だけに留まらないようです。また、PC(Politically Correct、パソコンではない)という言葉も出て来ています。

ただ生放送でUSオープンの決勝戦を見ていて、Serena の激昂ぶりは異様に映ったのは事実ですし、観客のブーイングも見たことがないような尋常ではないものでした。これが Serena が仮に優勝していたら彼女はここまで言っただろうか、第一セットをとっていたら・・・とも考えます。

どうも「江戸の仇を長崎で討つ」といった日本の諺も浮かんできそうな状況です。

(2018.9.14)

★今回の教訓:BBCの関心の高さの方に興味を持つ。NHKは放送しているのかしらん。
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オックスフォード通信(170)大学図書館のトイレ

トイレのことばかり書きたくないのですが、海外生活では重要な場所ですのであえてふたたび

昨日のこと、パソコンのこともあるのであまり席を立ちたくないので(通信128参照)我慢しているわけではないのですが、帰る頃に行くことがあります

オックスフォード大学の図書館は閉館時間が同女の図書館よりも早いのはビックリなのですが(通信120参照)、昨日はギリギリまで粘っていました。と言っても18:45頃。同女なら優しい声で「閉館時間15分前です」とかアナウンスがあるところですが、こちらは10分前に問答無用の「帰れ」と言わんばかりの鈴がなるところですが、その5分前にトイレに行ってから帰ろうと思いました。

ラドクリフカメラのトイレは地下にあるのですが、そこへのドアが開きません。また、故障かなと思ってかなり力一杯そのドアを引こうとしたのですがびくともしません。すると、ドアに張り紙が。閉館30分前からはトイレの横に併設してあるウオータークーラーの関係で使えません、と。

全く関係ない。唖然としました。

私は正直、トイレに行っておこう、くらいのつもりだったのですが、緊急の人もいると思います。トイレを封鎖しますか、と聞きたくなりました。もちろん、そこがこの図書館で唯一のToiletです。

要するに、スーパーマーケットやカフェの閉店準備と同じで、7時ジャストに係員も帰宅したいだけなんだろうと思います(以前、閉店間際のスーパーで[Tesco]、ヨーグルトが欲しいと行ったら、閉めかけていた店員が Just two minutes と怖い顔で言い放ったことがありました。スコットランドでしたが)。

ただですらトイレが少ない(通信107参照)イギリスです(先週末のドッグショーの帰りパブでビールを飲んでいたら、トイレだけ使いに来た女性がいました。すぐに分かるものですね)。

せめてトイレくらいは閉館時間まで使わせて欲しいものです。

PS. 外に出ると爽やかな秋空が広がっていました。オックスフォードはすっかり秋です(10月下旬の雰囲気です)。

(2018.9.13)

★今回の教訓:トイレの時間まで気にしていたらできる仕事もできない。
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オックスフォード通信(169)芝刈りと散髪屋さん

オックスフォードに来てからイギリスのいろいろな場所に行く機会を得ましたが、一つ不思議なことがあります。

どの街にも散髪屋さんが必ずあるのです。

そりゃあ、どの国のどの街にもあるでしょうと言われそうですが、目に付くだけでもその数が少なからず、いや多いと思うのです。ひょっとしたらイギリス名物の代名詞のパブより多いかもしれません。

ここでいうところの散髪屋さんは男性を対象とした Barbar です。女性用の美容院は正直どれが美容院か分からないところがありますのでその数はハッキリと分かりません。

外国にはしばらく済んでみるもので、そのような素朴な疑問はあるとき、ふと解決するものです。ヒントは芝刈りにありました(または植木と言ってもいいかもしれません)。

これまたイギリスの訪れる街、街、どこにいっても家の前の植木が綺麗に整頓されていて芝生がこれまた綺麗に刈ってあるのです。

私の住むフラットにも少し広い目の共用の芝生があるのですが、今年のように酷暑で芝生が刈れている間は流石に刈るものもないので芝刈り機(lawn mower)を見ることはありませんが、少し雨が多くなってきて芝生が復活した先週には早速、芝刈りが行われ、3月に来たときに見たような芝刈りの目がうっすらと見えるようになりました。

芝刈り・植木の整頓・(特に)男性の散髪、これは皆共通しているのではないか、とハタとひらめきました。自然に生えているもについては丁寧にしかも小まめに小ぎれいにしなくてはならない、そのような暗黙の了解があるのではないでしょうか。そうやって見るとオックスフォード大学の学生や先生も頭を短く綺麗に散髪している人が多く見受けられます。

それはなぜそうしなければならないのか、と言うところまでは分かりませんが、やっと共通点までたどり着いた感じです。

(2018.9.12)

★今回の教訓:間違っているかもしれないが、自分での発見は嬉しいものだ。
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オックスフォード通信(168)911

この日にどこで何をしていたか?

そのような日が人生にはいくつかあると思います。例えば、阪神淡路大震災、JR福知山線脱線事故、東日本大震災。そして、2001年9月11日もまたそのような日に数えられると思います。

日本は夜の10時すぎで久米宏のニュースステーションの番組の中で旅客機が激突する様子を見たと言う人が多かったと後から聞きました。

当時、トロント大学の大学院生だった私は事件が発生した8:47頃には既にBloor Street に面した建物(OISE)2F、現在でいうところのラーニング・コモンズ(Educational Commons) コンピュータールームにいました。まだインターネットがそれほど普及していない時代でしたが(自宅アパートではまだモデムで電話回線を通したインターネットを使っていました)Netscapeというブラウザーを使いながら何かの調べ物をしていました。

2週間後には日本に帰国することになっていましたので、友人で当時トロント大学のContinuing Educationの教員をしてたClayton Young先生(現在はドバイ在住)に使用しているテキストや教材を午後、見せて頂くアポイントメントをしていました。

9時頃になって回りが騒がしくなってきて何か大きな事故がNew Yorkで起きたらしいと言う話が聞こえてきました。1Fのロビーに降りてみるとすでに特設のテレビが置かれていて多くの人がその回りを囲んでいました。トロントはニューヨーク州に面していて心理的にも地理的にも近い距離にありました。時差もなく全てがリアルタイムでした。

そのあとは悲鳴は聞こえるものの唖然としすぎて割と静かだったのを覚えています。目の前の映像が信じられず、中には先週そのワールドトレードセンターの展望台に行って来たところだと言う人もいました。従兄弟がニューヨークに住んでいると言う人もいました。

午後になってクレイトン先生に教材を見せてもらいながら「この日に何をしていたかと言うことは永久に覚えているだろう」と言われたことを鮮明に覚えています。

当時住んでいたBloor-Yong(ブロア・ヤング)にあるトロント大学のファミリー用アパートまでは徒歩で15分くらいの距離にありましたが、途中の電気店のテレビに人が群がっていたのを印象深く覚えています。

3000人近くの人がテロによって理不尽に命を奪われたことに感じた怒りは今も消えることはありません。その中には少なかぬ日本人も含まれていました。ただ、世界を震撼させた事件でありながら、今だに多くの不明な点があることやそれについてアメリカ政府が納得のできる説明を提供していないこともそのような姿勢が必ずしも感じられないことは不思議なことだと思います。

(2018.9.11)

★今回の教訓:911は南米・チリでは1973年9月11日のクーデターをいう。911はアメリカ的発想の数字だ。
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オックスフォード通信(167)携帯事情

Wifiが大学と自宅フラットで利用できる環境にありながら、依然として携帯は重要です

私は理由があり2台の携帯を持っています(iPhone 5/X)。イギリスに到着してすぐ契約したのが giffgaff というプロバイダー(通信12, 1参照)。これは低料金(私の場合月に £10=1500円ほどです)でカバーする範囲も広く、前月の使用状況をみてアップグレード・ダウングレードをアドバイスしてくれるなどユーザーフレンドリーなところが気に入っています。

もう一つは、オックスフォードでつながりやすいという噂をもとに、イギリスNo.1と言われるEE(イーイー)を敢えて避けて、日本でも聞いたことのある Vodaphone と契約しています。当初はほとんどWifiを使わないだろうと思い、Data量が2GBの £13のプランにしたのですが、毎月足りないどころか倍以上のデータ追加をして、7月などは £43も支払う羽目に(といっても
6000円くらいですので日本の2/3というところです)。

でも流石にまずいと思い、Cornmarket通りにある Vodaphone の支店に行ってきました。待つこと10分くらい。担当の係員が相談に乗ってくれたのですが、結果的には £20で20GBのプランがあるとのこと。はじめからこちらにしておけばよかったと思った次第です。

Vodaphone だけではないのですが、オックスフォード市内での接続状況がよくなく、図書館の中、喫茶店の奥、オックスフォード中心部(イギリスではCity Centreと表現)と自宅フラットの間などでは頻繁につながらないという状況があります。これはVodaphone が悪いのかしらとおもい、いっそここでEEに乗り換えようかと思いました、1年契約になっていますので、ここで解約すると、解約金は?と係員の女性に来てみると、恐ろしい答が。

£13(月額)× 6ヶ月(契約の残りの月数)= £78 とのお答えが

再度、日本と比較すると、この料金を払っても快適なインターネットを享受できるのならと一瞬思ったのですが、ばかばかしいので、プラン変更をすることにしました(契約月数は4月から継続)。

でもそのプラン変更がその支店ではできず自分で電話でしろとのたまうのです。なぜ?仕事分担があり、支店ですると侵害になるとのこと。ばかばかしい。

まあそうは言っても仕方ないので自分で Vodaphone に連絡して10分ほどで変更完了。こちらはとても親切でした。

しかし、格安のプランを作っておいて追加料金で法外な金額を請求するプランをつくっているあたり、giffgaff とは大違いだと思っています。

これからイギリスで携帯の契約をするばあいにはまずは giffgaff ですね。支店はありませんが、その分格安でWeb、メールで丁寧にサポートしてくれます。何しろ、滞在先のホテルやBBにSIMカードを送ってくれるのですから。
(2018.9.10)

★今回の教訓:使いやすい携帯を持っておくことは海外生活では重要。プランも慎重に選ぶ必要がある。
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オックスフォード通信(166)オックスフォード遠望

オックスフォード大学を遠くから見たくなり Boars Hill というところに行ってきました

オックスフォード大学全体を移した絵はがきがあるのでどこだろうということで、Boars Hill という名前だけは調べて行ってみたのですが、日本の感覚とは違うことを再認識しました。日本なら、xxx展望台、xxxセンベイなどと一目瞭然でそれとわかる所があるはずなんですが、ない。

Boars Hill をナビに入れていざマイカーで出発まではよかったのですが、目的地に到着してもそれらしき場所がありません。よくみると Council of Oxford の看板が。やはりこの場所のようです。

目の前には広大な野原が一面に広がっています。ドローンで遊んでいる若者が数名。例のキャトルが外に出るのを防止する知恵の輪風の(本当にそれぞれ違います)かんぬきを開けて中に入ると、本当に遠く、遠くにオックスフォードが見えます。

この時点で合点がいきました。みなさん、望遠レンズで撮っているのですね。気づくのが遅かった。でも、Path Trailの線をみるともう少し近くまで行けそうですが、軽く片道5マイルはありそうです。

そこは車の出番と、車で近くの目的地まで行くことに。途中、個人の農場の敷地に入ってしまったりと試行錯誤を繰り返して車で最も近くまでいけるところで駐車、そして歩いて丘を登ること10分くらい。振り返ると先ほどよりはグンと大きくオックスフォード大学を遠望することができました。

PS. え?どこに。写真の左下をご注目下さい。

(2018.9.9)

★今回の教訓:イギリス滞在の日数がどんどん少なくなっている。時間を大切にしたい。

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オックスフォード通信(165)炎のランナー (A chariots of fire) と大坂なおみ

本日、土曜日夕刻はBBC Promsの最終夜 (BBC 2, 1)とUSオープン女子決勝(Amazon Prime)がほぼ同時刻に生放送されていました

BBC Promsは一度ロイヤルとアルバートホールに見に行った事もあり(通信145参照)今日の最終回を楽しみにしていました。Proms自体リラックスした雰囲気ですが、最終夜は最初から各国の国旗が舞うお祭り気分のコンサートになっていました。指揮者のSir Adrews Davisの挨拶やコメントにも観客と一体感があり見ていて楽しいものでした。Promsは日本でもBS-NHKで1-2度見たことがあるのですが、イギリスで生で見ると一段と臨場感があります。

特に、ハイライトの Pomps and Circumstance(エルガー作曲、威風堂々)は良かったです。普通なら極評するところだが今晩は良かったと指揮者のDavisが冗談ぽく言いながらもう一度アンコールとして演奏しました。

そして、そのあとの Jerusalem。38年前、20歳の頃、映画『炎のランナー』の最後にこの聖歌が教会で歌われるのを見て何故か心を揺り動かされたことを昨日のことのように思い出します。今回の在外研究でカナダではなくオランダでもなくイギリスを選んだのはまさにこの曲をもう一度イギリスで聞いて見たいと思ったことをが潜在意識にあったと思います。

この Jerusalem の最後で a chariots of fire(炎のランナー)の一節が出てきます。38年前何に感動したのか、それは情熱を持って人生を生きていく姿勢だったと思います。その曲がPromsの最後で歌われることに、イギリス人がこの曲を大切にしていることに共感を覚えます。

と、同時に。USオープンでの大坂なおみの快挙。昨日の錦織圭のベスト4とあわせて素晴らしい試合を見せてもらったと思います。錦織は準決勝で負けてしまいましたが、二人ともテニスを楽しんでいるところがいいと思いました。特に準々決勝でのClic戦では、タイブレークを取ることになった錦織のパッシングショットに思わずClic が笑っていたのが印象的でした。

テニスはビジネスになっているし、賞金も掛かっていますが、大阪にしても錦織にしてもテニスが好きでプレイを楽しんでいるところが節々に見ることができました。恐らく人生も同じことなんだと思います。勝とうとするマインドセットを楽しもうとするものに変えるときに思わぬ力が出るのだと思います。ひとが思うほど他人のことには興味はないもので、勝っても負けても、また新しい出来事に人の関心は移って行くものです。

ならば誰かのために頑張って勝とうとか思うよりも、自分が楽しんでプレイをする方がより人生が豊かになるのだと思います。

肩に力が入りがちな中で錦織も大阪も楽しいプレイを見せてくれたと思います。

錦織は準決勝で敗退しましたが、テニス人生においてはすでに勝利していていると思います。大学生の皆さんにも同じことが言えるのではないでしょうか。大学に入った時点ですでに人生に勝利していると。
人生を楽しむことと Chariots of Fire。相反するように見えますが根底は同じだと思います。人生を楽しもうと思わないと情熱は湧いてきません。誰かに勝とうとかそのような気持ちでは長続きしないと思います。

PS. セリーナウイリアムズの審判への執拗な抗議には辟易とするものでした。それを煽るアメリカの観客もどうかと思います。ウインブルドンではそうはならないだろうと思います。試合をみる観客の態度も含め自由をはき違えている人が多いように思いました。

PS-2. 錦織の試合のコメンテーターはあのジミー・コナーズで声を聞けて嬉しかったのですが、しゃべりすぎで、錦織がサーブやプレイをしている間も喋り通しの異様な中継だった。名選手が名コメンテーターとは限らないのだろうか。コナーズが選手時代のビデオで、”You may not like me, but I like you.” と言っているものがあったがコナーズファンが減らないように気をつけた方がいいと思う。

(2018.9.8)

★今回の教訓:帰国まで200日。更にイギリスを楽しみたいと思う。
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オックスフォード通信(164)インターネットダウン

フラットのインターネットが突然ダウンしました

しかもWebを見ている最中だったので突然という感じがしました。このようなときに真っ先に疑うのは次のどちらかの可能性です

① フラット内の機器、接続に問題がある
② インターネットプロバイダー(私の場合、Sky)の問題

ルーターなど何もいじっていないので(Sky提供のルーターとApple Air Macを現在利用しています)、①の可能性は低いと考えます。しかし、何かの拍子に設定がおかしくなっているかも知れないと思い、文系的発想でまず電源を抜く→挿すの繰り返し、次にコードについても同様の作業。しかし、反応なしです。

次は、②の可能性が高いので、しばらく回復するのを待つ。しかし10分くらい待っても回復しないので、携帯でSkyの接続状況を調べても特にトラブルが起きている可能性はないようです。走行しているうちに、パソコンの画面にスカイのソフトが自動的に立ち上がって、ネットワークの接続を確認する方法が指示されました。といっても、①で私がとった行動と全く同じ事なのですが、念のためにもう一度試して見てもダメ。

これは直接スカイに連絡して聞いてみるしかないと考えます。携帯でスカイのサイトに行くと例によってIDとPASSWORDを入れよと指示が出てきます。

大抵そのようなものは覚えていないので(本当に沢山ありすぎます)、秘密のメモを探して、無事にスカイのサイトにログイン。

すると驚愕の事実が。

私のネットワーク(だけ)が、SUSPENDED と表示されています。英語はこのようにして覚えると、Suspendedが保留とか一時停止(学校なら停学)という意味なのがすぐに覚えられるんだろうな、と変に冷静に、なぜネットワークが停止されているか考えました。

料金が払われていない!

すると以前の嫌な思い出が蘇って来ました。そうです、Apple IDの詐欺まがいで(通信137参照)クレジットカードを再発行してもらったことを思い出しました。最初はHSBC銀行から落ちていないのかと思ったのですが(クレジットカードも親切なんでしょう、車のマニュアル・ギアミッションと同様に自動ではなく自分が支払いたい時に支払うことになっています)、クレジットカード番号が変更になったので8月分料金が自動的に未払いになっていたのでした。

でも、ここでカルチャーショック。

日本なら確実に、支払いを促すようなメールまたは電話をするはずです。イギリス・スカイの場合は突然、しかも中途半端な時間に接続を断つという方法を取るのです。

いい勉強をしたと思います。

海外で生きていく上でインターネットはなくてはならないものですが、それ以上に母国のカルチャーに縛られた考えではなくて、柔軟にいろいろな可能性を探ることが海外生活には必要であると思います。

今回は奇跡的にそのような解決策にたどり着いたのですが、トラブルに対応する方策を持っていないといけないと改めて思いました。結果的には30以内に復旧したのですが、リスクやクライシスに対応するスキルの重要性を再認識しました。

しかし突然切るか。

(2018.9.7)

★今回の教訓:その後、ガス、電気の自動支払いを確認。こちらはイギリス発行のクレジットカードでないと受け付けてくれていなかったので変更なし。
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オックスフォード通信(163)台風や地震について

関西地方を中心とする台風の甚大な被害についてBBCでも定時のニュースで報じています

そしてまた北海道を襲った激震。外国で日本の災害について目にするのは辛いです。被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

Facebookでも友人の投稿から御所の木が倒壊して今出川通を塞いだり、同志社女子大学の構内でも大木にひびが入っていて折れている写真を目にしています。また、関空の高潮による浸水や連絡橋の破損には驚いています。

そう考えるとイギリスを始めヨーロッパ諸国とは比べものにならない天災・災害が日本には毎年のように襲いかかっているように思います。ヨーロッパでも今年は酷暑と言われ、干ばつになっているところも多数ありますが、比べ物にならないと思います。ヨーロッパにはまず台風は来ませんし、地震も少ないです。特に、イギリスでは皆無ではないでしょうか。地震のない証拠にオックスフォードでも600年来の石造りの建物が多数残っていますし、この立て方は日本では危ないだろうと思うものがいくつもあります。

NHKもこのような非常事態にはYoutubeを通して「生放送」をしていることを知りました。はじめはビデオと思っていたのですが時刻をよく見ると現在の時刻になっています。まず正確な情報を(国内外に)伝えることはこのような非常時にはとても重要だと思います。

関空を作る際に海上空港は大丈夫なのかという議論があったと思うのですが、原発の場合と同様に想定外のことは想定しないで空港を作っていることに驚きます。排水機構が地下にあって機能しないという報道を聞きましたが、誰が考えても地下に作っては浸水したら終わりということは分かると思います。丁度、原発が想定外の津波を予測しなかったように。

鉄道運行をみても日本人や日本のシステムは世界に冠たる超緻密な精度を誇っています。これは素晴らしいとことだと思うのですが、何かを議論する際に「専門家」が大丈夫だと太鼓判を押したことには(太鼓判を押す専門家を呼んで来ているだけだろうと思いますが)メディアも疑わない姿勢は世界的に見ても稀であると思います。ある一つが動かないと全部がダメになるようなことが続いていると思います。お上が言ったことは大丈夫という信仰が今も日本には生きているのかもしれませんが、公文書改竄のようなことが実際に起きているのがお上の現状です。

または違う考え方をすると、無理しすぎているのかもしれません。そこまでしなくてもということをやり過ぎているのかも知れません。空港もそれほど便利でなくてもいいかも知れないし、原発で電気を作らないと困るようなハイテクの社会は不要なのかもしれません。おもてなしの文化も一方でどこかで無理を強いる社会になっているのかもと思います。

2019年のラグビーW杯、翌年の東京オリンピック。紙一重の計算に基づく計画はそろそろやめるときかもしれません。

関西の台風からの、そして北海道の地震からの復旧、復興を祈念してやみません。

(2018.9.6)

★今回の教訓:エアコンも効かず真っ暗になった空港で多くの人がパニックにならず冷静に行動する姿勢。できそうでなかなか出来ない事だと思う。日本国民の成熟した文化を見る。国民のレベルは高い。
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オックスフォード通信(162)Liverpool 紀行 (3) Wedgwood

リバプールの帰りに陶器で有名な Wedgwood に立ち寄って来ました

以前トロントに住んでいる際に、住んでいた大学のファミリー用アパートの前にドカンとWedgwood のお店があったので名前だけは知っていました(妻はカナダからの帰国前に折角だからと?Wedgwood も並べていたギアンの高級お皿セットを購入しました。出し惜しみをしていることもありまだ無事です)が、その本社兼工場兼ミュージアムがあるということで、リバプールから約1時間半の Stoke-on-Trent まで足を伸ばしました。

色々と面白かったのですが、まず工場見学については、ミュージアムと兼用のチケットが£10。高い!このようにして手作りで陶器をつくっていますよというアピールなのか、とてもその工場で作っているだけでは世界中の支店に売りさばく Wedgwood の陶器はできないと思うほど丁寧に作っておられました。陶器の絵付けやジャスパーと言われる立体感のある飾りを付けているのは全員女性でした。筆を握っている方々と話ができるのが面白いのですが、なぜ女性ばかり?男性は?というような話もやりとりされていました(100年前は賃金が高かったので男性もいたが、現在では賃金が安いから女性ばかりになるのでは?と私の横のイギリス人風の男性が言っていましたが多分ハズレだと思います)。

実際に男性社員もいたのですが、出来上がった製品を運んだり、見学者用の手すりを磨いていたりと陶器の本質とは関係のない仕事をしておられました。きっと女性の方が手先が器用で美的センスがあるから女性ばかりの作業になるのではないでしょうか。みなさん、ヘッドホンで音楽を聴いたりとゆったりとした作業風景でした(余計に怪しい。地下に秘密工場があるのでは・・・?)

もう一つ面白かったのは本社工場内は写真撮影厳禁ということなのですが、その表示が英語・日本語のみだったことです。よっぽど日本からの観光客が押し寄せるということなのでしょうね。

もともと陶器をChinaというほどですから本家の中国人観光客は陶器には興味がないのかもしれません。

美術館は1759年に開業した Wedgwood のまあ自慢の館のようなもの。この工場見学とお家自慢にお金を払って見ている私はマヌケなのかもしれない、と思いながら折角なのでじっくりと見せていただきました。興味深いのはあのCharles Darwinのお祖父さんが(内科医だった) Wedgwoodファミリーと関係があったこととミカドという日本風のWedgwoodが展示してあったことです。日本風見の陶器も製作されていたということですね。

その後、イギリスに来てから最も美味しかったアフタヌーン・ティー(ティー・ルームという高級レストランで)を頂きながら(特に、これまで極評スコーンがあれほど美味しいとは)、陶器が執り持つ日本とイギリスの不思議な縁について考えていました。そういえば、現在の新作のティーカップも Kyoto というシリーズでした。

私はその後、併設のアウトレットで(良く考えてあって、その他にフラッグシップストアと称する正規価格で販売の店が美術館の横に。アウトレットの横にはダイニングというカフェも[間違えてこちらでサンドイッチを食べそうになった!} 研究室用に素敵な Wedgwood マグカップ6点セットを購入しました。お披露目は来年3月末になりますのでそれ以降、是非、ティーを飲みにおいでください。

(2018.9.5)

★今回の教訓:奇しくも私と丁度200歳違いで Wedgwoodが創業している。陶器とアフタヌーン・ティーを通して見るイギリス文化も面白そう。M6-M40-A44とモーターウエイを乗り継いで帰って来たが、ほぼ地平線に沈む夕日がとても綺麗だった。まだ日没は夜の7時半くらい。
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オックスフォード通信(161)Liverpool 紀行 (2)

Beatles尽くし

リパプールの街を歩いていると至る所にビートルズの歌声、彫像、写真が耳に、目に入って来ます。ビートルズが活躍したのが1960年代、解散してから10年、1980年12月8日のジョンの暗殺からももう40年近く経つのに未だにビートルズはこの街に生きている感じがします。

Liverpool Museum ではヨーコとジョンの特別展覧会、同じくハーバーにはビートルズ博物館、Mathew streetには彼らがバンド活動をしていた Pub Cavarnが(現在のパブは以前の位置から10mくらい北の所にあります)あります。

特に、ビートルズ博物館 (Beatles Story) は彼らの生い立ちから解散後に至るまで音声ガイダンスに沿って(日本語を含む8ヶ国語)約1時半かけてみて回るものです。後から実際のCavarnに行ったのですが本物と違わないくらいに博物館内で再現してありました。

ジョンもポールも中学生までに母を亡くし決して恵まれた家庭環境でなかった事がわかります。歌で有名なStrawberry Fieldももともと孤児院だった所です。またジョンは作曲をする前から歌とは関係なく詩を書いていたとの事。ジョンには書くべき事がたくさんあったのだと思います。孤独な生活環境の中でも詩、すなわち言葉の力に早い段階から気づいていた点で天賦の才能があったのだと思います。

リバプール美術館での展示では、Imagineの原稿も展示してありました。Imagineはもともとヨーコが書いた詩をもとにしていたらしく、現在ではコピーライトにヨーコ&ジョンとなっていることも説明してありました。

ビートルズがこのように取り上げられ世界中から多くの人が見に訪れるということは、ビートルズの中に普遍的な価値があるということなのだと思います。それは Love Peace といった言葉ではまとめきれないものだと思います。私はそれは壁を作らない若々しい情熱だと勝手に解釈しています。ビートルズをみると、聞くと、元気になる。それはABBAとは(ABBAも大好きですが)違う種類の魅力だと思います。

今日、展示を見ながら散々 (?) ビートルズの曲を聞く事ができました。聞きながら、英語の歌の歌詞を英語を母語としない私達が理解しようとすることはとても重要だと思いました。今では歌詞の日本語訳が自動的に手に入りますが、少し苦労して自分で日本語に訳してみることも大切だと改めて思いました。

(2018.9.4)

★今回の教訓:英語学習とビートルズは相性がいいのかもしれない。
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オックスフォード通信(160)Liverpool 紀行 (1)

港のある街

とは知っていましたが、これまで訪れたロンドンともスコットランドとも異なる爽やかな風が吹いている街です。

オックスフォードを朝の10時前に出発し、一路M40-M6を乗り継ぎ、マンチェスターを超えて3時間半のドライブでした。街について思うのは、洗練された街の雰囲気です。港方向から強い北がぜが吹き抜ける街というイメージです。

オックスフォードにあるような古い煉瓦造りの街並みもありますが、近代的なビルも所々に散見できます。同志社女子大学英語英文学科のD先生がリバプールが故郷で夏休みで帰郷していらっしゃるということで、先生の温かいお心遣いに甘えて街を案内して頂きました。

その古い街並みと新しいビルが混在するのは第二次世界大戦の際ナチスドイツ軍に空爆を受けたせいだとのことです。爆弾で破壊された跡地には新しいビルが空襲を免れた所はそのままの街並みが残っているとのことです。

待ち合わせの Cathedral を私がもう一つの大聖堂と勘違いしていたハプニングは合ったものの、リバプール出身の先生ならではの興味深い説明によって街の魅力が何倍にもなるのが不思議でした。途中、ジョン、ポール、ジョージが通っっていた高校(現在は美術専門学校)にも案内して頂きました。リバプールだから(途中のMotorwayの交通標識はL’ pool)あのビートルズが生まれたように思います。伝統を大事にしながらも新しい風を取り入れる革新性

あのタイタニック号の親船会社の本社もリバプールにあったそうです。

Liverpool Cathedral の屋上からは運河 (River Mersey)と大西洋、そして風を利用した大量の風力発電の風車が海上に立ち並んでいるのが見えました。

夜はD先生と絶品の中華料理を頂きました。

明日はリバプールの街を更に散策したいと思います。

(2018.9.3)

★今回の教訓:伝統と新たな文化の融合、京都と異なるのは海があるところか。
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オックスフォード通信(159)夏の終わり

サマータウンには日曜日にマーケットが出ます

このサマータウンに住みたいと思った理由はいくつかあるのですが、例えば大学まで徒歩圏内であるとか、バスの便がいいなど、しかし大きな理由は街の中にちょうど商店街のようにほぼすべての種類のお店が揃っているということがあるかもしれません。散髪屋さん、自転車屋さん、銀行、スーパー、コーヒーショップ(7月まではスタバもあった)、パン屋さん、ケーキ屋さん、文房具店、プール、ジム、パブなど。

とりわけ、この夏の間、土曜日日曜日にはマーケットの屋台が並び特に何を買うわけでもなく冷やかして歩くのが楽しかったです。マーケットは野菜やサンドイッチ、パンなどの店が多いのですが、アイスクリーム屋さん、植木屋さん、コーヒーの豆やさん、レバノン料理の屋台、チーズの屋台と多彩です。今日などはペットの犬や猫用の高級な?エサの屋台もありました。

オックスフォードシティーセンターでも音楽の演奏をしている人がいるのですが、このマーケットではおじさんが毎週マーケットの前に椅子をおいてアコーディオンの演奏をしています。哀愁を奏でるようなメロディーについ皆さんも財布の紐が緩むようです。

映画『ノッティングヒル』の中に出てくる市のイメージに近いかもしれません。

先週の日曜日は雨でしたが今日の日曜日は快晴。しかしその夏の日差しにも翳りが出てきたような気がします。

季節は夏から秋に移ろうとしています。

楽しかった夏のマーケットもそろそろ終わりです。

明日から3日間、Beatlesの故郷、Liverpool(リバプール)に出かけます。

(2018.9.2)

★今回の教訓:スーパーマーケットとは異なるいい味がある。人の笑顔が見られるのが冷房のかかったスーパーとの違いか。
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オックスフォード通信(151)Ten past eight. Nineteen to nine?

毎朝、朝食は BBC のBreakfast(通信136参照)を見ながらというのがライフスタイルになってきました

イギリスを中心にコンパクトにニュースがまとめられていてスッキリした印象の番組なのですが、1つだけ、時間の言い方にはなかなか慣れません。

Ten past eight = 8:10

Nineteen to nine = 9時19分前 = 8:41

いつまで経ってもなかなかピンと来ません(臨界期かもしれません。先日の学会で臨界期はあるのかという議論で、オックスフォード大学の名誉教授の先生が、”No, but if there is, it is over 60”と発言していました。60歳が臨界期かあ)。

もちろん、普通に Eight forty-one と言われる時もあるのですが、頻度としては圧倒的に上記のようなパターンが多いように思います。

考えて見ると何時のことなのか分かるのですが時間がかかります。英語のリスニングにはいろいろな場面と種類があると思いますが、こと数字が絡むとなかなか厄介だと思います。電話番号も聞いてもすんなりと頭に入って来にくいですし、それにmileとyardなどの単位が異なってくるとなお更です。特に、時刻は日常的なことなので、いわば異なったフォーマットになると慣れにくいことが面白いです。

British English はそれはそれで面白いのですが、少し異なる話なのかもしれません。

(2018.8.25)

★今回の教訓:英語など外国語/第二言語の習得には「慣れる」ことを避けて通れない。一方で慣れやすいものと慣れにくいもの(母語や他の表現方法の影響が強すぎる)があるのも事実です。
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